カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

炎の画家の実像

2013-05-13 23:35:20 | その他
京都市美術館で4月初めから開催されていた「ゴッホ展」、雨が降っていましたが
土曜日に行ってきました、久々の美術鑑賞です。



「ゴッホ展―空白のパリを追う―」と題された展覧会、人気だとは分っていましたが



ここまで人気だとは・・・







チケットを求める人の行列は館外まで長々と。私らは招待券をゲットしていたので
入るのはすんなりでしたが、館内の混雑ぶりの凄いこと・・・久しぶりです
ここまで混む美術展は。

オランダ近代絵画の巨匠“炎の画家”フインセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
その生涯は小説・映画にも描かれ広く知られていますが、それらのエピソード、
ストーリーのほとんどはゴッホが弟テオに宛てた600通に及ぶ手紙からのもの。
今回の「ゴッホ展」は、それらの書簡が無い期間、空白のパリ時代(ゴッホ33歳、
パリに居た弟のテオを頼り同居していたため書簡が無い)を、アムステルダムにある
ゴッホ美術館の研究チームが、ゴッホの実像を追い求め検証した成果をパリ時代の
作品と共にパネル展示されていて、大変興味深いものになっています。

ゴッホが描いた「自画像」9点が展示されていますが、最近の研究でその内1点は
フィンセント自身では無く、弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(通称:テオ)を
描いたものだと分ったそうです。

ゴッホを語るにこのテオの存在は大きいです。そしてドラマチック。
フィンセントは長男で5人の妹、弟が居たようですが、両親や兄弟から見放された中、
テオだけは良き理解者であり、兄の生活費など援助し続けた4歳下の弟でした。
彼は兄も勤めたことのある(後に解雇される)画商グーピル商会に勤め、パリの
モンマルトル大通り店の経営を任されていました。
彼の援助のお蔭でフィンセントは絵画に専念することが可能だったわけで・・・
その10年間の画家生活の中で2000点以上もの作品を残しましたが、
生前に売れた絵は、わずか1枚だけだったと言われています。

生来、精神的に不安定であったゴッホは何度も精神病院に入院していますが
アルルでゴーギャンと共同生活の果て、自らの耳を切り落としたと言うエピソードも
有名(この後、描いた包帯の自画像は今回見られなかった)ですよね。
この時も病院に収容されますが、入院中も多くの作品を残します。そして・・・
退院した後、自らの命を絶つことになります。ゴッホ、享年37歳。

ちなみに弟・テオは兄の死を悼み葬儀を営んだ後、それをきっかけに徐々に衰弱し、
わずか半年後、兄の後を追うようにユトレヒトの精神病院で後を追うように
死去しています。享年34歳。

話しが長くなってしまったかな。ゴッホ、私とちょうど100歳違い。イミナイケド(^_^ゞ

今回のゴッホ展で展示された作品は52点、その内36作品が日本初公開。
そしてジョン・ピーター・ラッセルが描いたゴッホの肖像以外は、全てゴッホの
作品のみという貴重な絵画展になっています。
特に面白いのが検証の結果分った解説が見られることかな、例えば
《ヒバリの飛び立つ麦畑》という作品に描かれている鳥はヤマウズラであったこと。
剥製の鳥も作品の横に置かれて解説してあったり、興味深いのは起立工商会社と
墨書きされた茶箱のプレートの裏に描かれた作品も日本初公開じゃないかな?
※起立工商会社(きりつこうしょうかいしゃ)は明治時代初頭、日本の美術品、
物産品を世界へ輸出した日本の貿易会社の礎とされている会社であり、ゴッホは
この会社と接触を持ち、日本の浮世絵などに影響を受けたものと推測されますね。

あ、この「ゴッホ展」京都では、今週末で終ってしまいます。
この後、宮城(5/26~7/16)、広島(7/22~9/23)と回るようです。


さて、表に出ると「平安楽市」毎月第2土曜に定期開催の岡崎公園手づくり市。





こちらは雨のせいで、ちょっと寂しい状態でした。




2013.5/13、京都・岡崎公園にて。