菊ちゃんにとって、お嫁さんになるのは夢でした
“菊ちゃん”という女性がいました。
もう亡くなりましたよ。
僕が中学生の頃に26歳ぐらいでした。
この人は本当に精神年齢が7歳なんですよ。
だから小学校も行っていなければ、中学校も行ってないんですよ。
つまり、放置されていましたよ。
でも、面倒見のいい家族がいて、菊ちゃん自身は幸せな人でした。
僕の母親は、とても人に信頼され好かれる人なんですよ。
だから、この「ばか」も僕のお袋になつきましてね。
お袋が手内職の仕事を菊ちゃんに教えました。
だから、よく僕の家に遊びに来ましたよ。
とにかく、人から馬鹿にされることが多い人だから、僕のお袋のように、まともな「女性」として扱い仕事を教えてくれる人に何か感じるのもがあったんでしょうね。
人間の尊厳を認め合う、ということは僕のお袋の「教え」でしたからね、僕も菊ちゃんのことを一人の7歳の「女性」として見ていました。
だから、この菊ちゃんが僕に対しても親近感を覚えましたよ。
僕の家が近所のかみさんたちの溜まり場のようになっていて、時々集まっては「井戸端会議」をするわけですよ。
もちろん、僕のお袋は菊ちゃんも仲間に入れるわけですね。
ある時、5人ぐらいのかみさんの一人が、こういうことを言ってからかったんですよ。
「菊ちゃん、アキラ(僕の名前)さんもそのうちお嫁さんをもらうからね、アキラさんのお嫁さんになりたかったら、今のうちにお母さんに頼んでおきな」
そしたら、菊ちゃん真に受けて、すぐに家へ跳んで帰りましたよ。
かみさんたちは爆笑でした。
僕は中学生でしたからね、爆笑が聞こえましたが、話の内容までは分からない。
後でお袋から聞かされました。
つまり、僕が何が言いたいかというと、
7歳の「女性」でも、お嫁さんになることは「夢」なんですよね。
その時は笑い話でしたが、7歳の「女性」でも「女の夢」を持っていた、ということを今から思い出すと考え深いですよ。
『あたしはセックスにこだわりすぎますか?(2006年2月26日)』より
でもね、菊ちゃんはお嫁さんになりたいのが夢だけれど、菊ちゃんの愛の世界は、やっぱり7歳の女性の“愛の世界”なのですよう。
どう言う事でござ~♪~ますか?
僕は菊ちゃんの“一番”だったのですよう。でもねぇ、菊ちゃんの愛の世界は、簡単に言ってしまえば“ままごとの世界”なのですよう。
つまり、菊ちゃんにとって夫婦というのは、7歳の男の子と7歳の女の子が仲良く“おままごと”をしているような。。。、要するに愛情表現は仲良くお手てをつなぐ程度の、他愛ないものだという事でござ~♪~ますか?
せいぜいキスをするまでで、それ以上のことは菊ちゃんにとって恐怖だったのですよう。
具体的には、どのような事なのでござ~♪~ますか?
その事についてはレンゲさんと話したことがあります。卑弥子さんも読んだでしょう?
読んだかもしれませんわ。でも、菊ちゃんの事ではデンマンさんとレンゲさんは、いろいろな事についてお話したので、すぐには思い出せないのでござ~♪~ますう。
分かりました。卑弥子さんのためにも、ここに書きだしますよう。
菊ちゃんの愛の世界
僕は自分の部屋でこっそりと輸入品の“Playboy”を眺めていたんですよ。
デンマンさんがいくつの頃のお話なんですの?
中学1年か2年生の頃ですよ。僕の知り合いが引っ越すので欲しければやるけど持って行くか?と言ったので、もうワクワクしながら、10冊ほど持ち帰ってきたんですよ。当時は検閲があって“毛”は見せてはならなかった。だから、黒いインクであの部分が丸く塗りつぶされていたんですよ。僕はどうにかして、あのインクを取り除くことができないものかと、いろいろなもので試してみましたよ。
デンマンさんは研究熱心なんですのねェ~。
レンゲさん、半分呆れていますねェ~~?へへへ。。。とにかく、性に目覚めた頃で、好奇心が旺盛でしたからね。いろいろなもので試したけれど、どうにもインクを取り除くことが出来ないんですよ。僕は、どうしたらいいものか?。。。そう思いながら気に入ったページの(黒いインク以外に)一糸もまとわぬ女性の写真を眺めていたんですよ。
それで。。。
無我夢中だったんでしょうね。菊ちゃんが僕の部屋に入って来たことも僕は分からなかった。お袋だと思って、一瞬、びっくりして僕は肝をつぶしましたよ。お袋は買い物に出かけた、と言うんですよ。菊ちゃんは余りハッキリと言葉が話せないんですよね。僕の名前もハッキリとは言えない。アキラではなく“アキィ~ヤ”と言うんですよ。
その菊ちゃんの表情はどうなんですの?知能が遅れていることが分かりますの?
いや、普通の人と変わらないですよ。だから、いやなセールスマンが来たりすると、お袋は菊ちゃんだけを残して隠れてしまう事がありましたよ。初めての人は菊ちゃんを見ても知能が遅れているとは思わないから、まともな大人に向かうような話し方をしますよ。菊ちゃんもそのような話し方をされると、うれしいんですよね。それで、天気の事から始まって、世間話をし始めるのだけれど、とにかく、僕の名前がまともに言えないほどだから、10分もすると、この人は知能が遅れているというのが分かるんですよね。そう言う時のセールスマンの表情の変わり方を見る事はいつ見ても飽きないものでしたよ。へへへ。。。。
デンマンさんは、いやな趣味をお持ちですのね?
セールスマンの知能が分かって面白いですよ。中には、菊ちゃんの知能が遅れているのが分からない奴が居て、早々に品物の説明をする愚か者が居るんですよ。菊ちゃんは何を言われているのか分からないけれど、一生懸命相槌を打つ。セールスマンも売りたくって仕方ないから、一生懸命に説明する。。。この様子を眺めているのは、どんな漫才を聞くよりも面白かったですよ。。。へへへ。。。
分かりましたわ。それで、菊ちゃんとどのようなことが。。。?
そうですよね。へへへ。。。その話をしようとしたんですよね。僕は、ハッと思って菊ちゃんをじっくりと見ましたよ。インクを取り除かなくても、そこに実物の健康で成人した見ごたえのある女性の体を持った菊ちゃんが居るではないか!。。。“灯台下(もと)暗し!” そう思ったわけなんですよ。
それはデンマンさん、いけない事ですわ。
僕だって、いけない事だとは分かっていましたよ。でも、好奇心がムラムラと湧き上がってきてしまった。それで、“Playboy”のページを菊ちゃんに示して、いろいろと説明したんですよ。“どう、菊ちゃん、きれいな女の人が写っているでしょう。菊ちゃんだって、このようにきれいなんだよ。だから、菊ちゃんも裸になって見せてくれない?” 菊ちゃんは僕になついていて、僕の言う事なら、たいていの事は、“あい、。。。あい、。。。”と言って、聞いてくれるんですよ。むしろ、喜んで僕の言う事に従うんですよ。
それで、菊ちゃんは裸になったんですの?
ところが、この時ばかりは、僕が何と説得しても首を縦には振りませんでしたよ。あとで考えてみれば、お母さんからしっかりとした“家庭教育”を受けていたんでしょうね。菊ちゃんのお母さんはしっかりした人でしたから。。。菊ちゃんを特殊学校にはやらなかったけれど、必要最低限の教育はしていたようです。つまり、自分の体の中で見せてはならないモノは見せてはダメ。触れさせてはいけない所は触れさせてはいけない。そういう女として守らなければならない事はしっかりと教えていたんですよね。あとで僕は反省したんだけれど、しみじみとそう思いましたよ。
それで、デンマンさんはどうなさったんですの?
僕だって、そう思い立ったらぜひとも菊ちゃんの“桜の花”を見てみたい。もう何が何でも見てみたくなったわけですよ。
それで、。。。?
僕は精一杯説得したんですよ。僕が余りにも一生懸命になっているので、菊ちゃんも本当に困ってしまったようでしたよ。“ね、。。ねっ。。。菊ちゃん、いいよね?だから、脱ごうねェ。” 僕は本当に一生懸命になって説得している。お願いしているわけですよ。菊ちゃんにだって、僕の熱意が通じている。それで、菊ちゃんは、すっかり困ってしまっている。しかし、埒(らち)があかないんですよ。
それで、どうなさったんですか?
菊ちゃんは一向に脱ごうとしない。僕は、イライラしてきて菊ちゃんのスカートのすそをたくし上げたんです。そして見たのがこの写真のような“おばさんパンティー”だったんですよ。でも、まさにこのようにフィットした見ごたえのあるもので、思わず僕は生唾をごくりと飲み込みました。心臓が口元まで飛び上がってきたような息苦しさを感じて、目がくらくらしてきましたよ。でも、菊ちゃんだって、大変な思いをしていたんですよね。“もう、それ以上は止めてくれ、。。。あたしは死んでしまう。。。。” そういう感じで、オロオロしているんですよ。泣き顔になって、しゃくりあげているんですよね。体を震わせて、声を殺して泣いているんですよ。僕はバケツの水を頭から浴びせられたようにハッとなりました。やはり、良心があったんですよね。してはいけないことを無理やり菊ちゃんにやっていた。“悪かったよな。。。” 僕は謝りましたよ。
それでどうなったんですの?
僕だって、菊ちゃんと一線を越えようなんて思っても居なかった。ただ、菊ちゃんの“桜の花”を見たくなった。しかし、菊ちゃんが“家庭教育”を受けていた事までは僕は知らない。7歳の「女性」だから、僕になついている菊ちゃんに頼めば見せてくれると思った。中学生の浅はかな頭だったんですよね。“女の操”を初めて感じさせられましたよ。
菊ちゃんは、その後どうしたんですの?
僕は、菊ちゃんという人を改めて見直しましたよ。しかも、そのあとで、僕の部屋にお盆の上にお茶とおやつの“生八ツ橋(なまやつはし)”を載せて入って来たんですよ。時々、お袋に言われて、僕の部屋にそうやっておやつを持ってきてくれたんです。でも、その日は買い物に行ってお袋は居ませんでしたからね。菊ちゃんが自発的におやつを用意してくれたんですよ。僕は本当に菊ちゃんにすまない事をしてしまったと思ったのだけれど、菊ちゃんが根に持たないで、そうやっておやつを用意してくれたことに感激しましたね。“菊ちゃん、一緒に食べようね” “あい” そう言って、菊ちゃんとお茶を飲みながら生八ツ橋を食べた思い出がありますよ。
『愛は希薄になっていませんわ。
セックスで埋め合わせてもいませんわ』より
(2006年3月6日)
つまり、菊ちゃんのおばさんパンツが強烈にデンマンさんの脳裏に焼きついていて。。。それで。。。それで。。。小百合さんへの“愛のプレゼント”がパンツになったのでござ~♪~ますわね。
あのねぇ~、確かに表面的には、そうなのだけれど、僕が言いたいことは、菊ちゃんは不快な思いをしたにもかかわらず、僕をその後避けなかったという事ですよう。そればかりか、誰に言われずとも、僕の部屋におやつの“生八ツ橋(なまやつはし)”を持って来てくれた。そのような事はそれまでになかったことですよう。自発的にそうしたのですよう。あたかも仲直りするかのように。。。そして、僕と一緒に仲良く生八ツ橋を食べたのですよう。
要するに、そこに、ただ7歳の女の子とは違う“愛”をデンマンさんは感じたのでござ~♪~ますわね?
そうですよう。嫌な思いをしたけれど、菊ちゃんにとって僕は、やはり“一番”であり続けたのですよう。その事を小百合さんも僕の記事を読んで感じ取ってくれた。
それで、小百合さんがチョコと一緒に生八ツ橋をバンクーバーに居るデンマンさんに航空便小包で送ってあげた。。。と、デンマンさんはマジで信じているのでござ~♪~ますか?
そうですよう。僕が言おうとする事を小百合さんは的確に感じ取ってくれたのですよう。僕は感動しました。
それで、チョウのパンツを愛のプレゼントにしたのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
でも、菊ちゃんの穿いていたのはおばさんパンツですわ。なぜ、小百合さんにもおばさんパンツをあげなかったのですか?
僕が小百合さんにおばさんパンツをあげると、卑弥子さんが絶対に僻(ひが)むので、僕は初めに卑弥子さんにおばさんパンツをプレゼントしたのですよう。
卑弥子さんは5年近くも僕のお手伝いをしてくれたので、まず卑弥子さんにおばさんパンツを上げたのですよう。
。。。んで、最後に残ったチョウのパンツを小百合さんに“愛のプレゼント”としてあげたのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
でも、あたくしには“愛のプレゼント”だとデンマンさんはおっしゃいませんでしたわ。
言えませんよう。
どうしてでござ~♪~ますか?
そんなことを言ったら、卑弥子さんはまた過激な事をするでしょう?
過激な事ってぇ~。。。?
だから、箱根の強羅温泉で卑弥子さんが見せた「鶴の舞」ですよう。あの秘法の全裸の「鶴の舞」を見せられたおかげで、僕の寿命は3年ちじまってしまったのですよう。んもお~~
(この卑弥子さんの「鶴の舞」を見たい人は次の記事を読んでくださいね。)
■ 『衝撃の角度 (2008年6月1日)』
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
また、こじ付けでござ~♪~ますわよう。
あたくしは素直には受け取れませんわ。
だいたい、最後に「鶴の舞」を持ち出すところが、いかにもこじ付けですわよねぇ~。
第一、最後の一つになるまで、あたくしにはチョウのパンツを見せた事もないし、
デンマンさんは、あげようと言ったこともないのですわよ。
そのくせ、レンゲさんだとか、ジューンさんだとか、アンナさんだとか。。。
あたくし以外の女性すべてに、あげているようなのですわよう。
あたくしには、ダサいおばさんパンツだけですわ。んも~~
あたくしは絶対に差別を受けているのですわよう。
不思議なのは、どうしてそれ程までに多くのチョウのパンツをデンマンさんは持っていたのでしょうか?
デンマンさんは、もしかするとパンツマニアかも。。。
とにかく、あさって、どのようにしてチョウのパンツを手に入れたのか?しっかりと聞き出しますわよう。
あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいましね。
じゃあね。。。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
わたしも帝国ホテルのチョコを
食べた事がありますわ。
日本人特有の器用さで
一つ一つのチョコバーが
大切に包装されていました。
作り手の真心を感じますよね。
感激しながら食べた事を
今でも懐かしく思い出すことができます。
わたしが知っている帝国ホテルのエピソードには
次のようなものがありますわ。
1975年5月に、国賓として
エリザベス女王が来日したのです。
舌平目が好きな英国エリザベス女王のために
当時の総料理長の村上信夫さんが
何か料理を工夫しようと思ったのです。
当時日本では、上質の舌平目が
入手できなかったため、
女王陛下に日本の魚のおいしさを知ってもらおうと、
津軽海峡の平目を使ったのでした。
女王陛下はこの料理を大変気に入られ、
後日英国大使館から
「レーヌ(reine) エリザベス」
フランス語で“エリザベス女王風”
の名をいただいたのだそうです。
その考案された料理の名とは。。。
車海老と舌平目のグラタン“エリザベス女王風”。
ところで、デンマンさんが
面白い楽しい癒しの音楽の事で
記事を書いていますわ。
興味があったら次のリンクをクリックして
覗いてみてくださいね。
■ 『癒しのミュージック (2008年4月2日)』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。