愛は夜桜の下で。。。

昨年、1935(昭和10)年4月末のある晩、名前や身分は後で判ったのですが名古屋市会議員で中京商業の校長先生である大宮五郎さんが宴会の帰りに、他の料理屋の女中を連れて私が女中として働いていた料理屋「寿」へ来ました。
大宮五郎先生のその女中に対する態度が誠に紳士的であり、どことなくキリッとしていたので初めて会ったのですが立派な人だと惚れてしまいました。
4、5日後、今度は先生一人でお出になり水菓子等を食べながら私の身の上話を聞きたがるものですから哀れっぽい調子で同情を惹くように、東京の生れだが9つになる女の子を残されて亭主に死なれ子供を育てるためにこんなことをしていると出鱈目を言ったところ、先生は子供に何か買ってやりなさい、と言って十円くれました。
良い人だと思い、ますます惚れてしまいました。
先生は4、5日後、また一人で和服で来ましたから私に気があるに違いないと思い子供の話をしながら先生の膝に伏して涙を流すと、「そんな所へ手をやってはいけない、男だから変な気持ちになる」と、言いましたからこの時だと思い、色っぽい様子をしてなお先生にもたれかかると、先生は私を抱きしめましたので、そのまま先生を倒して関係を持ちました。
その晩、先生は将来面倒を見てやってもよいから真面目にしておれと言いました。
。。。
何となく名古屋が飽きたので6月、先生には子供が死んだから東京に帰るが松川旅館気付で手紙を出すからと言い先生から50円もらって東京に帰りました。
当時、下谷に移った稲葉家へ行き10日ばかりブラブラ遊んでいましたが、元妾をした笠原が私を結婚詐欺だと告訴し、刑事が調べに来ました。
うるさく感じたので、以前知り合った浜町の淫売屋木村博さんの所で、田中加代という偽名を使って働き始めました。
客席では田中きみと名乗って高等淫売し、大宮先生には木村方に居るから来て下さいと手紙を出しました。
すると昨年6月中旬に、先生が木村方に私を訪ねて来ましたから先生には木村方は姉の家だと言い、その日は品川の「夢の里」へ行き2時間位遊び浅草で活動見物しました。
夕食を一緒にとってから、その晩先生は名古屋へ帰りましたが、この時30円もらいました。
その後も私は木村方におりましたが主人の木村と関係が出来ました。
やがて内縁の妻、金子静の知るところとなり、焼餅をやき家の中がゴタゴタし始めました。
木村は大変な道楽者で、正妻の秀さんは木村の道楽にほとほと嫌気がさして亭主と金子とを同居させ自分は近所に別居して居たのです。
今度私と木村と関係が出来てゴタゴタしたので、見かねて正妻の秀さんが仲に立って二人を秀さんの二階に同居させてくれました。
私はその時から淫売を止めました。
ところが7月中旬のある夕方、金子静が大宮先生が来て居ると私を迎へに来ました。
静さんの家に行くともう3時間も居るとのことでした。
私は嬉しく、早速支度して先生と汽車で熱海に行き「玉の井」旅館に泊りました。
先生は静さんから色々話を聞いたようでした。
「お前は淫売をしても人の亭主を取っても俺は驚かない。初めから良い事をしている女ではないと思っていたが何とか救ってやりたい、ぜひ真面目になれ。俺は名前こそ話さないがお前の将来は必ず引受けてやる」
そう言って、夜通し意見してくれました。
初め先生に対する気持は一時の浮気程度でしたが、非常な潔癖性で寝間での女の扱いもうまくはなく、面白くなかったので私は頼りなく思って居たのです。
でも、今度もわざわざ私を尋ねて来てくれたのだし、万事親切で私と会うと誠心誠意私を良くしようと意見してくれるので、この時シミジミ有難く思いました。
先生の気持ちに動かされて将来は真面目になって先生に頼ろうと決心し、翌日沼津まで送り涙で別れました。
この時先生から30円もらい私はそれ以来淫売生活からすっかり足を洗いました。
東京では木村家には行かず、稲葉家の世話になり煙草も断(た)とうと思って近所の御祖師様へお百度参りしました。
。。。
11月11日にようやくの思いで先生に会ひましたが忙しいからと言い一時間位で別れ100円頂きました。
その時の約束で11月16日豊橋で会い一日ゆっくりして50円もらい東京に帰り、間もなく大阪で会った時身体に腫物が出来て困ると言ったら
「過去の荒れた生活が悪いのだ。梅毒だろうから草津へ湯治に行ったらいいだろう」
そう言って250円くれたので昨年11月下旬から今年(1936)1月10日頃まで草津に行っておりました。
草津に一度先生が来ましたが、私が煙草を吸わなくなったのを知って驚いておりました。
先生は一晩泊りましたが布団2つ敷き、私が寄っても今日は疲れて居ると言い関係しませんでした。
その時、私に夫婦や女の道を話して聞かせてくれました。

「夫婦は生活本意で、色事は夫婦の交りのためとは言え第二の問題である。
男女間でも色事は第二でなければならない。心と心と触れ合って居ればそれで満足しなければならない。
俺はお前を見ればそれで安心するのだ。
お前は手を握っても直ぐ眼の色を変えるほど色情が強過ぎる。
男女一緒に寝ても自制出来るぐらい修養しなければならない。
俺は関係しないと思えば絶対関係しない」
先生は、そう言いました。私は実につまらないと思いましたが、意志の強い立派な人だとも思いました。
翌日一緒に伊香保に行き泊り、先生はその翌日の昼頃に帰りました。
私に100円小遣を置いて行きました。
伊香保で先生から「お前はどことなく温和しくなり口の利き方も変った」と言われた時はとても嬉しく思い、今でも忘れません。
先生は以前から「お前は真面目になって何か商売を始めた方がよい、今年の暮からおでん屋のような小料理屋を始めるように今からどこかへ奉公して料理を習ったらどうか」と言っていたので私もその気になっていました。
草津から東京へ帰り荏原区上神明町の姉のタカの家や下谷の稲葉の家に居りましたが今年2月1日、新宿の紹介業「日の出屋」へ儲けは少くてもよいから真面目な所へ世話をして下さいと申込みました。
中野区新井町×××割烹吉田屋を紹介してくれました。
石田吉蔵(42歳)が主人でした。私は女中となって働き始めたのです。
今年3月3日、先生は上京して姉に聞き、電話で私に東京駅に来いと言ってきましたから飛立つ思いで一時暇をもらい、その晩先生と新宿の明治屋に泊りました。
先生は頭をグリグリに刈っておりました。
「今度3ヵ月ばかり東京に滞在し青年の気分で勉強する心づもりだから、その間はお前と関係はしない。
その代り勉強が済んだら塩原へ連れて行こう」
先生は、そう言ったのです。
「貴方のように冷淡では私はやり切れません。1ヵ月も2ヵ月も男に接しないではとても堪(たま)らない」
私が、そう言うと先生は私に色男があるものと思い込んで居るらしく、それを信用しないで次のように言ったのです。
「お前は現在俺の独占物ではないのだから何をしてもよいが、商売でも始めたら真面目にならなければならない。
その時、色男があったら俺に話せ、人物試験した上でよければ仲介して夫婦にしてやる、妹だと思って死んでも世話をする」
私は情交では先生一人で満足しませんでしたが、その真実味に感謝して今でも忘れる事が出来ません。
石田に熱中した時、なぜ、先生を思い出さなかったのか?。。。と悔やまれました。
とにかく、その先生の話を聞き、これから時々先生と会えるし、塩原へ行くことが楽しみで吉田屋に帰ってから石鹸箱や化粧品を買ってその準備をしておりました。
その道具を今度は刑務所で使うとは何という廻り合せだろうと思っています。
『自伝・阿部定の生涯 その2』より
デンマンさんは、定さんがあたしに似ているとおっしゃいましたよね。
そうですよ。良いところも悪いところもレンゲさんと定さんは、よく似ていると思いますよ。
どのようなところが。。。ですか?
(28歳の)頃から情事に快感を覚え一人寝は淋しくてなりませんでした。
。。。
男と関係を持っていないと気がイライラするので、当時お医者さんに診察してもらった事がありました。
普通、このような性的な問題は、女性は余り口にできないものですよ。僕はこれまでに知り合った女性の事を考えて、そういう印象を持っていますよ。性的なことをあからさまに話す女性は極めてまれですよ。
つまり、あたしはそのようなまれな女だとおっしゃるのですか?
そうですよ。性的な問題を率直に語れると言うのは“両刃の剣”ですよ。

つまり、プラスの面を持っていると同時に、悪い面も持っているということですよ。レンゲさんは素直で正直で実にすばらしい女性だと思いますよ。僕がレンゲさんに惹かれたのはまさに、そういうレンゲさんの素直なところだったんですよ。あなたが書いた投稿や日記や詩を読んで僕は感銘を受けましたからね。。。
あらぁ~~、本当に感銘を受けてくださったのですかああああ。。。。
ホラ、ホラ、。。。また、そのように夢見る乙女のような、濡れたまなざしで僕を見つめないでくださいよ。レンゲさんは、両極端なんですよ。僕をこき下ろす時には河内弁丸出しで、女番町になったかと思うほど、すっご~♪~い口調で喚(わめ)き散らしますからね。。。でも、ちょっと甘い言葉をかけたり、持ち上げると、すぐに夢見る女学生のようなまなざしで僕を見ますね?
そうではありませんてばあああああ。。。また、あたしの16才の写真を持ち出してええええ。。。
そんなに “あ” と “え” を延ばさなくてもいいでしょう?
デンマンさんは、絶対にロリコンですわああああ~~~
レンゲさんは、何が何でも僕を“ロリコン、シュガーダディー(sugar daddy)”にしたいんですね?
だって、デンマンさんって、そういうところがありますねん。

僕はね、レンゲさんの中に“女っぽい”熟女の面をちゃんと、こうして見ているんですよ。
それで、あたしの悪い面というのは何なんですの?
率直さが、時には行動にまで現れてしまうんですよねぇ~。それも軽率に。。。後先(あとさき)のことをじっくりと考えないで。。。
どういうことですか?
定さんが次のように書いていたでしょう?
先生は4、5日後、また一人で和服で来ましたから私に気があるに違いないと思い子供の話をしながら先生の膝に伏して涙を流すと、「そんな所へ手をやってはいけない、男だから変な気持ちになる」と、言いましたからこの時だと思い、色っぽい様子をしてなお先生にもたれかかると、先生は私を抱きしめましたので、そのまま先生を倒して関係を持ちました。
あたしも、定さんのように性的に積極的なところがあるとおっしゃるのですか?
だから、それも決して悪いとばかりは言えないんですよ。冷凍になったマグロのように、じっとして横たわっている女性よりも、多少は定さんのように役者っぽいところを見せてもいいですよ。
だったら、少しぐらいは積極的でも言い訳ですのね?
そうですよ。。。そうなんですよ。。。でもね、。。。
なんですの?
レンゲさんの場合には、役者も顔負けですからねぇ~。。。
あたしが演技派だとおっしゃるのですか?
そうですよ。僕はレンゲさんが女優としても間違いなく成功するだろうと思っているほどですよ。
あたしって、それほど演技をした事でもありますの?
あれは演技で出来るものでもありませんよ。レンゲさんは、すっかりなりきっていましたからね。
だから、あたしがどうしたとおっしゃるのですか?んも~~
去年の真夏の夜の出来事ですよ。覚えているでしょう?
レンゲさんは下心はなかったかもしれないけれど、誤解を与えますよ。
どうしてですかあ~?

いけませんか?
ダメだとは言わないけれど、。。。その上にガウンかなんかを羽織ったらどうですか?
夏でした。
それは分かるけれど、確か、。。。午前1時ごろでしたよ。。。。暑くはなかったですよ、むしろ涼しいくらいでしたよ。
だって、あたし、これでいつも寝ていたんです。
しかし、あなたは自分のアパートではワンピースを着たままで寝ていたと言ったでしょう。。。?
デンマンさんが、こういうベビードルのナイティー(nightie)が好きだと言っていたので買ったんです。
そんな事を言った覚えはないけどなあァ~。。。
おっしゃいましたわああああ!
それで見せに来たというわけですかァ~?
そういうわけではありません。デンマンさんには無様(ぶざま)な姿はお見せしたくありませんでしたから、デンマンさんが好きだとおっしゃっていたナイティーを買って着ていたんです。
とにかく、あなたは僕がびっくりするような事をするからねぇ~。んも~~。。。風呂場の逆立ちの次がこれだったんですよ。
デンマンさんが、お部屋に入ってもよいとおっしゃいましたわ。
そうするより他にないでしょう。あなたは怖い夢を見て眠れなくなったと言って入って来たんですよ。30才になろうとする女性が“怖い夢を見て眠れない。 だから、一緒のお部屋に居させてくれ”。。。そんなことを言われたら、何も知らない男なら“据え膳”だと思いますよ。
デンマンさんも、そう思われたのですか?うふふふ。。。。
うふふ、じゃないですよォ~。僕は内心では、ぶったまげていましたよ。
でも、ポーカーフェースを通していましたわ。
もちろんですよ、冷静にならねばいけない、と自分に言い聞かせていましたからね。その一方で来るものが来たかァ~。。。とも思いましたよ。レンゲさんの“幼児的なふれあい”へのあこがれが、こういう形になって現れたんだと思ったわけですよ。あなたは、僕のベッドの中にもぐりこんで、ニィーと笑ってんですからねぇ~。。。全く、憎めないところがありますよォ~。
デンマンさんは、それから2時間もあたしをかまってくれませんでしたわね。ほったらかしでしたわァ~。
そのうち眠ってくれるだろうと思ったわけですよ。しかし、眠らないんですよねぇ~。そろそろ眠ったかなあァ~と思って、そっと振り返って見てみると、あなたはベッドの中でしっかりと眼を開いて僕の方を見ている。僕がニヤッと笑って見せても、もうあなたは笑わない。。。。潤んでいる目で訴えるように僕を見つめているんですからねぇ~。。。僕は本当に迷いましたよ。あなたを残してリビングのソファーでも眠ろうものなら、また人種差別をしていると言われかねない。。。だから、もう観念して僕もあなたの隣に横になりましたよ。
2時間も待たせたんですよ。
レンゲさんが勝手に眠らずに待っていただけですよ。
『あたしは、どのように愛せば良かったのでしょうか?』より