ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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俳優・三國連太郎さんの訃報に接して

2013-04-15 23:38:28 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
以前「好きな映画俳優」として、女優=山田五十鈴・久我美子・左幸子・田中裕子・大竹しのぶ。男優=木村功・三國連太郎・山崎努の名前をあげたことがありました。

 その1人、三國連太郎さんが4月14日亡くなりました。

 芸能人だけとってみても、長く活躍してきた人で最近亡くなった人がたくさんいますが、三國さんは私ヌルボにとってとくに思い入れの深い俳優のひとりでした。
 彼の出演した映画で、名作との評価が高い作品のほとんどは名画座や特集上映等で観たので、公開時に最初に観たのは「襤褸の旗」(1974)「皇帝のいない八月」(1978)あたりだったか、記憶は不確かです。
 また、俳優としての彼というより、彼の出演作品が私ヌルボの性に合っていたといった方がいいかもしれません。いくつも観ていくうちに、だんだんと俳優としての三國連太郎に興味を持つようになりました。
 その1つの契機となったのは、ずいぶん前のことですが、沖浦和光(かずてる)桃山学院大名誉教授の部落差別についての講演を聞いた時、彼についての話が出たこと。そのお二人の対談は「「芸能と差別」の深層―三国連太郎・沖浦和光対談」と題されて解放出版社から刊行され(1997)、その後ちくま文庫から再刊されています。

 また、これも20年くらい(??)前のことですが、ラジオに出演した彼が失敗に終わった徴兵逃れのこと話していました。1943年、唐津市呼子の港から朝鮮に渡ろうとしたのですが、彼からの手紙を受け取った母親の手配で船に乗る直前に官憲に捕まった、という内容です。
 ・・・ということを知っていた私ヌルボ、2010年5月に佐賀県に旅行に行った時、唐津駅前からレンタサイクルで名護屋城に向かう(しんどかった!)途中、呼子港にも立ち寄ったというわけです。(参考記事→コチラ。)

 ウィキペディアに書かれている「三國連太郎」の来歴・人物は、いったいどういう人が何に基づいて書いたものかわかりませんが、興味深いエピソード満載です。(女性遍歴がスゴイ!)

 それを読んでヌルボが初めて知ったのは、上述の朝鮮への逃亡を企てた以前に、密航して中国や朝鮮に行った経験があったということ。それも1937年、満14歳の中学生(!)の頃です。
 ウィキには「下田港から密航を企て青島に渡り、その後釜山で弁当売りをし、帰国後は大阪でさまざまな職に就く」とあります。(青島ではダンスホールの店員をやったりしてたとか・・・。)

 その時のことは「朝鮮新報」のサイトの過去記事(1998年?)で読むことができます。
 その部分を抜粋します。
 1937年、日中戦争が勃発して軍靴の響きは高まるばかりだった。  
  その頃の釜山の駅前は、あてもなく毎日、日本人手配師の来るのを待つ朝鮮人労働者で溢れていた。「ある時でした。意味不明な怒号を耳にして立ち止まると、1人の朝鮮人を、日本人の手配師が『ナップンノム、カマニイッソ』『ヨボ、カマニイッソ』と叫びながらステッキで打ちのめしていました。その言葉は、半世紀たった今も耳にこびりついて忘れられません」。
  ※ナップンノム、カマニイッソ=悪いヤツめ、じっとしてろ。 ヨボ=おまえ

 佐野眞一「怪優伝 三國連太郎・死ぬまで演じつづけること」(講談社.2011)には、いろいろ詳しく書かれているようですが、ヌルボはファンのくせして未読なんです。(恥)

 彼の訃報を伝える新聞の見出しは「「飢餓海峡」や「釣りバカ日誌」シリーズなど、個性派俳優として活躍」あたりが一般的なようです。評価の高い名作と、多くのファンに親しまれたシリーズという「妥当な組み合わせ」ですね。

 本ブログでは、とくに韓国関係の作品として思い浮かぶ「三たびの海峡」(1995)のことについてふれておきます。
 神山征二郎監督が帚木蓬生の同名原作小説(1992)を映画化したものです。\t

 主人公河時根[ハ・シグン](三國連太郎)は、1943年17歳の時に慶尚北道の尚州の村から強制的な徴用で九州の炭坑に送り込まれます。小説にはN市となっていますが、直方のようです。(あるブログ記事には「貝島の大辻炭鉱と思われます」とありました。) これが1度目の海峡越え。終戦後、恋人(南野陽子)と共に故郷に帰ります。これが2度目。(日本人の彼女は村人たちから忌避され、置手紙をして日本に戻ります。)
 そして40数年後。河時根は「人生最後の仕事」を果たすべく、<三たびの海峡>を越える、という物語です。
 私ヌルボ、20年前のことなので細部は憶えていませんが、原作はおもしろくてイッキ読みしました。映画も観ましたが、小説の映画化作品の多くがそうであるように、原作に比べると今ひとつだったかも・・・。
 しかし、三國連太郎さんはいかにもという適役で、この作品で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞したのもむべなるかな、といったところでした。(「利休」「息子」に続き「3度目」の受賞。)

※原作小説は、韓国でも「情炎海峡(정염해협)」のタイトルで1995年翻訳書が刊行されました。

 三國さん、享年は90歳ですか・・・。知れば知るほど映画のような、「語るに足る人生」です。ご冥福を祈ります。
コメント (4)
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