※参考図書からの引用は、次のような略号で記した。
「中国歴史散歩 1」(山川出版社.1993)=[歴]
「地球の歩き方03~04 大連と中国東北地方」(ダイヤモンド社.2002)=[地]
谷崎光「北京の愉しみ」(角川春樹事務所.2004)=[北]
岡田和裕「満州辺境紀行」(光人社.2003)=[満]
◎2日目:8月2日(月)
12:15~13:50 | 故宮 | >・ガイドの申さんは1968年ハルビン生まれ。ハルビンの人は伊藤博文が安重根に殺された地であることを知っている。北京大学出身。言葉は得意な順に「朝鮮語・日本語・中国語」とのこと。・「故宮はまず建物を見て下さい。宝物等を見たかったら台湾へ。故宮には9999の部屋がある。1万は天の神しか使えないのでその1つ下にした。全部入って見学すると3ヵ月かかる。」 ・出てきた家族連れの子がおもちゃの薙刀のようなものを持っていた。日本の子供なら刀というところ。 ・[歴]紫禁城(故宮博物院)は明・清時代の皇帝の居所。宮殿の建設は1417年に開始、1420年に完成。全体は大きく2つに分かれる。<○○殿>という宮殿群は公的な場所である外朝で、その後方に<○○宮>とよばれる宮殿群の内庭があり、ここは皇帝の起居する所である。 ・南側の午門から入る。「太和門に向かって右側は文官、左側は武官が並んだ所。太和門手前の一対の獅子は、右の玉を押さえている方が雄。左の雌は足の下に仰向けになった子に中指から出る乳をやっている。」 ・「死刑について。2ヵ月前までは銃殺だったが、今は毒剤の注射になった。昔は斬首。北京南部に薬市や庶民の死刑の場があった。ナイフで3千回肉を削ぐという死刑があった。3千回の前に死なないようにさせた。執行の前に袋に罪人を入れ逆さに落として意識を失わせた。」 ・「西太后は14歳に入内(?)し21歳で西太后となった。頤和園は彼女個人の避暑地で、広さは293万㎡、紫禁城の7倍もある。その3分の2は人造湖。」 ・「紫禁城全体で13844の竜を装飾に用いている。」 ・太和殿前の広場には一面に黒っぽいレンガが敷きつめられている。いちばん上は下図のようにヨコに並べられているが、 「その下はタテ、その下はまたヨコと、全部で15層になっている。これはかつて刺客が地下に穴を掘って潜んでいたことがあったため。」・太和殿前に鶴と亀をあしらった香炉がある。「儀式の際香炉から出る煙が皇帝を包み、それを雲とみなした。」 太和殿横には高さ1.2mほどの金属製防火用水入れがある。「表面の傷は義和団の乱の時金かと思った日本兵が表面を刀で削った痕」とのこと。 ・「保和殿では3年に1度科挙の最終試験(殿試)をやる。科挙はまず村の<童試>を通ると<秀才>といわれる。次に県の試験の<郷試>、それで300人にしぼって<会試>。この合格者10人が<殿試>に臨む。うち3人が合格。合格者は紫禁城を出て右に曲がる。60歳の合格者もいたが、彼はお金をもらって仕事は免除となった。」 ・保和殿裏側の階段中央部は大きな石の一枚板に装飾が施されている。皇帝(の輿)専用通路のこの石板は深さ2m重さ200t長さ17m幅3m。 「燕山から運んだ石。40㎞の距離だがまっすぐの道を作り、凍らせ、丸太を置いて滑らせて運んだ。50mごとに井戸を80作らせた。30万人が1年間労働した。」 ・「12月31日には皇帝が各少数民族の王を集めて忘年会を開き、お年玉をやった。モンゴル王には最多の額を与えた。」 ・各宮殿の前に掲げた宮殿名の額には漢字とモンゴル文字が併記されている。申さんに尋ねると「懐柔のため」とのこと。 ・「西太后は大の京劇好きだった。愛犬にも見せた。犬1匹に宦官を10人つけた。」(以前観た中国映画「西洋鏡」は中国でこの時代に始まった映画の話で、西太后にも見せた(が事故った)というものだった。) ・[歴]坤寧宮は皇后の正殿。皇帝の大婚にはここで3日間儀式が行われた。「結婚後1週間はここから出られない」とか。 ・坤寧宮を出て少し行くと御景亭。帰国後調べると、御景亭を含めてこの庭園を<御花園>という。園内の花壇・芝生には「花木心有 攀折无情」の札あり。 御景亭は小高い岩(?)の上。「月見の場。葡萄酒を飲みながら月餅を食べます。」 | |
13:50~14:10 | 愛新覚羅溥傑の(?) (店②?) | ・故宮北辺の長い一棟の平屋の一室に案内される。書画がいっぱい掲げられている。郭沫若の書もあった。お茶を飲みつつ話を聞くと、そこに居る愛新覚羅義明さんは溥傑の甥とかで74歳、書道家協会の副主席とのこと。客の望む字をその場で書く。促されて拍手。買えばいくらだったか? 帰国後調べると、不明・疑問な点もある、との情報も。 | |
14:10~14:25 | (景山公園前まで歩く) | ・故宮北門を出て歩く。処々工事中。「オリンピックに向けてのもの。」バス停の辺りで少しマイクロバスが来るのを待つ。 | |
14:25~14:50 | (バス) | ||
14:50~15:37 | 全国農業展覧館 (店③) | ・展覧館の建物には入らず、敷地内の茶と茶器の店に。「国営の茶室」という。説明しながらお茶をふるまう。まず①ウーロン茶の新茶。「家庭では2gで十分。中国では一番茶は飲まないで捨てます。茶葉の温度の問題。三番茶・四番茶と、七番茶がおいしい。」・・・と言いつつ、急須の外側に湯をぶっかけるところから。昨夜同様これが中国の淹れ方。小ぶりで細めの湯呑に盃様の湯呑をかぶせる。飲む前にひっくり返し、まず細めの方で香りを愉しむ。([北]によると<聞香杯>というそうだ。)②ジャスミン茶。「淹れた後広がった花を目の周りに貼ると目に良い。」③バラの蕾。④野生一葉茶。長さ10㎝ほどの1本の黒くて棒状の茶葉。1ℓの湯に漬ける。「便秘に良い。1杯目は苦いが2杯目から→アマイ→ウマイと感じる。2000円。」 M氏によると「京都のダラニスケという漢方薬のようだ。」 ⑤金露茶。噛むと少し海苔のような・・・。「鼻と気管に良い。」⑥ライチ紅茶と、ナツメ+バラ。 ・茶器(急須・湯呑)は昨夜見た木魚石。その他に湯を淹れると黒い絵柄が赤く変わるという湯呑。初めて見た。購入。 ・茶盤の値段をO氏が訊ねたら×万円とか言ってたようだ。[北]によるとこの著者は北京のお茶市場でセット一式1500円ほどで購入したが、同じものが王府井では1万円だったとか。 | |
15:37~15:50 | (バス) | ・「北京の星巴克(スターバックス)は30元だから日本と変わらないでしょう?」 ・三得利(サントリー)の烏龍茶の大きな看板発見。本場にブーメラン販売か。 | |
15:50~16:40 | 中国大飯店・国貿商城 (店④) | ・5つ星ホテル地下の、チャイナワールドショッピングモールと銘打った高級店街。ブランドに疎い私にはどーも・・・。同所にあったスーパーに入る。鉄火巻7.6元、太巻(4つ)6元というのもある。トマト4個5元、バナナ3本約6元。韓国の缶飲料シッケ5.6元の他、韓国の菓子等も。リポビタンDは<力保健>5.8元か。買った物は子供向き小型読み物12.80元、マグカップ7.30元、干しぶどう9.80元。 | |
16:40~16:50 | (バス) | ・車窓から見たもの=電動自転車、<网上银行>という電子銀行の看板。 | |
16:50~18:00 | 東海明珠 (夕食) | ・飲茶の店。<国家特級酒家>とある。営業時間は11:00~14:30と17:00~22:00。飲茶だがお粥・チャーハン等も。赤いカボチャを焼いたものは和菓子風で気に入った。 ・食事の終わる頃合いに扇子やパジャマ、楊枝入れ(4つ\1000)の説明販売。 ・生簀に貝・蟹等。<扇貝・文蛤・青蛤・花蛤・深水螺>等々。 | |
18:00~18:25 | (バス) | ||
18:25~21:24 | 北京空港 | ・予定では北京20:00発。まだまだ時間的余裕がある。表示を見ると19~20時にここから国内各地へ38便ある。複数あるのは上海3便、瀋陽・広州・ハルビンが2便。 ・待合室のテレビを観ていると、ここでも「猟奇的彼女」の紹介。今度は「我的野蛮女友」、なるほど。政府のCM(?)で「居住改変中国」というのをやっていた。今後さらに昔ながらの路地=胡同は消えてゆくのだろう。 ・延吉行きはやはりほとんど韓国人客。「漢字がわからないとなあ・・・」などと話をしている。 ・19:40に飛行機に乗り込む時、大粒の雨。機内、少し臭うかな? 急な雷雨のため離陸はおあずけ。その間の機内、ジャズ風のBGM。よく聴くと山下達郎ではないか。(国際化!) ・何度も肩透かしをくらってやっと21:24離陸。 | |
21:24~23:10 | (空路) | ・22:00に機内食。パンとソーセージ2個。小トマト5個。コーヒーはインスタント風で甘いぞ。 ・機内のハエ1匹も長旅。 | |
23:10~23:25 | 延吉空港 | ・21:40着のはずが90分遅れ。夜遅く、それも地方空港ということで、閑散とした感じ。各表示等がハングル併記であることを確認。「ついにここまで来たぞ!」という感懐。 | |
23:25~23:37 | (バス) | ・マイクロバスは北京のよりやや大きめ。現地ガイドは沈さん。※以下、緑字の「 」は沈さんの話。 ・「延辺朝鮮族自治州は4万2710㎢。人口218万人中朝鮮族が88万人。」 ・人も車も時間のせいか少なく、暗い。 | |
23:37~ | 延吉・白山大厦 | ・ホテルはそこそこ。1FにBarがあり、その看板は<추억 만들기>(思い出つくり)とハングル表記。・一度部屋に入った後、O氏が知人の紹介という当地在住韓国人と待ち合わせて外に飲みに行くのに同行させてもらう。 | |
0:30頃~1:30頃? | (外出) | ・当の韓国人H氏が妹連れでホテルに来る。彼の車(Audi)でブルハートン河にかかる延吉橋を渡ってすぐのビル10F(?)の<??銀座街>という、入ると意外に品のある店へ。 | |
1:30頃 | 白山大厦 |
【10年後の付記】
故宮は、最初の写真のように入口一帯から工事中。ここだけでなく、北京オリンピックに向けて北京が大きく変貌しつつあるさなかでした。東京五輪やソウル五輪の前といろんなことが重なります。
それにしても、天安門広場も故宮も敷地が広い。(なんとありきたりの感想なんだ・・・。) 時間的制約もあり、約1時間半、ただ通り過ぎるだけ。めぼしいものは周知の通り蒋介石が台湾に持って行っちゃったので、今度は台湾に行かなければとその時思い、その後10年まだ行ってないとは・・・。
2日目の夜遅く、やっと延吉にたどりついた時はホントにうれしかったです。そしていよいよ翌日は白頭山だぞ、ふっふっふ。これだけ大きな期待感を持って旅行したことが他にあったかなあ?
この時の旅行でとくに印象に残っているのは、中国国内での飛行機の発着時間の大幅な遅れ。延吉空港着が「90分遅れ」とありますが、後になって思えばそれでもまだマシ(!)だったのでした(^^;)。その後オリンピックの時は改善されたのかな?
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