3つ前の記事(→コチラ)で、映画「暗殺」のポイントは「反日」ではなく、「親日」批判だということを書きました。
それに関連して、この10数年の間の「親日派」をめぐる問題の具体的事例を拾い、考えてみました。とりあえず、それらを時系列で並べてみます。
[2003年]
・国立光州博物館の李健茂(イ・ゴンム)館長を盧武鉉大統領が国立中央博物館長に任命した。すると、彼の祖父の歴史学界の泰斗・李丙燾(イ・ビョンド)の親日行跡議論に関連して批判的な声が上がった。(結局2003~06年中央博物館長在職。)
[2004年]
・当時与党だったウリ党は、野党ハンナラ党の代表となった朴槿恵に対する圧迫手段として、それまで中佐以上とされていた親日真相究明法の対象とされる軍人の階級を少尉以上に引き下げた。これは日本軍の中尉だった朴正煕元大統領をその対象とするのがねらいだった。
・ところが、そのウリ党の議長シン・ギナム議員の父親シン・サンムクはかつては日本名を重光國雄という日本軍憲兵伍長で、その親日行為がメディアで報じられるとシン・ギナムは議長を辞職した。
※シン・ギナム議員の父親の「過去」を明らかにした(保守誌の)「新東亜」の記事(→コチラは現在も読める)、こうした「親日」批判が反対派を攻撃する政治的手段として用いられていることがわかります。
[2005年]
・盧武鉉政権により旧親日派資産を没収するという「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」(→ウィキペディア)が制定された。
[2006年]
・上述の李健茂の兄・李長茂(イ・ジャンム)が国立ソウル大学の総長候補となった時も同様の批判が起こった。「オーマイニュース」は<親日派の子孫、ソウル大学総長に任命は正しいのか?>という記事(→コチラ)を載せている。
※李長茂・李健茂兄弟の祖父李丙燾(イ・ビョンド.1896~1989)は、早稲田大で津田左右吉の薫陶を受けた歴史学者。戦後はソウル大学教授を長く務め、実証的な研究を旨として韓国の近代的歴史学を主導した人物。(→韓国のウィキペディアを見ると、この一族はスゴイです!)
[2014年]
・女性歴史学者イ・インホが新KBS理事長として選任されると、祖父のイ・ミョンセの親日行跡を問題視して新政治民主連合の議員や市民団体から理事長を辞退すべきだとの声が上がった。祖父は儒学者・企業人であり、太平洋戦争で朝鮮人を動員するために作った団体の創立発起人で親日派の巨頭で、民族問題研究所(編)の「親日人名辞典」にも名前が登載されている人物である。
イ・インホはそのままKBS理事長として在任。現在に至っています。→「中央日報(日本語版)」の関連記事(→コチラ)の見出しは<時代に逆行する「新連座制の亡霊」>と追及に批判的なのはやっぱり保守紙。
[2015年]
・ホン・ヨンピョ新政治民主連合議員の祖父ホン・ジョンチョルは、2009年親日・反民族行為真相究明委員会が発表した日本植民地時代末期親日・反民族行為関係者704人の名簿に含まれた。これに対しホン・ヨンピョ議員は8月10日「親日派の子孫として謝罪する」と公開謝罪文を発表した。
彼は「司法連座制はなくなったとしても、日帝の植民地支配に対する国民の胸の中の怒りの傷は癒えていないので機会が届くたびに、事実を明らかにして謝罪し反省することが子孫である私の運命だと受け入れています」と強調した。(→コチラ参照。)
・チン・ソンホ元セヌリ党議員も、「祖父の日帝強制占領期間での行為を国民に対し申し訳ないと考える」とEメールを送ってきた。
・この2人と対照的なのが金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表で、彼は親日行為をした自分の父親の金龍周(キム・ヨンジュ)元全南紡織会長を評伝で愛国の志士として美化している。
※上の3人については8月の「ハンギョレ」の記事<親日反民族行為者の父を美化する韓国与党代表>(→コチラ)の記事による。その見出しの文言からもわかるように金武星代表を厳しく批判しているのに対して、2015年10月の「東亜日報(日本語版)」の記事(→コチラ)は<金武星氏、父親の親日批判に「息子として胸が痛む」>と金武星代表に寄り添った内容になっています。このあたりは進歩系新聞と保守系新聞の図式が即座に読み取れますね。
全体的にみて進歩系の側の「親日派」批判が執拗なのは、先の「暗殺」についての記事にも書いたように、「親日派」批判が現在の保守陣営及び政財界の権力層批判につながるからです。
「ハンギョレ」の記事は「朴槿恵大統領も父親の朴正煕元大統領の親日行為を謝ったことはない」と批判めいた書き方をしていますが、日本だとこのような本人ではなく父親や祖父の所行をもって非難することは筋違いの中傷とみなされるでしょう。韓国でもそのことは若干は意識されているようで、祖父や父の行ったこと自体ではなく、それに対する本人の見方が問題とことわり書きのような書き方をしている例がいくつもありました。
また、池萬元(チ・マヌォン)という元軍人の保守系評論家がいて、ときどきお騒がせな発言をしたりしていますが、その彼が2004年「日帝強制占領下の親日反民族行為真相究明に関する特別法」を批判した発言中で「歴史を評価するためには『何が間違っていたのか』を評価すべきで、『誰が間違っていたか』を評価してはならない」と言っている(→コチラ)のは(私ヌルボも含め)多くの日本人が同感するのではないでしょうか?
ところで、上記のような「親日」論難の各事例ですが、一般的な日本人の考え方にそぐわないのが「今の価値観を過去に遡って適用する」点と、「悪事を行った者の子孫に責を負わせる」点、つまり「遡及法」と「連座制」の問題です。
★「連座」は韓国語では「연좌」。日本の歴史用語では犯罪者の親族に刑を及ぼすのを縁座、それ以外の関係者に及ぼすのを連座と呼んで区別していましたが、今では前者も後者の一部として用いられているようです。韓国語だと縁座の読みも連座と同じ「연좌」で、辞書にも両方の漢字語が載っていますが、→韓国ウィキペディアの説明文をはじめ用例をみてみると一般的に両方の意味を含む語として用いられているようです。
この「連座制」については過去日本にもありました。「連帯責任」といったものは今でも一部に残っていますが、上記の「縁座」は現在ではないのではないでしょうか? ところが韓国や北朝鮮では「親日」問題の他にもあります。
「遡及法」にしても、現代の基準で過去を測るといった思考法はいろんな例が思い浮かびます。
つまり、韓国内の「親日」問題を「反日」感情とだけ関連づけて見るのではなく、もっと広く韓国の伝統的な歴史認識・家族&民族観等といった大枠の中で理解する必要があるのでは、というのが(概してひかえめな性格の)私ヌルボの言いたいことです。
☆洪盛原(ホン・ソンウォン.1937~2008)という作家が1996年に発表した小説「されど」(本の泉社.2010)は、地方の町を舞台に、対立する2つの名望家のそれぞれの先々代が<親日派>だったか<独立功労者>だったかということが、まさに現在の政治に関わる問題として描かれている作品です。しかし、→コチラの記事に書いたように、そうしたレッテルの<貼り方>は問題としていても、レッテルそれ自体の意味は掘り下げられていない点や、50~70年も前の祖父の所業が現代に大きな影響を及ぼしたりしていることを疑問視していない点等々、私ヌルボとしては不満の多い内容でした。
次回は「親日」以外の材料から考えてみます。
→ <韓国の連座制&遡及法を考える② 韓国内での<パルゲンイ(赤)>狩り>
それに関連して、この10数年の間の「親日派」をめぐる問題の具体的事例を拾い、考えてみました。とりあえず、それらを時系列で並べてみます。
[2003年]
・国立光州博物館の李健茂(イ・ゴンム)館長を盧武鉉大統領が国立中央博物館長に任命した。すると、彼の祖父の歴史学界の泰斗・李丙燾(イ・ビョンド)の親日行跡議論に関連して批判的な声が上がった。(結局2003~06年中央博物館長在職。)
[2004年]
・当時与党だったウリ党は、野党ハンナラ党の代表となった朴槿恵に対する圧迫手段として、それまで中佐以上とされていた親日真相究明法の対象とされる軍人の階級を少尉以上に引き下げた。これは日本軍の中尉だった朴正煕元大統領をその対象とするのがねらいだった。
・ところが、そのウリ党の議長シン・ギナム議員の父親シン・サンムクはかつては日本名を重光國雄という日本軍憲兵伍長で、その親日行為がメディアで報じられるとシン・ギナムは議長を辞職した。
※シン・ギナム議員の父親の「過去」を明らかにした(保守誌の)「新東亜」の記事(→コチラは現在も読める)、こうした「親日」批判が反対派を攻撃する政治的手段として用いられていることがわかります。
[2005年]
・盧武鉉政権により旧親日派資産を没収するという「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」(→ウィキペディア)が制定された。
[2006年]
・上述の李健茂の兄・李長茂(イ・ジャンム)が国立ソウル大学の総長候補となった時も同様の批判が起こった。「オーマイニュース」は<親日派の子孫、ソウル大学総長に任命は正しいのか?>という記事(→コチラ)を載せている。
※李長茂・李健茂兄弟の祖父李丙燾(イ・ビョンド.1896~1989)は、早稲田大で津田左右吉の薫陶を受けた歴史学者。戦後はソウル大学教授を長く務め、実証的な研究を旨として韓国の近代的歴史学を主導した人物。(→韓国のウィキペディアを見ると、この一族はスゴイです!)
[2014年]
・女性歴史学者イ・インホが新KBS理事長として選任されると、祖父のイ・ミョンセの親日行跡を問題視して新政治民主連合の議員や市民団体から理事長を辞退すべきだとの声が上がった。祖父は儒学者・企業人であり、太平洋戦争で朝鮮人を動員するために作った団体の創立発起人で親日派の巨頭で、民族問題研究所(編)の「親日人名辞典」にも名前が登載されている人物である。
イ・インホはそのままKBS理事長として在任。現在に至っています。→「中央日報(日本語版)」の関連記事(→コチラ)の見出しは<時代に逆行する「新連座制の亡霊」>と追及に批判的なのはやっぱり保守紙。
[2015年]
・ホン・ヨンピョ新政治民主連合議員の祖父ホン・ジョンチョルは、2009年親日・反民族行為真相究明委員会が発表した日本植民地時代末期親日・反民族行為関係者704人の名簿に含まれた。これに対しホン・ヨンピョ議員は8月10日「親日派の子孫として謝罪する」と公開謝罪文を発表した。
彼は「司法連座制はなくなったとしても、日帝の植民地支配に対する国民の胸の中の怒りの傷は癒えていないので機会が届くたびに、事実を明らかにして謝罪し反省することが子孫である私の運命だと受け入れています」と強調した。(→コチラ参照。)
・チン・ソンホ元セヌリ党議員も、「祖父の日帝強制占領期間での行為を国民に対し申し訳ないと考える」とEメールを送ってきた。
・この2人と対照的なのが金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表で、彼は親日行為をした自分の父親の金龍周(キム・ヨンジュ)元全南紡織会長を評伝で愛国の志士として美化している。
※上の3人については8月の「ハンギョレ」の記事<親日反民族行為者の父を美化する韓国与党代表>(→コチラ)の記事による。その見出しの文言からもわかるように金武星代表を厳しく批判しているのに対して、2015年10月の「東亜日報(日本語版)」の記事(→コチラ)は<金武星氏、父親の親日批判に「息子として胸が痛む」>と金武星代表に寄り添った内容になっています。このあたりは進歩系新聞と保守系新聞の図式が即座に読み取れますね。
全体的にみて進歩系の側の「親日派」批判が執拗なのは、先の「暗殺」についての記事にも書いたように、「親日派」批判が現在の保守陣営及び政財界の権力層批判につながるからです。
「ハンギョレ」の記事は「朴槿恵大統領も父親の朴正煕元大統領の親日行為を謝ったことはない」と批判めいた書き方をしていますが、日本だとこのような本人ではなく父親や祖父の所行をもって非難することは筋違いの中傷とみなされるでしょう。韓国でもそのことは若干は意識されているようで、祖父や父の行ったこと自体ではなく、それに対する本人の見方が問題とことわり書きのような書き方をしている例がいくつもありました。
また、池萬元(チ・マヌォン)という元軍人の保守系評論家がいて、ときどきお騒がせな発言をしたりしていますが、その彼が2004年「日帝強制占領下の親日反民族行為真相究明に関する特別法」を批判した発言中で「歴史を評価するためには『何が間違っていたのか』を評価すべきで、『誰が間違っていたか』を評価してはならない」と言っている(→コチラ)のは(私ヌルボも含め)多くの日本人が同感するのではないでしょうか?
ところで、上記のような「親日」論難の各事例ですが、一般的な日本人の考え方にそぐわないのが「今の価値観を過去に遡って適用する」点と、「悪事を行った者の子孫に責を負わせる」点、つまり「遡及法」と「連座制」の問題です。
★「連座」は韓国語では「연좌」。日本の歴史用語では犯罪者の親族に刑を及ぼすのを縁座、それ以外の関係者に及ぼすのを連座と呼んで区別していましたが、今では前者も後者の一部として用いられているようです。韓国語だと縁座の読みも連座と同じ「연좌」で、辞書にも両方の漢字語が載っていますが、→韓国ウィキペディアの説明文をはじめ用例をみてみると一般的に両方の意味を含む語として用いられているようです。
この「連座制」については過去日本にもありました。「連帯責任」といったものは今でも一部に残っていますが、上記の「縁座」は現在ではないのではないでしょうか? ところが韓国や北朝鮮では「親日」問題の他にもあります。
「遡及法」にしても、現代の基準で過去を測るといった思考法はいろんな例が思い浮かびます。
つまり、韓国内の「親日」問題を「反日」感情とだけ関連づけて見るのではなく、もっと広く韓国の伝統的な歴史認識・家族&民族観等といった大枠の中で理解する必要があるのでは、というのが(概してひかえめな性格の)私ヌルボの言いたいことです。
☆洪盛原(ホン・ソンウォン.1937~2008)という作家が1996年に発表した小説「されど」(本の泉社.2010)は、地方の町を舞台に、対立する2つの名望家のそれぞれの先々代が<親日派>だったか<独立功労者>だったかということが、まさに現在の政治に関わる問題として描かれている作品です。しかし、→コチラの記事に書いたように、そうしたレッテルの<貼り方>は問題としていても、レッテルそれ自体の意味は掘り下げられていない点や、50~70年も前の祖父の所業が現代に大きな影響を及ぼしたりしていることを疑問視していない点等々、私ヌルボとしては不満の多い内容でした。
次回は「親日」以外の材料から考えてみます。
→ <韓国の連座制&遡及法を考える② 韓国内での<パルゲンイ(赤)>狩り>
それから韓国メディアの日本語サイトなどを見ていていつもそのまま漢字語を当てているだけなので気になるのですが、「論難」という言葉は韓国語と日本語とでは全く意味が異なっていますよね。
上の標準国語辞典によると、「互いに異なる様々な主張をして争うこと」となっており、参考の語彙として「論争」が挙げられています。実際のニュースなどでは、やや批判的なニュアンスも含んでいるような気がしますけれども、いつも私はこの韓国語の「論難」という言葉は自動的に頭のなかで「論争」と読み替えています。
一方の日本語では「論難」は「相手の不正や誤りを論じて非難すること。「論難をあびせる」」(広辞苑第五版)となっており、「論争」といった意味合いはなく、非難・批判などとほぼ同義であると思われます。
いつもながらに細かいことで失礼いたしました。
連坐・縁坐については、私も標準国語辞典と同じ説明文のNAVER辞典を見たのですが、縁坐があるのをうっかり見落としてしまいました。訂正しておきます。
論難の日韓の意味の違いも知りませんでしたが、今NAVER辞典を引くと「総がかりで互いに異なる主張を述べたてること」とあるので、やはり一方的な非難ではないのですね。
上の記事では、私は(翻訳ではなく)日本語として用いたので、そのままにしておきます。「親日を非難されている側の反論はさほど強くもないようですし・・・。)