名前は清凉寺ですが、特別涼しいわけではありません。
シュワッ!ともしないし・・・(^_^ゞ
ちなみに、清凉寺の「凉」の字は「にすい」なのです。ご注意を。
意味的には涼と同じく「すずしい」で良いのかな。
そう言えば「冷」(ひえる・さめる)も「にすい」ですね。
『五台山 清凉寺(ごだいさん せいりょうじ)』
創建は987(寛和3)年、「嵯峨釈迦堂」の名前で知られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/d2/979f3bb97cdb3c4b40d2200038d419f7.jpg)
嵐山 渡月橋の道を真っすぐ北へ20分ほど歩くと、この山門に
突き当たります。(有料駐車場もあります)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b5/d730fa14603a1d97caeab4352a674ca9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/17/b7104d27be8e4af2bd7a94cc4db71800.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/1e/97aefb3d94bd4dcc2f0b262c0efc7338.jpg)
「五臺山(五台山)」と書かれた額が掲げられているこの山門は
1776(安永6)年に再建されたもので、楼上には十六羅漢が祀られて
いるそうです。室町後期のものといわれる赤い阿形吽形一対の
金剛力士像を置いた仁王門になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/84/4743cdce81173d59567d9b4257e2ee64.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/c2/498e830005f630934d95646dc33d10be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/06/b4ec2cde04b06423a9f840780a99a77f.jpg)
〈山門(仁王門)・京都府指定重要文化財〉
結構広い境内ですね、訪ねたのは7月20日、暑かったです。
・・・清凉寺やのに。(^_^ゞ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c3/fc729c80ee7d2f64624dd850849089ec.jpg)
〈本堂〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/1f/d3a84d7d9a52568b345905a28a2a910f.jpg)
〈振り返って仁王門〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/73/8994380807124bff820fc50ca16c2957.jpg)
〈多宝塔〉
1700(元禄13)年、江戸護国寺で行われた釈迦如来の出開帳の際の
寄進により、江戸で造られたものだそうで、部材を廻船で運び、
1703年に清凉寺の境内に建立されました。
※多宝塔とは、釈迦・多宝如来の二仏を祀る塔。
二重の構造をもつ宝塔で、下は方形、上下の連続部分は饅頭形(亀腹)
となっている。二重の軸部は円筒形、屋根は方形。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/16/858e60d892345870fd04b1cb09cc1b9d.jpg)
〈弥勒多宝石仏〉
空也の作とも言われており、表に弥勒菩薩、裏に宝塔が彫られていて
宝塔は扉が開き釈迦・多宝如来が彫られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/47/b14628b34ac37c1680a4287638378050.jpg)
〈一切経蔵〉
善慧大士座像、普浄、普賢像、四隅に四天王像が祀られ、
中央に輪蔵、経蔵があるようですが閉まっていたので入らず。
法輪一回転100円で回せるという記述があったのですが・・・
〈愛宕権現社〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/f5/5cee2106d175da5027ea4ece03071dfb.jpg)
〈聖徳太子殿〉
八角殿堂、奈良法隆寺の夢殿を模しているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7d/bf0404b3c542dce87cbe640ff2200faf.jpg)
〈法然上人像〉
正式には「法然房源空二十四歳 求道青年像」?
法然は、当寺を訪ねられたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/26/41df408b1b4af17714a14f3941c473a8.jpg)
〈然(ちょうねん)上人墓所 〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f8/2e9c2caffd080a4f04c75b1b703684bb.jpg)
〈嵯峨天皇(右)と壇林皇后(左)の宝筐印塔〉
幕末期までは御陵とされていました。現在、嵯峨天皇の陵墓は、
大覚寺の西北、嵯峨野の北にある御廟山の山頂にあります。
嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/3b/305308d560a78de7b60218d31ec3119f.jpg)
〈鐘楼〉 〈狂言堂〉
狂言堂では、国の重要無形民俗文化財に指定されている
「嵯峨大念仏狂言」が演じられます。無料で観られますよ♪
壬生寺、千本閻魔(ゑんま)堂とともに京の三大念仏狂言の一つです。
4月第1日曜日と第2土・日曜日、秋は清凉寺大念仏会の創始者円覚上人の
命日である10月26日に近い日曜日に開催されます。
その他、釈迦如来入滅の陰暦2月15日にちなんで毎年3月15日に行われる
清凉寺の涅槃会とお松明式にあわせて開催されます。狂言の上演が
終わってしばらくすると、お松明のおねりと点火が始まります。
清凉寺のお松明式は京に春の訪れを告げる行事として親しまれ、
これと「五山送り火」「鞍馬の火祭り」が、京都の三大火祭りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/7a/64d47e89420e3a374069c63b2654d89f.jpg)
〈鐘楼〉
嵯峨十景の一つ「五台の晨鐘」がこの鐘楼の梵鐘です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/93/1f8383518f51a29d98a2d2c6b6efae35.jpg)
〈本堂・釈迦堂〉
945(天慶8)年に重明親王妃が棲霞寺(せいかじ)の寺域に新堂を
建てたのが始まりで、度重なる焼失に遭うが、その都度再建され、
現在の本堂は1701(元禄14)年に徳川五代将軍綱吉の母・桂昌院、
大阪の豪商泉屋(後の住友)らの発起により再建されたものです。
本堂内には、国宝・本尊釈迦如来立像が安置されていますが、
この釈迦像は大変貴重なもの。
日本三如来※の一つとされる「三国伝来の釈迦如来像」です。
※三如来:天竺伝来の3体の如来。長野善光寺の阿弥陀如来、
京都嵯峨清涼寺の釈迦如来、京都因幡堂の薬師如来。
釈迦の在世中インド(天竺)で作られた釈迦像が中国に伝わり、
奈良東大寺の僧、然(ちょうねん)上人がそれを中国で模刻して
持ち帰ったというもので、インド→中国→日本と三国を伝来。
元の像は中国で焼けてしまってないそうですから、
清凉寺の釈迦如来像は世界で唯一の生身の釈迦像です。
釈迦が37歳のときの生き姿を刻んだものだそうで、162センチの等身大。
体内に内臓を形どった納入物があり、生身如来といわれています。
これは1954(昭和29)年に発見されたもので、模刻の際、中国尼僧が
絹で作った五臓六腑を収めたものだとか、中国において千年の昔に
人間の体構造を知っていた事を示す、解剖学的にも貴重な資料です。
この五臓六腑模型も国宝に指定されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/1b/aa7b77ef36945a51988170477916209d.jpg)
美術的にも「清凉寺式釈迦像」として、かつて日本各地で流行した
仏像の一様式であり、その模刻は奈良の西大寺をはじめ
全国に100体ほどあるのだそうです。
なお、清凉寺は「京都十三佛霊場」の第二番札所になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/af/37370b0808725806a02c75bb331b04ad.jpg)
〈本堂の扁額〉「栴檀瑞像」黄檗宗開祖・隠元 筆
釈迦如来立像は栴檀(せんだん)の木で造られていることに因みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/66/9ec7fa096abe184d426e74c07188a70d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/5f/6a8ed826cb0c4ca26b65ae12ed71af27.jpg)
〈香炉〉寺紋:加賀梅鉢紋
菅原道真を祀る天満宮と関係があるのかと思いましたが、どうも
江戸時代、このお寺を再構した桂昌院がお玉と呼ばれていた頃にいた
野菜屋の紋というのが通説に?「玉の輿」の話ですね。
菅原道真公の末裔、加賀藩主前田氏の家紋が由来とも。菅家党の
漆間(うるま)氏からは法然上人が出ており、法然上人と所縁の深い
清涼寺は寺紋に梅鉢を使っているという説が正しいのかな?
この香炉は蓮花の形で、ツボミや実までついている凝ったモノですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d7/64b2212423bd9259efe473d81861c23c.jpg)
〈阿弥陀堂〉
嵯峨天皇の皇子で、源氏物語の主人公 光源氏のモデルともされる
左大臣 源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)が
あった場所に融の死後、遺族が阿弥陀三尊像を造立し、阿弥陀堂に
安置したことに始まる。
現在の建物は、1863(文久3)年に再建されたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/92/63eabd3da77277c3562118ee63c5ca23.jpg)
木造阿弥陀三尊坐像は国宝で、この建物の奥にある霊宝館で、
同じく国宝の釈迦如来五臓模型を拝観することができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/a1/079c6c4f57f55b8fa6775db1eab95aa3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d0/64d4a1918106691157c081ddee898abd.jpg)
ちなみに『霊宝館』は、毎年春季(4月~5月)、秋季(10月~11月)に
特別公開されているようです。要確認。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d1/c43daee51a594c79fe37c42b634a1f52.jpg)
2015.7/20、清凉寺(嵯峨釈迦堂)にて。
シュワッ!ともしないし・・・(^_^ゞ
ちなみに、清凉寺の「凉」の字は「にすい」なのです。ご注意を。
意味的には涼と同じく「すずしい」で良いのかな。
そう言えば「冷」(ひえる・さめる)も「にすい」ですね。
『五台山 清凉寺(ごだいさん せいりょうじ)』
創建は987(寛和3)年、「嵯峨釈迦堂」の名前で知られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/d2/979f3bb97cdb3c4b40d2200038d419f7.jpg)
嵐山 渡月橋の道を真っすぐ北へ20分ほど歩くと、この山門に
突き当たります。(有料駐車場もあります)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b5/d730fa14603a1d97caeab4352a674ca9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/17/b7104d27be8e4af2bd7a94cc4db71800.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/1e/97aefb3d94bd4dcc2f0b262c0efc7338.jpg)
「五臺山(五台山)」と書かれた額が掲げられているこの山門は
1776(安永6)年に再建されたもので、楼上には十六羅漢が祀られて
いるそうです。室町後期のものといわれる赤い阿形吽形一対の
金剛力士像を置いた仁王門になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/84/4743cdce81173d59567d9b4257e2ee64.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/c2/498e830005f630934d95646dc33d10be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/06/b4ec2cde04b06423a9f840780a99a77f.jpg)
〈山門(仁王門)・京都府指定重要文化財〉
結構広い境内ですね、訪ねたのは7月20日、暑かったです。
・・・清凉寺やのに。(^_^ゞ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c3/fc729c80ee7d2f64624dd850849089ec.jpg)
〈本堂〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/1f/d3a84d7d9a52568b345905a28a2a910f.jpg)
〈振り返って仁王門〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/73/8994380807124bff820fc50ca16c2957.jpg)
〈多宝塔〉
1700(元禄13)年、江戸護国寺で行われた釈迦如来の出開帳の際の
寄進により、江戸で造られたものだそうで、部材を廻船で運び、
1703年に清凉寺の境内に建立されました。
※多宝塔とは、釈迦・多宝如来の二仏を祀る塔。
二重の構造をもつ宝塔で、下は方形、上下の連続部分は饅頭形(亀腹)
となっている。二重の軸部は円筒形、屋根は方形。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/16/858e60d892345870fd04b1cb09cc1b9d.jpg)
〈弥勒多宝石仏〉
空也の作とも言われており、表に弥勒菩薩、裏に宝塔が彫られていて
宝塔は扉が開き釈迦・多宝如来が彫られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/47/b14628b34ac37c1680a4287638378050.jpg)
〈一切経蔵〉
善慧大士座像、普浄、普賢像、四隅に四天王像が祀られ、
中央に輪蔵、経蔵があるようですが閉まっていたので入らず。
法輪一回転100円で回せるという記述があったのですが・・・
〈愛宕権現社〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/f5/5cee2106d175da5027ea4ece03071dfb.jpg)
〈聖徳太子殿〉
八角殿堂、奈良法隆寺の夢殿を模しているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7d/bf0404b3c542dce87cbe640ff2200faf.jpg)
〈法然上人像〉
正式には「法然房源空二十四歳 求道青年像」?
法然は、当寺を訪ねられたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/26/41df408b1b4af17714a14f3941c473a8.jpg)
〈然(ちょうねん)上人墓所 〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f8/2e9c2caffd080a4f04c75b1b703684bb.jpg)
〈嵯峨天皇(右)と壇林皇后(左)の宝筐印塔〉
幕末期までは御陵とされていました。現在、嵯峨天皇の陵墓は、
大覚寺の西北、嵯峨野の北にある御廟山の山頂にあります。
嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/3b/305308d560a78de7b60218d31ec3119f.jpg)
〈鐘楼〉 〈狂言堂〉
狂言堂では、国の重要無形民俗文化財に指定されている
「嵯峨大念仏狂言」が演じられます。無料で観られますよ♪
壬生寺、千本閻魔(ゑんま)堂とともに京の三大念仏狂言の一つです。
4月第1日曜日と第2土・日曜日、秋は清凉寺大念仏会の創始者円覚上人の
命日である10月26日に近い日曜日に開催されます。
その他、釈迦如来入滅の陰暦2月15日にちなんで毎年3月15日に行われる
清凉寺の涅槃会とお松明式にあわせて開催されます。狂言の上演が
終わってしばらくすると、お松明のおねりと点火が始まります。
清凉寺のお松明式は京に春の訪れを告げる行事として親しまれ、
これと「五山送り火」「鞍馬の火祭り」が、京都の三大火祭りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/7a/64d47e89420e3a374069c63b2654d89f.jpg)
〈鐘楼〉
嵯峨十景の一つ「五台の晨鐘」がこの鐘楼の梵鐘です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/93/1f8383518f51a29d98a2d2c6b6efae35.jpg)
〈本堂・釈迦堂〉
945(天慶8)年に重明親王妃が棲霞寺(せいかじ)の寺域に新堂を
建てたのが始まりで、度重なる焼失に遭うが、その都度再建され、
現在の本堂は1701(元禄14)年に徳川五代将軍綱吉の母・桂昌院、
大阪の豪商泉屋(後の住友)らの発起により再建されたものです。
本堂内には、国宝・本尊釈迦如来立像が安置されていますが、
この釈迦像は大変貴重なもの。
日本三如来※の一つとされる「三国伝来の釈迦如来像」です。
※三如来:天竺伝来の3体の如来。長野善光寺の阿弥陀如来、
京都嵯峨清涼寺の釈迦如来、京都因幡堂の薬師如来。
釈迦の在世中インド(天竺)で作られた釈迦像が中国に伝わり、
奈良東大寺の僧、然(ちょうねん)上人がそれを中国で模刻して
持ち帰ったというもので、インド→中国→日本と三国を伝来。
元の像は中国で焼けてしまってないそうですから、
清凉寺の釈迦如来像は世界で唯一の生身の釈迦像です。
釈迦が37歳のときの生き姿を刻んだものだそうで、162センチの等身大。
体内に内臓を形どった納入物があり、生身如来といわれています。
これは1954(昭和29)年に発見されたもので、模刻の際、中国尼僧が
絹で作った五臓六腑を収めたものだとか、中国において千年の昔に
人間の体構造を知っていた事を示す、解剖学的にも貴重な資料です。
この五臓六腑模型も国宝に指定されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/1b/aa7b77ef36945a51988170477916209d.jpg)
美術的にも「清凉寺式釈迦像」として、かつて日本各地で流行した
仏像の一様式であり、その模刻は奈良の西大寺をはじめ
全国に100体ほどあるのだそうです。
なお、清凉寺は「京都十三佛霊場」の第二番札所になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/af/37370b0808725806a02c75bb331b04ad.jpg)
〈本堂の扁額〉「栴檀瑞像」黄檗宗開祖・隠元 筆
釈迦如来立像は栴檀(せんだん)の木で造られていることに因みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/66/9ec7fa096abe184d426e74c07188a70d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/5f/6a8ed826cb0c4ca26b65ae12ed71af27.jpg)
〈香炉〉寺紋:加賀梅鉢紋
菅原道真を祀る天満宮と関係があるのかと思いましたが、どうも
江戸時代、このお寺を再構した桂昌院がお玉と呼ばれていた頃にいた
野菜屋の紋というのが通説に?「玉の輿」の話ですね。
菅原道真公の末裔、加賀藩主前田氏の家紋が由来とも。菅家党の
漆間(うるま)氏からは法然上人が出ており、法然上人と所縁の深い
清涼寺は寺紋に梅鉢を使っているという説が正しいのかな?
この香炉は蓮花の形で、ツボミや実までついている凝ったモノですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d7/64b2212423bd9259efe473d81861c23c.jpg)
〈阿弥陀堂〉
嵯峨天皇の皇子で、源氏物語の主人公 光源氏のモデルともされる
左大臣 源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)が
あった場所に融の死後、遺族が阿弥陀三尊像を造立し、阿弥陀堂に
安置したことに始まる。
現在の建物は、1863(文久3)年に再建されたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/92/63eabd3da77277c3562118ee63c5ca23.jpg)
木造阿弥陀三尊坐像は国宝で、この建物の奥にある霊宝館で、
同じく国宝の釈迦如来五臓模型を拝観することができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/a1/079c6c4f57f55b8fa6775db1eab95aa3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d0/64d4a1918106691157c081ddee898abd.jpg)
ちなみに『霊宝館』は、毎年春季(4月~5月)、秋季(10月~11月)に
特別公開されているようです。要確認。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d1/c43daee51a594c79fe37c42b634a1f52.jpg)
2015.7/20、清凉寺(嵯峨釈迦堂)にて。