4月20日(月)の夜遅くソウルに到着。
ニュースによると18日(土)はセウォル号沈没事故1周年の集会・デモがソウル広場(市庁前)で開かれたのですが、8千人(警察推定)集まった市民に対して警察側は1万3700人を動員し、衝突したりして犠牲者遺族も含め20人余りが連行されて騒然とした雰囲気だったそうです。
続く19日は1960年の4.19革命から25年目。何かしらの催しはどこかで何かあったでしょう、きっと。(←いいかげん。) あ、今日行った大韓民国歴史博物館で5.18(1980年光州民主化運動)、6.10(1987年6月抗争)と一緒に往時の写真が展示されてましたね。
しかし、私ヌルボが来てからは街も穏やかなようだし、好天で暖かい日が続き、ツツジはあっという間に満開間近になりました。
その間、去る12月の7泊8日まったり滞在とは違って、いろんな所に足を運んでます。自分でもすでにして記憶がいい加減になっちゃっているので、時系列で行った所の写真をあまり抜かさないで載せることにします。まず20~22日の分。
◎4月20日(月)
金浦空港に、飛行機(大韓航空)は22:10頃着陸。やっぱり、入国審査の列は右側の韓国人用が早く終わります。すると係員が外国人にこちら(韓国人用)に並べと手招きします。毎度のことなので、それを知ってる人は外国人用でも一番右の列に並び、「手招き」が始まったと見るや即移動。・・・って、どれくらいの人が知ってるのかな?

上の写真は、荷物が出てくるのを待つ、なんといういうことのない場所ですが・・・。
一昨年くらい前までは下のようなかわいい(ブキミな?)造形物がありました。いつなくなったのか思い出せません。ちょっとさびしい気もします。

◎4月21日(火)
落書き用の壁、・・・ではなくてベルリンの壁です。
これはマッコウクジラの骨格標本。ではなくて、イ・ヨンベクという有名な(?)若手(?)美術作家の「Albino Whale(白いクジラ)」という作品で、長さは16mもあります。
上記のベルリンの壁と20mくらいしか離れていない所にあります。それはどこか、ソウルに詳しい皆さんはご存知ですか? たぶん次の次の次の記事にします。答はそこで書きます。
ソウルはいつ行ってもどこかで、いや至るところで工事しています。上左の写真のように宗廟の前の広い区域も工事中とは知りませんでした。以前タプコル公園がお年寄りたちの溜まり場だったのが、そこの模様がえ工事を機にしめ出され、その後は宗廟に移動したということは聞いていましたが、その宗廟の周囲もかなり大規模な工事が進められているようです。しかし工事をしていない所では写真右のように、やっぱり囲碁を楽しむ人たちの人垣ができていました。
鍾路3街あたりで信号待ちをしているオートバイ。・・・ってねー。(笑) この荷物も、歩道を走るオートバイも、ソウルではけっこうふつうに見られる光景です。
この鍾路3街あたりを歩いていて初めて気づいたのは、補聴器等医療や健康関係の機器や薬剤関係の店が立ち並んでいること。他の所でも、清渓川沿いの南側に照明機器、北側に工具の店が並んでいますね。カーペットの店が集まっているのはどこだったかな?
鍾路3街(観水洞)の伝統ある映画館・ソウル劇場(上写真)については1つ前の記事で書きました。(映画は観てこなかったですけど・・・。)
そして長年懸案だった今回の旅の第1の目的地、国立中央図書館。地下鉄の高速ターミナル駅からすぐ行けると思ったんですけど、ちょっと甘かった・・・。左の写真の建物に入ってからも、インフォメーションで会員加入手続きをして、1日利用証をもらって、ロッカーに物を預けて・・・等々の手続きがとてもメンドーというかややこしいというか・・・。右の写真が本館で、そこの5階にこれも目当ての北韓資料センターがあり、行ってみたらここは意外とすんなり入れたのはよかったです。どんな資料があるかひと通り見てきました。これもいずれ記事にします。
次はハングル仲間で、3月から慶熙大学校に短期留学(10週間)中のS氏と午後5時半に鐘閣の永豊文庫で待ち合わせ。急遽また地下鉄で戻ります。高速ターミナル→鍾路3街は、地下鉄乗り換えなしで行けるのはホントに便利。全然路線図がアタマに入っていないので、ラッキー!と思いました。
永豊文庫の下の階でコーヒーを飲んで一息ついてから、12月の旅の折感動したアラディン中古書店仁寺洞店までS氏と一緒に行ってちょっとだけ中に入った後、そのまま歩いて明洞へ。
明洞地下商街の眼鏡屋さんが目的地。眼鏡を新調しようと思っていたところ、S氏がこの店の主人のKさんと親しいということで紹介してもらいました。
ていねいな検眼等々眼鏡関係のことが終わったらもう8時すぎ。Kさんの案内で入った店で分厚いサムギョプサルを食べ、青とうがらしを何本も入れて唇がピリピリするソジュ(焼酎)を飲んで、いろいろ話がはずんで、結局閉店時間(10時)を過ぎて店を出ました。

私ヌルボがKさんに「一昨年、仲間と全羅南道の青山島に行きましたよ」と言ったら、Kさんが驚きの声をあげたので当方も驚きました。なんでもKさんの奥さんが青山島のご出身とのことで、Kさんも何度も行ったことがあるそうです。しかし、→コチラの過去記事の写真のような甲板の上にあすまやのようなものがある、酒飲みにはうってつけの船は知らなかったとのこと。名作映画「風の丘を越えて 西便制」のことや、→コチラの過去記事に書いた青山島名物のサザエのこと等も常時携帯しているパソコンを活用してあれこれ話したりしていると、Kさんはスマホを取り出して奥さんに電話し、ヌルボも奥さんと直接話したりするという展開に・・・。(笑) 韓国人でもそんなには行かないという青山島だけでなく、聞慶(ムンギョン)や楊口(ヤング)や高城(コソン)にも行ったと話すと、Kさんは目を円くしていました。「韓国人として、ショックです」とまで。そうなのかー、うーむ・・・。
いやー、しかし、こんなふうに思いがけないこととか、いろんな出会いがあったりするから旅は楽しいですね。
店を出て、宿まで歩いて帰る途中、武橋路で以前にも見た記憶があるこの造形物に出くわしました。
ちょっと意味不明というかなんというか・・・。昨年5月、緑の傘子供財団という団体が、子供が健康に育つことを願って作った造形物なのだそうです。(←今調べたところ。)
次の22日の分までを1つの記事にするつもりが、写真以外にいろいろ書きすぎたのでここで一区切りつけることにします。
→<グルメやショッピングとはぜ~んぜん無縁のソウル4泊5日の記録 ②ソウル歴史博物館と「大京城府大観」>
ニュースによると18日(土)はセウォル号沈没事故1周年の集会・デモがソウル広場(市庁前)で開かれたのですが、8千人(警察推定)集まった市民に対して警察側は1万3700人を動員し、衝突したりして犠牲者遺族も含め20人余りが連行されて騒然とした雰囲気だったそうです。
続く19日は1960年の4.19革命から25年目。何かしらの催しはどこかで何かあったでしょう、きっと。(←いいかげん。) あ、今日行った大韓民国歴史博物館で5.18(1980年光州民主化運動)、6.10(1987年6月抗争)と一緒に往時の写真が展示されてましたね。
しかし、私ヌルボが来てからは街も穏やかなようだし、好天で暖かい日が続き、ツツジはあっという間に満開間近になりました。
その間、去る12月の7泊8日まったり滞在とは違って、いろんな所に足を運んでます。自分でもすでにして記憶がいい加減になっちゃっているので、時系列で行った所の写真をあまり抜かさないで載せることにします。まず20~22日の分。
◎4月20日(月)
金浦空港に、飛行機(大韓航空)は22:10頃着陸。やっぱり、入国審査の列は右側の韓国人用が早く終わります。すると係員が外国人にこちら(韓国人用)に並べと手招きします。毎度のことなので、それを知ってる人は外国人用でも一番右の列に並び、「手招き」が始まったと見るや即移動。・・・って、どれくらいの人が知ってるのかな?

上の写真は、荷物が出てくるのを待つ、なんといういうことのない場所ですが・・・。
一昨年くらい前までは下のようなかわいい(ブキミな?)造形物がありました。いつなくなったのか思い出せません。ちょっとさびしい気もします。

◎4月21日(火)


上記のベルリンの壁と20mくらいしか離れていない所にあります。それはどこか、ソウルに詳しい皆さんはご存知ですか? たぶん次の次の次の記事にします。答はそこで書きます。









次はハングル仲間で、3月から慶熙大学校に短期留学(10週間)中のS氏と午後5時半に鐘閣の永豊文庫で待ち合わせ。急遽また地下鉄で戻ります。高速ターミナル→鍾路3街は、地下鉄乗り換えなしで行けるのはホントに便利。全然路線図がアタマに入っていないので、ラッキー!と思いました。
永豊文庫の下の階でコーヒーを飲んで一息ついてから、12月の旅の折感動したアラディン中古書店仁寺洞店までS氏と一緒に行ってちょっとだけ中に入った後、そのまま歩いて明洞へ。

ていねいな検眼等々眼鏡関係のことが終わったらもう8時すぎ。Kさんの案内で入った店で分厚いサムギョプサルを食べ、青とうがらしを何本も入れて唇がピリピリするソジュ(焼酎)を飲んで、いろいろ話がはずんで、結局閉店時間(10時)を過ぎて店を出ました。


私ヌルボがKさんに「一昨年、仲間と全羅南道の青山島に行きましたよ」と言ったら、Kさんが驚きの声をあげたので当方も驚きました。なんでもKさんの奥さんが青山島のご出身とのことで、Kさんも何度も行ったことがあるそうです。しかし、→コチラの過去記事の写真のような甲板の上にあすまやのようなものがある、酒飲みにはうってつけの船は知らなかったとのこと。名作映画「風の丘を越えて 西便制」のことや、→コチラの過去記事に書いた青山島名物のサザエのこと等も常時携帯しているパソコンを活用してあれこれ話したりしていると、Kさんはスマホを取り出して奥さんに電話し、ヌルボも奥さんと直接話したりするという展開に・・・。(笑) 韓国人でもそんなには行かないという青山島だけでなく、聞慶(ムンギョン)や楊口(ヤング)や高城(コソン)にも行ったと話すと、Kさんは目を円くしていました。「韓国人として、ショックです」とまで。そうなのかー、うーむ・・・。
いやー、しかし、こんなふうに思いがけないこととか、いろんな出会いがあったりするから旅は楽しいですね。
店を出て、宿まで歩いて帰る途中、武橋路で以前にも見た記憶があるこの造形物に出くわしました。

次の22日の分までを1つの記事にするつもりが、写真以外にいろいろ書きすぎたのでここで一区切りつけることにします。
→<グルメやショッピングとはぜ~んぜん無縁のソウル4泊5日の記録 ②ソウル歴史博物館と「大京城府大観」>