引っ越し大騒動(PART 1)
Subj:今朝はいつより早く起きました。
\(@_@)/ きゃはははは。。。
Date: 10/12/2009 11:16:21 AM
Pacific Standard Time
(日本時間:12月11日金曜日午前4時16分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com
最近、午前5時か6時ごろまで本を読んでいるので、
起きるのがお昼を越えていることも珍しくありませんでした。
夕べは小百合さんにメールを出してから、
これまで書いた記事を読み返して
それから井上靖の『風林火山』を読んで寝たのが午前3時20分でした。
今朝は午前10時に起きました。
オレンジもなくなってしまい。
今日はデンマン・モールへ食料の買出しに行かねばなりません。
あるのはコーヒーと米だけです。
\(^Д^)/ ギャハハハハ。。。
小百合さんもできるだけ早めに仕事の悩みは忘れ、
人生に有意義なことをしてください。
それから、子供のことでは、いつも子供の味方で居てあげてね。
学校の問題では、学校の先生にも半分の責任があります。
子供の担任の先生に理解力が無かったのですよね。
先生にも間違いなく問題がありますよう!
僕はブログにも書きました。
■『幸福の谷(2008年4月6日)』
■『母親心(2009年7月24日)』
先生は、安定した職業として中小企業に就職するよりも良いと思って、
安易に先生になる学生が増えた。
本当に意欲を持って生徒に教えようとする先生が我々が子供の頃よりも、確実に減っているのですよう。
小学校、中学校を振り返って、僕は良い先生にめぐり合えたと天に感謝しています。
だから、せめて、小百合さんだけは、いつでも子供の味方で居てあげてね。
僕の弟も問題を起こしましたが、お袋は常に弟の味方でした。
だから、弟は自殺しなかった。
生きていれば、
人間は再起が可能です!
とにかく、あまり心配しないで、小百合さんも充実した人生を送ることの方をしっかりと考えてください。
金にがめつい“おっさん”とやりあっても人生は豊かにはなりません。
お金で済むことは、お金で済ませればそれで事足ります。
“おっさん”も、命まではとらないのですからね。。。
\(@_@)/ きゃはははは。。。
それよりも軽井沢で癒されてください!
小百合さんが軽井沢タリアセン夫人として夢とロマンに満ちた充実した人生を送れるように応援しますう。
では。。。
(\__/)
(+'.'+)
(")_(")
じゃあねぇ~
件名:Go! Go! Skiing!
日付: Fri, 11 Dec 2009 21:22:50 +0900 (JST)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"
Thanks
I had enjoyed to talk with you by overseas call.
New year is come soon.
please take a good care of yourself.
I'm OK, stronger than you.
Go! Go! Ski ski!
自宅より 21:22
さゆり
デンマンさん。。。どうして小百合さんは英語で返信を書いたのでござ~♪~ますか?
多分、軽井沢駅のキオスクか軽井沢町の図書館で下書きを書いておいたのですよう。
軽井沢駅のキオスクと軽井沢の図書館では、日本語が使えないのでござ~♪~ますか?
見るだけに設定してあるらしいのですよう。
どうして。。。?
日本語が書けるようにしておくと、一人が1時間も2時間もパソコンを占有してしまう。長い待ち行列ができてしまうからですよう。
でも、上のような短い英文ならばすぐにでも送信できるではありませんか?わざわざ自宅に戻ってから送信する必要はないでしょう?
あのねぇ、時間の余裕があった時に小百合さんは下書きを書いておいて、それを軽井沢に居るときに送信するつもりだったのですよう。でも、書いてから、いろいろとやることができて、結局、軽井沢からは送信できなかった。
それで、自宅に戻ってから小百合さんは送信したわけなのでござ~♪~ますか?
それ以外に考えられません。
。。。んで、なんでデンマンさんは上の12月のメールを持ち出してきたのですか?
小百合さんは、最近、ゆっくりと落ち着いた気分でメールを書いている時間がないほど、仕事のこととか、子供のこととか。。。、それでなくても、師走と正月にかけては家庭の主婦は忙しいのですよう。卑弥子さんのように何もせずに、ルンルン気分で白河ラーメンを心ゆくまで食べている暇などないのですよう。
白河ラーメン
白河ラーメンは、福島県白河市を中心に供されているラーメン。
スープは濃い目の醤油ベース。
豚骨、鶏ガラが主体で、海産物はあまり使われない。
麺は多加水の幅広縮れ麺を使用する。
伝統的には、木の棒で麺を打ち、包丁で切り出し、手で揉んで縮れをつける。
具はネギ、チャーシュー、メンマ、鳴門巻き、ホウレンソウなど。
チャーシューは縁を食紅で塗り、炭火で焼いてから醤油で煮るスモーキーなもの。
全体的にクラシックなスタイルのラーメンで、古き良き時代のなつかしい東京ラーメンを彷彿させるラーメンとして知られる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『なぜ白河?(2010年1月4日)』に掲載
あたくしのことも白河ラーメンの事も、ほおって置いてくださいな。今は、小百合さんのお話しをしているのですから。。。
だから、小百合さんも、この時期には大忙しなのですよう。
その事と、タイトルの『引っ越し大騒動』が関係あるのでござ~♪~ますか?
小百合さんも大忙しで大変だろうけれど、それ以上に大変な思いをしたのが忍藩の殿様と家老を含めた藩士たちだったのですよう。
どうして。。。?
「三方領知替え」ですよう。
「三方領知替え」
忍藩主阿部・豊後守(ぶんごのかみ)が陸奥国・白河藩へ、
白河藩主の松平・越中守(えっちゅうのかみ)が伊勢国・桑名藩へ、
桑名藩主松平・下総守(しもふさのかみ)が、武蔵国・忍藩へと移る。
白河藩隠居だった元老中首座・松平定信が、港湾財源を持つ桑名への転封を狙って仕掛けたものとされている。
一説には(白河藩主の松平)定永が江戸湾の海防警備への負担に耐え切れずに下総国佐倉藩への転封を願ったところ、佐倉藩主・堀田正愛の抗議を受けて紛糾したため、佐倉藩が白河藩の替わりに江戸湾警備を引き受ける代償として行われた懲罰的転封を受けたとの説もある。
ところで、定永は定信の長男。
『Wikipedia 三方領知替え』より
『なぜ白河?(2010年1月4日)』に掲載
三藩が順繰りと動くのだから、のんびり構えているわけには行かないのですよう。しかも、一家族や二家族が移動するわけではないのです。藩主の家族を含めて、家老から足軽まで、何千人という藩士とその家族が大移動するのですよう。
一つの町全体が引っ越しするようなものでござ~♪~ますわねぇ~。。。?
そうなのですよう。大変なことですよう。今で言えば、桑名市民が行田市に移り、行田市民が白河市に大移動し、白河市民が桑名市に引っ越しするのですよう。三市民の民族大移動ですよう。
確かに、すさまじいですわねぇ~。
しかも、この大移動があることを忍藩の阿部家と桑名藩の松平家は、全く予想もしていなかった。
なぜ。。。?
阿部家は、藩祖・阿部忠秋(ただあき)以来、184年もの問、忍藩主だったのですよう。しかも、武蔵国の他の譜代藩が転封を繰り返す中で、忍藩だけがその地位を保ってきた。
つまり、忍藩の方々は引っ越すことなどありえないと信じきっていたのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
。。。んで、桑名藩の松平家は、どうでしたの?
桑名藩でも正徳元年より、113年間も桑名藩主にあったから、もう動くことは無いだろうと考えていたのですよう。
この「三方領知替え」は忍藩と桑名藩にとっては寝耳に水だったのでござ~♪~ますわね?
その通りですよう。だから、もう、忍藩でも桑名藩でも、大移動の準備で大騒ぎとなった。 まず、すぐに領内の年頁、林等の取調べが行なわれた。命令が出た翌日には「屋敷内を荒らすな。平穏に暮らせ。あらぬ行動をとるな」というような通達が出された。次に藩主名で転封の心構えについて指示が出された。さらに、家臣の屋敷内の戸、障子、襖、畳まで、全てそのままにしておけ、門・櫓・塀に落書するな、掘にゴミを捨てるなといった通達まで出された。5月にはいると、白河へ運ぶ家財道具や武具類の運搬準備、家族の通行手形の準備などがあわただしく進められていったのですよう。
確かに、大変でござ~♪~ますわね。
忍藩では、さらに大きな問題を抱えていた。
どのような問題でござ~♪~ますか?
藩主・阿部正権(まさのり)が重体になってしまった。
大移動のことを知ってショックのあまりに病気になってしまったのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、藩主の正権(まさのり)さんは、生まれた時から虚弱体質で病気がちだったのですよう。だから、確かにショックを受けたのかも知れないのですよう。ただ問題なのは、1823(文政6)年3月24日、老中・青山忠裕(ただひろ)により江戸城に呼ばれて白河に移るように言われた時には、まだ満17歳だった。
病弱なお坊ちゃんだから、当然独身ですよね?
そうなのですよう。このまま危篤になって死亡したら、跡を継ぐ子供が居ないので、阿部家は断絶になる可能性がある。
お家断絶になったら、藩士は浪人になって、その日から暮らしに困るのでしょう?
そうですよう。そうなったら、引っ越しどころではないですよう。とにかく、生活が大切だから、さっそく家老たちが顔をつき合わせて策をねった。
どうしたのでござ~♪~ますか?
幕府の老中に宛てて、正権(まさのり)の領知返上と養子への相続願を提出した。勿論、目的は養子相続。その後、養子候補の選択を行なった。
。。。んで、候補は決まったのでござ~♪~ますか?
とにかく、忍藩士の生活がかかっていますからねぇ。家老たちも必死で探しまくったのですよう。それで、紀州藩主・徳川治宝(はるとみ)の弟・松平頼興(よりおき)の子・房丸(ふさまる)を、養子として貰い受けることに決めたのですよう。
その房丸(ふさまる)さんが現藩主の跡を継ぐのですか?
そうです。さっそく、房丸さんは阿部正篤(まさあつ)と改名して、8月27日に阿部家の江戸藩邸に入ったのです。これで藩主がいつ亡くなっても阿部家が断絶することはなくなった。
つまり、藩士が浪人することはなくなったのでござ~♪~ますわね。
そうです。それで、やっと安心して、また大移動の準備を始めたのですよう。大移動の第一陣は9月に白河へ向けて出発していった。そして9月25日に、白河城を引き継いだ。9月28日には忍城を桑名藩に引き渡した。それを見届けて安心したように10月6日、病状が回復しないまま、17歳の阿部正権さんは、江戸藩邸で亡くなったのです。
あらっ。。。、まるでシナリオ通りに事が運んでしまったのでござ~♪~ますわねぇ~。
そうなのですよう。養子に迎えた阿部正篤が、白河藩主として17歳の正権さんの跡を継いだのですよう。。。とにかく、松平定信が根回ししたおかげで、忍藩と桑名藩はトバッチリを受けて、えらい目にあってしまったのですよう。
でも、江戸時代のミーちゃんハーちゃんも松平定信がこの大移動の引き金を引いたと知っていたのでござ~♪~ましょうか?
知っていたのですよう。
その根拠でもあるのでござ~♪~ますか?
あります。江戸時代に書かれた『続徳川実紀』に、次のような狂歌が取り上げられているのですよう。
住みなれし 忍をたちのき あべこべに
お国がえとは ほんに白河
白河に ふるふんどしの 役おとし
こんど桑名で しめる長尺
蛤の 殻までおけと 越中が
おし桑名にも くれて下総
これだけでは、なんだか良く分かりませんわ。
じっくりと上の狂歌を読むとねぇ、松平定信が根回しして桑名を手に入れたことが書いてあるのですよう。
もう少し分かり易く説明してくださいな。
分かりました。卑弥子さんにも分かるように書き出しますから読んでみてくださいね。
(すぐ下のページへ続く)