3月7日の記事でも書いたように、安素玲「甲申年の3人の友」は史実に忠実な小説です。
この本を読むのと併行して、壬午軍乱や甲申事変等について書かれている関係サイト、ブログ記事をいろいろ見てみました。
その中で、ちょくちょく読んだのが<きままに歴史>という個人サイト中の<きままに歴史資料集>の朝鮮史関係諸記事。(→コチラ。)
各記事の詳しさは尋常ではありません。「筆者としては史資料の提示もない解説には興味がないので、それらを参考とする気はない」と管理者さんご自身記しているように、主に<アジア歴史資料センター>収録の公文書に拠って史実を追究し、考察を加えています。
たとえば1884年の甲申事変についての記事は→コチラ。
また<愛刀物語>というサイト(→コチラ)のサイトは動画や音声付きというB級臭フンプンのヘンな作りながら、中身はなかなか具体的で、おもしろく読めます。たとえば金玉均の最期のページは→コチラ。
もう1つ、→コチラの記事も参考になりました。
では、この小説の作者安素玲さんはどんな資料に基づいて書いたのか?
本の巻末には、84の参考書籍と57の論文等という多数の書目が掲げられています。全部完読したかどうかはわかりませんが、史実に対する彼女のこだわりはうかがい知ることができます。
そこでは歴史関係の多数の研究書があげられていますが、小説にも登場した人物が残した書物もあげられています。
たとえば、宣教師兼医師としてアメリカ公使館にいたH.N.アレン(朝鮮名:安連[안련])(→ウィキペディア)の『朝鮮見聞記』や、清の顧問官の資格で朝鮮に来て政治に大きく関わったドイツ人メレンドルフ(朝鮮名:穆麟徳[목인덕])(→ウィキペディア)の伝記、あるいは日本の書籍もいくつか。
【朝鮮服で正装したメレンドルフ】
そして、これらのような当時朝鮮を訪れた外国人により書かれた著作については、<樹懶庵(じゅらいあん)>という恐るべきサイトがあることを知りました。(→コチラ。)
その中の<欧米から見た朝鮮>ページには、韓国語訳が刊行されている22もの書目があげられています。そればかりではなく、それぞれの著者や内容の紹介の他、翻訳ミス等も指摘されています。(つまり、英語・韓国語に精通している。)
たとえば、『P・G・フォン・メレンドルフ伝』については、「申福龍らの韓国語訳では、なぜか「自伝」となっている。本書に限らず申福龍訳は、年月日をはじめ数字が間違いだらけで非常に読みにくい」とあります。(→コチラ。) たしかに、上記の巻末リストも『メレンドルフ自伝』となってます。
※このサイト中の<嫌韓派のための引用例>や<反日派のための引用例>も必見。自分の都合のいいところだけ資料をつまみ食いするようなことを排している姿勢は、私ヌルボ、非常に共感するところです。
さて、朝鮮王朝の歴史を見る上での第一級の史料といえばもちろん『朝鮮王朝実録』です。初代太祖(李成桂)から一応第25代哲宗まで、1392~1863年の公式記録です。(→ウィキペディア。)
※雑誌「Koreana」のサイトにも、読みやすい記事(日本語)がありました。(→コチラ。)
一応と書いたのは、『哲宗実録』の後『高宗実録』(~1907)、『純宗実録』(~1910)[※附録は~1928]まで続くのですが、これらは日本統治時代の1934年朝鮮総督府の影響下で編纂されたため、韓国では「日本人の見解に沿った記述が多すぎる(※)」として正式な実録に含めない見解があるからで、大韓民国指定国宝等からも外されています。
※たとえば乙未事変(閔妃暗殺)当日の1895年8月20日条は「卯の刻に王妃が坤寧閤で崩御した」と記しているだけで詳細は記されていない等。
この『朝鮮王朝実録』は、2005年からネット上で公開されています。
私ヌルボ、ソウル大学奎章閣のサイト(→コチラ)は以前のぞいてみたことがありますが、今回それとは別に韓国の国史編纂委員会のサイト(→コチラ)を見て、コチラの方が使い勝手もよく、ソウル大学奎章閣の方にはない『高宗実録』『純宗実録』も載っていることを知りました。
で、たとえば甲申事変が起こった高宗21年10月19日(旧暦)の記事を見てみると・・・。
このように、ハングル訳と原文(朝鮮風漢文)の両方で読むことができます。(朝鮮史の研究者は、韓国語もマスターして、こういう基本史料も必読ですから、大変なことですねー。)
この『朝鮮王朝実録』については、『高宗実録』『純宗実録』の再編纂の件その他いろいろ興味深いネタがありますが、それはまた別の機会で・・・。
この本を読むのと併行して、壬午軍乱や甲申事変等について書かれている関係サイト、ブログ記事をいろいろ見てみました。
その中で、ちょくちょく読んだのが<きままに歴史>という個人サイト中の<きままに歴史資料集>の朝鮮史関係諸記事。(→コチラ。)
各記事の詳しさは尋常ではありません。「筆者としては史資料の提示もない解説には興味がないので、それらを参考とする気はない」と管理者さんご自身記しているように、主に<アジア歴史資料センター>収録の公文書に拠って史実を追究し、考察を加えています。
たとえば1884年の甲申事変についての記事は→コチラ。
また<愛刀物語>というサイト(→コチラ)のサイトは動画や音声付きというB級臭フンプンのヘンな作りながら、中身はなかなか具体的で、おもしろく読めます。たとえば金玉均の最期のページは→コチラ。
もう1つ、→コチラの記事も参考になりました。
では、この小説の作者安素玲さんはどんな資料に基づいて書いたのか?
本の巻末には、84の参考書籍と57の論文等という多数の書目が掲げられています。全部完読したかどうかはわかりませんが、史実に対する彼女のこだわりはうかがい知ることができます。
そこでは歴史関係の多数の研究書があげられていますが、小説にも登場した人物が残した書物もあげられています。
たとえば、宣教師兼医師としてアメリカ公使館にいたH.N.アレン(朝鮮名:安連[안련])(→ウィキペディア)の『朝鮮見聞記』や、清の顧問官の資格で朝鮮に来て政治に大きく関わったドイツ人メレンドルフ(朝鮮名:穆麟徳[목인덕])(→ウィキペディア)の伝記、あるいは日本の書籍もいくつか。
【朝鮮服で正装したメレンドルフ】
そして、これらのような当時朝鮮を訪れた外国人により書かれた著作については、<樹懶庵(じゅらいあん)>という恐るべきサイトがあることを知りました。(→コチラ。)
その中の<欧米から見た朝鮮>ページには、韓国語訳が刊行されている22もの書目があげられています。そればかりではなく、それぞれの著者や内容の紹介の他、翻訳ミス等も指摘されています。(つまり、英語・韓国語に精通している。)
たとえば、『P・G・フォン・メレンドルフ伝』については、「申福龍らの韓国語訳では、なぜか「自伝」となっている。本書に限らず申福龍訳は、年月日をはじめ数字が間違いだらけで非常に読みにくい」とあります。(→コチラ。) たしかに、上記の巻末リストも『メレンドルフ自伝』となってます。
※このサイト中の<嫌韓派のための引用例>や<反日派のための引用例>も必見。自分の都合のいいところだけ資料をつまみ食いするようなことを排している姿勢は、私ヌルボ、非常に共感するところです。
さて、朝鮮王朝の歴史を見る上での第一級の史料といえばもちろん『朝鮮王朝実録』です。初代太祖(李成桂)から一応第25代哲宗まで、1392~1863年の公式記録です。(→ウィキペディア。)
※雑誌「Koreana」のサイトにも、読みやすい記事(日本語)がありました。(→コチラ。)
一応と書いたのは、『哲宗実録』の後『高宗実録』(~1907)、『純宗実録』(~1910)[※附録は~1928]まで続くのですが、これらは日本統治時代の1934年朝鮮総督府の影響下で編纂されたため、韓国では「日本人の見解に沿った記述が多すぎる(※)」として正式な実録に含めない見解があるからで、大韓民国指定国宝等からも外されています。
※たとえば乙未事変(閔妃暗殺)当日の1895年8月20日条は「卯の刻に王妃が坤寧閤で崩御した」と記しているだけで詳細は記されていない等。
この『朝鮮王朝実録』は、2005年からネット上で公開されています。
私ヌルボ、ソウル大学奎章閣のサイト(→コチラ)は以前のぞいてみたことがありますが、今回それとは別に韓国の国史編纂委員会のサイト(→コチラ)を見て、コチラの方が使い勝手もよく、ソウル大学奎章閣の方にはない『高宗実録』『純宗実録』も載っていることを知りました。
で、たとえば甲申事変が起こった高宗21年10月19日(旧暦)の記事を見てみると・・・。
このように、ハングル訳と原文(朝鮮風漢文)の両方で読むことができます。(朝鮮史の研究者は、韓国語もマスターして、こういう基本史料も必読ですから、大変なことですねー。)
この『朝鮮王朝実録』については、『高宗実録』『純宗実録』の再編纂の件その他いろいろ興味深いネタがありますが、それはまた別の機会で・・・。