新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

感染後の後遺症には個人差があり、最後は自分の身は自分で守るしかないのか

2022年02月16日 11時50分26秒 | COVID-19(新型コロナウィルス)

コロナ対策で菅義偉が「後手・後手」と批判されたことを反面教師として、強いリーダーシップを発揮するかのように、「先手・先手」と水際対策を行った岸田文雄だったが、「熟慮」不足から、「朝令暮改」を繰り返していた。
 
本来ならばこんな腰の定まらない政府を批判・追及するべき野党間に軋みがでていた。 
 
昨日、「ついに『野党共闘』が壊れ『与党共闘』が誕生か」の中で、国会対策での野党間の連携を図るため、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党などが共産党抜きで今後、実務者が協議することになったと、明らかにしたのだが、その後昨年の総選挙で「野党共闘」として多くの候補者を取り下げた共産党から猛烈な批判と抗議を受けて、野党第1党の立憲民主党の国会対策委員長が謝罪と撤回を表明したという。 
 
国対協議の枠組みで共産党除き『やり方は誤りであった』立民が謝罪撤回
 


おやおや、ナント情けない話になったものである。
 
ある時は編集者、ある時はコピーライター、 そしてある時はオンライン古本屋の店主が綴る独断・偏向コラム」氏に徹底的に叩かれていた。 
何やってんだろうね。謝罪撤回したからって、維新と組もうとした事実は覆せないんだから、立憲の失地回復はあり得ないだろう。希望の党崩れの泉君では、もはや参議院選は戦えないんじゃないのか
 連合会長の反共・芳野君の顔色を伺っているうちに、立憲は自らの立ち位置を見失っちゃったんだね。「提案型野党」なんて温いことほざいてるうちに、維新にまで舐められて、ざまあありません。
 そもそも、スッカラ菅君と維新とのバトルを冷ややかに眺めているだけで、「意図が不思議だ。菅氏は個人の発言だと言っている。なぜ立民に抗議文を持って来るのか」(泉健太)なんて発言を平気でするくらいですからね。そりゃあ、舐められもするってものだ。

さて、オミクロン変異株によるCOVID-19の爆発的な感染拡大も数字の上からはピークアウトして、今後はなだらかに感染者数が減少してくると予想されている。
 
ただし、重篤者や死者数は日々に発表される感染者数とは直接リンクされず1週間ほど遅れて顕在化してくるので、特に高齢者の死者数は増加することは確かであろう。
 
そんな中で岸田文雄政権は3回目のワクチン接種実施に躍起なっているのだが、従前からワクチン接種には懐疑的なこの人は、最近のブログ「ワクチン接種拒絶する強さ大切」の中でこう言っていた。

「接種後急死の原因が特定されていない」だけなのだ。
「接種後急死の原因がワクチンである」と特定されていないこと」を、厚労省は「「ワクチンが原因で亡くなった」ということではありません」と表記している。
ほとんど詐欺である。

 
まあ「詐欺」と断定はできないが、厚労省の隠ぺい体質は今に始まったことではないことだけは確かである。
 
オジサンはワクチンを拒絶するほどの強さは持ち合わせていないが、自分の体質と基礎疾患から鑑みてワクチン接種をあえてしていないだけなのだが、ワクチンを2回も接種しても感染してしまうCOVID-19なのだが、感染症の場合は一度感染したら抗体ができて「安心」などとは言っていられないのが今回厄介なところで、「コロナ感染、37%に後遺症 英調査、12週間以上継続」と感染後陰性になっても後遺症に悩まされる人は少なくはなく、さらに「半年後4人に1人が後遺症 コロナ感染者、女性に多い傾向」との記事の発信元の共同通信の秋田紗矢子記者の生々しい後遺症との闘いの記録を、少々長いが全文を引用する。
 
『軽症で回復したはずだった』コロナ後遺症の深刻な実態 1年以上苦しみ、今なお治らない記者の記録
  
新型コロナウイルス感染症の症状がどんなものかは多く報道されているが、回復後の後遺症の実態は意外と知られていない。記者(33歳、女性)は、感染から1年たった今も後遺症に苦しんでいる。体の痛みで座っていられずにのたうちまわり、ひどい倦怠感で日常生活がままならない時もあった。仕事も長期の休職を余儀なくされた。治療である程度は改善したものの、今も本調子にはほど遠く、再び悪化するかもしれない恐怖と闘う日々だ。
 若年層は感染しても重症化しにくいからと、油断しないでほしい。コロナ感染自体はたいしたことがなくても、その後に重い後遺症に苦しむ人は多くいる。記者の体験から、その深刻さを知ってもらいたい。(共同通信=秋田紗矢子)
 ▽感染判明、でもずっと軽症
 コロナ感染が判明したのは昨年1月。東京ではいわゆる「第3波」と呼ばれ急拡大していた時期だ。自分もいつ感染してもおかしくないと感じ、一切の会食を控え、友人の家に集まる予定もキャンセル。習っていたヨガもオンラインに切り替えていた。
 味覚がなくなっていると気付いた瞬間は鮮明に覚えている。当時、JRの駅構内にある自販機だけで売っている割高なりんごジュースがマイブームだった。飲むと芳醇なりんごの香りが鼻に抜ける。
 ところが1月15日午後8時ごろ、帰宅途中にりんごジュースを飲んだが、味がしない。ただ冷たい水を飲んでいるようだった。まさかと思い、家にあったありとあらゆるものを口にした。お茶、牛乳、ビール…すべて水を飲んでいるよう。キムチは砂をかんでいるようだった。これが味覚障害か―。感染を確信した。
 翌16日朝、近くのクリニックを受診。抗原検査で陽性と診断されたが、重症化はしなかった。熱が上がらず、せきもない。当時住んでいた品川区からはすぐにレトルト食品などが届き、保健所も毎朝、体調を確認する電話をくれた。
 自宅待機の10日間は軽症のまま過ぎた。ただ、起き上がるのがおっくうになるような倦怠感は残ったため、大事をとって職場復帰は2月からにした。
 復帰初日、明らかな異変があった。電車で30分ほど通勤しただけなのに、激しい疲労感をおぼえ、会社に到着するなりソファに倒れ込んだ。
 この疲労感には覚えがある。かつて、登山でテントを担いで北アルプス・涸沢を目指し、5時間以上歩き続けた。それでもたどり着けず、ゴール目前で一歩も歩けなくなって座り込んでしまった。あの感覚に近い。
 このときはまだ「コロナで体力が落ちたからか」としか考えなかった。しばらくたつと、異常な疲労感や倦怠感は通勤だけでは出なくなり、だんだん収まっていくのだろうと信じていた。
 ▽倦怠感、一度消えた後急激に悪化
 4月上旬になると、断続的に続いていた倦怠感はなくなっていた。「コロナを振り切った」と思った。それまでは体が重くて仕事が手に付かない日も多かったが、ようやく思い通りに体が動くようになり、仕事に一層打ち込んだ。
 プライベートでは、以前から始めたいと思っていたゴルフのレッスンを受けた。マンツーマンで指導を受けながら、ゆったりと約1時間スイング。軽い運動で、直後はなんともなかった。
 ところが1週間後、急激に倦怠感が強くなった。体が鉛のように重く、動かせない。とても出社できない日が続いた。あまりのしんどさに、コロナに再び感染したのではないかと疑い、PCR検査を受けた。結果は陰性。当時はちょうどゴールデンウィークだった。連休の間の平日も休むことで計10日の休みを取ったが、あまり回復しない。
 連休明け。体がつらくて、とても通勤電車には乗れない。重い体を引きずってタクシーで出社し、なんとか宿直勤務に入った。しかし、3時間もたたないうちに体が強く痛み、座ってもいられなくなった。上司に説明して早退させてもらった。
EATでは塩化亜鉛溶液に浸した綿棒で上咽頭をこする
 倦怠感もひどく、もう何もできない。一人の生活に限界を感じ、実家の世話になることにした。30歳を過ぎて実家に戻り、家事の一切を親に任せなければならない自分が情けなかった。
 ▽「今のままでは寝たきりになる」と医師に言われ、休職
 コロナの後遺症に詳しいヒラハタクリニック(東京)の平畑光一医師によると、後遺症が悪化して筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)に移行し、寝たきりになるケースもあるという。
 記者も診察を受けると「そのままでは寝たきりになる。絶対安静」と言われた。しばらく休職することにした。
 このクリニックを訪れた人のうち、仕事を持っていた人は1832人(昨年12月18日時点)。うち736人が休職したという。時短勤務などを含めると、3分の2が仕事に影響が出ているとも聞いた。
 平畑医師によると、ME/CFSの傾向が強くなると、普段なら何ともないような活動をしてから5~48時間後に強い倦怠感が出ることがある。その現象は「PEM」と呼ばれる。記者もこの時期、比較的元気に過ごせる時間と、倦怠感や体の痛みでぐったりしている時間があり、体調には波があった。
 不調の波は、動ける時間帯に何か行動をしたことが原因となっているようだ。だからだろう。平畑医師は患者に「だるくなることをしないで」と繰り返し呼び掛けていた。調子の波の振れ幅をなるべく小さくし、PEMを引き起こさないようにすることが症状の改善には肝要らしい。
 記者も気を付けたが、それでも症状が最もひどかった6月は、不調の波が否応なしに押し寄せ、本当に気がめいった。グレープフルーツの皮をむくだけで、ドライヤーで髪を乾かすだけで、不調となった。
 中でも特に「不調の大波」に見舞われると、体の中で何か強い炎症が起きているような不快感と体の痛みで、発狂しそうになった。親にはとてもそんな姿を見せられず、部屋でひとり、床をのたうちまわった。手元にあった家電のコードが目に入った。死んでしまった方が楽かも知れない。そんな感覚は初めて。この苦痛から本当に逃げ出したいと思った。
 ▽耳鼻科で70回の激痛治療。改善の手がかりに
 この頃の自分は暗いトンネルの中にいるようだったが、7月末ごろから徐々に改善した。役に立ったとみられるのは「慢性上咽頭炎」の治療だ。
 日本病巣疾患研究会の堀田修理事長によると、後遺症患者の多くが重度の慢性上咽頭炎という。ウイルス感染などにより、鼻と喉の境で炎症を起こして慢性化すると、うっ血状態となり、脳機能が低下して自律神経障害などを引き起こすと考えられている。
 これに対する治療は上咽頭擦過療法(EAT)と呼ばれる。塩化亜鉛溶液を浸した綿棒を鼻や喉から突っ込み、患部をこすって亜鉛の殺菌作用で上咽頭のうっ血状態を解消し、炎症を和らげる。
 堀田理事長によると、新型コロナワクチン接種後、倦怠感などの慢性的な不調が続く人も慢性上咽頭炎になっている人がおり、EATによる効果がみられるという。
 記者も治療を受けるべく近くの耳鼻科に通った。上咽頭には重度の炎症が起きており、最初はすさまじい激痛でパニックを起こしそうになった。例えるなら後頭部を鈍器で殴られるよう。あまりの痛みに、病院を出た後に何度か一人で泣いた。ただ、処置後は頭が晴れ渡るようにすっきり。なぜか気持ちも一気に前向きで穏やかになった。
 そうなって初めて、これまでいかに不調だったかを認識できた。何より改善の手がかりを得たのがうれしく、我慢して70回以上、治療に通った。
 ▽不眠、しびれ、胃もたれ…もぐらたたき状態
 記者は倦怠感や体の痛み以外にも、細かな不調には悩まされていた。不眠、胃腸の不調、体のしびれ…。不調がひとつ治まったと思うと、別の不調が起きる。もぐらたたきをやっているようなもどかしさを感じた。
 体の痛みが特に強かった6~7月に悩まされたのは、不眠だ。寝付きが悪い上、悪夢でうなされる日々が続く。銃撃戦に巻き込まれる夢。実在する取材先から激しく責められる夢。これが連日続き、ぐったり。体調悪化に追い打ちを掛けた。
 胃腸の不調も深刻だった。胃がずっともたれている感覚で、食欲が大幅に減退。約2カ月間続き、目に見えてやせた。ほとんど経験したことがなかった便秘も続いた。左脚を中心にしびれが続いた時期もある。
 ひょっとしてこれらはコロナ後遺症とは別の疾患ではないかと思い、インターネットで何度も検索したが、はっきりしない。一つ一つの不調はそれほど深刻ではなかったが、対処のしようがなく途方に暮れた。症状を緩和する目的でさまざまな薬も飲んだが、どれもさほど効果はなかった。新しい薬を試した結果、じんましんが出たこともあった。散々だった。
 ▽根本から変わってしまった体を実感
 8月下旬になると、EATが奏功したのか体調が改善し、実家から自宅に戻った。自分で家事もこなせ、1時間程度は出歩いても倦怠感が出なくなった。
 いよいよ仕事に復帰できる。そう確信し、自ら願い出て数時間の取材に2日携わった。電話で話を聞き、それを書き起こす内容。難なくこなせる仕事だ。いくら体調管理に注意が必要とはいえ、それくらいなら問題ないと思った。
 でも電話取材を始めると、なぜかどんどん手足が冷たくなっていった。一方で頭はのぼせるような感覚。「久しぶりの仕事で緊張しているのだろう」と思い、気にとめなかった。
 数日後、激しい体の痛みと息ができないような体の不快感に再び襲われた。たちまち日常生活が立ちゆかなくなり、また実家に戻った。耐えられる負荷は、自分の想定よりもずっと低かったのだ。記者の体は、コロナ感染前とは根本から変わってしまった。一生治らない障害を負ったと思った。
自分の現状を正確に把握できず、さらに職場復帰が遅れる結果になったことも悔しかった。
 感染前は、激務になっても自分が壊れないぎりぎりのラインを探り、調整して乗り越えられた。自己管理能力には自信があった。自己嫌悪、焦り、いらだちが募る。この時ばかりは、気遣って連絡をくれた周囲や取材先すら煩わしく思えた。今振り返ると思い詰め過ぎていたと感じるが、当時は体調悪化も相まって、最も精神的に追い込まれていた。
 ▽復職に向け、半年ぶりに出社
 EATを再開し、安静を心がけたことで10月には体調が再び戻ってきた。今度こそ復職に向けて動き出す。平畑医師の診察を受け、仕事復帰に失敗した経緯を話すと「1時間ごとに横になるとか、休みながらやれば防げたのではないか」とアドバイスを受けた。
 それぐらい慎重にやるべきなのか。目からうろこだった。平畑医師によると、すぐに休むことができ、なるべく負担がかからない環境で復職した人の方が順調に推移するという。
 会社と相談し、完全テレワークで復帰することになった。前例がないため簡単ではなかったようだが、後遺症に理解を示し、環境を整えてくれて深く感謝した。後遺症で退職を余儀なくされた多くの人より恵まれていると思った。そんな自分の境遇を生かし、記者としてできることを考え、この体験を記事にしようと改めて決意した。
 11月中旬、復職に向けて産業医と面談するために出社した。半年ぶりだ。所属する社会部では、上司や同僚が温かく迎えてくれ、回復を喜んでくれた。くじけずに頑張ってきてよかったと目頭が熱くなった。
 ▽それでも不調はなくならない
 11月末にようやく仕事復帰を果たした。予想通り、初日から倦怠感がぶり返した。
 アドバイスを守り、すぐに横になったりして調整しても、やはりだるさと体内で炎症が起きているような不快感が襲う。このまま仕事を続けたら、また階段を転げ落ちるように一気に体調が悪化するのではないか。そうなると回復までさらに1カ月以上かかるのではと、怖くなった。
 幸い、そうはなっていない。それでも「このまま仕事を続けても大丈夫か」と自問自答を繰り返す綱渡りの日々は続いている。

まだ完全に後遺症がなくなったわけではなさそうであり、多くのアドバイスコメントがあった。
 
「大変な生活だったのですね。お見舞い申し上げます。
病状の程度、後遺症の程度は個人差がありましょうから、参考に留めさせて頂くのですが、文面から拝見する限り、過去山歩きを、おそらく重装備で歩ける方のようですから、基礎体力はおありなのでしょう。
それでも、倦怠感が抜けないって、きついですね。人生の楽しみの一つの飲食が嗅覚以上で多少損なわれても、業務には大きな支障は無いかもしれません。
ですが、倦怠感とか体の痛みとかは厳しいですね。
記者さんの会社に限らずですが、一定程度の身分保障休暇、があると良いですね。
給与水準なり、退職金なりの身分は保証、ただし、年金の本人負担などの経費分は当然本人負担という感じの仕組みが出来れば、治療と回復に専念できるかも。
世にCOVID-19禍が出て2年ほど、後遺症からの完全回復とかの症例と治療例はまだ少ないと思うので、データを蓄積して今後に備えをお願いします。」
 
「こういう後遺症に関する体験談はもっと色んなパターンを記事にして欲しいと思う。とても参考になった。不安を煽る面もあるかもしれないが事実なのだからやはり知れた方が身のためだと思う。
この人は職場復帰出来たようだがどうにもならない職種の方は沢山いらっしゃるはず。そういう方々への保険や補償も増えて欲しいし周知させてほしい。経済面で立ち行かなくなるケースも多いはずだ。
やはりまだまだ油断はならない。気を引き締めたいと思う。」
 
「お大事に。ワクチンなどは、どちらかのを打たれていたのでしょうか。その場合、どの製品をいつ打たれたか伺えるとありがたいです。
私の身内は、逆にワクチン接種後に持病が悪化し、障がい者認定を受けました。
コロナの後遺症と、ワクチンの副作用は、完全同一ではないにしても、似通っている点も多いと思います。
 接種主義者、反対派、白黒つけるのに対立しあったり互いを非難するのでなく、どのような場合に、どのような症状や障害が出ているか、どういった体調やクスリとの相性がいいのか悪いのか、どういった対策が有効であったのか。
 双方が正直にデータを出し合って、対策を練れる医療・政策の体制が必要だと思います。」
 
「煽りではなくこういった後遺症に悩まされる人がいるのは確かだと思う。その一方、ワクチン接種後に似たような症状に苦しむ人もいると聞く。どちらもごく稀な症状なのだろうとは思うが、だからと言って気のせいとか精神的なものと言って切り捨てるのではなくきちんと調べて全力で治療にあたって欲しいと思う。ワクチンを打つか打たないか、一人ひとりの判断があるがどちらを選んでもこのような長期の不調に苦しめられる可能性がゼロではない。それを、その人の選択のせいにはせずにきちんと医療で救済してほしいと思う。この記事に出てきた耳鼻科もそういった症状に真摯に対応している医院のひとつであると思う。」
 
「私も去年の4月にコロナになりました。後遺症の症状がこの方と全く同じでした。様々な病院へ行きました。たくさんの薬で症状を緩和し、なんとか仕事は乗り越えていましたが、薬や気力が切れると寝たきりという状態が、4ヶ月は続いていました。休みの日もひどい倦怠感で寝たきりでした。倦怠感はあるけれども全然寝れない、眠っても悪夢を見続けて本当に辛かったです。歩くのも息が切れてやっとでしたし、電車も立ってはいられない状態でした。喉を焼き切ったようた痛みも続いていました。味覚嗅覚ももちろんなかったです。
4ヶ月過ぎたあたりから、症状が緩和してきて休みの日に外出できるようになってきましたが、難聴になったりひどい頭痛が残りました。風邪もひきやすかったし。
なので今のコロナにかかっても軽症だという風潮が非常に怖いです。後遺症のほうが大変だと思ったので、絶対に感染しないほうがいいです。」
 
様々な声があったが、最終的にはワクチン云々よりも日常的にいかに「感染しないか」、どうやったら「感染リスクを減らせるか」と個々人がそれぞれのやり方で判断し対応しなければならないのだろう、とオジサンは思う。      
     
   
 

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