カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

ぶらり、山科疎水。

2015-08-10 17:00:28 | 京都徘徊記
1ヶ月程前になりますが、我が町、山科の疎水道をブログ仲間と
ぶらり散策しました。
ソネブロの『駅員3』さんが東京から来られて、大津の取水口から
蹴上げの方まで歩かれる計画。私もお誘いを受けたのですが
体力、脚力に自信が無く。(^_^ゞ
山科の部分だけご一緒させていただくことにしました。
『すー』さんは、大津で駅員3さんと合流、ご一緒に踏破された
ようですが・・・

まずは四ノ宮、諸羽トンネル東口(入口)前でお二人と合流しました。
お二人とも取水口から第1トンネル入口を観て、それからは小関越えで
ひと山越えてこられたのに、全然お元気。タクマシイ(^_^ゞ

ちょうどお昼時だったので、四ノ宮の駅前まで降りて来て・・・
実は私はここまでクルマで送ってもらったので、家内も一緒に。



料理が来るととりあえず写真、ブロガーの習性?(^_^ゞ四人四様♪





さて、腹ごしらえも済んで、山科疎水遊歩道を散策開始♪


〈四ノ宮船溜まり・諸羽(もろは)トンネル東口〉
諸羽トンネルは520mなので、出口が見えます。



昔の水路の名残りらしきものが右側にあります。
諸羽トンネルは1970(昭和45)年に出来た新しいものです。以前は
船溜まり跡、諸羽ダムと言って、そこで遊泳が出来たのですが、
赤痢が流行したのをきっかけに全面遊泳禁止になりました。
現在は公園となり、ニャンコの棲家に・・・



〈第2疎水のトンネル試作物〉

第1疎水は1890(明治23)年に完成しましたが、需要増大を受けて
1921(明治45)年に第2疎水が造られています。
このコンクリート構造物は、建設技術を習得するため、トンネル
上部の複製を製作したものだそうです。


〈???〉
探索していると何でも気になるんですよね。おそらく現在のもの?
それとも第2疎水の関連?第2疎水は暗渠で見えませんが、
も少し北になるはず・・・


〈諸羽トンネル・西口〉



オッと、また気になる橋を?



橋が架かる道は、『毘沙門堂』へ至る参道、毘沙門道。
疎水が造られた明治23年当時は毘沙門堂橋、これは昭和3年に架替え
られた橋だと思うのですが、それも老朽化のため平成12年に全面補修
されたようです、外観は変わっていないように思います。


さて、ここは絶対案内しないとね。



安祥寺川と疎水が立体交差。南北に流れる安祥寺川の上を
東から西へ琵琶湖疎水が通る、珍しい川の立体交差。



この水路橋は、明治22年に完成したそのままのようです。



〈洛東橋〉


橋を渡れば我が母校、3年間疎水を渡って高校生活を過ごしました。
そう言えば安祥寺川に架かる橋は〈3年橋〉と呼ばれていますが
4年間通った子もいたのにな・・・(^_^ゞ




山科疎水道は桜並木、楓も多くお花見、紅葉狩りの隠れた名所です。
ところどころ南の眺望が開け、山科盆地が俯瞰できます。
JR東海道本線や京阪電車も上から見ることができ、特に東海道本線は
マニアにはSL時代からよく知られた山科築堤、「山科大カーブ」が
東側から俯瞰できる撮影ポイントにもなります。


少しひんやり?・・・・・


この4地蔵、今までどんな謂れがあるのか知らず、ご挨拶だけは
していたのですが・・・ネットに「4人の兄弟姉妹が溺れて亡くなった
そうで、お地蔵さんがあります。」って記述を発見。
写真右の泉は未だに謎ですが・・・

昔は疎水道も整備されておらず鉄柵もなくて、よく転落事故が
ありました。転落してしまうと、流れは早く、逆アーチ状の
コンクリート側面には水苔が生え、這い上がることができません。
その側面に溺れた方の爪痕がくっきり残っていたり。
夜中に疎水端に行くと、水音にまぎれて「たすけ・・・」って声が
聞こえるとか・・・子どもの頃そんなことをよく聞かされたものですw

山科疎水、散策オフミーティング。後編に続きます。(^_^ゞ


2015.7/12、山科疎水にて。