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[韓国本]安素玲「本ばかり読むバカ」を読む ②(朝鮮ならではの)「地転説」の衝撃

2012-06-28 16:57:37 | 韓国の小学生~高校生向き小説・物語
 6月24日の記事で、小説本ばかり読むバカの書き手として設定されている李懋(イ・トンム)等の実学者仲間の先生格にあたる洪大容(ホン・デヨン.1731~1783)について、「今ふうにいえば「理系」の人」と書きました。

 その彼が、李懋や柳得恭(ユ・ドゥッコン)等に対して宇宙論を語る場面がなかなか興味深く、また感動的だったので、本文の翻訳を交えつつ紹介します。

 まず洪大容は、地球が丸いこと、そして1日に1回ずつ回っていることを説きます。一同は「月食は地球の影だ」等の説明にうなずきながらも、疑問の声も当然起こります。
 「なぜ回っていて落ちないのですか?」という李懋の質問に、洪大容は答えます。
 「地球の中に大きな力があって、引っぱっている。地上の人だけでなく、空を飛ぶ鳥も、海水も同様だ。」
 ・・・以下、長文ですが、原文に近い形で訳しました。

 「そんな理や大きな地球が非常な速度で廻っているとは、われわれの心の中ではそれよりもっと大きな暴風が起こっていた。 

  <この世の中の中心は私>
 われわれをしばし見渡していた先生(洪大容)は、ふたたび温かい声で話しかけた。
 「おまえ、さっき地球が球のように丸ければわれわれが下側であるはずはないと言ったな?」
 「はい・・・。」
 「球には上、下がない。どこが中央かもいえない。中国の人たちの立場から見ればわれわれは東の外れの小さな国にすぎないが、われわれの立場で見ると中国も北側の大きな国土にすぎない。われわれは西洋人とよぶが、彼らの眼で見るとわれわれは東洋人だろう。すると自分だけが中心だと自慢することも、辺地だからとしょげることもないな。皆同じこの地球で生きていく人たちだろう。」
 その瞬間、われわれの胸には大きな波が揺らめいた。朴齊家の濃い眉は一段とうごめいた。天、地、地球のことはもともと実感がわかず、とまどいもしたが、われわれが住んでいるこの場所が中心となるのだという言葉は鮮やかに迫ってきた。われわれが住んでいるこの国が、そしてここで暮らしているわれわれ自身が大切な存在として新しく生まれるような、充たされた感じだった。」


 (・・・夜更けて帰宅した彼は、子どもが遊び道具にしていた糸玉を転がしつつ、どの国も中心となり得るのだ」という考えを反芻します。そして彼は、さらに考えを先に進めます。)

 「してみると、自分の境遇も同じではないか? 身分の制約がある現実の中で、自分のような庶子は片隅で生きるほかない。しかし一人の一生をみれば、誰が中心で誰が外れだと言えようか? 誰も自分の人生では自分が中心なのだ。 
 私は何度も糸玉を転がしてみた。地球が丸いという湛軒先生(洪大容)の言葉は、われわれが暮らしている土地の姿に対しての話だけではなかった。外れの小さな国に住むといって大きな国の目ばかり見ないで、花開く道のない身の上だといって臆することなく堂々と生きていこうということをおっしゃりたかったのだろう。糸玉をあちらこちら転がして、その晩私は眠りにつくことができなかった。ほかの友人たちも同じだっただろう。」


 洪大容は(「本ばかり読むバカ」に描かれているように玄琴(ヒョングム)の名手で、先の記事に書いたように数学等に優れた「理系の人」ですが、とくに注目すべきはやはり天文学で、渾天儀(天体観測器)を作りも籠水閣という私設の天体観測所に設置して観測したそうです。

 彼は毉山(いざん)問答という著作でその宇宙論や社会論を展開しています。(※原漢文。ハングルの翻訳本も出ています。→コチラ参照。)

 洪大容について、長く研究を続けてきた代表的研究者が小川晴久二松学舎大教授です。
 小川晴久先生といえば、90年代から北朝鮮の収容所等の人権問題に対してNO FENCE副代表や北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会名誉代表として精力的に活動してきた人として知られているかもしれません。
 しかし専門は東アジア思想史の学者です。1963年鄭鎮石・鄭聖哲・金昌元共著「朝鮮哲学史」(弘文堂)を読んで朝鮮実学に興味を持ったとのことで、1978年には韓国に洪大容研究のため留学した経歴があります。
 その小川先生が朝鮮の文化・歴史・学問を素材として1986年度のNHKハングル講座のテキストに連載した文をまとめた「朝鮮文化史の人びと」(花伝社)という本があります。その中に、7ページの小稿ですが、この「毉山問答」の魅力を記した「虚子と実翁」という章がありました。その内容を以下略述します。
 虚子と実翁は「毉山問答」の登場人物2人の名です。虚子は30年間学問に専念した学者ですが、その成果を語ろうにも朝鮮国内には語り合える者はなく、中国の北京を訪ねても大学者にめぐりあえず、帰途につきます。その途中、東北の名山の毉山で遁世の心が起き、山中をさまよう最中に出会った隠者が実翁でした。
儒者としてあらゆる学問を学んだ虚子にあっても抜きがたい人間中心主義、天円地方的天地観、中華意識といった固定観念を、実翁は、次のような観点から打ち砕きます。
・天より視れば人と物と均し・・・無限性と自然という立場からみるとき、人間とそれ以外の物の優劣の差はなくなる。
・宇宙に上下の勢いなし・・・宇宙は無限の空間であり、上と下との区別もなく、したがって上から下へ落ちるという勢い(方向性)もない。地球は周囲が9万里の球体で、一時(2時間)あたり12分の9万里の速度で回転している。
・空界無尽、星もまた無尽・・・満天の星も地球と同じ姿の星界である。星界から見れば地球もまた無数の星の1つである。

 大地が球体と把握されたとき、すでに中国が中心という中華意識は根拠を失うのですが、さらに地球中心、太陽中心の否定まで進めているのです。
 小川先生の説明には、「毉山の位置にも注目しなければなりません」とあります。今は中国の領内ですが、高句麗時代には中国と朝鮮の境だったそうです。そこに住む実翁(実は洪大容)は、「中国人でも朝鮮人でもない国際人化した朝鮮人だったとみるべきでしょう」というわけです。

※「毉山問答」の、主に宇宙論に関する内容については、「朝鮮新報」のサイト中の<人物で見る朝鮮科学史>で紹介されています。

 <李英愛研究>というブログの中に<鶏林日月抄 韓国と儒教>と題して、ヤフー百科事典(韓国語版)の実学の項目に基づいてその特性を紹介し考察している記事がありました。
 それによると、朝鮮後期の実学思想の特性としては、
 ①開放的思惟への転換 ②現実問題に対する関心 ③自主的基盤の覚醒
・・・の3点が挙げられる、とのことです。
 そして、「③自主的基盤の覚醒」に関しては以下のように述べられています。
  ・自主的基盤の覚醒は学問的主題の派生的な成果と言える。 
  ・実学思想の現実意識は、中華主義の理念的な虚構性を拒否し、滅びた明朝ではなく、現在の清朝の先進技術に関心を向けた。そして洪大容の「域外春秋論」に見られるように、国ごとに自己中心意識が可能であるという多元的世界観を提起した。
  ・中国中心の華夷論から脱して、朝鮮の客観的現実に対する関心が高まり、朝鮮社会の独自の自主性に覚醒し始め、朝鮮の歴史・地理・言語・風俗に関する研究が活発に起こった。


 大国中国に隣接し、その影響力があまりにも大きかった朝鮮だからこそ、中華主義の固定観念を打破する観念として洪大容の宇宙観は(とくに思考の柔軟な実学者たちにとって)衝撃的だったことが推察されます。

 上述の「本ばかり読むバカ」中のエピソードを読むと、自然科学の分野での新しい知見が、社会科学・人文科学にも大きな影響を及ぼすことがわかります。とくにこの洪大容の地転論は、近代的な思想を導く性格をもっていたことが理解されます。もちろん、その後の歴史の展開をみると、決してスムーズに近代につながっていったというわけではないようですが・・・。

 ・・・こうしてみてみると、「本ばかり読むバカ」で描いた洪大容が弟子たちに宇宙論を語り、弟子たちはそれを社会観とも関連づけて受けとめ、大きな衝撃と感動を受けたという場面は、セリフ等々は安素玲さんが想像で書いたとしても、基本的には史実に基づいた叙述と理解していいのだな、と思いました。(李懋の「身分制に対する疑問」については保留。)

☆先に書いたように「本ばかり読むバカ」は勉強にもなり、上記のような感動的なくだりもあって読んで「正解」ではありましたが、思い起こせばずいぶん前に、加藤文三「学問の花ひらいて」(新日本出版社)という江戸時代後期の蘭学者群像を描いた本を読んだことがありました。ソチラの方が内容もドラマチックで、感動の度合いも大きかったという印象が残っています。