横浜は西口も伊勢佐木町も暗く、地震後初めて行った渋谷もやはり暗かったです。
そして今回の記事も暗いです。韓国映画「ビー・デビル」を観てきました。
シアターN渋谷はどこだ?と地図を見て、そーか、以前のユーロスペースだな、と再確認したのは何度目なるか・・・。もう5年経つのになかなかアタマに入りませんです。
18:45の回。ハナキンの夜なのに、なんでよりによってこんな暗い映画を観にくるのか? 私ヌルボ以外の男性客15人に同情と共感を、そして紅一点の女性客に<あんたなかなかいいセンいってるじゃん>賞をおくりたいと思います。
さて映画の感想。つい先日「悪魔を見た」を観たこともあって、後半の復讐の強烈度はかなり平気になっちゃいました。(小心なヌルボ、観る前の心理的圧迫感の方はあいかわらず。)
最初の私ヌルボの印象では、映画の基本構図を次のようなものと受けとめました。
前近代が今も続いているような小島の閉鎖的社会。その時代的・地域的因襲の中でがんじがらめされ虐げられている女性はソウルへの脱出を希うが、時代の最先端のソウルにもあにはからんや、男たちの暴力に女性が泣き寝入りを強いられているという事実は厳然とある。
・・・そんな皮肉な現実。
しかし、その後いろいろ考えてみると、そんな女性虐待は加害者の男たちだけの責任ではなく、多くの「傍観者」がそれを許してしまっている、ということが一番のテーマなんですね。映画のパンフを見ると、最初のページでチャン・チョルス監督自身「悪魔が隠れているのは、壁でも、木でも、倫理でも、法律でもない。我々自身であり、我々の隣人なのだ」と書いているし、ヘウォンの役柄についても「特別な人じゃないんだ、まさに自分達の姿なんだ、と思ってもらうために」チ・ソンウォンを起用したとのことだし・・・。
そういう意味では、この映画の一番の主人公はヘウォンということになりますね。
・・・ということで、もとより男性のヌルボ、後半部分のキョーレツな復讐シーンの連続に爽快感を覚えることもなく、恐怖を覚えるでもなく、映画作品としての感動はひとまずおいとくとして、この作品を生み出した社会的背景について少し探ってみました。
パンフにも若干触れられていますが、この作品にはモチーフとなった事件がいくつかあります。
<투명사과>という韓国ブログにあったこの映画の感想を読んでいたら、チャン・チョルス監督の言として「韓国日報」の次のような記事が付せられていました。
「3件の印象的な事件がモチーフになった。1991年に南原で発生した「キム・ブナム事件」、1992年に忠州で起きた「キム・ボウン、キム・ジングァン事件」、そして最近の「密陽女子中学生事件」だ」。
上記3事件の概要は次の通りです。どれも強烈です。覚悟して読んでください。
①キム・ブナム事件
1991年30歳の女性キム・ブナムが9歳の時、自分を暴行した男(55歳)を殺害した事件。
結婚はしたが、性関係を拒否するなど、正常な結婚生活を続けて行くことができなかったキム・ブナムは、自分の行動が子どもの頃受けた性暴行によるものだということを知って、加害者の男を告訴しようとしたが、当時の性犯罪は親告罪で告訴期間は6ヵ月であり、時効の状態だった。法的に男を罰することがないことを知って、自ら彼を罰することにした彼女は、男を探して包丁で殺害し、現場で検挙された。
裁判所は1審でキム・ブナムに懲役 2年6月、執行猶予 3年、治療監護を宣告し、控訴と上告も棄却された。彼女は最後の陳述で、「私は獣を殺したのであって、人間を殺したのではない」と語った。
この事件は、児童の性的虐待の後遺症を知らせる契機になり、②のキム・ボウン、キム・ジングァン事件とともに性暴力特別法制定への直接的な影響を与えた。
※韓国ウィキを要約
②キム・ボウン、キム・ジングァン事件
1992年、忠州でキム・ボウンが恋人の男性キム・ジングァンとともに、10年以上も自分を性暴行した義父を殺害した事件。
キム・ボウンが7歳の時、母が再婚した。義父から常習的な性暴行を受け始めたのはボウンが9歳の頃からである。義父はもし事実をばらしたら家族を皆殺しにするぞと包丁や殺鼠剤で脅迫した。ボウンが大学に進学して寄宿舎に住むようになって、自分のつらさを恋人のキム・ジングァンに打ち明けた。彼は義父の所に行って性的暴行をやめるよう言ったが、当時忠州地方検察庁総務課長だった義父は、逆に「とっ捕まえて殺すぞ」と脅した。キム・ボウンとキム・ジングァンは義父の殺害を共謀し、1992年1月密かに家に侵入して、酒に酔って眠っている義父を包丁で殺害した。キム・ジングァンは強盗の被害に遭ったように偽装して家を出、キム・ボウンは強盗をあったと警察に通報した。その後彼らは拘束された。
この事件はキム・ジングァンの父が韓国性暴力相談所に相談を依頼して知られるようになり、全国で「キム・ボウン、キム・ジングァン事件共同対策委員会」が結成され、彼らの救命活動を行った。
弁護団は2人の正当防衛を主張したが、裁判所は1992年1審でキム・ジングァンに懲役 7年、キム・ボウンに懲役5年を宣告。控訴審ではキム・ジングァンに懲役5年、キム・ボウンに懲役5年執行猶予 5年を宣告した。被告は上告したが、最高裁はこれを棄却した。
キム・ボウンは1993年の金泳三大統領の特別恩赦で赦免、復権され、キム・ジングァンは残りの刑期を半分に軽減された。キム・ジングァンは1995年に出所した後、1998年に復権を申請したが棄却された。
この事件はタブー視されていたの近親性暴行の実像が現われるきっかけとなり、キム・ブナム事件とともに1993年の性暴力特別法制定への直接的な影響を与えた。また、殺人事件で 執行猶予が宣告された最初の高等裁判所の判例でもある。
また、この事件をきっかけに、家庭内の性暴力事件、近親相姦、親族間性暴力事件、義理の子供の性的虐待、妻の強姦などの性暴力事件が水面に露出されて公論化された。
※韓国ウィキを要約
③密陽女子中学生事件
2004年密陽地域の高校生たちが女子中学生の姉妹を1年余りの間集団暴行した事件。
※この事件の経緯については、日本ウィキの<密陽女子中学生集団性暴行事件>に詳しく記されています。
共犯者100人のうち3人だけが10ヵ月の刑という加害者の軽い処罰と、被害者の女子中学生に対する警察の権的な捜査、被害者の家族に対する加害者の家族たちの脅迫などは社会に大きな波紋を起こした。
2004年12月11日ネチズン200人余りがソウル教保文庫の前に集まり、事件加害者と警察の不十分な捜査を糾弾する抗議集会を開いた。このようなネチズンたちの力によって、担当の蔚山南部警察署は被害者の人権保護をないがしろにした責任を問われ、人権委員会など与野を網羅した政界が真相調査に乗り出すことになった。
特に人権侵害とされたのは、被害者を被疑者との直接対峙させて犯人を指摘するようにしたこと、被害者の実名等を、報道資料を通じてマスコミに公開したこと等である。
被害者の姉妹と母親は国を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、1審では、個人情報を流したことだけ認めて姉妹にそれぞれ700万ウォンと300万ウォン、母親に500万ウォンを賠償することを宣告。2007年の控訴審では、被害者の人権保護を規定した警察官職務規則違反をしたことを指摘し、警察の捜査を違法な公務執行として姉妹にそれぞれ3000万ウォンと1000万ウォン、母親に1000万ウォンを賠償するよう判決した。2008年最高裁は原審を確定した。
2007年のMBCテレビ報道によると、加害者41人のうち、刑事処罰を受けた学生は1人もなく、前科が残った加害者は誰もない。10人が少年部に送致され、うち5人が保護観察処分を受けた。ほとんどの高校でも加害者を懲戒処分にしておらず、2つの学校で「3日間、校内の奉仕活動」などの軽い罰を受けているだけだ。ふつうに高校を卒業し、軍服務中または社会人大学生になって、社会生活に何の制約がない。
一方、被害者のパク・スジン(仮名)さんは事件後、ソウルに引っ越して転校をしようとしたが、「性的暴行の被害」という理由でいくつかの学校から転校を拒否されるなど困難をきたし、正常な学校生活をすることができなかった。ようやく通うことになったある高校には、一加害者の親が息子の処罰軽減のための嘆願書を書いてくれと彼女の教室に訪ねてきて、トイレにまで執拗につきまとった。学校に性的暴行の被害者との事実が知られることをいつも恐れていた彼女は、このことで学校をまた休学するしかなかった。また、加害者の父母たちが、アルコール中毒になっているパクさんの父にお金をエサに合意を促すと、パクさんの父は親権を根拠に、ソウルで精神科の治療中だったパクさんを再び蔚山に連れてきて、加害者側と合意に達することを強要するなど、お金のために犠牲者が家族に利用されるというあきれた事情も明らかになった。このように、自分が被害者であることにも、社会的偏見や無関心の中で、精神的・肉体的にとても苦しい状態にあったパクさんは結局家出して、現在は行方がはっきりしない状態だ。
※韓国ウィキを要約
先に孫引きした「韓国日報」の記事を見ると、冒頭に「映画よりも、より映画のような現実のおかげで、「映画が頑張らなければならない」という笑い話まで出ている」とあります。
たしかに上の①~③のどれをとっても、事件の経緯をなぞっただけでも並みの映画の衝撃度を超えているのではと思います。
それをモチーフに作られた映画が観客の心をとらえるには、刺激的な場面等の表面的な映像表現に頼りすぎないことはもちろん、どのように事実を内面化し考察して、いかに再構成するかが問われるところでしょう。
・・・ということで、再び「ビー・デビルド」に戻ると、多くの(とくに女性の)観客に復讐のカタルシスを感じさせてしまう部分が大きすぎる分、ヌルボとしては首をかしげざるをえませんでした。
ソ・ヨンヒが大韓民国映画大賞の主演女優賞等々受賞したことについては異存はありません。最近の情報によると5月に結婚とのことで、おめでとうございます。
[付記2つ]
・舞台となった無島は架空の島で、実際の撮影地は麗水市に属する金鰲島(금오도.クモド)。映画の無島は「6世帯9人」でしたが、金鰲島は韓国で21番目とかなり大きな島で、麗水市のサイト(日本語)でも「奇岩怪石の神秘の島」「黒鯛の釣り場」の観光地として紹介されています。
・監督のインタビュー記事によると、島の人間が摘み取ってはそのまま食べている「噛めば噛むほどバカになる」という草は実際のものではなく、架空の草とのことです。
[重要な付記]
上記のような性犯罪の件数や具体例を挙げて韓国人を貶めるような嫌韓派の記事をしばしば目にします。そのような恥ずかしい記事は書かないでほしいものです。(書いてる人は自分が恥ずかしい存在であることに気づいていないのがカワイソー・・・。ヌルボはナショナリストじゃないので「アンタら、国辱モノだ!」とは言いませんが・・・。)
そして今回の記事も暗いです。韓国映画「ビー・デビル」を観てきました。
シアターN渋谷はどこだ?と地図を見て、そーか、以前のユーロスペースだな、と再確認したのは何度目なるか・・・。もう5年経つのになかなかアタマに入りませんです。
18:45の回。ハナキンの夜なのに、なんでよりによってこんな暗い映画を観にくるのか? 私ヌルボ以外の男性客15人に同情と共感を、そして紅一点の女性客に<あんたなかなかいいセンいってるじゃん>賞をおくりたいと思います。
さて映画の感想。つい先日「悪魔を見た」を観たこともあって、後半の復讐の強烈度はかなり平気になっちゃいました。(小心なヌルボ、観る前の心理的圧迫感の方はあいかわらず。)
最初の私ヌルボの印象では、映画の基本構図を次のようなものと受けとめました。
前近代が今も続いているような小島の閉鎖的社会。その時代的・地域的因襲の中でがんじがらめされ虐げられている女性はソウルへの脱出を希うが、時代の最先端のソウルにもあにはからんや、男たちの暴力に女性が泣き寝入りを強いられているという事実は厳然とある。
・・・そんな皮肉な現実。
しかし、その後いろいろ考えてみると、そんな女性虐待は加害者の男たちだけの責任ではなく、多くの「傍観者」がそれを許してしまっている、ということが一番のテーマなんですね。映画のパンフを見ると、最初のページでチャン・チョルス監督自身「悪魔が隠れているのは、壁でも、木でも、倫理でも、法律でもない。我々自身であり、我々の隣人なのだ」と書いているし、ヘウォンの役柄についても「特別な人じゃないんだ、まさに自分達の姿なんだ、と思ってもらうために」チ・ソンウォンを起用したとのことだし・・・。
そういう意味では、この映画の一番の主人公はヘウォンということになりますね。
・・・ということで、もとより男性のヌルボ、後半部分のキョーレツな復讐シーンの連続に爽快感を覚えることもなく、恐怖を覚えるでもなく、映画作品としての感動はひとまずおいとくとして、この作品を生み出した社会的背景について少し探ってみました。
パンフにも若干触れられていますが、この作品にはモチーフとなった事件がいくつかあります。
<투명사과>という韓国ブログにあったこの映画の感想を読んでいたら、チャン・チョルス監督の言として「韓国日報」の次のような記事が付せられていました。
「3件の印象的な事件がモチーフになった。1991年に南原で発生した「キム・ブナム事件」、1992年に忠州で起きた「キム・ボウン、キム・ジングァン事件」、そして最近の「密陽女子中学生事件」だ」。
上記3事件の概要は次の通りです。どれも強烈です。覚悟して読んでください。
①キム・ブナム事件
1991年30歳の女性キム・ブナムが9歳の時、自分を暴行した男(55歳)を殺害した事件。
結婚はしたが、性関係を拒否するなど、正常な結婚生活を続けて行くことができなかったキム・ブナムは、自分の行動が子どもの頃受けた性暴行によるものだということを知って、加害者の男を告訴しようとしたが、当時の性犯罪は親告罪で告訴期間は6ヵ月であり、時効の状態だった。法的に男を罰することがないことを知って、自ら彼を罰することにした彼女は、男を探して包丁で殺害し、現場で検挙された。
裁判所は1審でキム・ブナムに懲役 2年6月、執行猶予 3年、治療監護を宣告し、控訴と上告も棄却された。彼女は最後の陳述で、「私は獣を殺したのであって、人間を殺したのではない」と語った。
この事件は、児童の性的虐待の後遺症を知らせる契機になり、②のキム・ボウン、キム・ジングァン事件とともに性暴力特別法制定への直接的な影響を与えた。
※韓国ウィキを要約
②キム・ボウン、キム・ジングァン事件
1992年、忠州でキム・ボウンが恋人の男性キム・ジングァンとともに、10年以上も自分を性暴行した義父を殺害した事件。
キム・ボウンが7歳の時、母が再婚した。義父から常習的な性暴行を受け始めたのはボウンが9歳の頃からである。義父はもし事実をばらしたら家族を皆殺しにするぞと包丁や殺鼠剤で脅迫した。ボウンが大学に進学して寄宿舎に住むようになって、自分のつらさを恋人のキム・ジングァンに打ち明けた。彼は義父の所に行って性的暴行をやめるよう言ったが、当時忠州地方検察庁総務課長だった義父は、逆に「とっ捕まえて殺すぞ」と脅した。キム・ボウンとキム・ジングァンは義父の殺害を共謀し、1992年1月密かに家に侵入して、酒に酔って眠っている義父を包丁で殺害した。キム・ジングァンは強盗の被害に遭ったように偽装して家を出、キム・ボウンは強盗をあったと警察に通報した。その後彼らは拘束された。
この事件はキム・ジングァンの父が韓国性暴力相談所に相談を依頼して知られるようになり、全国で「キム・ボウン、キム・ジングァン事件共同対策委員会」が結成され、彼らの救命活動を行った。
弁護団は2人の正当防衛を主張したが、裁判所は1992年1審でキム・ジングァンに懲役 7年、キム・ボウンに懲役5年を宣告。控訴審ではキム・ジングァンに懲役5年、キム・ボウンに懲役5年執行猶予 5年を宣告した。被告は上告したが、最高裁はこれを棄却した。
キム・ボウンは1993年の金泳三大統領の特別恩赦で赦免、復権され、キム・ジングァンは残りの刑期を半分に軽減された。キム・ジングァンは1995年に出所した後、1998年に復権を申請したが棄却された。
この事件はタブー視されていたの近親性暴行の実像が現われるきっかけとなり、キム・ブナム事件とともに1993年の性暴力特別法制定への直接的な影響を与えた。また、殺人事件で 執行猶予が宣告された最初の高等裁判所の判例でもある。
また、この事件をきっかけに、家庭内の性暴力事件、近親相姦、親族間性暴力事件、義理の子供の性的虐待、妻の強姦などの性暴力事件が水面に露出されて公論化された。
※韓国ウィキを要約
③密陽女子中学生事件
2004年密陽地域の高校生たちが女子中学生の姉妹を1年余りの間集団暴行した事件。
※この事件の経緯については、日本ウィキの<密陽女子中学生集団性暴行事件>に詳しく記されています。
共犯者100人のうち3人だけが10ヵ月の刑という加害者の軽い処罰と、被害者の女子中学生に対する警察の権的な捜査、被害者の家族に対する加害者の家族たちの脅迫などは社会に大きな波紋を起こした。
2004年12月11日ネチズン200人余りがソウル教保文庫の前に集まり、事件加害者と警察の不十分な捜査を糾弾する抗議集会を開いた。このようなネチズンたちの力によって、担当の蔚山南部警察署は被害者の人権保護をないがしろにした責任を問われ、人権委員会など与野を網羅した政界が真相調査に乗り出すことになった。
特に人権侵害とされたのは、被害者を被疑者との直接対峙させて犯人を指摘するようにしたこと、被害者の実名等を、報道資料を通じてマスコミに公開したこと等である。
被害者の姉妹と母親は国を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、1審では、個人情報を流したことだけ認めて姉妹にそれぞれ700万ウォンと300万ウォン、母親に500万ウォンを賠償することを宣告。2007年の控訴審では、被害者の人権保護を規定した警察官職務規則違反をしたことを指摘し、警察の捜査を違法な公務執行として姉妹にそれぞれ3000万ウォンと1000万ウォン、母親に1000万ウォンを賠償するよう判決した。2008年最高裁は原審を確定した。
2007年のMBCテレビ報道によると、加害者41人のうち、刑事処罰を受けた学生は1人もなく、前科が残った加害者は誰もない。10人が少年部に送致され、うち5人が保護観察処分を受けた。ほとんどの高校でも加害者を懲戒処分にしておらず、2つの学校で「3日間、校内の奉仕活動」などの軽い罰を受けているだけだ。ふつうに高校を卒業し、軍服務中または社会人大学生になって、社会生活に何の制約がない。
一方、被害者のパク・スジン(仮名)さんは事件後、ソウルに引っ越して転校をしようとしたが、「性的暴行の被害」という理由でいくつかの学校から転校を拒否されるなど困難をきたし、正常な学校生活をすることができなかった。ようやく通うことになったある高校には、一加害者の親が息子の処罰軽減のための嘆願書を書いてくれと彼女の教室に訪ねてきて、トイレにまで執拗につきまとった。学校に性的暴行の被害者との事実が知られることをいつも恐れていた彼女は、このことで学校をまた休学するしかなかった。また、加害者の父母たちが、アルコール中毒になっているパクさんの父にお金をエサに合意を促すと、パクさんの父は親権を根拠に、ソウルで精神科の治療中だったパクさんを再び蔚山に連れてきて、加害者側と合意に達することを強要するなど、お金のために犠牲者が家族に利用されるというあきれた事情も明らかになった。このように、自分が被害者であることにも、社会的偏見や無関心の中で、精神的・肉体的にとても苦しい状態にあったパクさんは結局家出して、現在は行方がはっきりしない状態だ。
※韓国ウィキを要約
先に孫引きした「韓国日報」の記事を見ると、冒頭に「映画よりも、より映画のような現実のおかげで、「映画が頑張らなければならない」という笑い話まで出ている」とあります。
たしかに上の①~③のどれをとっても、事件の経緯をなぞっただけでも並みの映画の衝撃度を超えているのではと思います。
それをモチーフに作られた映画が観客の心をとらえるには、刺激的な場面等の表面的な映像表現に頼りすぎないことはもちろん、どのように事実を内面化し考察して、いかに再構成するかが問われるところでしょう。
・・・ということで、再び「ビー・デビルド」に戻ると、多くの(とくに女性の)観客に復讐のカタルシスを感じさせてしまう部分が大きすぎる分、ヌルボとしては首をかしげざるをえませんでした。
ソ・ヨンヒが大韓民国映画大賞の主演女優賞等々受賞したことについては異存はありません。最近の情報によると5月に結婚とのことで、おめでとうございます。
[付記2つ]
・舞台となった無島は架空の島で、実際の撮影地は麗水市に属する金鰲島(금오도.クモド)。映画の無島は「6世帯9人」でしたが、金鰲島は韓国で21番目とかなり大きな島で、麗水市のサイト(日本語)でも「奇岩怪石の神秘の島」「黒鯛の釣り場」の観光地として紹介されています。
・監督のインタビュー記事によると、島の人間が摘み取ってはそのまま食べている「噛めば噛むほどバカになる」という草は実際のものではなく、架空の草とのことです。
[重要な付記]
上記のような性犯罪の件数や具体例を挙げて韓国人を貶めるような嫌韓派の記事をしばしば目にします。そのような恥ずかしい記事は書かないでほしいものです。(書いてる人は自分が恥ずかしい存在であることに気づいていないのがカワイソー・・・。ヌルボはナショナリストじゃないので「アンタら、国辱モノだ!」とは言いませんが・・・。)
部分的には日本と韓国の経済や世相の差は15年くらいにまで縮まっているのかもしれませんね。
外国人妻に対する虐待問題を描いていた韓国映画『義兄弟』は2010年くらいに作成されていますが、日本で同じような外国人妻問題を描いたマンガ、新井英樹『愛しのアイリーン』が発表されたのは1994年でした。
「日本と韓国の経済や世相の差は15年くらいにまで縮まっているのかも・・・・」との見解は私も同感です。仲間内での話でも出ていました。
つまり日本では1970年頃から40年くらいでたどってきた道のりを、韓国はこの20年で追いつこうとしてきたわけで、その分いろんなムリが生じてきていると思います。