☆いつもわんこたちが大喜びで迎えてくれた
実家では中学生のときからずっと犬を飼っていたが、自分で所帯を持ってはじめて犬を飼ったのは50歳のときだった。それが上の写真のシェラである。
犬を飼えて本当に嬉しかった。会社から帰ると全身で喜びを見せて迎えてくれるシェラが見せる犬の可愛さは無上の喜びでもあった。ぼくが帰ってきたのを知って、家の階段を走って昇り降りする姿を目を細めて眺めていたものだった。
犬が階段を昇るのは得意でも、降りるのが不得手と知っていたから転げ落ちはしないかと内心でヒヤヒヤしていた。そんなぼくの心配をよそに、転げ落ちもせず、シェラは木の階段を全力で昇り降りしていた。新築の家の階段はまたたく間にシェラの爪で傷だらけになったが、ぼくは頓着しなかった。
やがてむぎ(写真=中)が家族に加わり、いつのころからかぼくが帰った物音でシェラが玄関まで飛んでくることはなくなった。ぼくの記憶に鮮明なのは、いつも玄関の近くでむぎが見張りをしていて、ぼくが鍵を開ける音で吠えはじめ、ぼくの姿を確認すると、跳びついてくるのではなく、シェラに知らせるために奥へ駆け込んでいくうしろ姿である。
☆変わったのは形だけのこと
やさしくゆっくりとぼくの顔を舐めるシェラの出迎えのセレモニーが終わるまで、むぎはぼくを見上げて吠えていた。シェラの出迎えを切り上げ、両手を差し出すと、むぎははじめてその手に跳びつき、乱暴なまでに激しくぼくの口を舐めるのである。シェラとは対照的な情熱に満ちた「お帰りなさい」」の儀式だった。
むぎが天国へ旅発って、何が寂しかったかといえば、家に帰り着いてドアをあけたとき出迎えてくれる存在の不在だった。静まり返ったままの廊下を通り、リビングルームへ入って、たいてい寝たままでいるシェラに声をかける。
耳が聞こえていないからびっくりして起き上がり、以前よりもさらにゆっくりとぼくの口を舐めてくれる。もう、尾は振れていないが、舐めている時間は変わらない。いい加減なところでぼくが端折ると吠えて、「もっと!」と追いすがる。
そんな生活に馴染みはじめてきたときにやってきたのがルイ(写真=下)だった。会社から帰ってきたぼくの迎え方はまだ定まっていないけど、ルイがいて、シェラがいる「お帰りなさい!」の形が少しずつ確立しつつある。
家に帰ったぼくを待っていてくれたわんこたちの興奮に触れるのはやっぱり幸せである。
☆どんな明日が待っているのだろうか
最近は、玄関のすぐそばの、かつてむぎがぼくを待っていてくれた場所にシェラが寝ている(冒頭の写真)日が増えた。ほんとうにぼくを待ってくれているのか、それともケージの中のルイが鬱陶しくて、玄関の近くまで避難してきているだけなのか、いまひとつ判然としないけど、ドアを開けた瞬間、シェラの寝顔がぼくの目に飛び込んでくると思わず笑みがこぼれてしまう。
カバンを放り出し、「シェラ、ただいま。いい子にしてたか?」と声をかけながらゆっくりとシェラの全身を撫でてやる。身体のあちこちに腫瘍ができている。大きくなっているものもあるし、全身に増えているのがわかる。
「大丈夫か? 痛くないか?」
撫でるのも、ソフトタッチでしかやってやれない。もしかしたら、痛みを我慢しているだけかもしれないからだ。
廊下の先からルイの鳴き声が響いてきて、わが家に淀んでいた喪失感、虚脱感を追い払えたことを知る。シェラとふたりだけのこんな穏やかなひとときもいいけれど、最近、その先に待っているルイとのにぎやかなひとときもまた楽しい。
このふたつのひとときが渾然一体となって新たな楽しいひとときを創出してくれる日の到来を、いまは心待ちにしているところである。
実家では中学生のときからずっと犬を飼っていたが、自分で所帯を持ってはじめて犬を飼ったのは50歳のときだった。それが上の写真のシェラである。
犬を飼えて本当に嬉しかった。会社から帰ると全身で喜びを見せて迎えてくれるシェラが見せる犬の可愛さは無上の喜びでもあった。ぼくが帰ってきたのを知って、家の階段を走って昇り降りする姿を目を細めて眺めていたものだった。
犬が階段を昇るのは得意でも、降りるのが不得手と知っていたから転げ落ちはしないかと内心でヒヤヒヤしていた。そんなぼくの心配をよそに、転げ落ちもせず、シェラは木の階段を全力で昇り降りしていた。新築の家の階段はまたたく間にシェラの爪で傷だらけになったが、ぼくは頓着しなかった。
やがてむぎ(写真=中)が家族に加わり、いつのころからかぼくが帰った物音でシェラが玄関まで飛んでくることはなくなった。ぼくの記憶に鮮明なのは、いつも玄関の近くでむぎが見張りをしていて、ぼくが鍵を開ける音で吠えはじめ、ぼくの姿を確認すると、跳びついてくるのではなく、シェラに知らせるために奥へ駆け込んでいくうしろ姿である。
☆変わったのは形だけのこと
やさしくゆっくりとぼくの顔を舐めるシェラの出迎えのセレモニーが終わるまで、むぎはぼくを見上げて吠えていた。シェラの出迎えを切り上げ、両手を差し出すと、むぎははじめてその手に跳びつき、乱暴なまでに激しくぼくの口を舐めるのである。シェラとは対照的な情熱に満ちた「お帰りなさい」」の儀式だった。
むぎが天国へ旅発って、何が寂しかったかといえば、家に帰り着いてドアをあけたとき出迎えてくれる存在の不在だった。静まり返ったままの廊下を通り、リビングルームへ入って、たいてい寝たままでいるシェラに声をかける。
耳が聞こえていないからびっくりして起き上がり、以前よりもさらにゆっくりとぼくの口を舐めてくれる。もう、尾は振れていないが、舐めている時間は変わらない。いい加減なところでぼくが端折ると吠えて、「もっと!」と追いすがる。
そんな生活に馴染みはじめてきたときにやってきたのがルイ(写真=下)だった。会社から帰ってきたぼくの迎え方はまだ定まっていないけど、ルイがいて、シェラがいる「お帰りなさい!」の形が少しずつ確立しつつある。
家に帰ったぼくを待っていてくれたわんこたちの興奮に触れるのはやっぱり幸せである。
☆どんな明日が待っているのだろうか
最近は、玄関のすぐそばの、かつてむぎがぼくを待っていてくれた場所にシェラが寝ている(冒頭の写真)日が増えた。ほんとうにぼくを待ってくれているのか、それともケージの中のルイが鬱陶しくて、玄関の近くまで避難してきているだけなのか、いまひとつ判然としないけど、ドアを開けた瞬間、シェラの寝顔がぼくの目に飛び込んでくると思わず笑みがこぼれてしまう。
カバンを放り出し、「シェラ、ただいま。いい子にしてたか?」と声をかけながらゆっくりとシェラの全身を撫でてやる。身体のあちこちに腫瘍ができている。大きくなっているものもあるし、全身に増えているのがわかる。
「大丈夫か? 痛くないか?」
撫でるのも、ソフトタッチでしかやってやれない。もしかしたら、痛みを我慢しているだけかもしれないからだ。
廊下の先からルイの鳴き声が響いてきて、わが家に淀んでいた喪失感、虚脱感を追い払えたことを知る。シェラとふたりだけのこんな穏やかなひとときもいいけれど、最近、その先に待っているルイとのにぎやかなひとときもまた楽しい。
このふたつのひとときが渾然一体となって新たな楽しいひとときを創出してくれる日の到来を、いまは心待ちにしているところである。
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