→ <30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ①映画ではなくドラマ。その原題と原作小説をつきとめる>
の続きです。
31年前(!)の韓国のTVドラマ「外村場紀行」(邦題「男と女の青空市場」)の原作小説を読みました。ハングル表記は「외촌장 기행」。金周榮(キム・ジュヨン.김주영)という作家が1983年に発表した作品です。
その概要は・・・考えるとキモチが重~くなるので(笑)、安直に裏表紙の文章を翻訳して貼り付けます。
私ヌルボ、一読して感じたのは、全体的に漂う場末感、うらぶれ感、やさぐれ感です。いや。「漂う」というより「満ち満ちている」といった方がいいかも。
そう感じさせる理由は、まず第一に物語の舞台が地方の小さな町であること。<外村場(ウェチョンジャン)>とは町の名ではなく、<外村(ウェチョン)>とは都邑の外の村、つまりかなり辺鄙な町(村?)のことです。また<場(ジャン)>は市場なのですが、常設市場ではなく(十日市といったような)決まった日に開かれる市です。
物語は、主人公の青年ミン・セチョルが旅先の小さな町で安宿(旅人宿.ヨインスク)に泊まるところが始まります。しかし日没にはまだ3、4時間もあります。部屋の縁側に出てみると、別の部屋から男女の話し声が聞こえてきます。
その会話がいかにもその2人の関係や生活、人となり等々をよく表しています。
主人公の青年ミン・セチョルという青年。彼は旅先の小さな町で安宿に泊まります。日没にはまだ3、4時間もあります。部屋の縁側に出てみると、別の部屋から男女の話し声が聞こえてきます。
その会話がいかにもその2人の関係や生活、人となり等々をよく表しています。
(女)「私たちどこかに家でも借りようよ。ダメなら貸し間でも借りて・・・。あんたは私をどう思ってるか知らないけど、私だってやろうと思えばきちんとやっていける自信はあるわよ」
(男)「うだうだ言ってないでタバコの火を消せよ。昼間からそんなに吸ってりゃタバコ代も馬鹿にならんぞ」
(女)「私がタバコ止めたら部屋借りてくれる?」
(男)「俺の額を見ろ。プータローって書いてあるだろ。金がないと部屋は借りられんよ。それにどこに落ち着くってんだ? 俺はひと所にいると気持ちがひっくり返るんだ」
彼らの話からセチョルが察したところでは、男は야바위꾼(ヤバウィクン)です。私ヌルボ、この単語はもちろん知りませんでした。google翻訳だと<スリッカー>とか意味不明の訳語が出てきますが、<香具師(やし)>とか<テキヤ>と訳すのが妥当なところでしょう。つまり市場などで薬売り等のために巧みな口上で人寄せをしたり、伏せた3つのコップのどれにサイコロが入っているかを当てさせたりして稼いでいる流れ者です。(香具師とテキヤの相違は今ひとつわからず。ほぼ同義? 香具師の方が話術とか手品等の専門技術に長けている?)
こういう渡世人が登場するのもうらぶれ感を感じさせる一要素です。
※柴又の寅さんを思い起こす人は多いですよね。私ヌルボ、田中小実昌の直木賞作を含む作品集「香具師の旅」(1979)を図書館で読みましたが、これは戦後風俗史の資料としても貴重だと思いました。
また、上記の作品の概要にも記されているように70年代頃という時代背景も香具師という職業のうらぶれ感をかき立てています。朴正熙政権によるセマウル運動で韓国社会がめざましく変貌して、その波が全国に及んだ頃です。そんな中で、各地で開かれる市を渡り歩いて暮らしてきた商売人たちを取りまく環境も大きく変わってきました。早い話が、この先この商売は下り坂しかないということです。
社会の大変化は、人々の価値観・倫理観等にも影響を及ぼし始めました。・・・ということで、物語の先を追ってみます。
セチョルはとくにやることもなく、なんとなく彼らの会話を聞いていてちょっと男に対する好奇心もアタマをもたげてきます。「今どき、あんな時代遅れの生き方をしてるヤツもいるんだなあ」と・・・。
30分以上経って、セチョルの部屋のドアが開けられます。
顔をのぞかせたのは・・・
と、ここから物語がどんどんと展開していきますが、とりあえずここで一区切り。
→ 30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ③金周榮の原作は教科書の掲載作品だって!? どう教えるんだろう?
の続きです。
31年前(!)の韓国のTVドラマ「外村場紀行」(邦題「男と女の青空市場」)の原作小説を読みました。ハングル表記は「외촌장 기행」。金周榮(キム・ジュヨン.김주영)という作家が1983年に発表した作品です。
その概要は・・・考えるとキモチが重~くなるので(笑)、安直に裏表紙の文章を翻訳して貼り付けます。
1970年代韓国社会を代表する問題作「外村場紀行」 「外村場紀行」は1970年代下層民の日常を素材とした作品です。 ‘外村場’という非日常的な空間で一瞬間の偶然の出会いを通して全然見慣れない世の中を体験して自分のまた別の姿を発見する一男性の物語をたいへん写実的に描いています。 堕落した若い男女の姿を通して1970年代の産業化過程で現れた性倫理の問題を批判的に見せてくれてもいます。 |
私ヌルボ、一読して感じたのは、全体的に漂う場末感、うらぶれ感、やさぐれ感です。いや。「漂う」というより「満ち満ちている」といった方がいいかも。
そう感じさせる理由は、まず第一に物語の舞台が地方の小さな町であること。<外村場(ウェチョンジャン)>とは町の名ではなく、<外村(ウェチョン)>とは都邑の外の村、つまりかなり辺鄙な町(村?)のことです。また<場(ジャン)>は市場なのですが、常設市場ではなく(十日市といったような)決まった日に開かれる市です。
物語は、主人公の青年ミン・セチョルが旅先の小さな町で安宿(旅人宿.ヨインスク)に泊まるところが始まります。しかし日没にはまだ3、4時間もあります。部屋の縁側に出てみると、別の部屋から男女の話し声が聞こえてきます。
その会話がいかにもその2人の関係や生活、人となり等々をよく表しています。
主人公の青年ミン・セチョルという青年。彼は旅先の小さな町で安宿に泊まります。日没にはまだ3、4時間もあります。部屋の縁側に出てみると、別の部屋から男女の話し声が聞こえてきます。
その会話がいかにもその2人の関係や生活、人となり等々をよく表しています。
(女)「私たちどこかに家でも借りようよ。ダメなら貸し間でも借りて・・・。あんたは私をどう思ってるか知らないけど、私だってやろうと思えばきちんとやっていける自信はあるわよ」
(男)「うだうだ言ってないでタバコの火を消せよ。昼間からそんなに吸ってりゃタバコ代も馬鹿にならんぞ」
(女)「私がタバコ止めたら部屋借りてくれる?」
(男)「俺の額を見ろ。プータローって書いてあるだろ。金がないと部屋は借りられんよ。それにどこに落ち着くってんだ? 俺はひと所にいると気持ちがひっくり返るんだ」
彼らの話からセチョルが察したところでは、男は야바위꾼(ヤバウィクン)です。私ヌルボ、この単語はもちろん知りませんでした。google翻訳だと<スリッカー>とか意味不明の訳語が出てきますが、<香具師(やし)>とか<テキヤ>と訳すのが妥当なところでしょう。つまり市場などで薬売り等のために巧みな口上で人寄せをしたり、伏せた3つのコップのどれにサイコロが入っているかを当てさせたりして稼いでいる流れ者です。(香具師とテキヤの相違は今ひとつわからず。ほぼ同義? 香具師の方が話術とか手品等の専門技術に長けている?)
こういう渡世人が登場するのもうらぶれ感を感じさせる一要素です。
※柴又の寅さんを思い起こす人は多いですよね。私ヌルボ、田中小実昌の直木賞作を含む作品集「香具師の旅」(1979)を図書館で読みましたが、これは戦後風俗史の資料としても貴重だと思いました。
また、上記の作品の概要にも記されているように70年代頃という時代背景も香具師という職業のうらぶれ感をかき立てています。朴正熙政権によるセマウル運動で韓国社会がめざましく変貌して、その波が全国に及んだ頃です。そんな中で、各地で開かれる市を渡り歩いて暮らしてきた商売人たちを取りまく環境も大きく変わってきました。早い話が、この先この商売は下り坂しかないということです。
社会の大変化は、人々の価値観・倫理観等にも影響を及ぼし始めました。・・・ということで、物語の先を追ってみます。
セチョルはとくにやることもなく、なんとなく彼らの会話を聞いていてちょっと男に対する好奇心もアタマをもたげてきます。「今どき、あんな時代遅れの生き方をしてるヤツもいるんだなあ」と・・・。
30分以上経って、セチョルの部屋のドアが開けられます。
顔をのぞかせたのは・・・
と、ここから物語がどんどんと展開していきますが、とりあえずここで一区切り。
→ 30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ③金周榮の原作は教科書の掲載作品だって!? どう教えるんだろう?
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