ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

兵庫なぎさ海道3

2017年09月28日 21時08分21秒 | ウォーキング

このエリアの名前を見ると、



「神戸市ものづくり工場」



と書かれている。
そう、ここはあの大震災で被災した
中小製造業に対し、
良好な操業環境を
確保・提供することにより、
本格的な復興を支援しようと
作られた全国初の大規模な
公設賃貸工場だそうだ。

へえ、復興支援でこんなのも
建てられているんやねえ。
なかなかのものですな。

さて道はその先で橋を渡る。



「御崎橋」という名の橋で、
どうも海の上にかかっているようだ。

そうここが明治8年に
完成した日本最大の運河

「兵庫運河」なのだ。



材木や巨大な荷物なんかが
この運河を行き来した、
ある意味日本の産業を
支えてきたような運河だ。

船が西から来た場合、
神戸港に入るには
風が強かったりする海の難所
「和田岬」沖をとらねばならなかったが、
そういう不便を解消させよう
として彫られたのがこの運河だそうだ。

水はまあさほど濁っていて
汚いというほどでもない。



最近はそういう水質関係の改善も
進んでいて、どこの海も
さほど汚れていないけどね。

この海岸線のところに
立っていた案内では、
ボラ、スズキ、キスなども
多く生息しているという。



そんな運河の海岸線は
気持ちのいい散歩道にされている。



日差しが強くなければ
のんびりするのも
いいかもしれないね。

日陰のベンチでは
高齢者の男性がのんびりと
座ってはりました。

ところどころの植え込みには
ユーカリが植えられている。



あ、ここではパンダを
飼っているようだ。



シャンシャンですかあ。

んなわけないか。

で、しばらく進んでいきますと、
次の運河の橋が見えてきます。

「材木橋」。



かつてこの辺りには
木がたくさん置かれていたようだが、
その需要はなくなってきており、
今、この運河はあらたな
マリンスポーツなどの面など
いろいろと見直しが
図られてきているそうだ。

これからに注目ですねえ。

材木橋をこえたら道はまた
街中へと入っていく。

ここでまたコースは
和田岬線の踏切をこえることになる。



この踏切には大きな地蔵も
祀られているねえ。
ちょっとチェックしておこう。



ふむふむ立派な地蔵さんが
収められているようだ。

御崎本町の無縁地蔵尊
と書かれてある。

ここに線路が通る前から
あるのかなあ。
その辺のところはよくわかりません。

歩道の植え込みが
大きな銀杏並木になってきたら、



左折して兵庫運河の方に
もどっていくコースに入っていこう。

運河の住吉橋のところに
出てくると、この辺りは



運河沿いの散歩道もまた、
手すりやきれいな床も
しっかりと整備されているようだ。

そして次に現れてくるのが
「清盛橋」というきれいな橋だ。





さあ、出てきましたねえ。

二人目の重要人物「平清盛」です。

日本初の武士政権を
打ち立てた平安時代末期の武将だ。

彼と神戸との関係は深い。

一時、神戸の福原に
遷都したが半年で
京都に戻ってしまう
ということもあった。

かれが神戸に遷都しよう
としたのは、国際貿易港である
大輪田の泊を望む地域だからだ。

ここで日宋貿易によって
財政基盤の開拓を行い、
宋銭を日本国内で
流通させ通貨経済の基礎を築いて
日本初の武家政権を
打ち立てたという実績を持っている。

そんな彼の動きを記した
源平合戦や平家物語の
名場面を描いたレリーフが、
タイル貼りの清盛橋に
数多くはめられている。



ああ、ではあの那須与一の
扇の的なんかもあるのかなあ
と思いましたが、
ちょっとこの橋の両面を
きっちり見て歩く
というわけにはいかなかったねえ。

まあ、この事件が源氏軍を
たたえる事件ですから、
ここにはレリーフになって
残っていないかもしれません。

で、そんな橋を渡ると、
右の方に清盛塚が見えていますが、



ちょっと先に一遍上人の
真光寺の方に寄っていくことにします。

続く