新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

「第1章」全面削除の改憲には大賛成

2019年05月27日 12時27分06秒 | 憲法改悪

「参院選が終わるまで妥結を迫らずに待つ」というこの言質欲しさに、過去に例のない最大級の費用を使い、日本の伝統文化をねじ曲げて「おもてなし」を行った安倍晋三。
 
国技館に出向き大相撲を生で見る観客の中には、極めて保守的な国民が多いことだろうと常々思っていたが、昨日の千秋楽では正にそんな場面が垣間見られた。


大方の良識派たちは真っ当な見方をしていたようだ。 

大相撲には大して興味がないことは明白だったが、トランプの真の狙いは日米貿易不均衡の是正一点であり、すでに自らツイッターで明らかにしていた。

さて、元天皇明仁の「早期退職願い」を逆手にとって巧みに自己保身のために利用してきた安倍晋三は、日本社会の「新年度」に当たる4月1日に新元号を発表し、「元号フィーバー」をマスメディアを使って演出し、その1か月後の天皇徳仁の即位、一般参賀と矢継ぎ早に、これでもかとばかりの政治利用パフォーマンスを繰り広げてきた。
 
しかし、その裏では新元号に対しての様々な動きがあった。
 
当時はオジサンも、「安倍晋三のための新元号なんか使わない!」というつぶやきの中で、安倍改憲に真っ向から反対している澤藤統一郎弁護士の以下のブログを紹介してきた。
 
私は、けっして「令和」を使わない。令和不使用を宣言する。
 
私が「令和」を使わないわけ。
  
ところが、新元号発表前の3月27日には、山根二郎弁護士、北原賢一(元公務員)、そして矢崎泰久(ジャーナリスト)の3人が「老骨に鞭打つ」かのように、元号差し止め訴訟を東京地裁に起こしていた。
 
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<「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃」>
 2019年04月02日  HUFFPOST 
・・・前略・・・
■「基本的人権を侵害。耐え難い苦痛」
 そんな中、元号反対の立場から改元は違憲だと提訴したのが、山根二郎弁護士らのグループだ。山根弁護士は「元号の制定は国民が有している『連続している時間』を切断し、憲法13条が基本的人権として保障する国民一人一人の『個人の尊厳』すなわち『人格権』を侵害するものであるから同条に違反し許されない」と主張する。
 
     
 
 山根弁護士は「裁判は5月21日午前11時から東京地裁で開かれるが、これは何を提訴したかというと、これは"全て国民は個人として尊重される"と書かれている憲法13条に違反するということだ。私たち一人一人は世界の人々と共に、連続した世界の時間を生きているし、キリスト教国ではなくても西暦という時間軸を生きている。しかし、日本列島だけはそこからはみ出して違う時間軸になっていて、天皇が変わると振り出しに戻るというか、"ガラガラポン"とゼロになってしまう。時間が切断されている。つまり、元号というのは、寸断された時間の中で天皇と共に生きるということ。元号と西暦を行ったり来たりして、頭の中は分裂状態。早見表がなければ何年前かも分からない。これを強いられるのは非常に苦痛で、自由ではない。今回の裁判も、裁判所から"平成31年何号"と番号が付けられる。次に国の代理人出してくる答弁書は、覚えたくないが、おそらく"令和元年何号"という形で来る。強制されている。日本は国民主権に立つ近代憲法を持った近代国家のはず。どう考えても基本的人権を侵害しているし、国民主権の日本国憲法に反している」と主張する。
 
     
 
 「明治以降、近代に入る前の方が災害などで元号が変わっていて、まだ無邪気なところがあった。たとえば明治天皇の先代の孝明天皇は20年くらいの在位の間に元号が7つもある。奈良時代や平安時代はともかく、鎌倉時代以降、江戸時代まで天皇の存在感は今日のような大きなものではなく、非常に希薄だったはずだ。ところが明治政府は"大日本帝国は万世一系の天皇が統治する、天皇は神聖にして侵すべからず"という"天皇絶対"に立ち、その思想のもとで今の元号制度が始まった。それが今日、行われたということだ。これはとてつもないことだ。天皇陛下のためだと戦争をした時代から、日本は結局変わっていない。日本人は天皇の在位とともに生きているということに抵抗がないんだ。世界は"これで近代国家と言えるのか"と見ていると思う。マスメディアはそれを聞いたのだろうか」。
 
・・・中略・・・
■ 元号法は「不思議な言葉
 山根弁護士は、「元号法」についても疑問を呈する。
 1977年(昭和52年)、昭和天皇が高齢になったことを機に元号についての議論が高まり、野党が「元号を廃止し西暦に統一すべき」とする中、成立した法律だ。背景には、1947年(昭和22年)にGHQ下で制定された現行の皇室典範には元号に関する規定がなかったことから、法律上、存在しない状態が続いていたことがある。
  
           
 
・・・中略・・・
 山根弁護士が問題視するのは、この「元号は、政令で定める。」「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。この「元号は、政令で定める」「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」とする、この極めて短い条文の記述だという。
 「非常に不思議だ。ほとんどの法律には制定の目的が前文や第1条に書かれているが、元号法に何もない。しかも、"元号は、皇位の継承があった場合に限り改める"というのは、"皇位の継承がない場合は改めてはいけない"という意味である一方、"皇位の継承があったら国は元号の制定をしないといけない"と定めているわけではない。本来、"皇位の継承があった場合は元号を制定しなければならない"となっていなければならない。極めて不思議な言葉だ」と指摘。「日本国憲法には元号のことが一つも書かれていないし、昭和54年に制定された、この不可思議な文言で初めて、政令で決めるとなった。法律ですらない。だからその政令で決めるのを止めればいい。国はこんな大騒ぎをして、元号とは一体何なんだと。お祭りなのか?違うだろう。若い人は知ってるかわからないが、"賽の河原の石積み"だ。積んだ石が崩される。それを喜びとする人もいてもいいし、お祭り好きな人はいいが、そうではない時間、世界の時間を生きている者には耐え難い」と、重ねて主張した。
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共同訴訟人の1人で、ネトウヨメディアから、「『令和』を差し止め訴訟をした三人は皇室侮辱等のトンデモ」という反論記事中で、「左翼雑誌の『週刊金曜日』の常連」と決めつけられている矢崎泰久の同誌からの問題提起の一部を紹介しておこう。
 
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 現在の日本国憲法には天皇を「象徴」と位置づけているが、それ自体が曖昧であり、国民に対してより、天皇に「象徴とは何か」を問いかけているようにしか見えない。
 4月30日に退位した天皇明仁は、自らの言葉で「象徴として生きる難しさ」を何度も述べてきた。これに対して、歴代の政府もほとんどの国民も、真正面から向き合う覚悟は、いささかも無かった。
 象徴問題をメディアが取り上げることもあったが、諸説併論するばかりで真剣な議論が行われたことは同じく無に等しい。むしろ触れまいとする傾向が強く、謎めいたままにしておくことで、天皇、それに付随する皇室問題の核心部分をボカし回避してきたように思える。
 天皇はかつて「現人神」として日本に君臨していた。明治維新という愚劣な改革(クーデター)の結果として、天皇制は誕生している。敗戦を迎えた翌年の元旦に、昭和天皇は「人間宣言」を、自ら国民と同じ地平に降り立った。本来なら、そこで天皇制は終わっていた。
 ところが占領国アメリカと日本政府による密談によって「象徴」として残った。このことは事実であり、きわめて政治的な決着であった。そこには権力による非民主的な陰謀しか見えない。
 簡単なことは帝国主義が温存され、日本には形式的な民主主義が施行された。「象徴」こそが、日本という怪しい国家の誕生の元凶である。
・・・中略・・・
 このほどの退位と即位にしても、本来ならば「象徴」に徹すべきであろう。ところがほとんどの日本人は改元を祝ったり、お祭り騒ぎに身を委ねたりしている。まるで天皇国家が再現した感がするではないか。
・・・中略・・・
 天照大神とか神武天皇とか、三種の神器とか、そもそもこれはお伽噺の世界ではないか。象徴天皇なら、そんな世界とは縁を切ったらよろしい。それが出来ないなら、天皇制は一切廃止すべきであろう。 
 私は少しも過激な発言をしているとは思っていない。それでも眉を顰める人はいるだろう。どっちが正常か、それが今の日本人には分からなくなっているのだ。
・・・後略・・・
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「私は少しも過激な発言をしているとは思っていない」ことは確かで、「象徴」にもかかわらず、崇め奉る連中が戦前の「不敬罪」を持ち出して批判することの方がむしろ「過激」であろう。
 
「帝国主義が温存され、日本には形式的な民主主義が施行された」ことが、最近の国会では「民主主義」とか「立憲主義」をまったく無視する輩を登場させ、「象徴」を利用した日本という怪しい国家に安倍晋三が変節させてしまったことにつながっている。
 
「安倍改憲」には反対だが、日本国憲法「第1章」を全面的に削除し、「国民と同じ地平に降り立った」天皇を国民として迎えるという「改憲」には賛成する国民も多いと、オジサンは思う。

     

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