前の記事では、金聖珉「緑旗聯盟」について外ワク部分だけ紹介しました。
今回は、この小説の核心部分をとりあげます。
早稲田に行くと言って、実は陸軍士官学校に通っていたことが京城の父にばれ、仕送り停止のピンチに陥った主人公の朝鮮人青年南明哲(なんめいてつ)。弟明洙の助言を容れ、親友小松原保重の妹保子に手紙で求婚するも、拒絶の返信。
保子も彼に好意はあるが、体面を重んずる父の反対を押し切ってまで結婚する気持ちはない、とのことでした。
兄の明哲の力になろうと、妹明姫は銀座資生堂で保子と会います。すぐ上の兄明洙も一緒です。
(以下、現代表記に直しました。)
(明洙)「兄はよく、士官学校の中においての南明哲の存在価値と、一般社会においてのそれとを、混同することがあるのです。」
(保子)「わたしは、南さんがそれを混同なさっても、少しもいけないことはないのだと思いますわ。」
(明洙)「いけないことは、もちろんないでしょう。要は、世間がそれを通してくれるかくれないかにあるのです。」
・・・士官学校内では南明哲の能力・人物は高く評価されても、一般社会での朝鮮人の偏見が歴然としてある、というのが明洙の言葉の意味するところでしょう。
それに対し、保子は、自分が一般社会でも認められると明哲が思っても決して間違ってはいない、と彼を擁護しています。
このように「もってまわった表現」をしているのは、朝鮮人差別のことを具体的に書くのは差し障りがあるからでしょうね、きっと。
この後、物語はあれよあれよの急転回&急展開。
翌々日、明姫は保子に会おうと電話するが、受話器を取ったのは保雅(保子&保重の兄)。明姫が小松原宅を訪れると保子は帰宅してなくて、保雅と応接室、そして保子の部屋で歓談したりピアノを弾いたり・・・。ところが帰り際に手を握られ、さらに・・・。
「今日の思いがけない仕打ちに対しても、屈辱を感ずるより愛情を感じた。けれども・・・情けないほどに、自分の軽率な情熱が悔いられてくるのである。」
・・・アカラサマな描写はありませんが、つまり、保雅がけしからんことに<不始末>を仕出かしてしまうんですよ。(<不始末>は、今は死語? ベンリな言葉だなー。(笑))
その1週間近く後、明姫は保雅から情熱のこもった求婚の手紙を受け取ります。明姫はきらいではないと答えつつも、環境の相違等を理由に結婚は拒絶します。次に来た保雅の手紙は開封せず返送してしまいます。
保雅は、父に傲然と眉をあげて「僕は、とにかく明姫と結婚しようと考えています。」と宣言します。その場面を保子は偶然見てしまいます。
(父)「朝鮮総督府の柴田さんが、いつかわしに、内鮮結婚をすすめてくれたことがあったが、もし、いまのわしの立場に、自分が立たされたらどんなもんだろう。」
そしてなんと、その1度のアヤマチで明姫は妊娠してしまいます。それを察した明洙は、相手が保雅であることを妹に確認し、保雅を新宿の高野に呼んで明姫と一緒に会い、妊娠の事実を打ち明けます。帰宅した保雅は父と口論の末家を出て明姫の家へ転がり込みます。2人は明洙の勧めで箱根温泉に旅立ちます。
旅行から戻った2人は、明洙が探しておいたアパートで新生活を始めます。しかし父の手が回っていて保雅は就職できない状態。明姫も苦心の職探しの末、やっと銀座の洋品店から面接の通知が・・・。
ここからが今回の記事のキモです。
その洋品店の「見るからに物柔らかそうな」マダムが、いろいろ話を聞いた後で言うことには・・・、
(マダム)「もし、わたくしの店で働いていただくのでしたら、お名前をかえてみてはいかがでしょう。」
(明姫)「どういふ風にでございましょうか。──」
(マダム)「たとえば、みなみさんと、呼ぶやうにいたしましても、──」
明姫のすこし当惑している顔に、マダムは気づかいながら笑って、
(マダム)「これはただ、ちょっとわたくしの意見を申しあげただけですのよ。お客様のあいだでお名前を呼ぶときでも、南(なん)さんというよりは、みなみさんと呼んだ方が親しみがあるでしょうから。」
(明姫)「そうですわね。──では何分よろしく。」
・・・と、姫は受け容れますが、しかし「それは、よろこばしいことにちがいはなかったけれども、何故か、明姫は気が晴れなかった」のです。
帰る途中でも、明姫はマダムの言葉が気に懸っています。物語の最初の方で、明姫は日本語で手紙を書く時には「明姫」でなく「明子」と書いて「気取ってみせる」のが「いつものくせ」なのですが・・・。
以下、長文をそのまま引用します。
明姫は自分の姓名をかえるということについては、みずから進んで日常自分がしているように、一つの便宜のためであろうて考えていた。もし、それがそうでないとするならば、──何であろう。
名状し難い混乱のなかにたたずんで、明姫は自分の立場の空虚さをはじめて知った。幾通りもの履歴書を送っても、送り返されてきた理由が、いま初めて首肯されるのである。それでは、あのマダムのやさしい微笑には皮肉の色が、親切な眼の色には、冷たさが含まれていたのであろうか。真心こめて、自分が慕っている東京! 母親のような愛情をもっていたわられていると信じていた東京! それらのものと自分とのあいだに相隔たっているすべてのものを明姫はにわかに了解した。それらの愛情のなかにある庇護には、やはりまた同じく軽蔑があったのであろう。──
明姫は蒼ざめたまま、数寄屋橋を渡り、日比谷公園へ入っていった。池の畔のベンチに手をついて、ぼんやりと、いつまでも物思いに沈んでいた。
・・・この部分、正面切って「創氏改名」を批判した文言ではありませんが、日本風の姓名への変更に対する、相当に強い批判と言えるのではないでしょうか?
私ヌルボが当時の特高だったら、「もし、それがそう(便宜のため)でないとするならば、──何であろう」の「何であろう」とはいったい何のつもりなんだ!? ・・・と厳しく追及したかもしれません。
前の記事で書いたタイトルの「緑旗聯盟」、主人公を陸軍士官学校の生徒に設定していること等はいかにも「親日」小説ですが、このあたりを読むと単純にレッテルを貼って終わりとするのは早計に過ぎるというものです。
さてこのように、明哲と保子の関係が停滞している間に、明姫と保雅はあれよあれよの出来ちゃった事実婚にまで進んでしまいました。。
そうこうする間に、明哲は陸士を卒業して京城の聯隊へと発ちます。
ここまでが本作品の前半「玄海を越ゆ」です。
しかし、難題を抱えた南家と小松原家はこの後彼らにどう対応するのかな? ・・・という所で、後半の「亞細亞の民」へ。そして舞台は京城に変わります。
後半にも、「親日」小説としてオドロキの場面があります。
続きはやっと完結編。
続きは→コチラ。
今回は、この小説の核心部分をとりあげます。
早稲田に行くと言って、実は陸軍士官学校に通っていたことが京城の父にばれ、仕送り停止のピンチに陥った主人公の朝鮮人青年南明哲(なんめいてつ)。弟明洙の助言を容れ、親友小松原保重の妹保子に手紙で求婚するも、拒絶の返信。
保子も彼に好意はあるが、体面を重んずる父の反対を押し切ってまで結婚する気持ちはない、とのことでした。
兄の明哲の力になろうと、妹明姫は銀座資生堂で保子と会います。すぐ上の兄明洙も一緒です。
(以下、現代表記に直しました。)
(明洙)「兄はよく、士官学校の中においての南明哲の存在価値と、一般社会においてのそれとを、混同することがあるのです。」
(保子)「わたしは、南さんがそれを混同なさっても、少しもいけないことはないのだと思いますわ。」
(明洙)「いけないことは、もちろんないでしょう。要は、世間がそれを通してくれるかくれないかにあるのです。」
・・・士官学校内では南明哲の能力・人物は高く評価されても、一般社会での朝鮮人の偏見が歴然としてある、というのが明洙の言葉の意味するところでしょう。
それに対し、保子は、自分が一般社会でも認められると明哲が思っても決して間違ってはいない、と彼を擁護しています。
このように「もってまわった表現」をしているのは、朝鮮人差別のことを具体的に書くのは差し障りがあるからでしょうね、きっと。
この後、物語はあれよあれよの急転回&急展開。
翌々日、明姫は保子に会おうと電話するが、受話器を取ったのは保雅(保子&保重の兄)。明姫が小松原宅を訪れると保子は帰宅してなくて、保雅と応接室、そして保子の部屋で歓談したりピアノを弾いたり・・・。ところが帰り際に手を握られ、さらに・・・。
「今日の思いがけない仕打ちに対しても、屈辱を感ずるより愛情を感じた。けれども・・・情けないほどに、自分の軽率な情熱が悔いられてくるのである。」
・・・アカラサマな描写はありませんが、つまり、保雅がけしからんことに<不始末>を仕出かしてしまうんですよ。(<不始末>は、今は死語? ベンリな言葉だなー。(笑))
その1週間近く後、明姫は保雅から情熱のこもった求婚の手紙を受け取ります。明姫はきらいではないと答えつつも、環境の相違等を理由に結婚は拒絶します。次に来た保雅の手紙は開封せず返送してしまいます。
保雅は、父に傲然と眉をあげて「僕は、とにかく明姫と結婚しようと考えています。」と宣言します。その場面を保子は偶然見てしまいます。
(父)「朝鮮総督府の柴田さんが、いつかわしに、内鮮結婚をすすめてくれたことがあったが、もし、いまのわしの立場に、自分が立たされたらどんなもんだろう。」
そしてなんと、その1度のアヤマチで明姫は妊娠してしまいます。それを察した明洙は、相手が保雅であることを妹に確認し、保雅を新宿の高野に呼んで明姫と一緒に会い、妊娠の事実を打ち明けます。帰宅した保雅は父と口論の末家を出て明姫の家へ転がり込みます。2人は明洙の勧めで箱根温泉に旅立ちます。
旅行から戻った2人は、明洙が探しておいたアパートで新生活を始めます。しかし父の手が回っていて保雅は就職できない状態。明姫も苦心の職探しの末、やっと銀座の洋品店から面接の通知が・・・。
ここからが今回の記事のキモです。
その洋品店の「見るからに物柔らかそうな」マダムが、いろいろ話を聞いた後で言うことには・・・、
(マダム)「もし、わたくしの店で働いていただくのでしたら、お名前をかえてみてはいかがでしょう。」
(明姫)「どういふ風にでございましょうか。──」
(マダム)「たとえば、みなみさんと、呼ぶやうにいたしましても、──」
明姫のすこし当惑している顔に、マダムは気づかいながら笑って、
(マダム)「これはただ、ちょっとわたくしの意見を申しあげただけですのよ。お客様のあいだでお名前を呼ぶときでも、南(なん)さんというよりは、みなみさんと呼んだ方が親しみがあるでしょうから。」
(明姫)「そうですわね。──では何分よろしく。」
・・・と、姫は受け容れますが、しかし「それは、よろこばしいことにちがいはなかったけれども、何故か、明姫は気が晴れなかった」のです。
帰る途中でも、明姫はマダムの言葉が気に懸っています。物語の最初の方で、明姫は日本語で手紙を書く時には「明姫」でなく「明子」と書いて「気取ってみせる」のが「いつものくせ」なのですが・・・。
以下、長文をそのまま引用します。
明姫は自分の姓名をかえるということについては、みずから進んで日常自分がしているように、一つの便宜のためであろうて考えていた。もし、それがそうでないとするならば、──何であろう。
名状し難い混乱のなかにたたずんで、明姫は自分の立場の空虚さをはじめて知った。幾通りもの履歴書を送っても、送り返されてきた理由が、いま初めて首肯されるのである。それでは、あのマダムのやさしい微笑には皮肉の色が、親切な眼の色には、冷たさが含まれていたのであろうか。真心こめて、自分が慕っている東京! 母親のような愛情をもっていたわられていると信じていた東京! それらのものと自分とのあいだに相隔たっているすべてのものを明姫はにわかに了解した。それらの愛情のなかにある庇護には、やはりまた同じく軽蔑があったのであろう。──
明姫は蒼ざめたまま、数寄屋橋を渡り、日比谷公園へ入っていった。池の畔のベンチに手をついて、ぼんやりと、いつまでも物思いに沈んでいた。
・・・この部分、正面切って「創氏改名」を批判した文言ではありませんが、日本風の姓名への変更に対する、相当に強い批判と言えるのではないでしょうか?
私ヌルボが当時の特高だったら、「もし、それがそう(便宜のため)でないとするならば、──何であろう」の「何であろう」とはいったい何のつもりなんだ!? ・・・と厳しく追及したかもしれません。
前の記事で書いたタイトルの「緑旗聯盟」、主人公を陸軍士官学校の生徒に設定していること等はいかにも「親日」小説ですが、このあたりを読むと単純にレッテルを貼って終わりとするのは早計に過ぎるというものです。
さてこのように、明哲と保子の関係が停滞している間に、明姫と保雅はあれよあれよの出来ちゃった事実婚にまで進んでしまいました。。
そうこうする間に、明哲は陸士を卒業して京城の聯隊へと発ちます。
ここまでが本作品の前半「玄海を越ゆ」です。
しかし、難題を抱えた南家と小松原家はこの後彼らにどう対応するのかな? ・・・という所で、後半の「亞細亞の民」へ。そして舞台は京城に変わります。
後半にも、「親日」小説としてオドロキの場面があります。
続きはやっと完結編。
続きは→コチラ。
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