私ヌルボがこのブログを始めたのが2009年8月11日。今日で1347日目になります。その間の記事が合計957件です。
読んでくださっている皆様、ホントにありがとうございます。そして、これからもよろしく。
皆様の中には、「ヌルボというのはどういう人なのか?」と関心を持たれた方もいらっしゃるようです。
過去記事で書いた範囲では、「住まいは横浜で、それも市立図書館やシネマジャック&ベティに近い所」とか、「ハングルサークルに行っている」こと、「年に80回以上映画を観に行かれるようなヒマ人(?)」であること、「徳島県出身」ということ、「それなりの年配者」であることくらいだと思います。
その程度の「個人情報」(←全然好きな言葉ではない)しか書いていないのは、シャイな性格(!)によるところがいちばんの理由です(笑)。
しかし、本業に関わる部分でも社会的に有意と(勝手に)思うこと、後世に(!)遺すべきだと(勝手に)思うことについては、今後折に触れて書いていくことにしました。
で、今回明かす「個人情報」は、じゃ~ん! ・・・と鳴り物を入れるほどのものではありませんが、公立高校の社会科教員ということです。数年前に定年退職しましたが、その後も少し関わりはあります。
ただ、長くこの職を続けてきたからといって近頃の高校生をはじめとする若い人たちのことに通じているというわけではありません。最近いろんな人に話していることですが、逆に「高校生の標準」、「ふつうの高校生像」といったものが逆にわからなくなってきました。
自分の高校時代はもちろん、20年ほど前の高校生と比べてもかなり変わってきているようだし、また地域によっても違うし・・・。
したがって「いまどきの高校生はどうですか?」と問われても、なんとも答えようがありません。「たとえば××にある○○高校では・・・」という話し方はできないでもありませんが、同じ高校に通っていても家庭の状況によって個々の生徒の生活や考え方は相当異なると思います。
(「日本人の家庭」にしても、今「標準型」といったものがまだあるのかどうか? サザエさん一家のような家庭は今何割あるのか・・・?)
そしてまた知識・教養についていえば、高校ごとの「学力格差」はいうまでもなく非常に大きいものがあります。
「近頃の若い人はものを知らん」とは教師にかぎらず昔からよく聞く言葉ですが、たしかにヌルボ自身の経験で言っても、物を知らない事例は枚挙にいとまがない状態です。
たとえば日本の地図を見て鹿児島県の位置を知らないというレベルは全然驚くほどのものではありません。(これは平均よりかなり下のレベルの生徒ですが・・・。) また、以前ある高3の生徒と話をしていて、その生徒が「3割」というのは「30%」のことで、分数で表すと「10分の3」、小数だと「0.3」だということを知らなかったという事実を私ヌルボは知り、これには少し驚きました。(その生徒、「今初めて知りました」とか「私、数学は苦手ですから・・・」と言ってたなー。それでもコンビニでバイトが務まるのが現代のいいところ?)
昔から「ウチの生徒はこんなことも知らんのか!?」と怒ったりする教師もいないではないですね。説明をしても「わかりません」を繰り返す生徒に「わかれ!!」と怒鳴った先生がいたとかいう話も聞いたことがあります(笑)。
今は心の中で驚いても、静かに受けとめて説明する先生がほとんどではないでしょうか?(どーかな?) 教師の仕事というのは、そういう現実をちゃんと把握して、ていねいに教えることだから、怒ってみてもしょうがないのです。
社会科関係の事項の場合、生徒の「無知」はある程度までは世代の違いによるものです。たとえば1990年代生まれの生徒にとっては、ロッキード事件などは生まれる20年も前のことであり、田中角栄首相も教わってor自分で本等を読んだりして初めて知る名前なので、「知らなくてもしょうがない」のです。おとなでも40歳以下だと、あの「まあその~」という田中角栄の物真似は聞いてもわからないのではないでしょうか?
(戦後生まれの団塊の世代も、高校時代東条英機の名は知っていても近衛文麿はあまり知らなかったように思います。)
「米ソの対立」なんて、今の生徒にとって「ソ連」自体が生まれる前に解体してしまっているので、どんなふうにアタマに入っているのか?
「共産主義」や「共産党」についてイメージなんかも非常に大きな違いがあるだろうことは論をまたず。あ、これは研究テーマにもなりえますね。
ヌルボの経験では、90年代授業の中で受けた質問のことは今も印象に残っています。資料中にあった「支那」という言葉について、めずらしく1生徒が挙手して質問をした内容は「先生、シナって何ですか?」というものでした。語源等を訊ねたのではなく、その言葉自体を知らないのです。
もうひとつ、同じ日本人でも、世代により使用するボキャブラリーの違いも留意する必要があります。これも5年ほど前の高1の授業です。「これは、こうしてこしらえるんだよ」と何かについて説明していたところ)、ある生徒が「先生、「こしらえる」ってなんですか?」。内心「うーむ・・・」とたじろぎつつも、「ていねいに手を加えるなどして作り上げることだよ」と冷静に説明すると、生徒「それって「つくる」でいいんじゃないですか?」。
40代くらいの同僚にその話をすると、「私はもちろん知ってるけど、自分ではあまり使わないわねー」とのことでした。
・・・えーと、ここまでが毎度のことですが長~い前置き。これから先が本論です。
上記のように長年教職にあったにもかかわらず「高校生の標準」がわからないという私ヌルボですが、とくに全然といっていいほどわからないままだったのが学力的に「優秀」とされる生徒たちの知識・教養レベルでした。
ところがわりと最近、さる学区内トップ校の生徒の皆さん(34人)と直接接する機会がありました。中学時代の成績通知表で、5段階評定で4だと残念がり、3だと大ショックを受けるくらいの諸君です。
この機会を利用して、かねがね気になっていたこと、疑問に思っていたことを彼らに訊ねて、紙に書いてもらいました。その結果を世の人々、とくに同じ年かさ(団塊の世代とその前後)のご同輩を念頭におきつつ紹介します。
(※ここまでの文中に用いた「枚挙にいとまがない」とか「論を俟たず」とか「たじろぐ」等の表現は、生徒相手に話す際は「論をまたず。言うまでもありません」のような言い方にする等の工夫が必要かも・・・。)
以下はその結果です。
Q1.「如才ない」の意味がわかりますか?
○(わかる)=4人、△(聞いたことはあるが正確にはわからない)=2人、×(わからない)=28人
ま、こんなもんでしょ。この文字だけ見たら、読み方からしてわからない生徒は間違いなく大勢います。
Q2.親の生年月日を知っていますか?
知っている=15人、西暦or昭和の片方しかわからず=4人、生年を知らない=15人
家庭のありようをうかがい知る1つの指標。たぶん学校格差にも関係あり。
Q3.ダンカイの世代が漢字でかけますか?
○(「団塊」と書ける)=17人、×(書けない)=17人
おおよそ意味を知っているだけでも高校生としては水準以上?
Q4.「こしらえる(拵える)」の意味がわかりますか?
○(わかる。使うことがある)=9人、△(わかるが使わない)=23人、×(わからない)=2人
1970年代初頭、中学校での教育実習の時、「順繰りに前に出て・・・」と言って生徒にその言葉は何かと問われました。「順々に、とか、順番に」と言うのだと教わりました。
子どもの頃、1910年生まれの母に「おなかすいた」とおやつをねだると「そんなケッショクジドウ(欠食児童)みたいに・・・」と言われました。「ウンシャン(不美人)」なんて言葉もよく聞きましたが、あれは元はドイツ語だったんですね。
私ヌルボ、いつの間にか「歩く死語辞典」になりつつあるような・・・。
Q5.シナ(支那) の意味がわかりますか?
○(わかる)=7人、△(およそわかる)=2人、×(わからない)=25人
たとえば石原慎太郎氏が繰り返している「シナはシナでいいじゃないか」等々の発言。是非の議論以前で、今でもけっこう耳目に触れることの多い言葉のはずなのに、7割以上がわからないとは、やっぱり首を傾げざるをえません。
Q6.北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の現指導者金正恩(キム・ジョンウン)は3代目。初代は誰?
○=11人、×=23人
初代は金日成(キム・イルソン)で2代目は金正日(キム・ジョンイル)。トップレベルの高校生でも3分の2は知らないのかー・・・。世界の主要国の指導者で、知ってる名前はオバマだけという大人も世の中にたくさんいて、それでもダイジョーブ(何が?)なんですけどね。おっと、英・独・仏は今誰だっけ!?
Q7.自分の高校時代を色で表すと何色?
青[水色・空色](8人)、黄色(6人)、白(5人)、オレンジ・きみどり・緑(各2人)。あいいろ・セピア色・灰色・黒(各1人)。
半世紀前は「灰色の」が受験生活にかかる枕詞でしたが、それは遠い過去の話になっています。たしかに、今回の生徒諸君の表情は生き生きとしていて、目も輝いているようでした。
上の質問とは別に、ヌルボが訊いてみたところでは「村上春樹のレトリックは~」は知らない生徒多数。「修辞法」と言い換えてもわからない。(トーゼン。) 「若者の就職難の時代だが、自分自身のスペックを高めて・・・」という韓国でフツーにメディアでも使われている表現は、日本の彼らの間でもフツーに用いられているようです。(50代以上の日本人は何%くらいが「スペック」という言葉を知っているのか、これまた見当がつきません。)
さて、上記の「調査結果」を見た方は、「やっぱり今どきの高校生は物を知らんなー」と思うかもしれません。
しかし、先に記しましたが、この生徒たち34人の数字をもって「今どきの高校生」の標準とするのは妥当ではなく、また「知らない」という回答が多いとしても、高校進学率が約5割だった1950年代、7割だった60年代頃の高校生と単純に比較して、安易な結論づけをすることはできません。
また、おとなの世代が今の高校生を嘆いたり非難したりすると、それはほとんどわが身に逆に返ってくるとみて間違いありません。
久しい以前から、受験参考書は半世紀前のような分厚いものはまったくといっていいほど見かけなくなりました。「教科書には載っていないようなこともいろいろ書かれていて、学問の深奥といったものを垣間見させてくれる」本が昔の参考書のコンセプトだったとすれば、当世は「できるだけ少ない労力&時間で最大限の得点力アップを図る」ですから。
しかし、これは受験生だけの話ではなく、それ以前に、日本社会全体がそうなってきたことの反映でしょう。およそ、そんなようなものです。
兵法だけでなく、教育の場合も「敵(生徒)を知り、己を知る」ことがまず大切ですが、それだけでも難しい上に、そこから先がまた大変です・・・。
読んでくださっている皆様、ホントにありがとうございます。そして、これからもよろしく。
皆様の中には、「ヌルボというのはどういう人なのか?」と関心を持たれた方もいらっしゃるようです。
過去記事で書いた範囲では、「住まいは横浜で、それも市立図書館やシネマジャック&ベティに近い所」とか、「ハングルサークルに行っている」こと、「年に80回以上映画を観に行かれるようなヒマ人(?)」であること、「徳島県出身」ということ、「それなりの年配者」であることくらいだと思います。
その程度の「個人情報」(←全然好きな言葉ではない)しか書いていないのは、シャイな性格(!)によるところがいちばんの理由です(笑)。
しかし、本業に関わる部分でも社会的に有意と(勝手に)思うこと、後世に(!)遺すべきだと(勝手に)思うことについては、今後折に触れて書いていくことにしました。
で、今回明かす「個人情報」は、じゃ~ん! ・・・と鳴り物を入れるほどのものではありませんが、公立高校の社会科教員ということです。数年前に定年退職しましたが、その後も少し関わりはあります。
ただ、長くこの職を続けてきたからといって近頃の高校生をはじめとする若い人たちのことに通じているというわけではありません。最近いろんな人に話していることですが、逆に「高校生の標準」、「ふつうの高校生像」といったものが逆にわからなくなってきました。
自分の高校時代はもちろん、20年ほど前の高校生と比べてもかなり変わってきているようだし、また地域によっても違うし・・・。
したがって「いまどきの高校生はどうですか?」と問われても、なんとも答えようがありません。「たとえば××にある○○高校では・・・」という話し方はできないでもありませんが、同じ高校に通っていても家庭の状況によって個々の生徒の生活や考え方は相当異なると思います。
(「日本人の家庭」にしても、今「標準型」といったものがまだあるのかどうか? サザエさん一家のような家庭は今何割あるのか・・・?)
そしてまた知識・教養についていえば、高校ごとの「学力格差」はいうまでもなく非常に大きいものがあります。
「近頃の若い人はものを知らん」とは教師にかぎらず昔からよく聞く言葉ですが、たしかにヌルボ自身の経験で言っても、物を知らない事例は枚挙にいとまがない状態です。
たとえば日本の地図を見て鹿児島県の位置を知らないというレベルは全然驚くほどのものではありません。(これは平均よりかなり下のレベルの生徒ですが・・・。) また、以前ある高3の生徒と話をしていて、その生徒が「3割」というのは「30%」のことで、分数で表すと「10分の3」、小数だと「0.3」だということを知らなかったという事実を私ヌルボは知り、これには少し驚きました。(その生徒、「今初めて知りました」とか「私、数学は苦手ですから・・・」と言ってたなー。それでもコンビニでバイトが務まるのが現代のいいところ?)
昔から「ウチの生徒はこんなことも知らんのか!?」と怒ったりする教師もいないではないですね。説明をしても「わかりません」を繰り返す生徒に「わかれ!!」と怒鳴った先生がいたとかいう話も聞いたことがあります(笑)。
今は心の中で驚いても、静かに受けとめて説明する先生がほとんどではないでしょうか?(どーかな?) 教師の仕事というのは、そういう現実をちゃんと把握して、ていねいに教えることだから、怒ってみてもしょうがないのです。
社会科関係の事項の場合、生徒の「無知」はある程度までは世代の違いによるものです。たとえば1990年代生まれの生徒にとっては、ロッキード事件などは生まれる20年も前のことであり、田中角栄首相も教わってor自分で本等を読んだりして初めて知る名前なので、「知らなくてもしょうがない」のです。おとなでも40歳以下だと、あの「まあその~」という田中角栄の物真似は聞いてもわからないのではないでしょうか?
(戦後生まれの団塊の世代も、高校時代東条英機の名は知っていても近衛文麿はあまり知らなかったように思います。)
「米ソの対立」なんて、今の生徒にとって「ソ連」自体が生まれる前に解体してしまっているので、どんなふうにアタマに入っているのか?
「共産主義」や「共産党」についてイメージなんかも非常に大きな違いがあるだろうことは論をまたず。あ、これは研究テーマにもなりえますね。
ヌルボの経験では、90年代授業の中で受けた質問のことは今も印象に残っています。資料中にあった「支那」という言葉について、めずらしく1生徒が挙手して質問をした内容は「先生、シナって何ですか?」というものでした。語源等を訊ねたのではなく、その言葉自体を知らないのです。
もうひとつ、同じ日本人でも、世代により使用するボキャブラリーの違いも留意する必要があります。これも5年ほど前の高1の授業です。「これは、こうしてこしらえるんだよ」と何かについて説明していたところ)、ある生徒が「先生、「こしらえる」ってなんですか?」。内心「うーむ・・・」とたじろぎつつも、「ていねいに手を加えるなどして作り上げることだよ」と冷静に説明すると、生徒「それって「つくる」でいいんじゃないですか?」。
40代くらいの同僚にその話をすると、「私はもちろん知ってるけど、自分ではあまり使わないわねー」とのことでした。
・・・えーと、ここまでが毎度のことですが長~い前置き。これから先が本論です。
上記のように長年教職にあったにもかかわらず「高校生の標準」がわからないという私ヌルボですが、とくに全然といっていいほどわからないままだったのが学力的に「優秀」とされる生徒たちの知識・教養レベルでした。
ところがわりと最近、さる学区内トップ校の生徒の皆さん(34人)と直接接する機会がありました。中学時代の成績通知表で、5段階評定で4だと残念がり、3だと大ショックを受けるくらいの諸君です。
この機会を利用して、かねがね気になっていたこと、疑問に思っていたことを彼らに訊ねて、紙に書いてもらいました。その結果を世の人々、とくに同じ年かさ(団塊の世代とその前後)のご同輩を念頭におきつつ紹介します。
(※ここまでの文中に用いた「枚挙にいとまがない」とか「論を俟たず」とか「たじろぐ」等の表現は、生徒相手に話す際は「論をまたず。言うまでもありません」のような言い方にする等の工夫が必要かも・・・。)
以下はその結果です。
Q1.「如才ない」の意味がわかりますか?
○(わかる)=4人、△(聞いたことはあるが正確にはわからない)=2人、×(わからない)=28人
ま、こんなもんでしょ。この文字だけ見たら、読み方からしてわからない生徒は間違いなく大勢います。
Q2.親の生年月日を知っていますか?
知っている=15人、西暦or昭和の片方しかわからず=4人、生年を知らない=15人
家庭のありようをうかがい知る1つの指標。たぶん学校格差にも関係あり。
Q3.ダンカイの世代が漢字でかけますか?
○(「団塊」と書ける)=17人、×(書けない)=17人
おおよそ意味を知っているだけでも高校生としては水準以上?
Q4.「こしらえる(拵える)」の意味がわかりますか?
○(わかる。使うことがある)=9人、△(わかるが使わない)=23人、×(わからない)=2人
1970年代初頭、中学校での教育実習の時、「順繰りに前に出て・・・」と言って生徒にその言葉は何かと問われました。「順々に、とか、順番に」と言うのだと教わりました。
子どもの頃、1910年生まれの母に「おなかすいた」とおやつをねだると「そんなケッショクジドウ(欠食児童)みたいに・・・」と言われました。「ウンシャン(不美人)」なんて言葉もよく聞きましたが、あれは元はドイツ語だったんですね。
私ヌルボ、いつの間にか「歩く死語辞典」になりつつあるような・・・。
Q5.シナ(支那) の意味がわかりますか?
○(わかる)=7人、△(およそわかる)=2人、×(わからない)=25人
たとえば石原慎太郎氏が繰り返している「シナはシナでいいじゃないか」等々の発言。是非の議論以前で、今でもけっこう耳目に触れることの多い言葉のはずなのに、7割以上がわからないとは、やっぱり首を傾げざるをえません。
Q6.北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の現指導者金正恩(キム・ジョンウン)は3代目。初代は誰?
○=11人、×=23人
初代は金日成(キム・イルソン)で2代目は金正日(キム・ジョンイル)。トップレベルの高校生でも3分の2は知らないのかー・・・。世界の主要国の指導者で、知ってる名前はオバマだけという大人も世の中にたくさんいて、それでもダイジョーブ(何が?)なんですけどね。おっと、英・独・仏は今誰だっけ!?
Q7.自分の高校時代を色で表すと何色?
青[水色・空色](8人)、黄色(6人)、白(5人)、オレンジ・きみどり・緑(各2人)。あいいろ・セピア色・灰色・黒(各1人)。
半世紀前は「灰色の」が受験生活にかかる枕詞でしたが、それは遠い過去の話になっています。たしかに、今回の生徒諸君の表情は生き生きとしていて、目も輝いているようでした。
上の質問とは別に、ヌルボが訊いてみたところでは「村上春樹のレトリックは~」は知らない生徒多数。「修辞法」と言い換えてもわからない。(トーゼン。) 「若者の就職難の時代だが、自分自身のスペックを高めて・・・」という韓国でフツーにメディアでも使われている表現は、日本の彼らの間でもフツーに用いられているようです。(50代以上の日本人は何%くらいが「スペック」という言葉を知っているのか、これまた見当がつきません。)
さて、上記の「調査結果」を見た方は、「やっぱり今どきの高校生は物を知らんなー」と思うかもしれません。
しかし、先に記しましたが、この生徒たち34人の数字をもって「今どきの高校生」の標準とするのは妥当ではなく、また「知らない」という回答が多いとしても、高校進学率が約5割だった1950年代、7割だった60年代頃の高校生と単純に比較して、安易な結論づけをすることはできません。
また、おとなの世代が今の高校生を嘆いたり非難したりすると、それはほとんどわが身に逆に返ってくるとみて間違いありません。
久しい以前から、受験参考書は半世紀前のような分厚いものはまったくといっていいほど見かけなくなりました。「教科書には載っていないようなこともいろいろ書かれていて、学問の深奥といったものを垣間見させてくれる」本が昔の参考書のコンセプトだったとすれば、当世は「できるだけ少ない労力&時間で最大限の得点力アップを図る」ですから。
しかし、これは受験生だけの話ではなく、それ以前に、日本社会全体がそうなってきたことの反映でしょう。およそ、そんなようなものです。
兵法だけでなく、教育の場合も「敵(生徒)を知り、己を知る」ことがまず大切ですが、それだけでも難しい上に、そこから先がまた大変です・・・。