ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

「国鉄マンがつくった日韓航路」をイッキ読み! ビートル就航の感動的舞台裏

2010-03-20 23:47:54 | 韓国・朝鮮に関係のある本
    

 一昨日の記事で書いたように、三中堂で購入した本の一つが渋田哲也「「国鉄マン」がつくった日韓航路」(日経ビジネス人文庫)。今は品切れだか絶版だかで、新刊書店にはありません。

 いやー、この本は正解だったですねー。1日でイッキ読みしましたよ。

 副題が「俺たちのプロジェクト「ビートル」物語>。
 ビートルと聞いたらフォルクスワーゲンを思い浮かべる人も多いでしょうが、これは博多~釜山の高速船の方です。

 韓国オタクにとって、福岡あたりに住んでたらいいなあと思うことがあります。1つは韓国のラジオが聴きやすいこと、もう1つが釜山まで船でラクに、安く早く行けることです。

 私ヌルボが初めて韓国に行ったのが1992年。下関から関釜連絡船で行った理由その1は古代からの表玄関であること、その2は、戦前からのさまざまな歴史がある連絡船であること、その3は飛行機が好きじゃないことです。

 その後今まで20回くらい韓国に行ってますが、次の船旅は2006年の1回きり。その時は博多からビートルの乗るつもりが、早くから満席状態で、結局博多からのカメリアで行きました。

 ・・・ということでビートルにはまだ乗ったことがありませんが、できれば近いうちにぜひ乗ってみたいものです。

 で、この本ですが、1991年にJR九州がビートルを就航させるまでの舞台裏と、その後のもろもろの試練を非常に具体的に、また多角的視点から記したノンフィクションです。(いかにも新聞社出身のライターらしい書きぶり。)

 JR九州の初代社長石井幸孝以下、部下の社員たちの他、福岡市港湾局の担当者、地元の旅行業者、韓国側の関係者等々、多くの人たちが実名で登場、それぞれのエピソードが記されています。
 ちょうど、ずうーっと前に読んだ内橋克人の「匠の時代」とか、NHKの「プロジェクトX」という感じですね。

 この本を読んでわかったことがたくさんありました。箇条書きにしてみます。

・博多~釜山の航路を石井社長が考えついたのは国鉄民営化に際し、新規事業をうちださなければならない状況があったから。つまり国鉄が民営化しなかったらビートルは生まれなかったということです。(あるいはずっと遅れた。)

日韓共同きっぷもJR九州が先鞭をつけた。韓国側でも、釜山市観光協会会長で亜州観光という旅行会社会長でもある金景煕が同じことを考えていて、双方の連携の下1988年共同きっぷがスタートした。この間、韓国側は鉄道は鉄道庁という省庁の管轄なので、手続き面でいろいろややこしいことがあったようです。

※ヌルボの最初の訪韓の時、帰りに日韓共同きっぷを片道利用しました。ソウル駅の窓口で「共同きっぷを買うのなら亜州観光に行ってください」と言われ、その後話せば長い、書いても長い物語があったことを思い出しました。

・JR九州が船舶事業を始めるといっても社内は素人ばかりなので、宇高連絡船の経験者のいるJR四国からの出向という形で人材を集めた。ただ、ジェットフォイルはボーイング社製の、飛行機みたいな(?)船なので、以前からそれを運航している佐渡汽船や、鹿児島~種子島間の鹿児島商船に社員を研修出張させたりもした。

・準備段階では、船を運航させる技術面の他に、じつにいろんなことをやらなければならないんですねー、あたりまえだけど・・・。博多・釜山双方の岸壁の施設の整備、認可に向けての議会対策、ライバル登場を懸念する下関市側との話し合い。社員たちの韓国についての勉強会も。なかでもう~む、と思ったのはの問題。
CIQという言葉は知らなかったです。税関(COSTOMS)と出入国管理(IMIGRATION)と検疫(QUARANTINE)のことだそうです。
 もちろん全部役所がらみ。それも税関は大蔵省(当時)、出入国管理は法務省、検疫は人間だと厚生省で動植物だと農水省とさまざま。毎日運航する国際航路なのに、CIQ関係の役所は当初「土日は休み」、「午後5時まで」という条件だったとか。

・今はふつうにみられる<垢すりパック>という言葉も、初めて用いたのはJR九州。92年に唐池企画営業課長の知人のエッセイスト滝悦子の強引な勧めで命名されたそうです。

・<ビートル>とは、その姿がカブトムシに似ているところからつけられましたが、韓国側のパートナー、韓国高速水運の社員がその名を初めて聞いた時は笑ってしまったとか。韓国語で<ビートゥル、ビートゥル(비뚤비뚤)>といえば、酔っ払いなんかがヨロヨロ、フラフラ歩く状態をいう言葉なので・・・。

・営業開始後も就航2日目にもう故障で欠航とか、乗客がたった1人の日もあったとか困難の日々が続き・・・。

・しかし、福岡・下関~釜山韓の乗客シェアの推移のグラフをみると、1991年30%(乗客数14万人)のシェアでトップだった日航は2001年撤退に追い込まれ、29%で2位だった大韓航空は2001年は乗客数は13.5万から14.4万に伸ばしているが20%で3位。1991年24%で3位(11.4万人)だった関釜フェリーは健闘して2001年は22%で2位(16.2万人)。
そして1991年わずか4.6万人だったビートルは2001年は約30万人に大幅増、シェアは41%で断然1位を占めるまでに成長しています。
※最新の数字は今ひとつ不明ですが、2007年08年は年間60万→50万に落ちたようです。

 このような数字をみると、この10年くらいの間の日韓を行き来する両国の人の増加にはホントに目をみはるものがあります。
 そのために大きな役割を果たしたこの本に登場する人たちもいろいろと感慨深いものがあることでしょう。

 しかし、プロジェクトXを見てしばしば思ったことですが、成功した事例の周りには競争に敗れた側の累々たる残骸とか悔し涙とかの、もしかしたら何倍ものでかい山があったのではないでしょうか?

 日韓間だけではなく、日本と外国間の国際航路について詳しく載っている<INTERNATIONAL LINES>というサイトがあります。以前からちょくちょく見ていて、それだけでもなかなか興味深いサイトですが、運航が開始されたと思っていたら早々となくなってしまったものもたくさんあります。おそらく、それぞれにさまざまな知られざるドラマがあったんでしょうねー。

 その点、ビートルの躍進は、この本に描かれたような奮闘努力だけでなく、93年大田万博以降のノー・ピザ化、21世紀に入ってからのWカップに韓流ブームに、というような幸運に恵まれたということもあると思いますよ。

★関係サイト
BEETLEのホームページ

プサンNAVIの記事

乗った感想や写真を記したブログ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国・朝鮮関係の本なら、や... | トップ | iPhone3Gだって?それとも120... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

韓国・朝鮮に関係のある本」カテゴリの最新記事