ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

続・大和田街道1

2017年09月03日 21時08分03秒 | ウォーキング

前回はちょっと時間が足りなくて、
天満から姫島まで歩いたところで
終了した大和田街道歩き。

今回はその続きとして
姫島から尼崎まで
歩いてみることにしましょう。

天候的には非常に悪コンデションでしたが、
まあ大阪市内の人の多いところを歩くので、
注意して歩けばいけるぞ
というのとほんとにここんところ
ちょっと歩きに出かけられていない
という自分なりの危機感で、
頑張って出かけることにした。

この日は電車で出かけよう。

JRの快速で梅田まで行き、
そこで阪神電車に乗り換えることにした。



で、阪神の梅田駅に行きますと
ここで大音量でスピーカから
声が流れている。

「本日は甲子園はもう満席ですので、
今から行っても甲子園には入れません」
という放送だ。

そう、この日は関西勢の戦いが続き、
しかも盆前の祝日ということで、
大量の人が甲子園に行っている
そんな日だったのだ。

これでもかこれでもかと
放送が続く中doironは、
姫島に向かうのであった。

まずは福島を通る。

あれ、そうかあ。
阪神電車に乗るなら
福島で乗り換えてもいいのかあ、
なんて思いながら、
前回歩いたコースをなぞるように
電車は進み、淀川をこえたところで
姫島へと滑り込んだ。



電車を降りてナビをセットし、
まずは淀川まで少し戻っていこう。



阪神電車の高架下をもどっていくと
淀川にぶち当たる。



え~っとこの辺りに道標があったぞ
と思い出し、探ってみるとありました。

「大和田街道」の道標です。



別の面には中之島(難波橋)から
5.1kmと書かれています。



そもそもそれほど長くない
街道ですからね。
ここで約半分ほどでしょう。

その道標はまだ新しく、
平成7年の道標でしたね。



さあここから続く
大和田街道がこれです。



すぐにわかりますね。
大阪市の道標ペイントも
されています。



この道そのものはさほど
古くはないのですが、
横につながっている道なんかを
見ると大きな倉庫のある
家があったりして、



そこはかとなく歴史を
感じさせてくれますね。



この酒屋さんなんかも
虫籠窓なんかがあったりして
古るそうですね。

またマンションの壁の片隅に
地蔵があったりもします。



さあ、ちょっと景色が開けてきましたね。



この辺りは淀川からも
離れているんですがねえ、
標高はマイナス0.4mだそうです。



そして大和田街道の新しい道標を
過ぎたら、見えてくるのが
姫島神社ですね。



この神社については以前も
紹介しましたねえ。

「姫島」とは夫から逃げてきた姫が
住んでいた場所、ということで
「やりなおし」なんかにご利益のある
神社でしたねえ。

ふむふむ何かお参りする人の中には
深あい事情のありそうな人が
多いのかな?

以前は中に入って、
人生やり直しを祈りつつ
お参りしてきましたね。

今回はさらっと鳥居だけ
撮影して進んでいきましょう。

ここから先は未踏の地域です。



北姫島公園というのがあり、
その近くに「大和田街道」の
道標がありましたね。



間違っていないようです。
安心して進んでいきましょう。

前方が橋になっていますねえ。
橋の名前は「大島橋」です。



あれ~でも、この辺りに
川はなかったぞ、と思って
下を見ますと、
自転車、歩行者が通るだけの
溝になっていました。



調べてみると、
昔からの歴史の積み重なった
遊歩道だったんですねえ。

西淀川区はさっきの電柱表示で分かるように、
ほぼ海抜0の地域です。
なので、水に恵まれるとともに
水と争ってきた地域でありました。

また西淀川公害訴訟では
大気の問題でも住民は
戦ってきたようで、
訴訟から20年。

民間会社とは和解し、
国・道路公団とも和解し、
全面解決したという地域でした。

そんな出来事の前に、
西淀川の住民意識を育ててきたのが、
この遊歩道だったんですね。