☆10歳にしてようやく……
このところ、ムギはぼくとボール遊びをするのが楽しくてしかたがないらしい。
ぼくが蹴ってやると、まるでサッカーのゴールキーパーのように飛びつく。逸らしても、それを追いかけていくだけである。くわえて持ってくることはできない。いかにも不器用なムギらしい。
10歳にしてやっと見つけた飼い主との遊びなのである。
これまでのムギには、飼い主と遊ぼうなどという発想はまったく欠落していた。母親代わりのシェラしか目に入らず、飼い主のわれわれなんかただ食べ物を与えるだけの、せいぜい散歩につれていってくれる程度の存在でしかなかった。
情感の交流など「ない」とは断言しないもののきわめて稀薄だった
散歩や外出のときに出逢ったよその犬と一緒に遊ぶすべも知らず、いつもシェラにへばりついてきた。生来はフレンドリーな性格だから、一応、よその犬のそばへ寄っていくが、ただ、ひたすらおっかなびっくりの様子だった。
相手の犬が、犬同士としてはごく当たり前に「ねえ、遊ぼうよ」と飛びついてきたりしたらそれだけで驚き、いかにもハラハラしながらなりゆきを見守っているシェラのほうへ逃げ帰ってしまう。
もし、シェラの目が届いていないときは、即座にお腹を見せて降参のポーズをとる。相手が、まだ犬としてのそんな約束事を知らないような子犬であっとしても……。
おとなしく、臆病な性格のうえにひたすら不器用にうまれついたのだろう。
シェラもまた臆病な犬だった。だが、もし、ムギに危険が近づいたら間髪入れずにムギを守るために飛び込んでいく。真の母親でないのに、母性が自己犠牲を容易にしているのが明らかだった。
ドライブのときは、いつもクルマのリアシートに二匹を乗せる。決まって、シェラの身体の下にもぐりこみ、シェラの胸の下から顔を出していた。シェラもまた、嫌がらず、そんな窮屈な体勢を受け容れている。
家にいるときは、シェラの顔に擦り寄って、耳を舐めてもらっていた。
まさに母犬とその子供そのものだった。
☆やっと親離れ
そんなシェラに守られて、ムギは世馴れることができないまま年齢を重ね、精神的に成長が遅れた。10歳を迎えるまで、ずっと子犬に間違えられてきたほど幼い顔をしていた。
このところ、シェラの衰えがなにかと顕在化している。同時に、母犬の役割からも下りた。いまだわが家という群れの中での地位はムギよりも上位を保っているらしいが、だんだん危うくなっているみたいだ。
ムギのほうにシェラの上位に立とうという意図は汲み取れないが、老いた母への依存心はどんどん薄れつつある。頼れないと自覚したらしい。
ムギはようやくにして、衰えていく母親から飼い主であるわれわれに目を向けはじめた。われわれとしても、もういいかげんシェラをムギから解放してやりたいと思う。
いまようやくにしてムギとぼくたちの距離が近づいた。
ムギとの第二章の、遅ればせながらのはじまりである。