ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

五條をごそごそ歩いた2

2017年09月19日 21時11分54秒 | ウォーキング

敬老祝いもいただいたので
話はまた五條に戻しましょう。

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この辺りは街道の呼び名がむつかしい。

むかし紀州の殿様が
参勤交代なんかで通った時は
「紀州街道」と呼ばれていたそうだが、



これは大阪人としては
大阪~和歌山の紀州街道と
ダブってなんか変だ。

最近doironがよく歩いた
街道の延長として
「大和街道」と呼ぶのが
いいのかもしれない。

和歌山から探り探り歩いてきて、
途中少し抜けて名手くらいまで
あるいたあのみちの
延長でありその東の終点
ということになる。

また残りを歩いて
完歩しないといけませんねえ。

で、その道となる新町通りは
茶色の着色の塗装がされていますねえ。



その雰囲気はよいのですが、
残念ながら道ぞいに
電柱が残されているのが
ちょっと残念ですねえ。

その辺がこの街道沿いの、
歴史的観光地として
踏み込み切れない
中途半端さを表している
ような気がしますねえ。

建物はすべて凝った作り
というか昔の街並みのつくりを
しっかりと継承していますねえ。



窓は多くが格子窓、
虫籠窓もいかしつつ
風情を保っています。



ここは酒屋ですねえ。



調べてみたら原料は山田錦で
仕込みの水は吉野川の
伏流水を使っているようで、
柿ワインも作っているそうです。

入り口あたりをきょろきょろ
確認しましたが、杉玉は
飾ってないようですねえ。

新酒がまだできていなくて
出していないのでしょうか。
よくわかりません。

で、新町通りはその先で
二股になっているようですが、
メインは左の通りですね。



右に行く道は河内長野の方へと
向かう「大澤街道」の始点です。

その分岐点にある鉄屋橋手前の
左側に雰囲気のある和菓子屋さんが
ありますねえ。



資料やネットなんかにも
必ず登場するお店ですが、
店の名前は何かわかりますか?

どちら向きに読んだらいいのか
わかりにくいのですが、
正解は右から左へ、
「餅商一ツ橋」と読みます。

あ、のれんで分かるか。

大正時代からやってる
和菓子屋さんだそうです。

あ、入り口の商品棚に
もちが飾ってあります。
ああ、これは買いたいですねえ。

中に入っていくと高齢者の方が
店番をしてはります。

あの前に飾ってるお持ちは
一個からでも買えるのかな?
と思い「お持ちは買えますかあ」と
まずは聞いてみました。

そしたらその高齢者は
「売るためにあそこに飾ってるんやで」
とのこと。

そりゃそうですな。
では普通の餅と揚げ餅を
ひとつずつくださいと注文すると、
袋に入れてくれました。

おばさんに、ここの店は
何年ぐらいからやってるんですか?
と聞くと

「私が嫁に来た頃にはもうやってたよ」

という返事でした。
あとで調べたら大正時代から
とのことでした。

おもちをリュックに入れて、
どこか休憩できるところで
食べることにしましょう。

周りには医者もあるようで、



こんな薬局を見ながら



進んでいくと、その先に
あったのが「まちや館」で、



昔の町屋の構造を見るには
ここに入るのがいい
とされています。



ここは、政治家であった
木村篤太郎の実家を
解放したところだ。



中に入ると、
親切そうな女性が近づいてくる。
doironを見て

「お兄さん、サインください」

ではなく、この家の説明を
してきはります。

それはそれはとても細かい説明で、
もうこの入り口にいるだけで
施設内を一周してきた感じです。

まあゆっくりとみていきましょう。

ここは江戸末期の建物で、
内部は結構広く、土間が台所、



中庭離れをつなげている。



ここが勉強部屋だったそうで、



こじんまりと学んでいはったんやね。

今を展示室にして
飾り物や手紙なんかを
並べていましたねえ。



これが政治家のポスターで



横の写真がファンだった
夢路いとしの写真です。

え?違う?本人?

失礼いたしました。

かなり似てますねえ。
とか言いながら見学していきます。

続く