ウルユス
最近は、以前ほどではないけども、大阪梅田あたりでは、外国人観光客がちらほら増えてきたね。韓国人や中国人が多いかな。10年ほど前は、中国人のばくがいということで、大阪南港ではなぜか炊飯器をたくさんかかえた中国人がいたね。また、あのころがもどってくるかな。円安だしね。
そんな今日、月曜日。ガイドヘルパーさんと大阪天神橋筋商店街へ。天神橋筋6丁目駅直結の大阪市立すまいのミュージアムへ。9階建てぐらいのビルで、三井住友銀行や、男女共同参画センターや故曽佐建サロンなどが入っているビル。その8階と9会に、博物館がある。大阪くらしの今昔館、いまむかしやかたと書いて、コンジャクカン。この博物館は月曜日もあいていて、しかも障碍者と介助者は無料。
目の見えない私、網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。博物館は縁遠い存在。でも、このこんじゃくカンは、全盲の私でも十分たのしめた。それは手でさわって確認できるものが多かったため、それと、音声ガイド端末も100円で貸出していたため、そしてなによりガイドヘルパーさんのおかげ。
デスペア的大阪くらしの今昔館のポイント
1、江戸時代の大阪のマチヤが再現
博物館の入り口では、多国籍な喋り声。なんと客のほとんどは、外国人観光客。日本人は、かぞえるぐらいしかかない。そして大盛況。博物館といえば、静かなイメジだけど外国人観光客がたのしそうにはしゃいでいる。入場料が大人800円と安いこともあって、外国人観光客の観光ツアーに組み込まれているよう。
8会の入り口はいって、まずは、エレベーターで9階へ。そのエレベーターの中には、ピンクの服を着た外国人のこども。少額3年生ぐらいの女の子。ひとりで博物館の中を探検しているようなこども。ほんとこどもはどこの国でも多動だね。いとおしいね。
9階にあがると、ガラス張りの壁の向こうに、8階フロアが見える。上からのぞくような感じ。ふきぬけ。
眼科にひろがるのは、1830年ごろの大阪の街並み。きどもんがあって、その門から50メートルぐらいのびている通り、その通りの両脇には、お店。当時は、マチヤといったよう。まちやとは、オモテはお店で、裏は住居になっているそんな家をマチヤというよう。その通りののひとつ、裏手には、貧乏長屋みたいなものもみえる。
マチヤやナガヤがそっくりそのままの大きさで再現されている。すごいね。
そのマチヤをみながら、9階では、桂米朝の音声アナウンスがながれている。通りは、まんなかがこんもりしていて、それは、水はけをよおくするため。マチヤの軒先には、ひさしがでていて、そのヒサシが、隣のマチヤのひさしときれいに一直線にならんでいる、それと、集会所、カイショには、火の見やぐらや半鐘がつりさげられている、そんな説明。
しばらく、そのマチナミを見ていると、暗くなったり、あかるくなったりしている。。。あとで聞いたのは、45分間で、朝から夜になるとのこと。朝は鶏の鳴き声、そして、夕方には雷と通り雨の音、そして夜は虫の声。45分間で大阪のマチヤの1日が体験できるのね。
2、風呂屋
9階から8階におりて、上からみていた大阪の町屋を歩く。キドモンをとおってはいる。当時は、このキドモンは夜10時ごろには絞められていたとのこと。今みたいに、夜中でも商店街をあるくということはなかったのね。
町屋どおりにはいって、すぐ右手にあるのが、風呂屋。靴をぬいで、風呂屋にあがる。脱衣所があって、その奥には、サウナのような風呂場もある。その手前には、小さな窓があしもとにあって、そこからお湯をもらって体の汗をながす。
サウナのような風呂場に入るには、高さ1メートルぐらいの地位さな穴から風呂場に入らないといけない。かがんではいるので、おしりの穴がまるみえになってはずかしいね。このような小さな入り口なのは、風呂場の湯気や温度を外ににがさないいため、こんなに入り口が小さいとのこと。風呂場の中は、大浴場というよりも、今でいうサウナみたいなこしかけたながあって、足元に、すこしお湯がはってあるぐらい。実際にお湯ははってないけど、イメージがわくね。
昔の人は、体をせっけんであらうのではなくて、ぬか袋というもので体をあらっていたとのこと。最後、お風呂からあがるときに、小さな窓からお湯をくんでもらって、そのお湯をかぶって、脱衣所にいく。そのお湯をくんでくれる人が常にいるみたい。勝手にお湯をくめあばいいとおもうけど、当時はお湯をわかすのも大変だったので、ひとりいっぱいのお湯ってきまっていたのかもね。
3、薬屋
風呂屋のとなりのとなりぐらいに薬屋もあった。薬屋も靴をぬいで、あがれた。畳の上に、番頭がすわるような小さな机があって、その上には、大福帳、すずりもおいてある。。その晩灯台の後ろには、ひゃくみタンスというタンスの引き出しが100ぐらいあるタンス。あけてみることもできた。
そのほかに、薬の重さをはかるハカリや、薬草をせんじる、ウスや、すりこぎみたいなものもあった。
薬屋の裏には薬屋の住居があってて、炊事場やトイレもあった。貧乏長屋だと、トイレ炊事場は共同なんだけど、薬屋は、お金持ちらしく、自分の家に炊事場とトイレがあった。
この当時薬屋でよくうれていたのは、おなかをカラにするくすり、空という感じにスをかいて、クウスという薬。このクウスという文字、空にスを分解して、ウルユスという薬の名前で売ったらかなりはやったとのこと。ウルユス。今でいうなんでもきく正露丸みたいなものかな、体調がすぐれないときに飲む万能薬だったらしい。成分としては、たいした薬ではないけど、そのネーミングのよさから売れたとのこと。
4、ナガヤ
薬屋の路地をとおり、裏通り、そこには貧乏長屋があって、子犬と母いぬの銅像も地面においてあっていいね。そういえば、屋根の上には、ねこの銅像もおいてあったね。
長屋の一部屋に入る。大工の家。4畳半ぐらいの小さな部屋で、夫婦が二人ですんでいるよう。荷物もほとんどない。小さなタンスみたいなものとコオリがあるぐらい。たたみの上には、せんべいふとん。ほんと質素だね。
こんな狭いところで夫婦が二人ですんでいれば、そりゃ、落語の世界みたいに、けんかもするよね。
畳の上には、大工箱もおいてあって、その中には、大工道具のレプリカがちゃんといれてあった。カンナも大忠所と3種類あり、のみなども精工につくられていて、これもさわることができる。もちろんフトンもこおりもさわることができる。こんなふうにさわれるのは視覚障害者にとては、ほんとうれしいよね。博物館といえば、ガラスケースの中のものを外から見るぐらいだけど、このくらしコンジャク館は、実際にさわれる、歩ける、音をきけるのがいいね。ナガヤをあるいていると、江戸時代の大阪の街のにぎやかな声がきこえてくる。いいね。
5、しもたや
町屋とおりの一番奥の左にあるマチヤ。そのマチヤだけ、店の入り口がしめられている。格子状の作が、入り口全面にはりめぐらされていて、中にはいれない。これは、シモタヤというらしい。
シモタヤとは、今までお店をやっていたけども、閉店してしまったお店、大阪弁で、ヤメタ、シモタ。ヤメテシモタのシモタや。つまり、シモタ屋とは、廃業してしまったお店。
こう聞くと、なにかさびしい気持ちになるkが、そうではない。商店をしている人は、みんないつかは、シモタヤにになりたいと願っているとのこと。
つまり、お店が繁盛して、それでお金を稼いで、そのお金土地や建物を買い、今では家賃収入だけで生活できるようなった、そんな成功者をシモタヤというとのこと。今はお店をやらなくても十分暮らしていける、なので店の入り口に格子柵。うらやましいね。
私も4月に豊中市役所をやめたけど、それは別に家賃収入があるからではなく、障害年金と、それと貯金を取り崩しての生活。なので、私も、ほんとのシモタヤになりたいね。自分の資産を減らさずに、悠々自適な生活。してみたいね。目指すは、シモタヤだね。
なんやかんやで、3時間ほどくらしのコンジャクカンをみてまわった私。出口には、現代の家電製品や、団地のミニチュアなどががおいてある、さらに時間をかけてたのしめるね。ただ、家電製品や団地のミニチュアは手でさわっては見れない。ここは残念だね。
出口でて入り口のところにももどる。そこには、ちょっとした休憩スペース椅子テーブルがあって、なんと自販機はカップ自販機は80円。80円でホットコーヒーやココアが飲める。多さk私立の博物館なので、こんな安いカップジュース自販機なのね。これはうれしいね。おすすめ。
14時すぎていたので、おそめのランチをどこで食べよう。建物をでると、そこは天神橋筋商店街、たしか日本一長いアーケード商店街。その商店街にでて、すぐ近くに、ガストがあた。ガストの平日ランチ700円とランチセットドリンクバー200円。ごはん大盛り無料。私のよくいく阪急岡町駅のガストよりも、ここのガストのほうがごはんの大盛りの量がおおかった。店によって大盛りの量が違うのかな。ここのガストは広くてよかった。2階にあるので、せまいかなとおもったら、奥に長くてとてもよいお店だった。おすすめ。
大阪梅田駅から、地下鉄谷町線で2駅の天神橋すじ6丁目駅。近くていいね。
目の見えない人にもおすすめ、それが、大阪市立すまいのミュージアム、大阪くらしのコンジャクカン。なんといっても、障碍者と介助者は無料でたのしめるのがいいよね。みなさんもぜひいってみてね。
最近は、以前ほどではないけども、大阪梅田あたりでは、外国人観光客がちらほら増えてきたね。韓国人や中国人が多いかな。10年ほど前は、中国人のばくがいということで、大阪南港ではなぜか炊飯器をたくさんかかえた中国人がいたね。また、あのころがもどってくるかな。円安だしね。
そんな今日、月曜日。ガイドヘルパーさんと大阪天神橋筋商店街へ。天神橋筋6丁目駅直結の大阪市立すまいのミュージアムへ。9階建てぐらいのビルで、三井住友銀行や、男女共同参画センターや故曽佐建サロンなどが入っているビル。その8階と9会に、博物館がある。大阪くらしの今昔館、いまむかしやかたと書いて、コンジャクカン。この博物館は月曜日もあいていて、しかも障碍者と介助者は無料。
目の見えない私、網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。博物館は縁遠い存在。でも、このこんじゃくカンは、全盲の私でも十分たのしめた。それは手でさわって確認できるものが多かったため、それと、音声ガイド端末も100円で貸出していたため、そしてなによりガイドヘルパーさんのおかげ。
デスペア的大阪くらしの今昔館のポイント
1、江戸時代の大阪のマチヤが再現
博物館の入り口では、多国籍な喋り声。なんと客のほとんどは、外国人観光客。日本人は、かぞえるぐらいしかかない。そして大盛況。博物館といえば、静かなイメジだけど外国人観光客がたのしそうにはしゃいでいる。入場料が大人800円と安いこともあって、外国人観光客の観光ツアーに組み込まれているよう。
8会の入り口はいって、まずは、エレベーターで9階へ。そのエレベーターの中には、ピンクの服を着た外国人のこども。少額3年生ぐらいの女の子。ひとりで博物館の中を探検しているようなこども。ほんとこどもはどこの国でも多動だね。いとおしいね。
9階にあがると、ガラス張りの壁の向こうに、8階フロアが見える。上からのぞくような感じ。ふきぬけ。
眼科にひろがるのは、1830年ごろの大阪の街並み。きどもんがあって、その門から50メートルぐらいのびている通り、その通りの両脇には、お店。当時は、マチヤといったよう。まちやとは、オモテはお店で、裏は住居になっているそんな家をマチヤというよう。その通りののひとつ、裏手には、貧乏長屋みたいなものもみえる。
マチヤやナガヤがそっくりそのままの大きさで再現されている。すごいね。
そのマチヤをみながら、9階では、桂米朝の音声アナウンスがながれている。通りは、まんなかがこんもりしていて、それは、水はけをよおくするため。マチヤの軒先には、ひさしがでていて、そのヒサシが、隣のマチヤのひさしときれいに一直線にならんでいる、それと、集会所、カイショには、火の見やぐらや半鐘がつりさげられている、そんな説明。
しばらく、そのマチナミを見ていると、暗くなったり、あかるくなったりしている。。。あとで聞いたのは、45分間で、朝から夜になるとのこと。朝は鶏の鳴き声、そして、夕方には雷と通り雨の音、そして夜は虫の声。45分間で大阪のマチヤの1日が体験できるのね。
2、風呂屋
9階から8階におりて、上からみていた大阪の町屋を歩く。キドモンをとおってはいる。当時は、このキドモンは夜10時ごろには絞められていたとのこと。今みたいに、夜中でも商店街をあるくということはなかったのね。
町屋どおりにはいって、すぐ右手にあるのが、風呂屋。靴をぬいで、風呂屋にあがる。脱衣所があって、その奥には、サウナのような風呂場もある。その手前には、小さな窓があしもとにあって、そこからお湯をもらって体の汗をながす。
サウナのような風呂場に入るには、高さ1メートルぐらいの地位さな穴から風呂場に入らないといけない。かがんではいるので、おしりの穴がまるみえになってはずかしいね。このような小さな入り口なのは、風呂場の湯気や温度を外ににがさないいため、こんなに入り口が小さいとのこと。風呂場の中は、大浴場というよりも、今でいうサウナみたいなこしかけたながあって、足元に、すこしお湯がはってあるぐらい。実際にお湯ははってないけど、イメージがわくね。
昔の人は、体をせっけんであらうのではなくて、ぬか袋というもので体をあらっていたとのこと。最後、お風呂からあがるときに、小さな窓からお湯をくんでもらって、そのお湯をかぶって、脱衣所にいく。そのお湯をくんでくれる人が常にいるみたい。勝手にお湯をくめあばいいとおもうけど、当時はお湯をわかすのも大変だったので、ひとりいっぱいのお湯ってきまっていたのかもね。
3、薬屋
風呂屋のとなりのとなりぐらいに薬屋もあった。薬屋も靴をぬいで、あがれた。畳の上に、番頭がすわるような小さな机があって、その上には、大福帳、すずりもおいてある。。その晩灯台の後ろには、ひゃくみタンスというタンスの引き出しが100ぐらいあるタンス。あけてみることもできた。
そのほかに、薬の重さをはかるハカリや、薬草をせんじる、ウスや、すりこぎみたいなものもあった。
薬屋の裏には薬屋の住居があってて、炊事場やトイレもあった。貧乏長屋だと、トイレ炊事場は共同なんだけど、薬屋は、お金持ちらしく、自分の家に炊事場とトイレがあった。
この当時薬屋でよくうれていたのは、おなかをカラにするくすり、空という感じにスをかいて、クウスという薬。このクウスという文字、空にスを分解して、ウルユスという薬の名前で売ったらかなりはやったとのこと。ウルユス。今でいうなんでもきく正露丸みたいなものかな、体調がすぐれないときに飲む万能薬だったらしい。成分としては、たいした薬ではないけど、そのネーミングのよさから売れたとのこと。
4、ナガヤ
薬屋の路地をとおり、裏通り、そこには貧乏長屋があって、子犬と母いぬの銅像も地面においてあっていいね。そういえば、屋根の上には、ねこの銅像もおいてあったね。
長屋の一部屋に入る。大工の家。4畳半ぐらいの小さな部屋で、夫婦が二人ですんでいるよう。荷物もほとんどない。小さなタンスみたいなものとコオリがあるぐらい。たたみの上には、せんべいふとん。ほんと質素だね。
こんな狭いところで夫婦が二人ですんでいれば、そりゃ、落語の世界みたいに、けんかもするよね。
畳の上には、大工箱もおいてあって、その中には、大工道具のレプリカがちゃんといれてあった。カンナも大忠所と3種類あり、のみなども精工につくられていて、これもさわることができる。もちろんフトンもこおりもさわることができる。こんなふうにさわれるのは視覚障害者にとては、ほんとうれしいよね。博物館といえば、ガラスケースの中のものを外から見るぐらいだけど、このくらしコンジャク館は、実際にさわれる、歩ける、音をきけるのがいいね。ナガヤをあるいていると、江戸時代の大阪の街のにぎやかな声がきこえてくる。いいね。
5、しもたや
町屋とおりの一番奥の左にあるマチヤ。そのマチヤだけ、店の入り口がしめられている。格子状の作が、入り口全面にはりめぐらされていて、中にはいれない。これは、シモタヤというらしい。
シモタヤとは、今までお店をやっていたけども、閉店してしまったお店、大阪弁で、ヤメタ、シモタ。ヤメテシモタのシモタや。つまり、シモタ屋とは、廃業してしまったお店。
こう聞くと、なにかさびしい気持ちになるkが、そうではない。商店をしている人は、みんないつかは、シモタヤにになりたいと願っているとのこと。
つまり、お店が繁盛して、それでお金を稼いで、そのお金土地や建物を買い、今では家賃収入だけで生活できるようなった、そんな成功者をシモタヤというとのこと。今はお店をやらなくても十分暮らしていける、なので店の入り口に格子柵。うらやましいね。
私も4月に豊中市役所をやめたけど、それは別に家賃収入があるからではなく、障害年金と、それと貯金を取り崩しての生活。なので、私も、ほんとのシモタヤになりたいね。自分の資産を減らさずに、悠々自適な生活。してみたいね。目指すは、シモタヤだね。
なんやかんやで、3時間ほどくらしのコンジャクカンをみてまわった私。出口には、現代の家電製品や、団地のミニチュアなどががおいてある、さらに時間をかけてたのしめるね。ただ、家電製品や団地のミニチュアは手でさわっては見れない。ここは残念だね。
出口でて入り口のところにももどる。そこには、ちょっとした休憩スペース椅子テーブルがあって、なんと自販機はカップ自販機は80円。80円でホットコーヒーやココアが飲める。多さk私立の博物館なので、こんな安いカップジュース自販機なのね。これはうれしいね。おすすめ。
14時すぎていたので、おそめのランチをどこで食べよう。建物をでると、そこは天神橋筋商店街、たしか日本一長いアーケード商店街。その商店街にでて、すぐ近くに、ガストがあた。ガストの平日ランチ700円とランチセットドリンクバー200円。ごはん大盛り無料。私のよくいく阪急岡町駅のガストよりも、ここのガストのほうがごはんの大盛りの量がおおかった。店によって大盛りの量が違うのかな。ここのガストは広くてよかった。2階にあるので、せまいかなとおもったら、奥に長くてとてもよいお店だった。おすすめ。
大阪梅田駅から、地下鉄谷町線で2駅の天神橋すじ6丁目駅。近くていいね。
目の見えない人にもおすすめ、それが、大阪市立すまいのミュージアム、大阪くらしのコンジャクカン。なんといっても、障碍者と介助者は無料でたのしめるのがいいよね。みなさんもぜひいってみてね。