ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

兵庫なぎさ海道4

2017年09月29日 21時09分46秒 | ウォーキング

清盛橋を渡って少し歩くと、
真光寺の前に出る。



ここは、時宗の宗祖である
一遍上人が立ち寄り、
観音堂で入寂したというお寺だ。

彼の息子が遊行の際に
念仏時に踊りを踊ったところから
踊念仏を各地で唱え続け、
最後には栄養不良で亡くなった
という僧である。

ここのお寺はもともと兵火や
大震災で何度も壊れたが、
地元の人々の熱き信仰により
何度も再興したといわれているそうだ。





今は「清盛七辨天」や「兵庫七福神」の
お寺の一つにもなっており、
多くの参拝者も訪れている。

さあ、ではdoironも中に入ってみよう。

まず境内のなかほどにあるもので、
いちばん目立ったのが「道標」。



「左 京大坂道 右 播磨道」



と書かれてある。

たぶん、この先の西国街道の
札ノ辻あたりに立っていたものを
移設しているのではないか。

そしてこれが



「平清盛御膳水の井戸」。

清盛はここの水でお茶を飲んだそうだ。
そしてここが一遍上人の御所だ。



ああ、ここで彼は遊行の末に
なくなったんやねえ。

「我(が)門弟においては
葬礼の儀式をとゝのふべからず。
野に捨ててけだものにほどこすべし」
と唱えていたそうだ。

いやあ、doironは「なもあみだぶ」
と唱えておくことにしよう。

そうそう、この一遍さんの
映画があります。
主演はなんと「ウド鈴木」。

これは見てみなくてはと、
ツタヤや他のビデオ屋さんで
いくつか探しましたが
ありませんでしたねえ。

2012年の映画だそうで、
テレビでロードショウされへんかなあ。
あ、もうされているかもわかりませんがねえ。
何かの機会で見れたらいいですねえ。

あ、そうそうそれともう一つ、
この僧のじいさんというのが
愛媛の人で、源平合戦のときに
源氏に味方して平家の滅亡に
つなげたという歴史がある。

そんな彼の孫の墓のある
真光寺のすぐ近くに
敵の清盛塚があるというのも、
なんか時空を超えた人々の
つながりを見るようで
ちょっと面白い気がするな。

この寺の横の須佐野公園で、



当時この地方にあった地域名所の



「和田の笠松」の遺跡を見ながら、

ここでUターンして
清盛橋の方へと戻っていこう。



ここが兵庫住吉神社。
ここには清盛塚と琵琶塚がある。



平清盛の墓というのは、
推定で6か所くらいが言われている。
これまで行ったところでは
六波羅蜜寺の清盛塚が
そうだという説もあるし、
この住吉神社の清盛塚も
そうだともいわれていた。

しかし、ここの清盛塚は
昔の市電工事で道路が拡張されたときに
移転されたもので、
移転時に発掘調査した結果、
墓でないことが分かっているという。

それでもこの清盛塚は
8.5mもの高さがあり、
兵庫にとってはとても
大切な人だという人々の
認識の大きさがうかがえるというものだ。

十三重の塔の清盛塚の横には
柳原義達という有名な
彫刻家の清盛も建っている。



そしてその横に立っている
大きな石が「琵琶塚」といわれている。



この石は大きな琵琶の形をしており、
琵琶の名手といわれた
平経正の墓といわれていたところに
1902年に有志によって
建てられたものだ。

まあ、この琵琶塚もここへ
移転してきたものなので、
当時は墓と思われていたものだが
そうではないことが分かっている。

なのでいまは供養塔として
大切にされているのだろう。

コースはここを左に曲がって
新川運河に沿っていくのだが、
目の前にかかる「大輪田橋」を
渡っておこう。



橋げたが古いね。

そう、この橋は、戦争の神戸大空襲
及び1995年の大震災で
焼け落ちたそうだが、



神戸市によってこんな
モニュメントレリーフとともに
再興されたもので、
戦災と震災によって滅びた
親柱を再構成し、神戸市が
付け替えた橋なのです。



続く