
2月24日の記事で、アジア歴史資料センターのサイト中の朝鮮総督府刊行本についてふれましたが、中でも大正九年(1920年)朝鮮総督府発行「朝鮮語辞典」にとくに注目したと記しました。
注目した理由その1は、516枚分の画像で、この貴重な文献の全ページをネット上で見たり、プリントアウトできる、という点。
そしてその2は、朝鮮語辞典の歴史をめぐる論議に関わることです。
たとえば<正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現>というある意味元気のいいサイトの中に、<朝鮮最古の国語辞典とは?韓国が国立中央博物館に展示した1925年発行『朝鮮語辞典』よりも古い「朝鮮語辞典」:朝鮮総督府編(1920年発行)が日本の国立国会図書館にある・【日帝が言葉を奪った】は大嘘だ!>という記事があります。
つまりは、昨年(2009年3月)「朝鮮日報」が1925年発行の「普通学校朝鮮語辞典」を<最古の国語辞典>としているのは誤りで、実は上記の朝鮮総督府編「朝鮮語辞典」が最古だ、というわけです。
ほかにも同様の内容のサイトはありましたが、とくにこのサイトはいろいろと詳しく記されています。ブログのタイトルからもすぐわかるように、いわゆる<嫌韓サイト>なんですが、この人たちもなかなか詳しく調べているなあ、と感心します。
ただ、この件については結論を急ぎすぎた感じです。下の画像でもわかるように、この辞典はハングルの見出し語に日本語でその意味を記したものです。したがって、書名は「朝鮮語辞典」でも、実体は「韓日辞典」で、日本人のための辞典といっていいでしょう。
たとえば、17世紀初頭のキリシタン版「日葡辞書」を日本語辞典と言って正しいかどうか?
あるいは、和英辞典一般を日本語辞典と言って正しいかどうか?
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韓国のサイトをいくつか見てみると、彼らが何をもって<最初の朝鮮語辞典>としているかというと、
①韓国・朝鮮人にとっての「国語辞典」、つまり朝鮮語の見出し語を朝鮮語で説明している。
②韓国・朝鮮人の編纂による。
・・・という基準のようです。②についてはもしかしたら異論もあるかもしれませんが、①については妥当だと思います。
上記のブログにあるように、「日帝が朝鮮語を奪った!」と韓国の学校やメディアで画一的に決めつけるのも乱暴な面があると思います。
植民地化以前から、日本人が朝鮮内でハングルの普及に果たした役割も大きく、一方当時(19世紀末)の朝鮮の知識階級はハングルを蔑視していたことは、イザベラ・バードの「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)にも記されています。
しかし、だからといって朝鮮総督府の一連の朝鮮語に対する施策・政策を朝鮮人への<恩恵>ととらえるのはこれまた乱暴すぎるといわざるをえません。近代国家においては、全国民に読み書き等の教育の徹底をはかるのは、政治的経済的軍事的に必要不可欠な施策だったわけですから・・・。(そこで日本語を用いるか朝鮮語を用いるかは当時の統治者=日本人の間でも議論があったようです。)
いつも思うのですが、日本・韓国両国のそれぞれの<愛国者>の人たち、よく似てますね。
「朝鮮舊慣制度調査事業概要」28〜31頁に、この辺りの事業推進の概要が書かれています。
良かったらURLより読んで下さい。
尚、これは国立国会図書館デジタルで読める書籍です。昭和13年迄の事業全般の索引として重宝するものです。
それによると
大正2年の段階で、
「 此の辭典は編纂の順序さして一應鮮文解說を附したるも、二重の解説を附するは辭典の體を成さ
ず、又朝鮮人のため特に朝鮮語辭典を作成するの必要大ならずとする意見多かりしを以て、完成の
際は、鮮文解說を除き、邦文解說のみと爲すことゝせり。 」
として朝鮮語解説を外したものを出版することに決めていますね。二重の解説を載せるのは厚みを倍にすることになり、完成したB5版辞書を吠え視るとその語彙数から、二者択一とするしかなかったことも頷けますし、需要から視ると、内地人の購入が中心になることが当時は想定された筈です。諺文(現呼称:ハングル文字)は未だ義務教育で教えて普及初めたばかりで、大した文献蓄積もまだまだありません。
辞書を必要とする高等教育では文献の少なさから日本語が主流だったですし、まだまだ需要もなかった筈です。
総督府の半島内政の基本は、官吏が朝鮮語を学ぶ方向でした。欧米植民地では現地語教育もしませんてしたから、真逆の擦り寄りだったのです。
寧ろ、朝鮮人側がより良い生活を切望し、日本語習得に熱を上げていたのが現実かと思いますよ。それが如実になるのは、時限立法の創氏と改名や国民学校制度導入頃ですね。
尚、昭和13年には、ちゃんと「朝鮮語辞書」は出ているようです。少なくとも発行はしています。どの程度売れたかは自分は判りません。
リンク先を読みました。
さらに検索してみたら、 モトはコチラなんですね。 →
http://kyujanggak.snu.ac.kr/_Print/HEJ/HEJ_NODEVIEW.jsp?lclass=01&subtype=cg&sclass=&ntype=hj&type=MOK&ptype=list&cn=GK12691_00&mclass=&savetype=save&savesize=
これによると、たしかに奎章閣に編纂過程がわかる資料が残されているということですね。
これは知りませんでした。
おかげ゛で<ソウル大学校奎章閣韓国学研究院>のサイト →
http://kyujanggak.snu.ac.kr/
も初めて知りました。
教えてくださってありがとうございました。
<크기> 19×25.9cm
<참고> 조선어사전(朝鮮語辭典)
1920년 옛 조선총독부에 의해 간행된 韓日對譯辭典이다. 1911년 총독부 산하 取調局에서 시작한 ≪朝鮮語辭典≫편찬 사업은 일본의 語文 식민주의 정책의 일환으로 진행되었다. 총 58‚000여 항목의 한국어 표제어에 대해 일본어로 풀이를 하고 있다. 이 사전의 표제어는 고유어‚ 한자‚ 한자어‚ 이두 등으로 구성되어 있다. 이두가 포함된 것은 일본이 이두로 된 조선의 공문서를 해독하는 데 도움을 받고자 한 의도가 반영된 것이다.이 사전은 원래 순수 국어사전과 한일대역사전의 기능을 모두 갖추는 것으로 기획되었다. 당시에는 순수 국어사전이 없었으므로 한국어 표제항에 대해서 한국어로 먼저 해설한 뒤 일본인의 한국어 교육을 위해 다시 일본어로 해설을 덧붙이려고 했던 것이다. 실제로 1917년에 완성된 ≪朝鮮語辭典原稿≫(奎 15542)에서는 하나의 한국어 표제항에 대한 주석이 상단‚ 하단으로 나뉘어 상단에서는 한국어로 주석을 하고 하단에서는 일본어로 주석을 하고 있다. 그러나 그 후에 간행된 ≪조선어사전원고≫(奎 15543)에서는 한국어 주석이 누락되고 일본어 주석만 남게 되었으며 그 결과 최종적으로 출판된 ≪조선어사전≫은 원래 의도했던 기능의 절반만을 지닌 일종의 對譯辭典에 그치고 만 것이다.
↑によると原稿の段階では、解釈にも朝鮮語があったようですが、刊行されたものからは、朝鮮語が削られてしまったようです。奎文閣に原稿が所蔵されているようですが。