ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼二十九番国分寺

2017年04月23日 21時36分35秒 | ウォーキング

一番最初についたのは、
四国巡礼三十番の善楽寺です。

この三十番は実は平成5年までには
「善楽寺」と「安楽寺」の二カ所があったそうです。
納経帳や掛軸はどうなっていたのかなあ。

しかし平成5年10月1日以降は、
善楽寺が三十番札所で
安楽寺が善楽寺の奥の院
ということになったらしい。

いやあ、お寺どうしいろいろと
論争があったそうなのだが、
まあ一カ所に落ち着いて
お遍路さんたちはホッとしたことでしょう。

本尊は阿弥陀如来なので、
御真言は
「おん あみりた ていぜい からうん」
と唱えましょう。



このお寺の絵については、
いろいろと考えてみたのですが、
なかなかこれというのがなく
立ったままの11面観世音菩薩の
像があるので、それにしようか
と思っていたのですが、



奥の方に「梅見地蔵」というのが
座っていました。



からだ中にカビがはえた
古い石像だったので、
ここではこれを描いて
おくことにしました。

首から上の病気に御利益がある
ということで、皆さんに
愛されているようです。

doironも顔の良さは
もう問題ないのですが、
脳梗塞をはじめ脳が弱ってきていることや、
目が疲れやすくなっていること
なんかも含めて描いておきました。

いやあ、石像にカビが生えているのって
書くのんが難しいねえ。

なんかごちゃごちゃになってしまいました。

まあ、仕方ないですねえ。
これも絵の勉強です。
顔の右側面が壊れているのが
ちょっと痛々しかったですけどね。

まっさらな赤い帽子や
前掛けを付けていましたので、
そこはしっかりと描きました。

でも前掛けは影が難しいですねえ。
光もあれば影もあるのを
きちんと描きたいのですが、
全然まだまだ修行が足りません。

さあ、では次のお寺
二十九番国分寺を目指しましょう。

国分寺というのは前も書きましたが、
四国に4寺あります。



讃岐、伊予、土佐、阿波のお寺ですね。

で、この二十九番は
土佐の国分寺ですね。

聖武天皇の時代に各地に建てられたお寺です。

七堂伽藍も整備されていたようです。

ここも長い歴史の中で
寂れたり再興されたり
しながらも今の形で残ってきました。

まあ、今となっては文化財的な
保護価値はあるのでしょうが、
経費をかけて維持していくのは
きっと大変なんでしょうね。

あ、でも四国のお遍路対象であれば
お参りの人も多く、
資金的には楽なのかなあ。

駐車場から山門を超えて
中に入っていきます。
森は結構森閑としており、
本殿へとつながる道は
静かでなかなかのものです。

このシーンを絵にして残しておきましょう。



参道の突き当りにあるのが本堂です。
ここのお寺の人は昔、
土佐日記を記した紀貫之と
深い関係を持ちます。

彼が京都へ行ったりするときには、
いつもこのお寺の住職が
港まで一緒に行って
別れを惜しんだそうです。

土佐日記は土佐の国司であった
紀貫之が京へ帰る際の物語を
虚構を交えて日記風にえがいた作品です。

途中大阪南部も通っており、
阪南から堺にかけての物語もあり
doironの住んでいる泉O津市でも
市内の墓の歴史絵巻にも
その姿が登場しています。

結構冗談や虚構も入った
面白いものだと聞きますが、
果たしてどうなのか。
doironはまだ読んでいません。

この国分寺の本尊は
「千手観音」です。



千の手を持ち、あっちをいじったり、
こっちをくすぐったりしながら
願いをかなえて行ってくれるんですね。

しっかりとお参りしておきましょう。

真言は

「おん ばざら たらま きりく」

そうそう実は首Dさんも
今回は写経をしてきてはります。
頑張って何枚か書いたのを
持ってきたので、
今回おさめて帰ります。

といってはりました。

続く