愛と無常
手を離さないで
果つる世に
ともにありたし
息絶えて
つなぐ手と手の
離れぬままに
by merange (めれんげ)
2006.10.19 Thursday 00:42
comments(674) | trackbacks(1)
(2008年10月12日午前7現在)
『即興の詩 手を離さないで』より
デンマンさん。。。、また今日も、この短歌ですか?
この短歌ですかって。。。よく覚えていますねぇ~?
だってぇ、次の記事でデンマンさんが取り上げた短歌と同じものですわ。
■ 『愛は命の次に… (2008年10月14日)』
確かにそうですよう。。。それにしてもレンゲさんは、よく覚えていますねぇ~?
4日前の事ですもの。。。覚えていますわよう。どうしてまた取り上げたのですか?
気になることがあって。。。
いったい、何が気になるのですか?
ちょっと歌の感じが、あまりにも古風というか。。。時代がかっているでしょう?。。。この世では思いがかなわないので、あの世で恋を成就(じょうじゅ)しようと言うような。。。僕はめれんげさんの上の短歌を読みながら近松門左衛門の世界を考えていたのですよう。
近松門左衛門ですか?
そうですよう。あの『心中天の網島』ですよう。
心中天網島
(しんじゅうてんのあみじま)
紙屋の治兵衛は二人の子供と女房がありながら、曽根崎新地にあった当時の高級クラブ「紀伊国屋」の遊女(高級ホステス)小春とおよそ三年にわたる馴染み客になっていた。
小春と治兵衛の仲はもう誰にも止められぬほど深いものになっており、見かねた店の者が二人の仲を裂こうとあれこれ画策する。
離れ離れになるのを悲しむ小春と治兵衛は二度と会えなくなるようなら、その時は共に死のうと心中の誓いを交わした。
ある日小春は侍の客と新地の「河庄」(別の高級クラブ)にいた。
話をしようにも物騒な事ばかりを口にする小春を怪しみ、侍は小春に訳を尋ねる。
小春は「馴染み客の治兵衛と心中する約束をしているのだが、本当は死にたくない。だから自分の元に通い続けて治兵衛を諦めさせて欲しい」と頼む。
開け放しておいた窓を閉めようと小春が立った時、突然、格子の隙間から脇差が差し込まれた。
それは小春と心中するために脇差を携え、店の人々の監視を掻い潜りながらこっそり「河庄」に来た治兵衛だった。
窓明かりから小春を認めた治兵衛は窓の側で話の一部始終を立ち聞きしていたのだ。
侍は治兵衛の無礼を戒めるために治兵衛の手首を格子に括り付けてしまう。
すると間が悪いことに治兵衛の恋敵である伊丹の太兵衛が「河庄」に来てしまう。
治兵衛と小春を争う太兵衛は治兵衛の不様な姿を嘲笑する。
すると治兵衛を格子に括った侍が今度は間に入って治兵衛を庇い、太兵衛を追い払った。
実は武士の客だと思ったのは侍に扮した兄の粉屋孫右衛門だった。
商売にまで支障を来たすほど小春に入れ揚げている治兵衛に堪忍袋の緒が切れ、曽根崎通いをやめさせようと小春に会いに来たのだった。
話を知った治兵衛は怒り、きっぱり小春と別れる事を決めて小春から起請文を取り戻した。
小春はもう治兵衛と縁を切る気持になっていた。
嫌いになったのではない。
治兵衛の妻おさんから「どうか夫の命を救って下さい」と身を案じる手紙を内々に受け取っていたからだ。
おさんは2人の関係を知っていて、心中されることを恐れていたのだ。
小春は別れることで治兵衛の命を救うことにする。
彼女は治兵衛に理由を話さず「心中が嫌になった」とだけ告げた。
突然の心変わりが理解できず「この裏切り者!」と治兵衛は激しく罵るのだった。
彼はまた、人づてに成金の太兵衛が小春の身請け(遊女を店から大金で買って自由にすること)を狙っていると聞いてパニックになる。
それから10日後、きびきびと働く妻のおさんを見ながらも治兵衛はどうにも仕事に精が出ず、炬燵に寝転がってばかりいた。
その時、治兵衛の叔母と孫右衛門が小春の身請けの噂を聞いて治兵衛に尋問しに紙屋へやって来た。
ここ10日間、治兵衛は何処にも行っていない、身請けしたのは恋敵の太兵衛だという治兵衛とおさんの言葉を信じ、叔母は治兵衛に念のため、と起請文を書かせると安心して帰っていった。
しかし叔母と孫右衛門が帰った後、治兵衛は炬燵に潜って泣き伏してしまう。
心の奥ではまだ小春を思い切れずにいたのだ。
そんな夫の不甲斐無さを悲しむおさんだが、「もし他の客に落籍されるような事があればきっぱり己の命を絶つ」という小春の言葉を治兵衛から聞いたおさんは彼女との義理を考えて太兵衛に先んじた身請けを治兵衛に勧める。
おさんは自分が出した手紙のことを正直に話し、「小春さんを死なせては女同士の義理が立たない」と治兵衛に語る。
商売用の銀四百匁と子供や自分のありったけの着物を質に入れ、小春の支度金を準備しようとするおさん。
しかし運悪くおさんの父・五左衛門が店に来てしまう。
日頃から治兵衛の責任感の無さを知っていた五左衛門は直筆の起請文があっても治兵衛を疑い、おさんを心配して紙屋に来たのだ。
当然、父として憤った五左衛門は無理やり嫌がるおさんを引っ張って連れ帰り、親の権利で治兵衛と離縁させた。
おさんの折角の犠牲も全て水の泡になってしまったのだった。
望みを失った治兵衛は虚ろな心のままに新地へ赴く。
小春に会いに来たのだ。
別れた筈なのにと訝しがる小春に訳を話し、もう何にも縛られぬ世界へ二人で行こうと治兵衛は再び小春と心中する事を約束した。
小春と予め示し合わせておいた治兵衛は、蜆川から多くの橋を渡って網島の大長寺に向かう。
そして1720年10月14日の夜明け頃、二人は俗世との縁を絶つために髪を切る。
「同じ場所で死んではおさんさんへ義理が立たないので、離れた場所で死にましょう」と小春は言う。
治兵衛は小春の喉首を刺し、自らはおさんへの義理立てのため、付近の水門で首を吊った。
1969年(昭和44年)には、篠田正浩監督により映画化された。
治兵衛には二代目中村吉右衛門、おさんに岩下志麻を起用し、通常の劇映画と異なる実験的な演出で、人形浄瑠璃や歌舞伎の雰囲気を色濃く漂わせる作風となっている。
『自由と無関心 (2008年1月17日)』より
めれんげさんの短歌が、治兵衛と小春が心中する直前に詠んだ歌のように思えたのですよう。
マジで。。。?
もちろん、僕は大真面目ですよう。
めれんげさんの短歌が、それ程思いつめて書いたように感じられたのですか?
だって、そうでしょう。。。この世ではどうにもならないから、あの世に行って思いを遂げようという訳ですよう。
デンマンさんは、そういう生き方がイヤなのですか?
もちろんですよう。第一、あの世なんて僕には信じることができませんからね。
“生きているうちが花だよ。
死んで花実が咲くものか!”
生きていればこそ良いこともある。死んでしまったのでは再び良いことに巡り会うことは出来ない。死んだらお終(しま)いですよう。
でも、生きていたからって良い事だけがあるわけではありませんわ。
だから、悪い事、嫌な事をする必要はないのですよう。
でも、口で言うように、なかなか思い通りに行かないものですわ。
レンゲさんが言うことも良く分かりますよう。そう言えば、卑弥子さんと『心中天の網島』のことで語り合った事があるのですよう。その時の対話を書き出してみます。レンゲさんも読んでみてください。
あの世にしか救いはないのか?
治兵衛を見てくださいよ。吐き気を催(もよお)させるほど嫌な生き方をしているじゃありませんか!現代人が見たら、おそらく、ほとんどの人が治兵衛をだらしない男、不甲斐ない男だと思うでしょうね。。。しかも、最後に小春を殺して自殺するのですよ。僕にはとても受け入れる事ができない生き方ですよ。
もし、その時デンマンさんが生きていたとして治兵衛さんの立場に居たとします。デンマンさんはどうするのでござ~♪~ますか?
小春をつれて長崎に行きますね。それでオランダ商館に逃げ込んでオランダへ連れて行ってもらいますよ。
もしオランダ商館の人がダメだと言ったら?
そしたら長崎の中国人の家に頼み込んで、しばらく中国語を勉強させてもらって、それから中国人に成りすまして小春を男装させ、船員になって日本を脱出しますよ。
デンマンさんならば、やりそうでござ~♪~ますわぁ~。おほほほほ。。。
とにかくねぇ、しばらくぶりに日本に戻ると、僕は現在でも自分の身の回りに、この“義理と封建制”を感じますよ。
たとえば。。。?
本音は、しばしば正直に表現されない。たいていの人が社会・立場から期待・要求されるように行動していますよ。つまり、本音で生きている人は極めて少ない。
具体的には。。。?
“礼儀”だとか、“近所付き合い”とか、“親戚付き合い”、“しきたり”。。。それに、“家族の期待”、“両親の期待”、“世間からどう見られるか?思われるか?”。。。カナダやアメリカならば、考えなくても良いことで悩んでいる人が日本にはたくさん居ますよ。もちろん、上の例のような“禁じられた恋愛”もある。でも、江戸時代のように心中する人はほとんど居なくなりましたよね。そこまでしなくても、最近では、好きな人と同棲する事は、それ程難しい事ではない。
江戸時代には、好きな人と同棲する事はできなかったのでござ~♪~ますか?
だから、そうしようとすると、家族が寄ってたかって、上のような事件になってしまうのですよ。それでも江戸時代には情死(心中)が美化されていたのですよ。それがロマンになっていた。つまり、好きな人ができて、それが“禁じられた恋愛”であれば、相手と結ばれるには心中する以外になかった。僕のように長崎に行って密航しようと思っても、当時の日本には関所があるから、家出した時点で手配書が関所に配られてつかまってしまうかもしれない。だから、確かに、心中する以外に方法が無かったのかもしれませんよね。心中した者の名鑑が発行されるほど心中事件が多かった、と書いてありますよ。この風潮を憂えた江戸幕府は『心中は社会秩序を乱す行為』として心中禁止令を出した。
未遂に終わった場合はどうなるのでござ~♪~ますか?
たとえ未遂に終わったとしても、当事者は町中でさらし者にされた後、身分を奪われた。死亡した場合、亡骸は罰として家族に引き取らせなかった。野犬や野鳥が食い荒らすままにしたというのですよ。
それは、ちょっとひどすぎますわア。
それでも心中事件は無くならなかったのですよ。つまり、上のような“禁断の愛”の場合、唯一の窮地からの解決策が心中だったのですよ。
現在は、そう言う事が無くなって、幸せな時代になったわけでござ~♪~ますわね。
いや、今でも日本は本音と建前の社会ですよ。
そうでしょうか?
その証拠に先進国の中で自殺者が日本は一番多いのですよ。1年に3万人以上。1日に約100人の人が自殺しているのですよ。つまり、1時間に4人が自殺しているのですよ。
どうしてですの?
自殺する以外に解決策が見出せないと思ってしまう社会が現在の日本だからですよ。心中は江戸時代に比べて確かに少なくなったけれど、本音で生きる事が難しい事に変わりがないのですよ。つまり、本音で生きてゆけないから、唯一の窮地からの解決策が自殺ですよ。
『本音と小百合さん (2008年1月11日)』より
現在は江戸時代から比べれば、本当に自由な時代だから、確かに心中する人は極めて稀になりました。
良い時代になりましたわね。
レンゲさんも、そう思いますか?
もちろんですわ。
おそらく『心中天の網島』を読めば、めれんげさんだって江戸時代から比べれば、現在の日本は自由な世界だと思うのですよう。
そうでしょうね。
でも、それなのに、めれんげさんは治兵衛と小春が詠むような短歌を詠む。なぜ。。。?だから僕は気になったのですよう。
どうしてでしょうか?
レンゲさんは他人事のように言いますねぇ~。。。?
だって、あたしは、めれんげさんのような短歌は詠まないと思いますわ。
いや、レンゲさんだってめれんげさんのような短歌を詠みますよう。
あたしが詠まないと言っているのですから、信じてくださいな。
でもね、僕はレンゲさんの無常観について読んだことがある。
あたしが、そのような事を書いていました?
書いていましたよう。ちょっと読んでくださいよう。