昭和40年代、
ここを流れている大野川は
大変な状況でした。
水の流れも弱く、
悪臭を放つ汚染された川だったそうです。
一時は「死の川」といわれていたそうです。
なので行政もこの川を埋めて
高速道路を作ろう
ということになったのですが、
「公害の西淀川にさらに高速道路はいらない」
と住民が反対し、
それに押されてついに
大阪市はマスタープランから
高速道路を削除し、
大野川を埋め立てて
そこに遊歩道を作ることにしたそうです。
計画ができてから
ちょうど10年後のことでした。
そういった住民の環境に対する
大きな意識が、
その後の西淀川公害訴訟へと
つながっていったんじゃ
ないでしょうかとdoironは想像します。
そういう意味で、
ここの遊歩道は住民にとって
重要なところなんですね。
地図を見てみますと、
「福」のあたりからずっと続いていて、
最終十三の方へと向かって
行ってる遊歩道です。
「福」はこのまえ淀川で
行ったところですね。
淀川の「わざと切れ碑」が
あるところでしたねえ。
では、近々この道を歩いて、
西淀川住民のかつての思いを
描きながら、最終十三で
大火事から復興した商店街で
いっぱい飲みというのが
歩くのにピッタリかもしれませんね。
なにか住民の痕跡が
その遊歩道にあるのか、
ちょっと楽しみにしています。
この秋のシーズンの中で
行けたら行っておきたいところですね。
ま、今回は「大和田街道」の
歩きですから、そんな重要な
遊歩道にかかる橋をこえて
さらに進んでいきましょう。
この辺りにもまだ地面に
歴史案内のプリントがされていますねえ。
なおかつ大和田街道は続いています。
ここの交差点は「大和田1」です。
ああ~いよいよ街道の名前になっている
「大和田」を通過ですねえ。
ここまで大きな交差点を
いくつも超えますが、
地名によしよしと感激して
たぶんこの交差点から
左斜めに入っていく道が
あったのを見逃してしまったようです。
大和田街道はどうも
その道を進んでいくようでしたが、
doironはそこに気づかずに
そのまままっすぐに
前方の橋を千北橋だと
思い込んで進んでいったのです。
計画通りに阪神高速神戸線が
見えてきましたよ。
で、その下をみると
その神崎川の橋の手前に
超薄いビルが建っています。
いやあ、これはすごいですねえ。
入り口は扉一枚分の厚さしかありません。
中はどうなっているんでしょうねえ。
気になります。
さあ、ではその神崎川の橋です。
千北橋をよく見ていきましょう・・・
と思ったら、むむ~こ、これは
「千船大橋」と書かれています。
あちゃー間違えたかあ
と地図を見ながら確認したら、
目的の千北橋の一本上流の橋です。
どうも大和田1の交差点で
道を間違えたようです。
あ~あ、しゃあないなあ。
この後で道を修正していきましょう。
せっかくここまで来たので、
とりあえずは千船大橋を
確認していきましょうか。
ここには洪水対策のゲートがあります。
この辺りはこういう橋が多いですねえ。
海にも近いし、周辺が
海抜マイナス地域なので、
橋のこういう措置は
欠かせないんでしょうねえ。
そしてもっと調べてみたら、
かつてこの橋も大水害にあったようです。
大正五年の大塚切れによる
水害もひどかったようですが、
もっともここで大きかったのは
昭和九年の室戸台風で、
この千船大橋は流されているのですねえ。
当時の水害の復興には
大きな支障になったそうです。
橋の向こう側には、
こんな看板がありました。
ふ~ん、この辺りの河川敷は
なにわ自転車道という位置づけが
なされているんですね。
そういえば神崎川は
もう少し上流で
5時間走という大会が
行われていたんですね。
また歩いていくのも
いいかもしれませんねえ。