ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

五條をごそごそ歩いた4

2017年09月21日 21時25分15秒 | ウォーキング

五條の基が作られたのは
江戸幕府成立すぐあとくらいとのこと。

新町通りの入り口近くの
栗山邸ができたころですねえ。
松倉氏が大和五條藩を賜り
城下町建設に着手してからですので、
そんな松倉氏をたたえた公園もあります。



ここで先ほどのおにぎりを一個
食べておきましょう。



あんこがさっぱりしていたなあ。



白いのは帰ってから。



そして、五新鉄道はますます
近づいてきました。



この五新鉄道はここまで
何度もかいてきたように
もう廃線になっています。

でもその高架線路はそのまま放置され、
ほっちらかしになっているのです。
この線路はいくつか開通もしたのですが、
いまはこんな高架線路や
バス専用道、トンネル内の
宇宙船観測所なんかで
その痕跡をとどめているそうです。

そんな鉄道をちらっと描いた
河瀨直美の映画「萌の朱雀」
(1997年)があるので
近いうちに見てみようと思います。



その出演者のひとり、
尾野真千子が離婚したという
ニュースが流れたその日に
考えたことだったので
ちょっと不思議な感じがしましたね。



高架の下に行くと



壁に五新鉄道のことが
書かれていたりします。



新宮まで行くといってた
この電車の廃線は多くの人の心に
悲しみをもたらしたでしょうねえ。





さあ、ではこの辺で時間はお昼です。

この新町通りには



「源兵衛」という料理屋さんが
あるのですが、これはねえ
ちょっと値段が合わなかったですね。

もう一軒、簡単なうどん屋さんが
あったので入りました。



う~ん帰りが近いので、
ビールは当然なしで
てんぷらうどんをいただきました。

写真忘れたあ。

さあ、これで歩こうと思っていた
新町通りはほぼ終わりです。

ここから市役所を目指して
てくてくと帰りましょうか。



北向いて歩いていくと、
どうも五新線の高架道路の
上がのぞけそうな場所が
ありましたので、
ちょっと寄っていきましょう。

若しかしたら
まだ線路があったり、
何か鉄道に関するものが
あったりするかなあ
と思ったのですが、
行ってみるとこんな感じ。



ただの荒れ放題になっておりましたねえ。

その五新線から市役所の方に
向かって進んでいきますと、





そこにあったのが史跡公園です。



まだまだ暑い日だったので
セミが鳴き続けていましたねえ。

そこにあった民族資料館に
入ってみました。



どうもこの辺りには、
維新のころに大きな事件が
起こったようです。

それが「天誅組の変」。





五條はもともと天領で
そこに代官所があり
(市役所のところ)、



少人数で運営をしておりました。

そこを尊王攘夷の志士が襲い、
「五條御政府」の看板を
掲げたそうです。



それが1863年の

「天誅組の変」

といわれています。
その組織はわずかひと月で
崩壊したそうですが、
そんな天誅組の資料が
多く集められ、この民俗資料館に
収められていました。

話を聞けば維新時の
ある意味大きな出来事なんですが。
もともと歴史に詳しくなかった
doironにしてみれば、
そんな話は初めて目にした感じで
興味深かったです。

かえってまた勉強しなきゃ
と思いつつ、市役所の車のところに
戻ったのでした。

歩いたコースはこんな感じで、
距離は6キロほどでした。



これまで3回に分けて
大和街道を歩き、
今回で4回目となります。

和歌山から紀ノ川沿いに
ずっと続いているこのコースは
なんか独特の雰囲気がありますねえ。

まだまだ途中の抜けている区間や
かつらぎ、高野口あたりを
歩かないといけませんねえ。

これがねえ資料なかなか
少ないんですよね。

個人で歩いている人の
ブログなんかを探らないと
いけませんね。

まあそれもまたまた一つの
楽しみであるわけですけどね。

また、この先で中途半端に
残っている五新線の後も気になるなあ。

とまあ、そんな風に
いろいろと次の課題が見えてきた
五條の町をごそごそと歩いた
doironブログはこれで終了。

お疲れさまでした。