カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

涼しいのかな?清凉寺。

2015-08-23 23:34:10 | しゃじ
名前は清凉寺ですが、特別涼しいわけではありません。
シュワッ!ともしないし・・・(^_^ゞ
ちなみに、清凉寺の「凉」の字は「にすい」なのです。ご注意を。
意味的には涼と同じく「すずしい」で良いのかな。
そう言えば「冷」(ひえる・さめる)も「にすい」ですね。

『五台山 清凉寺(ごだいさん せいりょうじ)』
創建は987(寛和3)年、「嵯峨釈迦堂」の名前で知られています。



嵐山 渡月橋の道を真っすぐ北へ20分ほど歩くと、この山門に
突き当たります。(有料駐車場もあります)







「五臺山(五台山)」と書かれた額が掲げられているこの山門は
1776(安永6)年に再建されたもので、楼上には十六羅漢が祀られて
いるそうです。室町後期のものといわれる赤い阿形吽形一対の
金剛力士像を置いた仁王門になっています。






〈山門(仁王門)・京都府指定重要文化財〉


結構広い境内ですね、訪ねたのは7月20日、暑かったです。
・・・清凉寺やのに。(^_^ゞ


〈本堂〉


〈振り返って仁王門〉



〈多宝塔〉
1700(元禄13)年、江戸護国寺で行われた釈迦如来の出開帳の際の
寄進により、江戸で造られたものだそうで、部材を廻船で運び、
1703年に清凉寺の境内に建立されました。

※多宝塔とは、釈迦・多宝如来の二仏を祀る塔。
二重の構造をもつ宝塔で、下は方形、上下の連続部分は饅頭形(亀腹)
となっている。二重の軸部は円筒形、屋根は方形。


        〈弥勒多宝石仏〉
空也の作とも言われており、表に弥勒菩薩、裏に宝塔が彫られていて
宝塔は扉が開き釈迦・多宝如来が彫られています。



〈一切経蔵〉
善慧大士座像、普浄、普賢像、四隅に四天王像が祀られ、
中央に輪蔵、経蔵があるようですが閉まっていたので入らず。
法輪一回転100円で回せるという記述があったのですが・・・

        〈愛宕権現社〉

〈聖徳太子殿〉
八角殿堂、奈良法隆寺の夢殿を模しているそうです。



〈法然上人像〉
正式には「法然房源空二十四歳 求道青年像」?
法然は、当寺を訪ねられたようです。



〈然(ちょうねん)上人墓所 〉


〈嵯峨天皇(右)と壇林皇后(左)の宝筐印塔〉
幕末期までは御陵とされていました。現在、嵯峨天皇の陵墓は、
大覚寺の西北、嵯峨野の北にある御廟山の山頂にあります。
嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)。


〈鐘楼〉            〈狂言堂〉
狂言堂では、国の重要無形民俗文化財に指定されている
「嵯峨大念仏狂言」が演じられます。無料で観られますよ♪
壬生寺、千本閻魔(ゑんま)堂とともに京の三大念仏狂言の一つです。

4月第1日曜日と第2土・日曜日、秋は清凉寺大念仏会の創始者円覚上人の
命日である10月26日に近い日曜日に開催されます。
その他、釈迦如来入滅の陰暦2月15日にちなんで毎年3月15日に行われる
清凉寺の涅槃会とお松明式にあわせて開催されます。狂言の上演が
終わってしばらくすると、お松明のおねりと点火が始まります。
清凉寺のお松明式は京に春の訪れを告げる行事として親しまれ、
これと「五山送り火」「鞍馬の火祭り」が、京都の三大火祭りです。


〈鐘楼〉
嵯峨十景の一つ「五台の晨鐘」がこの鐘楼の梵鐘です。



〈本堂・釈迦堂〉
945(天慶8)年に重明親王妃が棲霞寺(せいかじ)の寺域に新堂を
建てたのが始まりで、度重なる焼失に遭うが、その都度再建され、
現在の本堂は1701(元禄14)年に徳川五代将軍綱吉の母・桂昌院、
大阪の豪商泉屋(後の住友)らの発起により再建されたものです。

本堂内には、国宝・本尊釈迦如来立像が安置されていますが、
この釈迦像は大変貴重なもの。
日本三如来※の一つとされる「三国伝来の釈迦如来像」です。
※三如来:天竺伝来の3体の如来。長野善光寺の阿弥陀如来、
京都嵯峨清涼寺の釈迦如来、京都因幡堂の薬師如来。

釈迦の在世中インド(天竺)で作られた釈迦像が中国に伝わり、
奈良東大寺の僧、然(ちょうねん)上人がそれを中国で模刻して
持ち帰ったというもので、インド→中国→日本と三国を伝来。
元の像は中国で焼けてしまってないそうですから、
清凉寺の釈迦如来像は世界で唯一の生身の釈迦像です。

釈迦が37歳のときの生き姿を刻んだものだそうで、162センチの等身大。
体内に内臓を形どった納入物があり、生身如来といわれています。
これは1954(昭和29)年に発見されたもので、模刻の際、中国尼僧が
絹で作った五臓六腑を収めたものだとか、中国において千年の昔に
人間の体構造を知っていた事を示す、解剖学的にも貴重な資料です。
この五臓六腑模型も国宝に指定されています。



美術的にも「清凉寺式釈迦像」として、かつて日本各地で流行した
仏像の一様式であり、その模刻は奈良の西大寺をはじめ
全国に100体ほどあるのだそうです。
なお、清凉寺は「京都十三佛霊場」の第二番札所になっています。


〈本堂の扁額〉「栴檀瑞像」黄檗宗開祖・隠元 筆
釈迦如来立像は栴檀(せんだん)の木で造られていることに因みます。





〈香炉〉寺紋:加賀梅鉢紋
菅原道真を祀る天満宮と関係があるのかと思いましたが、どうも
江戸時代、このお寺を再構した桂昌院がお玉と呼ばれていた頃にいた
野菜屋の紋というのが通説に?「玉の輿」の話ですね。
菅原道真公の末裔、加賀藩主前田氏の家紋が由来とも。菅家党の
漆間(うるま)氏からは法然上人が出ており、法然上人と所縁の深い
清涼寺は寺紋に梅鉢を使っているという説が正しいのかな?

この香炉は蓮花の形で、ツボミや実までついている凝ったモノですね。



〈阿弥陀堂〉
嵯峨天皇の皇子で、源氏物語の主人公 光源氏のモデルともされる
左大臣 源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)が
あった場所に融の死後、遺族が阿弥陀三尊像を造立し、阿弥陀堂に
安置したことに始まる。
現在の建物は、1863(文久3)年に再建されたものです。



木造阿弥陀三尊坐像は国宝で、この建物の奥にある霊宝館で、
同じく国宝の釈迦如来五臓模型を拝観することができます。





ちなみに『霊宝館』は、毎年春季(4月~5月)、秋季(10月~11月)に
特別公開されているようです。要確認。



2015.7/20、清凉寺(嵯峨釈迦堂)にて。