線路を渡った向こう側は
ちょっとした広場ですね。
まあ集団が山歩きを
するときなんかには絶好の集合場所でしょ。
線路の手前には昔の繁華街の状態でしたが、
その広場の横からは小さな川が流れていて、
登山道のところまでお寺などが続いています。
川の水がきれいやなあ
と思いながら見ていますと、
醒ヶ井を歩いた時のことを
思い出しました。
こんなことを遣ったりして。
あっ、この時doironは
傘を持っていますねえ。
こんないい天気なのになぜ?
と思うでしょ。
でもやはり雨は予測されるような
天気だったのです。
そんなことをしているうちに、
一つのお寺に、竹田城初代城主の
「太田垣光景」の供養塔が
あると書いているのを見つけました。
常光寺というお寺ですね。
ちょっと寄っていく
ことにしましょう。
この辺りの道は竹田の
寺町通りといわれているそうです。
竹田城が初めて作られたのが1440年頃。
戦国時代直前の頃ですかね。
その初代藩主の石塔がこれ。
ん?違いますね。
これです。
こんなにここが将来の
観光地になるなんて
夢にも思わなかったでしょうねえ。
ではこれからあなたの
お家にうかがってきます
と挨拶をしておきました。
そしてこの城最後の
城主の供養塔もある
とのことでしたが、
ちょっと見つけられず、
芭蕉翁の花塚があったので
撮影しておきました。
その裏面に刻まれている
彼の句は
「世にさかる 花にも念仏 申しけり」
歩きつつ句を詠んだ
彼の歩く姿が思い浮かびそうな句ですね。
あ、いよいよ竹田駅の
ところにやってきました。
ああ~ここが登り口なんですねえ。
昔はここに門でもあったのかなあ。
ここから山頂までは
標高差約200mの急激な登りです。
そうそう、ここは近畿自然歩道になっています。
今まで行ったところでは、
あの葛城古道や箕面の道、
山の辺の道、飯盛山あたりと同じ道ですね。
ずっと延長して続いている道ではなくて、
ところどころでスポット的に
選ばれた区間も入っていたりしています。
では頑張って登っていきましょう。
最初は舗装された道を
のぼって行きます。
と、そこにちょっとした
広場がありました。
この辺りが城主や家臣団の
住んでいたところらしいです。
政務や戦の時には天守の方にいましたが、
普段は登り始めて
すぐのこの辺りで暮らしていたそうです。
そうやろねえ、
上でずっといるなら
水やトイレも難儀でしょうし、
新聞も届かないやろうしね。
で、道はここから山道へ
となっていきますが、
この道は当時と同じ径路で、
昔の人々もここをテクテクと
登ってお城の方へ
上がっていったようです。
そこには登城の心得も張られてあり、
準備運動、トイレ、水分補給
などについて書かれてありました。
ウヒャ―、トイレはかなり
不自由しそうですねえ。
どうか神様、トイレに
見放されませんように、パンパン。
とお願いしながら、
さあのぼって行きますよ。
登りは結構急なので
すぐに標高が上がっていきます。
あ、ここが時間制限のための
ゲートですねえ。
この時間制限を見ると、
朝もやにかすむ景色を
撮影するのは9月から11月かなあ。
天空の城の景色ね。
あれ?でも待てよ、
そんな景色を撮ろうと思ったら
別の山からやねえ。
失礼しました。
後で山の道案内をしている
係りの人に聞いたら、
向かいの朝来山の
展望台あたりからの
撮影がいいんだといってましたね。
ゲートをくぐっていきます。
春の今頃は、野鳥の鳴き声が
にぎやかですねえ。
道は結構急坂です。
こんな砂地の登り道も
こうして整備しないと、
年間22万人もの観光客が
のぼって行ったら
ずたずたになるでしょうねえ。
続く