今日は10月21日、と聞いて<10.21国際反戦デー闘争(1969年)>(→ウィキペディア)、<新宿騒乱>(→ウィキペディア)と、当時の自分自身を思い浮かべる団塊の世代を中心とする人々は今どれほどいるでしょうか? (私ヌルボも当時学生で東京にいました、・・・とだけ記しておきます。)
今朝の「毎日新聞」に、ちょうど70年前(1943年)の10月21日、明治神宮外苑競技場で開かれた学徒出陣の壮行会で学生代表として「生還を期せず」と答辞を読んだ江橋慎四郎さん(93)の記事が載っていました。記事によると、当時東京帝大文学部の学生だった江橋さんは、その後陸軍に入隊しましたが、整備兵として国内の基地等を転々とし、結局戦地には送られませんでした。戦後は文部省に入り、50年に東大に戻って社会体育を専攻。鹿児島県の鹿屋体育大学の初代学長に就任したとか。
鹿屋といえばかつては海軍航空隊の基地が置かれ、特攻隊の出撃基地となった所。多くの同世代の若者を死地に送った地の大学に赴任した彼の心情については記事ではふれられていませんが、おそらく複雑なものがあったのではないでしょうか。
私ヌルボ、これまで各地の戦争博物館・資料館は約20ヵ所ほど見学してきました。鹿屋(航空基地史料館等)に行ったことはありませんが、数年前に知覧特攻平和会館には行きました。
ここらへんからじわっと本論に入っていきます。
戦争資料館、あるいは近現代史関係の博物館の企画・展示のむずかしい点は、「資料が多すぎる」ということです。
数多くの資料・遺品・遺物等の中から何を選ぶか、またどのような説明をつけるか、ということは「歴史をどう見るか?」というまさに現在の立ち位置(=思想性、政治的立場等)を如実に表すものとなります。
したがって、とくに国・都道府県・市などによる資料館については、その展示内容をめぐってしばしば左右からの抗議の対象になったりもしてきました。
たしか国立昭和館の開館(1999年)に際してもそのようなことがあったように記憶しています。
その結果、昭和館の肝心の戦争関連の展示はなんともナサケナイものになってしまいました。具体的には次のようなことです。
①戦争の核心である、殺し殺され、の現場に迫る展示がほとんど皆無である。原爆犠牲者の写真はよく目にするが、戦争の最前線についての展示物が見られないのは致命的だと思う。
②戦地の実態がわかる展示もきわめて少ない。中国・東南アジア・太平洋の島々等々。とくに現地の人々のようす。また彼らの視点からはどんな戦争だったのか?
③戦時中の日本人の苦しさはわかっても、どのような歴史的経緯でそのような状況になってしまったのかがわからない。答えはむずかしいだろうが、考える材料さえない。したがって、戦争も台風や地震のような災害と同じような印象のものとなってしまっている。
④上記のことに続いて、ではだれがどのように戦争について責任があるのか、ほとんど考えられていない。また国民もどのように当時を省みるべきかが全然問われていない。ということは、平和のためにはわれわれは今どのように考え、行動すべきか、という現代の自分や国のあり方を見つめなおすものとなっていない。戦争資料館が、戦争を繰り返してはならない、ということをめざすのなら、このような肝心なことが欠落していては何にもならない。
こうした弱点は、昭和館に限らず、むしろザラにあるといった方がよさそうです。
そんな中で、私ヌルボがいいなと思った代表例は立命館大学国際平和ミュージアム(→公式サイト)。展示内容も、それを生かした実践的企画等においても、コンセプトが明確に示されています。
※そこで観た戦前(1929~30)の反戦アニメ「煙突屋ペロー」がY0uTubeにもアップされているはうれしい。ぜひ見てみてください。(→前編・→後編。)
まあしかし、実物資料や体験者の記録・証言等の資料が充実していれば、博物館・資料館として十分見る価値はあるのですけどね。
あ、また本題から離れそう。
で、この歴博の場合ですが、近代に入ってからの1世紀半といっても原始~現代までの長い歴史の一部で、さらに朝鮮・韓国関係はその一部。ということで、限られた展示スペースにおける物は非常に限定されています。
その点は当方も承知しているとはいっても、やはり上記の昭和館と同様の印象を持たざるをえませんでした。
たとえば、当時は「日本の一部」だった植民地台湾や朝鮮現地のようす、日本「内地」での朝鮮人の実態、台湾人や朝鮮人から見た日本等々。
たしかに、以下に載せた写真にもあるようなめずらしい展示資料もありましたが、全体的に見て食い足りない印象はぬぐえず。
ま、一応こんな展示物があった、ということで写真をアップしておきます。
[近現代]
【日韓併合記念絵葉書】
【東拓事業概況】
【朝鮮米の宣伝パンフレット】
【「朝鮮語読本」】
【三一運動と五四運動、柳宗悦と浅川巧】
【柳宗悦「朝鮮人を想う」の朝鮮語訳】
【朝鮮の名所絵葉書】
【朝鮮視察の栞】
【内鮮協和会絵葉書】
【「大東亜建設と朝鮮」】
【朝鮮→日本の渡航証明書】
【舞踊家・崔承喜のパンフレット】
【在日朝鮮人と朝鮮戦争】
【在日義勇兵の募集】
【在日本朝鮮民主戦線のメーデーのポスター】
今朝の「毎日新聞」に、ちょうど70年前(1943年)の10月21日、明治神宮外苑競技場で開かれた学徒出陣の壮行会で学生代表として「生還を期せず」と答辞を読んだ江橋慎四郎さん(93)の記事が載っていました。記事によると、当時東京帝大文学部の学生だった江橋さんは、その後陸軍に入隊しましたが、整備兵として国内の基地等を転々とし、結局戦地には送られませんでした。戦後は文部省に入り、50年に東大に戻って社会体育を専攻。鹿児島県の鹿屋体育大学の初代学長に就任したとか。
鹿屋といえばかつては海軍航空隊の基地が置かれ、特攻隊の出撃基地となった所。多くの同世代の若者を死地に送った地の大学に赴任した彼の心情については記事ではふれられていませんが、おそらく複雑なものがあったのではないでしょうか。
私ヌルボ、これまで各地の戦争博物館・資料館は約20ヵ所ほど見学してきました。鹿屋(航空基地史料館等)に行ったことはありませんが、数年前に知覧特攻平和会館には行きました。
ここらへんからじわっと本論に入っていきます。
戦争資料館、あるいは近現代史関係の博物館の企画・展示のむずかしい点は、「資料が多すぎる」ということです。
数多くの資料・遺品・遺物等の中から何を選ぶか、またどのような説明をつけるか、ということは「歴史をどう見るか?」というまさに現在の立ち位置(=思想性、政治的立場等)を如実に表すものとなります。
したがって、とくに国・都道府県・市などによる資料館については、その展示内容をめぐってしばしば左右からの抗議の対象になったりもしてきました。
たしか国立昭和館の開館(1999年)に際してもそのようなことがあったように記憶しています。
その結果、昭和館の肝心の戦争関連の展示はなんともナサケナイものになってしまいました。具体的には次のようなことです。
①戦争の核心である、殺し殺され、の現場に迫る展示がほとんど皆無である。原爆犠牲者の写真はよく目にするが、戦争の最前線についての展示物が見られないのは致命的だと思う。
②戦地の実態がわかる展示もきわめて少ない。中国・東南アジア・太平洋の島々等々。とくに現地の人々のようす。また彼らの視点からはどんな戦争だったのか?
③戦時中の日本人の苦しさはわかっても、どのような歴史的経緯でそのような状況になってしまったのかがわからない。答えはむずかしいだろうが、考える材料さえない。したがって、戦争も台風や地震のような災害と同じような印象のものとなってしまっている。
④上記のことに続いて、ではだれがどのように戦争について責任があるのか、ほとんど考えられていない。また国民もどのように当時を省みるべきかが全然問われていない。ということは、平和のためにはわれわれは今どのように考え、行動すべきか、という現代の自分や国のあり方を見つめなおすものとなっていない。戦争資料館が、戦争を繰り返してはならない、ということをめざすのなら、このような肝心なことが欠落していては何にもならない。
こうした弱点は、昭和館に限らず、むしろザラにあるといった方がよさそうです。
そんな中で、私ヌルボがいいなと思った代表例は立命館大学国際平和ミュージアム(→公式サイト)。展示内容も、それを生かした実践的企画等においても、コンセプトが明確に示されています。
※そこで観た戦前(1929~30)の反戦アニメ「煙突屋ペロー」がY0uTubeにもアップされているはうれしい。ぜひ見てみてください。(→前編・→後編。)
まあしかし、実物資料や体験者の記録・証言等の資料が充実していれば、博物館・資料館として十分見る価値はあるのですけどね。
あ、また本題から離れそう。
で、この歴博の場合ですが、近代に入ってからの1世紀半といっても原始~現代までの長い歴史の一部で、さらに朝鮮・韓国関係はその一部。ということで、限られた展示スペースにおける物は非常に限定されています。
その点は当方も承知しているとはいっても、やはり上記の昭和館と同様の印象を持たざるをえませんでした。
たとえば、当時は「日本の一部」だった植民地台湾や朝鮮現地のようす、日本「内地」での朝鮮人の実態、台湾人や朝鮮人から見た日本等々。
たしかに、以下に載せた写真にもあるようなめずらしい展示資料もありましたが、全体的に見て食い足りない印象はぬぐえず。
ま、一応こんな展示物があった、ということで写真をアップしておきます。
[近現代]
【日韓併合記念絵葉書】
【東拓事業概況】
【朝鮮米の宣伝パンフレット】
【「朝鮮語読本」】
【三一運動と五四運動、柳宗悦と浅川巧】
【柳宗悦「朝鮮人を想う」の朝鮮語訳】
【朝鮮の名所絵葉書】
【朝鮮視察の栞】
【内鮮協和会絵葉書】
【「大東亜建設と朝鮮」】
【朝鮮→日本の渡航証明書】
【舞踊家・崔承喜のパンフレット】
【在日朝鮮人と朝鮮戦争】
【在日義勇兵の募集】
【在日本朝鮮民主戦線のメーデーのポスター】
お知り合いのどなたかと何か共通する点がありましたか?
韓国への語学研修は、ちょっとその気になりかけたことはありましたが、行ったことはありません。