ジム友の質問を受けて
「プリンターねえ。
一番答えにくいタイミングで聞いてきたなあ」
「どうして」
「いや、実はプリンターが故障して、
今日買い替えたところで、
まだパソコンとつないでないねん」
と説明して上げた。
「ああ、そうなんやあ。だったら近々つなぐやろ。
それからでいいからハワイの情報を
プリントしてほしいねん」という。
うう~なんというタイミング。
これだとハワイに行きはる前に
接続もちゃんとしないといけないじゃないか。
何かの印刷が迫ってきたら
のんびりするかと考えていたのだが
もうその辺はきっちりと
しないといけないということになった。
「ああ、早くつなぎたいなあ。
ちゃんとつながったらプリントしてあげるよ」
と答えておいた。
もう、これは早くつないで
プリントしてあげないといけませんなあ
と思い、翌日さっそく接続作業に
入ることにした。
まずはプリンターの準備だ。
中味を出して、これまで別のプリンターが
置かれてあった場所に置いてみると、
おお~ぴったりだ。
狭い部屋だからあらたなスペースを
つくるのはめんどうやから
そこは助かったな。
そしてお試し用のインクが
ワンセット付属されているので、
まずはそれを一つずつ入れていく。
インクの種類をこれまでは
「ひまわり」「ちょう」「風船」といった具合に
物の種類で区別していたのだ。
前のプリンターなら
「ひまわり」のインクみたいにね。
それがいまは「クマノミ」という名前の
インクになっている。
色は6種類だから今までと一緒だ。
それをひとつづつ当てはめていく。
それが終わったら次は紙を
入れきれいに印刷できるか
色々とメニューを見ながら進めてゆき、
さあそれでセットアップは完了だ。
電源を入れたまま、
今度はパソコンに付属していた
CDを入れて、接続作業に入る。
ネット環境を確認しつつ、
ルーターの作業をしたうえで
作業を進めていく。
しばらくああこれは手動でするのか
とか確認しながら、
あーじゃないこーじゃないと
進めてゆき、ああついに接続が終わったよ。
じゃ、なんか試し刷りをと思ったのですが、
ああここで頼まれていたネットを
印刷してみようとごにょごにょやってみたら、
おお完成じゃないか。
きれいに印刷されている。
これでまあ、頼まれたことは完成だ。
では最後にスキャナーの具合を確認してみよう。
CDを立ち上げたときに、
ソフトも自動でアップロードされている。
起動後「スキャナーに接続中です」と
メッセージが出ましたが、
ん?エラーが出てきます。
どうもスキャナーが確認できないようです。
「え~印刷はできたのになあ」と
なんどか試してみましたがあきませんねえ。
こうなったらリセットだと、
パソコンの電源を切り、
プリンターの電源を切り再度立ち上げします。
う~ん、それでもだめです。
で、一度中味を見て見ると
ドライバーの中に、前のプリンターの
名前が残っていますねえ。
じゃこれを消してみましょうと
さわりつつ再度挑戦したら、
つながりました。
同じメーカーのドライブなんかが
混在してたらあかんのかもしれませんね。
さあ、これでdoironのパソコンと
プリンターはちゃんと仲良くなりました。
次はミセスのパソコンなんですが、
接続って大変なんやぞー
とわかってもらうために、
指導の下一緒に接続作業を
してもらうことにしました。
そういうと、ああ、わかった
じゃ今度プリントするときにするわ、だって。
簡単だと思ってるんやろなあ。
でもまあいいわ。
そこはミセスの思惑通りに
させてあげましょう。
修理対象期間が過ぎましたという
発表があってすぐにこんな故障が
起こったというところに、
エプソンの陰謀を感じつつ、
これでまたネット環境が
新しくなったことに満足感もおぼえながら、
プリンター交換ようやく終わりです。
は~、疲れた。
プリンターが壊れた。
我が家ではEPSONのプリンターを
ネットワークの中で使用していて、
doiron並びにミセスのパソコンで
共通に使っていた。
配線がないので、こういう形になったのは
便利やなあと思っていたのだ。
しかもこのプリンターには
スキャナーの機能も付いており、
お絵かきのデータ化にも
非常に役に立ったのだ。
もちろんカレンダーの製作にも
大活躍だったから、
トータル2万円もしないで
買ったわりに大活躍してくれていたのだ。
それがこの春頃から微妙に
調子が悪かったんだよね。
お絵かきの展示会で
四国巡りのブログを400枚くらい
印刷したのもかなり負担をかけたしね。
また、エイに九州の写真を
持って行ってやろうと思い、
駅と大野岳の写真を持っていったら
むちゃくちゃ喜んではりましたので、
じゃあ次は大きな交差点と
高校の写真をもっていってあげよう
と印刷しようとしたら、
このあたりからうまくいきません。
プリンターがネットワークの中で
認識されなかったりして
リセットをしたら認識、
みたいな感じになっていた。
それに、プリント部分の掃除も
かなり必要になってきていた。
使用する前には必ず清掃をしないと、
変なインクの”むれ”なんかが出てきます。
さあ、何とか修理できたぞと思っていたら、
なんかこのプリンターの
修理何とか期間が終わりましたと、
エプソンが発表したようです。
いやあもう末期的な症状です。
でもまあ、これで何とか印刷できるぞ
とおもったら、今度はプリンター前の
表示部分に
「廃インク吸収パッドの吸収量が
限界に達しました。
エプソンの修理窓口に交換をご依頼ください」
と文字が出てきた。
ウヒャー、そしたらもう修理なんか
してくれないのかなあ、と不安だ。
なんかエプソンの発表と時期を合わすようにして、
厄介な故障表示じゃないか。
エプソンの陰謀とかじゃないでしょうねえ。
プリンターの表示部分を携帯で撮影し、
電気屋さんにいって見せたら
「ああ故障ですねえ。これはもうメーカーに
出さないといけませんねえ」と即返事。
「え~廃インク吸収パッドなんかの
交換はこの電気屋さんでというか、
自分で出来ないの?」と聞いても
「無理ですねえ」と一本やり。
「じゃ、その交換の値段はどれくらい?」
と聞くと
「他の部分に修理がなければ
6000円くらいですかねえ。」
ウヒャー、簿妙な値段ですねえ。
でもまあ資源保護を考えたら
交換かなあと一瞬思いましたが、
廃インクがたまるというくらい使っていると、
他にも故障があるでしょうし、
最近の厄介な状態がそれだけで
解決することはどうもなさそうです。
確かに立ち上げ時に
「ゴゴゴ~ん」と異音がしたりするしなあ。
他の修理とか考えたら、
新しいのを買う方が安いかもしれませんよ
と店の人は激しく進めてくる。
う~ん、これがやはり日本の
消費生活の原点ですなあ。
この機会に買い替えかあ、
と心を決めて今度は商品の品定めだ。
スキャナーがついてて、
できればA3まで印刷出来て
とか考えていくと、値段が
どんどん上がっていく。
結局doironが今までプリンターを
置いてあった場所に
普通に置き換えることができたら
なんて考えると、やはりこれまでと
同じ程度のプリンターがよさそうだな。
結局買ったのが
「EP-880A」
まあこれまでと同等程度やね。
ねぎりに値切ってこれを買って
帰ることにしたのだ。
ああまた接続しないとなあと思いつつ、
めんどくさいなあという気持ちが
勝ってしまい、明日にでも接続するかと、
その日は夕方のジムに出かけたのです。
ローラー台をジョグしながら
「スキャナーの接続もちゃんとしないとなあ」
と考えていたその時です。
ローラーで横に来た友達が
「doironさんとこプリンターあるよなあ」
と話しかけてきたのです。
むむ、これは何か頼まれる雰囲気です。
続く
一方通行を逆に歩かないように、
示された方向に向かって行くと、
池の周りを歩いていきます。
こんなコバンソウが咲いています。
ヨーロッパ原産やから
日本の古来からの植物でもないんですが、
いまはもう各地にはびこっているから
いいんですよねえ。
でもねえ、そう考えたら外来植物も多い。
山の中で見たキショウブも外来植物だし、
このアレチハナガサも
注意すべき外来植物なのだ。
なかなか日本古来の植物だけで
群落なんて無理だよねえ。
こうして外来植物も含んだ、
いまや日本の普通の植物群落の中で、
自然はどんなふうに移っていくのか・・
そういうことを知っていくのも
ビオトープの役割なのかなあ。
でもこんなオカトラノオなんかも
きれいに咲いていましたよ。
池をぐるりんと回っていくと、
テントが張られてあったりします。
ああ、ここで自然を眺めながら
BBQ?それともフグの暴れ食い?
なあんてことはないですね。
このウォーキングに合わせて、
魚の展示とかしてはります。
このビオトープの案内テントで
観察会の受付もしているようですが、
先着何名ですからここはまあ
他の人に譲っておきましょう。
こちらには生き物おたくのジダンや
doiron植物愛好家もいますしねえ。
ここでやっとジダンの会社の人が現れました。
「いつもOOさんにはお世話になられてます」
と挨拶しようと思ったのですがあ、
まあここはおとなしくしときましょう。
会社のえらいさんの品位を
下げてもいけませんからね。
彼女は観察会に入るようなので、
フグの唐揚げなんかをいただいて
少し休憩した後は、また二人で
進んでいきます。
いただいた地図から言っても、
もうそんなに厳しいところは
ないでしょう。
すこし車が走るような
ロードに出てから、
しばらく行くとまた右の山道の方に
入っていきます。
こんな丸い石の地蔵さんや
山の洞を眺めた後は
結構な登りにさしかかります。
意外に素人ウォーキングの大会ですけど、
かなり登りますねえ。
そして送電線の塔がいくつか表れて、
表式に沿って右折。
ちょっと眺めのよさそうなところを
過ぎたら住宅街に出ていきます。
コースそのものには何人もの
電鉄会社の若い人が立って
案内をしておりました。
「大変やねえ」と声をかけたら
「休みの日にかり出されています」
といってはりましたな。
まあ、こうしていろいろ活用して、
将来山歩きなんかを
楽しむ人になればいいんやけどね。
さあ、もう駅が近づいてきましたよ。
と、その時に我らは貴重な
ものを発見したのです。
もうビオトープ歩きには欠かせない、
我らの生態をくすぐるものです。
そう、それは何と、
お酒の自動販売機です。
欠かさず買いましたねえ。
doironはビールをジダンは
とりあえずの電車旅のトイレ探しに備えて?
チューハイの購入です。
駅のベンチで「ぷは~」、うまいです。
もう生態系がどうなってもいいです。
たくさんの想いがウヒャヒャーと
あふれてきます。
そうこれこそが「ビオトープ」
観賞のおまけです。
これを我らの「ビアトープ」
と呼びましょう。
そこから南海電車に揺られて、
次の会場へと向かいます。
またまたこの阪南辺りの古墳や
神社の追加ウォーキングを
頭の中で企画しながら、
次の企画地岸和田で下車です。
そうここでこの岸和田の
歴史についてみて回りましょう・・・
ああ、この商店街は懐かしい。
doironの45年前のうろつき地です。
あの頃は「昭和といわれていた時代で・・」
などと感想を述べるのではなく
もう我らは一直線に
「王将」に突入なのです。
餃子は外来植物ですが、
もう関係ありません。
それにジダンの努力で王将は
もう7%引きなのです。
そうしてわれらは「ビアトープ」の
熱心な観察会へと入っていくわけです。
あ~とは知らない、
二人はふる~い
おしまい
はあはあ言いながら、
ときおり石で組まれたような
階段も上がっていくと、
そこが客山展望台です。
別名「船が空飛ぶ展望台」だと
名前が付けられているように
海の上にいる船が飛行機にように
見えるそうです。
ああ、飛行機が海に
浮かんでいるんじゃないですよ。
でもこの展望台に上るには
ちょっと長い行列ができていました。
これは登ってみたいのですが、
時間の節約をしないとね。
どうせ今日のような気持ちいい道は
またもう一度再び訪ねてくるだろうと
思っていたので、今日はパスです。
展望台の下からも、
まあまあ遠くの景色は見えており、
以前飯盛山を目指したときに、
途中で寄った高野山(こうのやま)
が見えています。
あの時にこちらの方を向いて撮った
写真がこれですねえ。
写ってるかな?
さあ、ではここから道を下っていきましょう。
ジダンのギャグに滑って転ばないように
足元には注意です。
あ、ここにはイノシシの
背こすり跡があるそうです。
熊のこすり跡じゃないでしょうねえ。
イノシシが、「ここかゆいの~」と
いいつつこすりつけた跡ですね。
おおぜいの人が立ち止まって見ています。
前に団体さんが歩いていたりすると、
彼らのペースで進んでいくことになるわけですね。
時折通り過ぎる「ドウダンツツジ」や、
池とも沼ともわからんような
湿地に咲くキショウブなんかが
コースを彩っている。
あ、キショウブは外来植物なんですけどね。
そのあと時折でっかい送電線の塔の
横を通り、車道に出たらそのあたりから
「いきいきパークみさき」
の方へと入っていきます。
ここにあるのが、今回のウォーキングの
一つの目玉があります。
それは「青木松風庵」の
「月化粧」という目玉のような
お菓子を焼いているところです。
なので「目玉」なんです。
まあそのお菓子を作っている工程を
見学することができ、
お土産までくれるという
豪華なシステムなんだそうです。
そして、なんとさらに豪勢なことに
トイレまでかりれるというおまけつきです。
これはもう喜んで入っていかねばなりません。
工場の中には火鉢がずらっと
並べられており、そこに
おばあさんがずらりと座って
猫を膝の上に置きながら餅を焼いています。
なあんてことはなく、
近代的な工場で次々と
お饅頭が仕上がります。
なにせ3秒で1個売れているそうです。
でもさあ作る方は3秒で50個ぐらい
作られているんやないかなあ、
なんか計算が合わないような・・
あ、工場の創業時間とかも
あるんやろねえなどと
会社の都合なんか気にしながら、
休憩室で焼きたてのお菓子を
いただいたのでありました。
さあ、ではトイレも済まして
帰るときには、月化粧のはいった
お土産もいただきましたねえ。
まあ、実はdoironはお菓子の「むか新」の
えらいさんとは、高校の同級生同士の
つながりがあるので、
この店とはつながりはないのです。
でもまあ、こうしてもらえたので
月化粧は三年に一個くらいは
買ってあげるようにしましょう。
ここから広いグランドのような
ところをくるりんと回っていきます。
あ、ここに「ミサッキー」が
回ってきていますよ。
う~ん、宣伝活動の一つとして
頑張っているんでしょうねえ。
でもこのキャラについている
お兄ちゃんがなんかユニークな
感じだったんですけど・・・
なんていってたらあきませんね。
かつての同業者です。
そしていよいよビオトープの
方に入っていきます。
入り口のフェンスのところには、
ジャーン、
本日の参加者の数が発表されています。
う~ん、なんか参加しやすい
こんな大会の割には少ないような、
多いような、微妙な数でしたね。
入っていくとすぐに池に出ます。
ここでは申し込み順で解説員が
ついてビオトープ探索をしているそうです。
何人かのグループが既に説明を聞いています。
こそーっと入っていったら
「あ、狸だあ~」といって
騒がれてしまいそうです。
池のふちを歩いていたら
「ああ、そこは一方通行の反対向きに
歩いていますよ」と叱られてしまいました。
一方通行かあ、ふーむ、
ビオトープも難しいですなあ。
続く
「ビオトープ」っていうのは
ドイツの学者が言い出したことばらしい。
でもそれもいろんな意味を持ってて、
生態系を作ってそこで生物を
育てていくものから
家庭用のメダカスイレン鉢まで、
いろんな形でビオトープといわれたりする。
自然の中で走り回り、
ランニング後にビールをいただくあの人も、
これからはビオトープランナー
と呼びますかねえ。
そんなあの人から、岬町の山を歩き
ビオトープ見学もするという
ツアーに参加しませんかと
お誘いがあったので行ってきた。
こちらはウォーキングですよ。
ビオトープウォーキング、
略してビオウォーです。
うう言いにくい。
まあなんでも仕事の関係での
顧客とのひとつながりもあるし
職場の若手も参加するという
ツアーなので、南海電車で
「孝子」まで行って参加
という段取りだ。
駅に行ってみると、
え~あの人の会社の若手もくるのかあ。
どうりで今日の服装は
ポロシャツにストレッチズボン、
頭にはタオルむき出しではなく
帽子をかぶっているという変装ぶり。
だったら気安く「ジダン」て
呼んだらあかんよなあ。
何せ会社の長老だしなあ。
ジネディーヌ・ジダンと
正式に呼ぶの?
じゃなくて、え~っと、
自治体に届け出ている彼の
裏の名称は何だったっけ。
ああ、そうかあ名字は
ああいう名前だったっけな。
その名前で呼ばなあかんのやろなあ。
まあそんな風なことを
色々考えながら、
箱作当たりの古墳や神社の話を
聞きながら到着しました。
「孝子駅」です。
あ、そうそう今回は岬町の
ビオトープに入っていくので
カメラは大き目の一眼レフを
持っていこうと、
久しぶりのニコンにしました。
これがねえ、カメラのレンズキャプがなくて、
チップスターの入れ物を使っています。
今日はどの色にしようかなあ、
なんて悩んで「赤」にしました。
岬町です。
大阪の南国です。
情熱の赤色がいいでしょう。
でもあとで考えたら、
ビオトープとかやったら
グリーンがよかったかもね。
孝子の駅から受付会場に向かいます。
そこで地図等を受け取って、
さあではコースに出ていきましょう
と思ったら、ジダンも
仕事をしていますねえ。
これが仕事の相手です。
うそうそ。岬町のゆるキャラで、
「ミサッキー」といいます。
実はこのゆるキャラは双子で、
岬町以外では「ミサキーチョ」と
いうそっくりなのが活動しているそうです。
ああ、岬町の有名物を
いっぱい体につけていますねえ。
握手をしときました。
あの人の会社の同僚は
遅れてくるそうなんで
こちらは先に歩きに出発です。
最初は孝子の森を目指して
村中を抜けていきます。
この辺りは昔からの地域でしょうねえ。
地蔵さんなんかも置かれています。
そんな昔の住宅地を抜けたら、
川沿いにどんどん山の中へと
向かって行きます。
あ、この辺には山菜が多いですねえ。
ウドなんかも生えていますよ。
孝子は大阪府の最南端。
けっこう自然も豊富なようです。
まあだからビオトープなんかも
作られるんでしょうね。
ハイキングコースと書かれた
大会側の案内に沿って進んでいきます。
メンバーは、土日の山歩きですから、
いつもの高齢者ばかりではありませんね。
しっかり働いているよ
というような人たちも来ています。
池も超え、こんなしっかりした
山道を気持ちよく進んでいきますと、
「孝子の森」と名付けられた
広場に出てきます。
ここは中孝子地区の共有林で、
みさき里山クラブが管理しています。
広場やちょっとした作業場なんかもあり、
うまく使えば自然とのふれあい
なんかでも活用できそうな感じですねえ。
その森を抜けていくと、
さあ展望台までかなり急な
上り坂が続いて行きます。
さあここからさらに
気合を入れて歩き始めましょう。
続く
大阪から車を転がして約7時間
孫の生まれた病院まで
やってきた、おじいちゃん、おばあちゃんです。
うわー、doironにそっくりですねえ
将来トライアスロンするのかなあ
ウルトラ走ったりするのかなあ
かわいいですねえ
元気に楽しく育ってくれたらいいね
今回はすぐに帰るけど
すぐにまたやってきて
遊び方いっぱい教えてあげるからねえ
それにしても
長野県往復約1000キロ
ハードでしたあ
昨日は広報の取材の日でした。
朝から市民プールで
午後は盆踊りの取材。
ああ、広報の何やかやの
忙しい一日でした。
そんな日の朝、早朝に息子から電話
「陣痛が始まったようなので
もう、病院に来てるよ」とのこと。
それを受けたミセスは
「そうかあ陣痛が始まったんなら
三日くらいで生まれるかなあ」と言っていた。
そうかあ、じゃあまだ落ち着いて
市民プールで取材やなあと
出かけていきました。
取材は一人なんですが
なんかおっさん一人でカメラぶら下げて
プールサイドを歩き回るのも
変な話やなあと思い、
ミセスも同行してもらうことにしました。
カメラを濡らさないように
頑張って取材し
作品は、まあまあでしたかね。
取材後、メールを入れると
今が陣痛の期間も長く
落ち着いているので大丈夫とのこと。
そうかあ連休明けくらいかな
午後、ジムに行って運動してから
夕方からの盆踊りの取材へと
出かけたのでありました。
現場に行き、写真を撮っていると
そこへメールが届きました。
「おじいちゃんになったで~」と
いいながら、生まれたばかりの
孫の写真を送ってきました。
「おじいちゃんになるより
パパになる方が大変なんやで~」
とかいいながら、にこにこと
メールを眺めるじいちゃん。
3436gの筋骨隆々の男の子でした。
ああ、もうこうなったら
取材も手抜きです。
ああ、こんな写真があったら
喜ぶだろうと検討しつつ
バシャバシャ撮影してさっさと引き上げです。
今回はほかにも取材者がいましたので
気が楽でしたね。
慌てて帰宅してから
ミセスと長野行きの計画を立てました。
とにかく生まれたばかりだから
母親もしんどいだろうと
中一日あけて、息子が休みの
連休最終日に行くことにしました。
明日というわけですね
では今夜我が家で祝いをしようと
買い物に行くことに。
え~っと、孫誕生記念伊勢エビとか
孫誕生記念お寿司
あるいは孫誕生記念ステーキ
とかは売ってないかなあ。
しばらくは友達とやる麻雀も
リーチ、タンヤオ、ピンフ、孫いち
で満貫
なんてやってくれないかなあ。
村の人への告知となると
自治会の掃除のときに
有線放送をdoironが流すので
その時に
「え~私に孫が生まれまして
今日はその誕生記念掃除を開催します。」
なんて言っといたら
手間なくていいんですけどねえ。
さあ明日は頑張って運転していきましょう。
最初の写真じゃよくわからなかった
顔を病院でじっくり見てこようかねえ。
doironに似てキムタクそっくりかなあ
まあ、なにせもうおじいちゃんなので
無理をしないように
のんびり楽しくいって来ることにしよう。
市の広報の依頼を受けて、
取材が続いている。
ーーーーーーー
自分の判断で記事を削除しました
ーーーーーーー
結局200枚くらい写真を撮って
取材は終わり、原稿も書いて
ひと段落です。
まあどんな記事になるのか、
時々は広報最終ページを見といてちょーだいね。
この山にはこれまで二度ほど
訪れたことがありますが、
ミヤマキリシマがこんなに咲いている
季節は初めてでした。
あちこち写真を撮り、
さあでは霧島の方に降りていこうとすると
通りかかるのが「つつじが丘」。
山の高原全体に、ミヤマキリシマが満開です。
思わず車をとめて写真撮影に
少し時間をもらいました。
中に入っていくと、遠くの方には
いかにも中国人の団体が写真を撮っています。
看板があるからその辺は写真スポットですねえ。
ひとと火山と花々がうつるスポットです。
そこで撮った一枚がこれ。
そこから公園内を歩いていき、
何枚か写真を撮りました。
ある一カ所で、三脚を立てて
きっちり写真撮影している
男女二人がいたので、
鳥か何かを待っているのですかと
聞こうと思ったら、
外国語でしゃべってはりました。
ああ、こんなところで本格的に
写真に向き合っている外国人がいるなんて
ちょっと意外でしたねえ。
そんなつつじが丘をすぎたら、
みちは一気に下っていきます。
下りのカーブでは4輪ドリフトを刻みながら
激走していきますと、そう20分くらいで
なんか記憶にある場所に出てきます。
そこが、旅行の初日に霧島を訪れたときに
やってきて車をとめ、
ロープを少しだけ超えて
場所の確認に行ったところでした。
振りそぼる雨の中、地面から
蒸気が舞い上がっていた場所でしたねえ。
そうかあ、あの日からまだ
二日しか経っていないんですねえ。
もっとずっと過去の事かと思うほど、
われわれはたくさんの旅をしてきました。
ああもうこれで今回の旅で
回るところは終わりましたねえ。
三人とはこれまで紀伊半島、福島県と
旅をしてきて、今回はもうブログでも
doiron最多の20話になるほど
たっぷりと楽しんできました。
高校の時の想いでも入れれば
25話にもなる長編でしたねえ。
さて、では次はどこに行くかを、
今回の最後の晩餐である
鹿児島空港で相談することにしましょう。
まずはレンタカー屋に向かって行きます。
空港近くのお店です。
ガソリンスタンドが横にありますので、
そこでガソリンを満タンにし、
チェックを受けて終了です。
「う~ん、4輪ドリフトを
やりすぎましたねえ」などとは言われません。
そしてそこからレンタカー屋の
バスで空港に向かいます。
今はまだ6時。飛行機は20時55分発ですから、
十分時間もありますので、お土産の残りを買ってから、
食堂に向かいます。
ここで食べたのは「海鮮丼定食」です。
刺身をつつきながら、
今回の旅行で最後の生中を行きます。
「お疲れさんでしたあ~プハ~」
あ、瓶ビールにも西郷どんがいます。
高校の頃は苦くて3人で
一本の缶ビールも飲めなかったのに、
もう還暦過ぎたらまずは
基本はいっぱいのビールから始まるのです。
時代の流れですよねえ。
戦争も済んで、僕らはいい時代に生まれ、
まあみんなそこそこ仕事をこなしてきました。
そしてもう三人とも家に帰っても
仕事が待っているわけではありません。
翌日はのんびり後片付けですねえ。
doironも写真の整理と展示会の準備に
かかりましょう。
あ、新たに入った取材仕事には
いきますけどね。
今月から地元市役所の広報紙の取材
というプチ仕事が入っていますのでね。
今月号の広報で紹介されてますよ。
まあ、これも自分へのストレスを
少しでも与えるために
やっていこうと思っています。
いまはもう還暦過ぎの三人ですから、
のんきでいいんですけど、
ちょっとしたストレスも入れていかないとね。
鹿児島空港で飲みながら、
「次回は北海道の洞爺湖かなあ」
なんて話も出てきたりしています。
さあ、これからどうなっていくかですね。
時間通りに鹿児島を出発した飛行機に乗り、
生中で気持ちいい三人は
気がついたらもう着陸でした。
何とかT本さんも目的のバスに乗り帰宅。
doiron達も迎えに来た
ミセスの車で無事に帰宅したのでした。
いやあ、とってもいい旅でしたねえ。
これにて「西郷どん旅」おしまい。
ここから、鹿児島の西端の海を
眺めながら進みました。
もうこの海の向こうは中国です。
場所的には上海に近いようです。
そんな海を眺めながら
いちき串木野市まで移動していきます。
2005年に串木野市と市来町が
合併してできた市です。
ひらがなで7文字の市は
日本で二番目に長い市名となるそうです。
一番目は8文字。
それはどこなのか一度調べてみてください。
この辺りにはどこも寄ることもなく、
ただ単に犬が「わしはここに来たで」
と電柱にマーキングするように
通過していったわれら3人だったのでした。
ここから車は南九州西回り自動車道という
有料道路へと入っていきます。
途中こんな岩だらけの山の景色なんかを
眺めながら進んでいきます。
そして次に目指すのは「えびの高原」です。
では、問題です。
こんなに山の中にあるのになぜ
「えびの高原」なんでしょう。
河原に火山のせいで巨大に生息した
海老がいるから?
そ、そんな大エビの世界ではないですねえ。
起源をたどっていくと、
いろいろある節の中で、
この高原の大量のススキが山を
葡萄(えび)色に染めるから
というのが一般的だそうです。
えびの市は宮崎県の市なんですが、
山の中の市なのに「えびの市」という
理由をつけたのはなぜなのか
わかっていただいたでしょうか。
西郷どんの旅ですが、
最後には宮崎県へと行く我らでした。
霧島から上がっていけばいいのですが、
実はdoironは高校の頃に旅した
宿方面から上がっていきたかったのです。
えびのの駅から歩こうとして
宿のおっちゃんに拾ってもらった
あの方面の道を上がってみたかったのです。
あの時に泊まった温泉は白鳥温泉だったのですが、
上湯だったのか下湯だったのか
よく覚えていません。
明かりはランプで撮っていました。
フーンといいつつ触ったランプの
上蓋が暑くて、ちょろっとやけどを
したのを覚えています。
でも露天風呂はとても気持ちよかったですねえ。
車で迎えに来てくれたおっちゃんと
いっぱい話をしました。
あの時はたぶん40歳台くらいの
おっちゃんだったから、
いまはもう生きていても90歳近い年代です。
もう生きてないかなあって感じですね。
車で走っていると、おおそうです、
道の左側に温泉宿がありました、
あの時は下湯だったのかなあ。
還暦過ぎてまたここに自分の運転で来るとは
想像もしていなかったですねえ。
そんな思い出をかみしめながら
山頂を目指していきます。
あの時泊まったバンガローなんて
今はないのかなあて思って調べてみたら、
今もあるようです。
これがバンガロー。
う~ん、もう少しログハウス風だったような
気がします。
ここにはキャンプ場もあって、
「蚊が少ないので気持ちよくテントがはれます」
と書いてありますが、
写真を見たら野生のシカだらけじゃないですか。
ああ、でもたぶん今もここで
キャンプやバンガローを楽しむ
人たちもいるんですねえ。
駐車場に車をとめて、
その辺を散歩してみましょう。
この辺りはミヤマキリシマという
ツツジの産地なんですが、
それが何と今が最盛の季節でした。
こんな感じのつつじです。
うひゃーきれいですねえ。
これはしっかり写真を撮っておきましょう。
ここからは、最近噴火した
新燃岳の噴煙も見ることができますし、
手前の韓国岳横の噴火口も見えています。
「え~あの火山の煙は飛んでこないのかあ」
とT本さんは不安だったでしょうねえ。
でもレンタカーだし、
もう泥だらけで返しても
きれいに整備してくれますよ
と言っておきました。
で、問題はその山の斜面です。
立ち入り禁止の山の斜面に、
ミヤマキリシマの大群落が
咲いていましたよ。
火山が紫色に!
すごい景色です。
続く