ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

兵庫なぎさ海道5

2017年09月30日 21時11分04秒 | ウォーキング

うひゃー、大輪田ポンプ場に



作られた高潮対策ゲートには、
まるでめざまし君のような
キャラクターが印刷されている
ではありませんか。



このゲートの向こう側の
「新川運河」も先ほど通ってきた
兵庫運河同様に手狭な
兵庫港の将来を見越して
明治の初めに作られた運河だ。



現在はこの運河沿いが

「キャナルプロムナード」

として整備され、
木道なんかがのんびりと続いている。



ああ、ここにはきれいそうな
ベンチもありますから、
そこに座って持参のお弁当を食べましょう。



資料なんかには、
カモメの声を聴きながら・・・
と書いてありますが、
うひゃー、ここには大量の鳩が
50m位向こうで休憩しています。

あんな鳩が飯時に大量に飛んで来たら
どうしようと思って警戒していますと、
まずは様子見の鳩が
3羽ほどやってきました。

ここでエサでもあげようものなら、
もう大変ですね。
あのヒッチコックの「鳥」
みたいなシーンになります。

doironは静かにカモメが
羽ばたくような景色でいいんです。

「カモメーが飛んだあ~」。



とか言いながら追い払うと、
三羽は向こうへと帰っていきましたとさ。

それにしてもベンチはあるけど、
屋根はありません。
照り付ける日差しが
熱くなってきたなあ
と思っていたら、
先客もきっとそんな風に
思ったんでしょうねえ。

ベンチに落書きが・・・同感です。



夏場のお弁当は湯を
沸かすわけでもなく手軽でいいけど、
ちょっと豪華さが足りませんね。

これからの季節は
お湯を沸かして
もっとおいしいご飯を頂かないとねえ。

で、おなかもいっぱいになったので、
また先に進んでいこう。

このプロムナードのあたりには、
むかし兵庫城があったそうだ。



その痕跡を表す案内板も建っている。
のちにこの辺りは幕府領となり、
その城は大坂奉行所の与力、同心の
勤番所となった。

奈良の五條も天領となって、
五條代官所があったのと
よく似たものですな。

それがずっと続いて、
明治開元時に県庁となったので、
ここがつまり最初の
兵庫県庁となったわけである。

今日歩き始めた駅の名前が
「兵庫駅」だったのも
こういう理由からきている。

プロムナードの終点には
大きな橋が架かっている。
これが「入江橋」だ。



その橋げたの上に何か置かれてあるぞ、
と思って近づいていくと、
ここにいたのが「清盛君」だ。



う~ん、キャラクターにしては
濃い顔だなあ。



で、コースはこのまままっすぐ
行けばいいのだが、
ここはちょっと清盛君を左折して
北の方へと向かって行こう。

この道は「兵庫津の道」といわれています。

一般に、清盛によって開かれ、
運河も多く作られたこの辺りは
「兵庫津」といわれることが
よくあります。

まあ、古い土地などで
神社仏閣も多くあり、
散歩するとちょうどいいと、
「兵庫津の道」という
ガイドマップも作られています。





そのマップではコースは
はっきりしないのですが、
doironがこの日に歩いてきた道も
含んでもっと広域に紹介されています。

これを参考にまたコースづくりを行えば、
まだまだ名所は数多く残っているようで、
またあらたなコースが作れそうだ。

これはまた今後の楽しみの一つやね。

そんな兵庫津の道を
北向いて進んでいきますと、



わあ、見えてきました。



奈良、鎌倉に並ぶ三大大仏として、
神戸の豪商南条荘兵衛の
一大発願などにより、
建てられた兵庫大仏です。



あれ~でも石切さんにも
三大大仏とかあったけどなあ。

あの大きさとこの兵庫大仏、
いずれもかなり大きそうです。



大きいかその辺の評価の仕方は
よくわかりません。

でもねえ、近づいてみると
かなり大きいですねえ。



この日はお参りしている
サラリーマン風の社会人や
おばあさんがいてはりましたね。

続く