町屋内をずらっと歩いた後で、
先ほどの案内の女性と
また少し話をしました。
「どっから着てはるんですかあ」
と聞かれ
「泉O津ですよ」と答えると
「私は岸W田から嫁いできてます」
とのこと。
これから祭りやねえ
とか話をしながら
しばらく時間を過ごしました。
篤太郎さんのことなんかも
少し詳しく話を聞いたり、
五條のここから先の
案内なんかも
教えてくれはりましたね。
いやあ、とても親切なところでした。
次に入ったのが
「まちなみ伝承館」です。
ここも中に入ると、
女性の説明員がとても親切でした。
「doironさん、サインください」
ではなく、もう耳がマヒするほど
いろいろと説明をしてくれましたねえ。
いやあ、いろ男はつらい
まずここはお医者さんの
跡地だそうです。
奥の方には五條市の
文化財課があるそうですが、
その部屋の前に「手術室」の
看板が置かれています。
う~ん、五條の歴史や文化を
大手術するんでしょうか。
天井あたりには昔のかごや
ひな人形が行かれていました。
そしてdoironが建っていたところの
頭の上あたりに伊勢湾台風では
この線のところまで
水が来ていたそうです。
近所の吉野川が
氾濫したんですかねえ。
ここにはパネルで
いろんな説明があったり、
いろんな資料もたっぷり
おいてありましたね。
こういう施設に来ているのは
近所のおばさんなんでしょうが
とっても良く教育された
人たちでしたねえ。
ありがとうとしっかり
お礼を言っておきました。
さてだいぶこのあたりのことを
学んだあとで、
次に入っていったのが
「鉄道模型や」と銘打った
ジオラマ工房Y.Nです。
正式名称はこれでいいのかなあ。
写真ではそんな風に映ってました。
中に入ると、
え?これはこの地域のことですか?
「五條ら~」
急行名表示板や
駅の掲示板など
電車に関するグッズが
並んでいましたし、
店の片隅では模型電車が
ぴょこぴょこ走っていましたよ。
doironはいまアトリエ内に
こんな掲示板を飾っていることや
昔の線路を切り取った
文鎮なんかも持っている
という話をしてきましたよ。
こういう仕事をやっていると
テレビに出ることも多いし、
百貨店の鉄道店なんかも出品したり、
助けに行ったりもしているようです。
実は、この先に痕跡の残っている
鉄道の五新線のことも話をしました。
五新線は明治末期に
構想されました。
五條と紀州新宮をつなぐから
「五新線」です。
計画は何度か頓挫し、
昭和14年に着工されたのですが、
戦争などもあり、未完成のまま
配線となった線路です。
もしこの紀伊半島を縦断する
この鉄道があれば、
熊野もうでの様子も
大きく変わっていたでしょうねえ。
そんな話を聞かせていただいたうえで、
これまで大仏鉄道や
武庫川廃線あとなんかも見てきた
doironの話もチョロっと混ぜて置いたら、
楽しそうに話をされていましたね。
記念館のおばさん連中も
親切でしたが、
ここのおじさんもとても親切に
いろんな話を聞かせてくれました。
あ、よく見ると五新鉄道の
キーホルダーやポストカードも
作ってはりましたねえ。
まあ、さほどそんな深い
思い入れもないので
買わなかったけどね。
ま、ここでも楽しい時間を
すごしてさあ先に進みましょう。
すぐ近くにこんな
北山牛乳店もありました。
オリジナル牛乳もあるのかなあ。
あればそんな牛乳のふたが
気になりますねえ。
むかし息子がそれを集めていて、
遠くの大会なんかに行って
牛乳を買ってお土産に
持って帰ったら大騒ぎしてました。
まだ、きっとそんな牛乳のふたの
コレクションは持ってると思いますよ。
で、通りのずっと先の方を
見てみますと、おお街道の上を
こえていく廃線になった
五新鉄道の高架の線路跡が
目に入ってきました。
あそこまでもう少し。
頑張りましょう。