ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

還暦過ぎ頃の九州旅行18

2018年07月11日 21時19分51秒 | 最近の出来事

九州旅行も最終日を迎えています。
じつは先日、大阪梅雨明けの
翌日に大阪の柏原の方を歩いてきました。
きれいな青空と夏の雲が
気持ちのいい散歩でしたねえ。
今年も楽しい夏にしないとねえ。

では九州もあと3話
読んでくださいね~

ーーーーーーー

知覧の特攻平和会館は、
鹿児島県南九州市知覧町郡
(旧川辺郡知覧町)にある、
第二次世界大戦末期に編成された
大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する
資料を展示する施設です。

運営は南九州市。

知覧、頴娃、川辺の町が
2007年に合併して市となったところだ。

特攻に関して、写真、遺書などの遺構が
5000点くらい展示されている。
でもねえ実際に相手の船に飛び込んで
大きな被害を与えた特攻機は
少なかったといいます。
もうアメリカ軍の飛行機なんかが
高性能で飛んでいた時代だ。
船にたどりつく前に撃墜されていただろう。

それにしても、国のため、家族のためにと
特攻に向かう人々の想いは壮絶で、
それを展示したこの施設は
すごいオーラをはなっている。



そして目的は、彼らの想いを
胸に刻みながら、やはり平和を
願うための施設なんだそうだ。

展示されている遺書は、
家族への愛に満ち、
自分の決意を完璧にたたえている。

みんな幸せになるように。

そんな言葉の反乱がもうまるで
私らの心をかき回すように
あふれている。

もし今の世の中で戦争があったら、
そんな風には絶対ならんやろなあ。
まあ今はボタン一つの時代やもんなあ。
やはり教育があんな風に人間を
変えていくんやろかねえ。

ここにきている小中学校の子どもたちは
これらの物を見てどんな風に考えただろうか。

まるでゲームの1シーンのように
とらえてはいないだろうか。

きっと実のある施設見学で
あってほしいものだ。

そうそうここでもゼロ戦が置かれてあったなあ。

ここは撮影可能ですから
撮っておきました。



一世を風靡したゼロ戦も終戦前には
アメリカ軍機の前ではおもちゃみたいな
存在だったんでしょうねえ。

ほかの展示物はすべて撮影不可です。
旅立つ前の戦士たちの姿の写真なんかは、
もういまなら涙なしでは
シャッターを押せないような
素晴らしいもので、それらを
紹介したかったけど無理ですねえ。

みなさんできれば一度はこの施設に
行かれるのはいいんじゃないかと思いますよ。

この平和会館の開館は1985年。
なので高校の頃に旅行に来た頃には
存在していなかったんですねえ。

あの頃で終戦後まだたった40年。
戦争なんてずっと昔のことだと
思っていたけど、意外にそれほど
遠い世界の事じゃなかったんやなあ
と思ったりする今日この頃です。

このあとミュージアム知覧も
共通券でのぞきましたが、
ありふれた過去の展示物はもういいです。



これよりもっと平和会館の充実に、
お金を使った方が
よかったかもしれませんね。

首Dさんおすすめの場所は
とてもすごいところでした。

さあ、ではこの辺でそろそろお昼です。

小中学生は周りの広大に広がっている
公園の中でお弁当を食べたり
しているようです。

では私らも知覧の食堂にでも
入っていきましょう。



この時はもう和食尽くしの毎日ですから、
ちょっと変わったものをと思い
カツカレーをいただきました。



カツカレー、かつ丼、とんかつなんかが
定食になっていましたね。

ここを訪れた元気なおっさんたちが、
勝カレーやあ、勝丼やあ、
とん勝やあとか言って
熱狂的に食べたりするんでしょうかねえ。

はあ、まあそんなことはないでしょうねえ。

さあ、今日が旅行の最終日。
まだ行こうと思っているところはありますよ。
次は鹿児島の西の海岸線、
吹上浜の方に車を転がしていきましょう。



南国になると、車で走っていて
やはりね~と思うのが、
道の植え込みにヤシの木みたいな
植え込みの多いことです。

途中で道の駅に寄りました。



ここでも「コノハナサクヤひめ」は
重要な役割をしているようです。

「桜島」の名前の由来になった
というのもうなづける話ですね~。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行17

2018年07月10日 21時18分46秒 | 最近の出来事

山の中の田舎道を進んでいきます。



茶畑なんかを過ぎていきますと、
知覧への案内が出てきました。



まず最初に知覧の武家屋敷ですねえ。

観光客用の駐車場に車をとめて
歩いて向かって行きましょう。



こんな特徴のあるような
無いようなマンふたをみながら
進んでいきますと、
ここがおシラスの跡ですね。



なあんてことはありません、裁判所です。

その裏側あたりから武家屋敷が始まるのです。

それがこんな感じ。



この辺りは薩摩藩の島津家の分家が
住むあたりで、よく参勤交代にも
随行しており、京の町の様子なんかも
よく知っていたようです。



庭に枯山水を作った屋敷も多く、
結構そんな姿が残っています。

多くのお家が有料で、
共通有料券が必要なので、
それを買っていない我々は入りません。



まあそんな感じでいいのです。

ここには中国関係の観光客が
多かったですね。
みんな共通券を持っているので
どんどん入っていきますが、
中にはここは公開していないので
入らないでくださいと
玄関に貼ってある家の中にも
どんどん入っていくようなので驚きでした。

一人で来られている
日本の高齢者の観光客も

「これは中には入るのもどうかなあ。
わしは見れる範囲でええわあ」とかいうてはり、
「同感、同感」とかいいながら
我らも歩いていきます。

通りの先っぽの方は三差路になっており、
そこにはめられている石が



「石敢當」

だそうです。三差路なんかに
魔物が入ってこないように
置かれるもので、中国の信仰だそうです。

沖縄にはたくさんありますよねえ。
これまで歩いた中では熊野古道の中にも
これを置いている家が何件かありました。

沖縄から伝わってきた信仰だそうです。

だから、人にぶつかって
ほしくないという意味で、
この「石敢當」がかかれた
Tシャツを着ている人も
沖縄で多く見ました。



こういう無料のところには
入っていきますよ。

こんな建物なんかあ。



茅葺の屋根やなあ。
とかい言いながら無料見学です。
さら~っと全体を歩いて、
もうわれらは知覧の武家屋敷を
見てきたよという顔で
車に帰っていくのです。



駐車場に入っていくと、
一人で来ているといってたおっさんと
トイレで一緒になりました。

「まああんな感じよろしいなあ」
なんて言ってはります。

我々も「ええんちゃいますかあ」と
返しておきました。

で、車に戻ろうとすると、
そのおっちゃんがわしらの車のところで
車を開けようとしています。

「え~、武家屋敷は見学ええ加減で、
わしらの車に興味あるの」と思って
「それわしらの車やけど」というと

「あれ~わしが借りたレンタカーやとおもってたあ」
と大慌てです。
「ああ、こっちやあ」といって
乗り込んでいった車は何と
同じ車種だったのです。

ああ、話聞いてなかったら
T本さんの突撃と首Dさんの警察への電話と
doironの口にやられていたでしょうなあ。

さて次に行くのは知覧特攻平和会館です。
首Dさんは以前ここには
行ったことがあるそうです。

あ、というのも首Dさんの生まれたのは
延岡市ですから、この辺りには
ちょっと地の利があるそうです。

以前、この平和会館に行ったときに
置いてある若い特攻隊員の遺書なんかを
見ていると、もう動けなくなるほど
感動したそうです。
そういう話を、多分首Dさんから
エイや山なんかで何度も聞いたから、
これはもうここにはいかないと
いけないだろうという強い希望があったのです。



ナビに連れられて向かって行きますと、
でかい駐車場に到着です。
周りを見ますと、小中学生の団体が
びっくりするほどいます。

ウヒャー、これは大変です。
こんな小中学生に囲まれて
じっくり観賞できるのかなあ
とか思いながら、記念館の方に
向かって行く我らでした。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行16

2018年07月09日 21時57分10秒 | 最近の出来事

まず車は開聞岳の方へと向かいます。

しばらく車を走らせますと、



おお~前方の山陰から見えてきました。
あのとんがった山が「開聞岳」です。



さらに近づいていきますと、
こんな感じです。

いやあ標高は924mと
あまり高くありませんが、
きれいな山ですねえ。

1000m以下の山ですけど、
もちろん日本100名山の一つです。

半分海に突き出ていて
神秘的な存在になっています。
きっと地元の人たちには
とても大切な山なんでしょうねえ。

今回は登る機会がなくて残念です。

西側から見ると海に突き出た姿が
よくわかりますねえ。
昨日は全然見えなかったけど、
今日は拝見できて大満足です。



では次の予定地へと向かって行きましょう。

今度行くのは「頴娃(えい)町」です。
いつも飲みに行ってるお店の
「えい」はこの頴娃町の「えい」です。

ママさん二人の故郷がこの町の生まれなんです。

そして今もママさんの弟家族は
エイでしっかり生活しているそうです。
これがその弟家族。



そんな彼女らの故郷に行くことは、
僕らの長年の夢でしたが、
ついについに今回実現することになったのです。

エイの方向を向いて走って行きますと、
あれ?また前方に開聞岳が見えてきましたよ。



いやあ、そうじゃありませんね。
形は似てますけどちょと違いますね。

実はあれもエイの名峰「大野岳」です。

交通標識を見てますと、
ここを曲がると頴娃の駅です。
ではちょっと寄ってみましょう。

ぐるぐるっと行きますと、
おおここが頴娃の駅です。



なんと無人駅で、待合所も
小さな屋根付きが1か所です。



駅前には確かお店なんかも
なかったように思います。

こんな町の駅なのにこんなに
さみしくていいのかなあと
思ったくらいです。
あとでエイのママさんに聞いたら
横の「西頴娃」の方が
しっかりした駅だそうです。

そうでしょうねえ。
ホームが一つに線路も一本。
1日7本(往復で15本)のダイヤで、
草原の中を線路が一直線に走っていましたもんね。



そしてエイのママさんたちの故郷は
この駅の海側なんだそうです。
でもここで乗り降りしたわあと、
後日写真を見せたら感激してはりました。

この後で聞いたんですけど、
この頴娃の駅から5駅くらい向こうの
「西大山」駅が本州最南端の
JRの駅なんだそうです。


ネットより

ウヒャーそこには行ってみたかったなあ
って感じです。

そこから今度は「知覧」に向かって走って行きます。

この大きな交差点を右に回っていきます。



「頴娃小学校」、「頴娃中学校」、
「頴娃高校」がここにあります。
ここが頴娃高校。

ふーん、寺子屋風ではないですねえ。
お、怒られますよ。



さらに走って行きますと、
大野岳が目の前に見えてきます。
ここからだと開聞岳も見えますし、
間に見えている双耳峰は
矢筈岳かなあ。



きれいな景色ですねえ。
大野岳の斜面には茶畑の
段々畑がきれいに並んでいます。



「ああ、あの茶畑は私らの
デートコースだったのよ」
というようなママさんの
セリフを想像してしまいました。

それにしても自然が豊富な
いいところですねえ。
この段々畑の写真と
頴娃駅の写真をお店に持っていったら
「帰りたいなあ」と
しみじみおっしゃってました。

「それにしてもあんなとこ行って、
田舎でびっくりしたやろ」と
ママさんは言ってましたが

「いやあ、いいところで感激しました」

と返事しておきましたよ。
お店では、あれから常連さんたちには
みんなにその写真を見せているそうです。

その時は、いつも一緒にエイに通っている
首Dさんと
「ついに頴娃に来たんやなあ」
と感激しながら車で走っていたのでありました。

なんか第二の故郷に来たような気分です。

さあでは大きな目標を一つ果たしました。
次は「知覧」の方へと向かいましょう。

ここには武家屋敷と特攻平和会館があるのです。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行15

2018年07月08日 21時14分58秒 | 最近の出来事

潟山運動公園のほうに歩いていきます。
ここに大きな牛がいますねえ。



これは指宿と姉妹都市の
オーストラリアのロックハンプトン市から
送られた像です。

ここにこれが置かれ、
直線に続く道がロックハンプトン通りと
呼ばれているそうです。
ウヒャー言いにくい名前ですねえ。



たぶん地元のお年寄りたちはこの通りを
「六かぶと通り」なんて
読んでいるに違いありません。

その六かぶと通りを進んでいきますと、
そこにあったのが、この施設です。



指宿市の立てたもので、
超有名な建築家の作品だそうです。
一時は宿泊なんかもできたそうですが、
その維持に莫大な経費が掛かり、
そういう事業は取りやめとなったそうです。

いまは「ふれあいセンター」と
高齢者関連の施設なんだそうですが、
まあもったいない施設ですね。
「あの宇宙船の組織で
デイケアするんじゃ」と
知らない人が聞いたら、なんてこと?
と疑問を抱くでしょうねえ

でもまあ時代の変遷は激しく、
なんとまたこの施設は
インスタばえする施設として
結構人気が出始めているそうです。

飛行機が半分地面に突き刺さっているような、
宇宙船の施設のような、
あるいは巨大生物の動物園のような
奇妙な形をしておりますねえ。

しかしまあ、そんなものを見ながら
写真をじっくりとっている場合
ではありません。



そろそろ宿に戻ってシャワーをして
朝食に向かわないといけないですねえ。

この辺でもどって行きましょう。

こうして早朝の指宿散歩は終わりです。
宿に帰って、風呂でシャワーを浴びた後は、
さあ朝食です。

食堂に向かいつつ、庭を見てみますと
「竜王戦」と書かれた駒が立っていますよ。
ああ、ここでタイトル戦の戦いがあったんやなあ。



30期竜王戦第5局かあ。

ん?待てよ昨年の竜王戦の第5局といえば、
これは将棋のタイトル戦の中でも
「大一番」といわれる将棋じゃありませんか。

三勝一敗の羽生棋聖が渡辺竜王に挑み、
みごと竜王を勝ち取って、
通算7期の永世竜王となった試合です。
これがなぜ大一番だったかというと、
羽生はこの永世竜王になることによって
すべてのタイトルの永世7冠を
勝ち取ったわけだ。



そう、まさに彼が国民栄誉賞を勝ち取る
大きな一線が、この宿で行われたのでした。



竜王の永世称号は連続5期の渡辺氏に続き
二人目の永世称号者になるんですねえ。

そうかあ、じゃあ羽生さんは
ここに泊まったんでしょうねえ。

だったらさあ一つ聞きたいけど、
かれは砂風呂に入ったりしたのかなあ。

その辺は聞いておきたいところですが、
まあ個人情報ですのでと
回答はないでしょうねえ。

さあ、では朝食です。

ここもまたバイキングですねえ。
うまそうなものばかりでしたねえ。
きびなごもありましたしねえ。
さつまあげもいただきました。

残念ながら写真をすっかり忘れてました。
映像なしですみません。

そうして朝食が済んだら、
我々は早く出発することにしました。
今日も移動距離は長く、
あちこち観光の予定ですから
素早くチェックアウトしておきましょう。

宿の前で撮った3人の写真がこれです。



「いろいろお世話になりました」
と礼を言って、さあでは駐車場で
レンタカーに乗りましょう・・・

と、と、と思ったら、な、なにこれ?

またまた車に火山灰らしき泥が
いっぱい積もっているじゃないですかあ。

きのう焼酎屋さんで、
この辺りまで火山灰が来ることはないよなあ
と話しを聞いたたばかりなのに、
こんな有様です。



ウヒャー、せっかくもう大丈夫やろうからと
水洗いまでした車から、
今回はいただいてきた旅館の備え付けタオルで、
ゆるーくシャシャーとこするだけにしておきました。

T本さんも
「あの酒屋さんもあんな風に言うてたから
安心して洗ったのに、
こんな感じになるなんてなあ」

とぼやいていました。
そんなこともありましたが、
さあ、それでは
いよいよ今回の最終日旅行に出発です。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行14

2018年07月07日 20時53分22秒 | 最近の出来事

こうして担当の中井さんとも仲良くなり、
いろんな話をしました。

従業員が400人というのも効きましたし、
この旅館はいつも客が多くて
大変なんですとも言ってはりました。

まあ指宿の宿というのは
まずここが埋まってから、
他の旅館に客が流れていくんだそうです。

まず最初はこういう先付から出てきます。



おお~Tもとさんお気に入りの
きびなごもちゃんとありますよ。

「今日も一日お疲れさんです。
明日一日ゆっくり、じっくり楽しみましょう」
と乾杯です。

刺身盛り合わせには、
こんな「せごどん」の海苔の
飾りもついています。



「確かに「西郷どん」が始まってからは、
やっぱり観光客も増えましたねえ」とのこと。

ああ、やっぱりそうなんでしょうねえ。

こんな料理がどんどん続き、














さいごはやはり黒豚の味しゃぶでしたねえ。



いやあ、おなか一杯になりましたし、
中居さんの話もいろいろ聞いて
楽しい食事となりました。

さあて、では部屋に帰って
続きを飲みましょう。

ロビーのお店で飼ったするめや
つまみをチビチビいただきながら、
明日の計画なんかも話しました。

明日は、天気も良さそうです。
必ず開聞岳を見て、
絶対「頴娃(エイ)」に行こう。
エイのママさんたちの故郷です。

そしてその後知覧の武家屋敷と特攻の記念館。
それから鹿児島西岸の海に面した
吹上浜の方へ行き、
そこからずっとえびの高原にまで
さかのぼるコースをとろう
ということになりました。

アルコールでフラフラになった頭で、
いつの間にか布団で熟睡。
パッと気がついたら朝の5時前です。

どれどれ今日の天気はどうかなと
カーテンを少し開けてみると、
おお今日はいい天気です。

これで景色もしっかり見れる
だろうなあとか思っていると、
目もしっかり覚めたので、
これはちょっと指宿の町を
早朝散歩してみるかと思い、
出ていくことにしたのでした。

でも5時やろ~出入口は開いてるかなあ
と思い服を着替えて降りていくと、
全然開放でした。

ではまずホテル裏手の海岸線の方に
行ってみようと思いましたが、
あれ?建物がつながっていて
通過していくところがありません。

これはあかんかあと出入り口の方に
歩いていきますと、アスファルトの道に
鎖がかかっています。

まあ、これは車はあかんけど
人だったらいいですよ
のことと思って超えて入っていきます。

あまり宿の方に近づいても
いけないかなと思い芝生の上を歩いて
海岸線まで出てきました。

海の向こうには鹿児島湾の向こうに
大隈半島が見えています。

ああ、あの先の佐多岬に行けなかったのは
残念だったなあと思っていると、
おお~太陽が昇り始めます。



「おお~日本の夜明けじゃき」



と言いそうになりましたね。

頑張って写真を撮り、
さあでは指宿の町の中へと
出ていきましょう。

きのうは駅方向の酒屋とかいったので、
今日は反対側へと歩いていきましょう。

五時半頃に海沿いの小さな道を
てくてく歩いていきますと、
これから仕事に行くのかなあ
というようなスーツを着た人が
歩いています。

顔を合わせるなり
「おはようございまっす」
と声がかかります。

いやあ、人懐っこい親切な人ですねえ、
と思っていたら社会人らしい女性からも
「おはようさんです」なんて
あいさつされました。

いやあ、この辺の人の人間性ですかね。
doironのようなアメリカの
社会人風に見えるような人にでも、
親切に挨拶をしてくれますね。

しばらく歩いていると、
あれ?なんか向こうに
変な建物が見えますよ。



飛行機のような、宇宙船のような。

もしかしてロケットの関係?
鹿児島からここに来るまでに
こんなロケットの立ってる
公園がありましたからね。



では、そっち向いて歩いて行ってみましょう。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行13

2018年07月06日 21時19分47秒 | 最近の出来事

さあ、目的の砂場のところに
やってきました。
適当な大きさにくぼみがつけられており、
そこに横になります。
頭のところはちょっと枕状に
膨らんでいて、そこにタオルが
敷かれています。
doironのふさふさな毛は
それによって保護されるわけですね。



その上から体に砂がかけられてきます。

「え~っと、砂はこんな感じでいいですかあ」
といってくるので、
「はい。もっとムキムキの人の様に
かけてかたどってくださいよ」
なんて言いませんよ。
でも人によっては胸元をもう少し
砂を少なくしてください
なんていう注文をしています。

doironは「完璧です」と答えておきました。

だいたい10~15分くらい
はいってから上がってください
と言われます。感覚はというと

「う~ん、あたたかい~」

といい感じです。
背中の方から徐々にあったまってきて、
全身にその感覚が回っていきます。

海辺の部屋がいいなあとか
言ってたのですが、
そんなのは関係ないですね。
景色は天井の方しか見えていません。

と、その時です。
上を向いていた自分の顔の
鼻の頭や耳があったまって
かゆくなってきたのです。

でも手も砂の中ですから
かくにかけません。

うう~あまり我慢できなくなったら、
あのジャニーズジュニアのお兄さんが
かきに来てくれたりするのかなあ
と思いながら、こらえましたね。

スコップの先っぽで
カリカリされても困るしなあ。
とか思っていると、後ろにいるおばさんが
「鼻がかい~」とかいって騒いでいます。

思いっきりくしゃみをした後は
ついに我慢できなくなったんでしょう。
うう~といった後、
ジャニーズさんに
「手を出したからもう一回かけてえ」
と懇願してはりました。

全身が暖かくなってきますので、
ふとそんなときに思ったのです。

砂の中で脳梗塞になったり
心筋梗塞になったりする人は
いないのかなあ。

そんなに重症でなくても過呼吸で
意識がおかしくなったり、
認知症が進んだりなんてのもあるでしょうねえ。

まあひと月に2~3回くらいは
救急車を呼んだりしているんじゃなかなあ
って感じがしましたね。

まあ、doironは何とか15分間耐え、
よっこらしょと立ち上がります。

もう着物の中も砂だらけ、
あそこにも、あんなところにも
そしてこんなところにも
砂がざらざらしています。
いっぱい人がいるので
はだけて払うわけにもいきません。

変なおっさんが、変なところから
砂をまき散らしてるで~
なんて思われてもいけないので、
変な感覚のままで
男湯の方に向かうのでした。

でもねえ、昔に青島で見た新婚さんは
あちこちに砂を絡まして帰ったんやろなあ
なあんて想像をしてしまいましたね。

しかし、友達三人で、いけないところで
砂に潜り込んだりしてたら
ムカデにやられていたかも
しれませんなあ。

まあとにかくあの頃から50年ぶりに
夢を果たして大満足でした。

こんなところの大浴場なんかは
排水管のメンテなんかが大変でしょうねえ。

体中に張り付いた砂を、
ここできれいに洗い流したり
するのですからね。

ウヒャーそれにしてもさっぱりです。

部屋に帰った我らは、
大相撲5月場所を観戦しながら、
またまたビールをプシュと
開けるわけです。

栃ノ心が全勝11勝、
横綱が1敗の状況でしたねえ。

そんな相撲を見ながら

「お~い、こんなに飲んだら飯食えなくなるよ~」
とかいいつつも、ワイワイと
日本酒も明けたりするのでした。

で、いよいよ食事の時間となりました。
食事コーナーにむかいましょう。
昔は、テントの横でBBQでしたが、
今回は料理も素晴らしいという
旅館の晩飯ですから楽しみですねえ。

きっと旅行者の人も料理に
関して注文つけていたでしょうからね。
われ我は個室風のテーブル席に案内されます。

まずは献立表とかで料理の説明があり、
飲み物の注文が始まります。



担当の女の子の腰には無線機がついていました。
「こんなんつけてたら大変やねえ」
「そうなんです。さぼれないです~」
といっておりましたよ。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行12

2018年07月05日 21時08分22秒 | 最近の出来事

車で繁華街の方に走って行きますと、
おおこの辺の宿かなあ。
高校生の時にテントを張って
止まったのは。

周りの町の様子も50年近く経てば
もうかなり様子も変わっていて、
ほとんど記憶と照合できなかったです。

くるくる回っているうちに
酒屋を一軒見つけました。

焼酎のお店です。



やっぱりなあ、このへんは焼酎やなあ
と思いつつ店の中に入りますと、
おお~ここでは鹿児島で唯一の清酒
「薩州正宗」というお酒を
置いているとのこと。



う~ん久しぶりの日本酒です、
しかも鹿児島唯一の清酒だそうです。

これはやはり買わずには
おれないでしょうねえ。

鹿児島で焼酎を作らずに
日本酒を作るというのには、
さぞや勇気が行ったことでしょう。

これに敬意を表して買いましょう。

ただ飲みたかっただけですけど。
その時に店の店員さんが
いろいろと話をしてくれましたね。

T本さんが、「この辺まで桜島の煙が
飛んでくることはないですか?」
ときくと、
「ああ、この辺まではあまりきませんね。
風向きでちょろっと飛んでくる
ことはあってもねえ、
さほどたいしたことはないですよ」
と教えてくれました。

「おおきに、すんまへん」

と関西弁でお礼を言い、
お酒を抱えて、うひょひょーと
宿に向かった我々でした。

またまた森の中の駐車場に入り、
そこでT本さんが

「こんな泥だらけの車に乗ってると
格好悪いからちょっと駐車場のすみの
水道で洗ってるから、旅館の人に行っといて」
といって洗車に向かったのです。



酒屋のおばちゃんの煙は
ほとんど来ないよという
アドバイスでそう考えたのでしょうねえ。

でもねえ、T本さん。
いっておきますけど、このレンタカー、
僕のマイカーよりよっぽど
きれいですからね。

そうして洗車も終え、
部屋でとにかく一発目のビールで乾杯です。

T本さんは
「ベッドもあるけど、わしは布団で寝るよ」、
首Dさんは「じゃ、僕はベッドで」
そしてdoironはというとやはり
「布団でビール飲んでテレビ見ながら寝るわ」だって。

などといいながらワイワイ言ってました。

そして、そろそろ砂風呂に向かう
時間がやってきたのです。

「う~し、じゃあ砂風呂に行こう」

と向かいます。
この白水館の砂風呂は、
旅館の海に面したところが
小屋風になっていて
そこで入る仕組みになっています。

おおきな風呂の脱衣場で指定の着物に着かえ、
風呂の中の通路を抜けて
砂風呂へと向かうのです。

この大きな風呂は、
砂風呂後に体をきれいに洗うために
入るお風呂です。
すっぽんぽんの上に着物を着て
砂場に向かうと、そこに大きな椅子があり、
皆さん順番待ちです。

砂場はいろんな感じの部屋に
分かれています。

「ああ、僕らは海の見える場所がいいなあ」
なんていながら待っています。

先に風呂を終えて上がってくる
人たちを見ますと、みんな赤い顔を
しています。
ぬくもるんやなあって感じです。

でもねえ、すっぽんぽんの上に
着物一枚ですよ、
若い女性たちはちょっと
恥ずかしそうにしていましたね。



おばちゃんはみんな大胆でしたけど(~~)。

見ていると、ここで働いている人たちは、
ほとんどがジャニーズグループのような
若い男性達でしたねえ。

手にスコップを持って10人くらい
ウロウロしていましたよ。

で、そうしているうちに
順番が回ってきて、我らも
入浴の番となりました。

場所はちょうどその海の方の
部屋の方に誘導されたので
希望通りでラッキーでしたね。

でもねえ、首Dさんは前に入っていた人と
同じ砂をかぶるんやなあ。
おっさんが入った後やったりしたらいややなあ、
と言ってましたねえ。

まあ、わしらもおっさんですから
我慢してもらうしかないなと
わしは開き直っておりました。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行11

2018年07月04日 20時47分04秒 | 最近の出来事

二人で写真を写して、
何事もなくその場は終わりました。

「ああ、私は日本でこの男の人に
かどわかされまして。」

なんていわれることはないやろなあ。
社会問題になったりしても困るぞ。

なんてこっそり思いつつ
写真を撮ってもらいましたね。

まあ何もないでしょうけど・・・。

その後、こちらのメンバーは
三人になり観光を続けます。



ああ、ここが貝殻に願いを書いて
納めるという浦島太郎の石像やねえ。



願い事を書いて納めたうえで
くるりと回って亀に触ると、
白髪のしわ老人になれるということです。

え?ちがう?

願い事が叶うんやて、
ああまあそういうことですね。

なんかあの中国人は
ここの説明を読んで
変な妄想にとらわれたんじゃ
ないでしょうねえ。

それにしても竜宮とカメと貝殻って
なんか物語との整合性が
微妙に複雑なところですねえ。

こういう昔話のルーツ的な
場所というのはいろんなところにありますね。
例えば以前、松本清張の「Dの複合」という
小説を書いた場所をカニカニツアーで
散歩したことがありましたねえ。

あのときもこの浦島太郎が
関連していた話でしたねえ。

こんな写真を撮っていますと、
また向こうの方からさっきの女性が
手を振ってきます。

機嫌よく手を振り返し「バイビー」
という雰囲気をにおわせます。



僕らは三人で「鼻」まで行きます。



地面はここまでなんですが、



ずっと先の方の岩の上に
釣りをしている人なんかもいて、



「あれはなかなかのスリルやぞ~」

とかいいながら、眺めていたりしました。

そんな場所に竜宮神社にいた
アベックなんかもやってきます。

あの高校生の頃に、
青島で見た二人のように
チューしたりしないやろなあ
とかそれとなく眺めましたが、
まあこんな寒い岬の鼻で
そんなアベックはいないようでしたねえ。

さっきの女性とは少し時間差で
我らは先に戻っていきます。

お土産屋さんで駐車用に
少しお土産を買い、
しばらくして歩いていきますと、
先ほどの女性が少し先の方を
歩いています。

ああ、バスにでも帰るのかなあ
とおもいつつ、車に乗り込むと
前の方に戻るように戻ってきはりました。

もう僕らの車は動き始めています。

「バイバーイ」とサヨナラ合図は
終わって、かなしそうに一件落着。

ああ、なんか変な思い出になりました。

竜宮神社で竜宮外国人に出会った
変な日本人にならなくてよかったなあ。

でも一緒に撮った写真がちょっと心配ですが、
中国マフィアが襲ってこないことを
祈っておきましょう。

さあ、ではいよいよ本日の宿泊地
「指宿」へと出発です。

生涯2度目の指宿です。
まずは砂風呂が最大の目的で、
あとは宿の晩飯なんかも楽しみです。

向かって行きましょう。

この日、僕らが泊まる宿は
指宿「白水館」だ。

敷地が広くなんかもう入っていくだけで、
大きな森の中に入っていくようだ。









エイのママさんに、
指宿ではねえ「白水館」に
泊まったよというと、
うわー一番お金持ちの旅館やん、
といわれました。

確かにここは指宿の中でも
最大かつ高級かつ人気の旅館
なんだそうです。

食事時に中井さんに聞いてみたら、
従業員は全部で400人いるそうで、
それでもここはいつも人気で
人が足りないくらいだそうです。

高校生の頃に泊まったホテルの森とは
場所が違いますが、
還暦をこえるだけでこんな立派な
旅館に泊まるなんてまあ、
なんとも出世一筋の我々の
人生を物語るようなもんじゃないですか。

え?首Dさんの旅行社の
おかげじゃないかって?

まあ、それはそうかもしれません。

部屋に入っていくと、
今回は予約の部屋より一段上げて
いますのでくつろいでください
と言われました。



畳の部屋とベッドがセットになっています。

ウヒャーくつろぎ感満載
じゃないですかあ。

食事の時間を六時半と決めても、
まだまだ十分時間がありますので、
一度指宿の繁華街の酒屋に行こう
と出かけて行った我々だったのでした。

続く


還暦過ぎ頃の九州旅行10

2018年07月03日 21時05分23秒 | 最近の出来事

大ウナギとは言いませんが、
まあそこそこの大きさの
小ウナギを食べ、



ガスに煙る池田湖を
我々はあとにしました。



次に向かうのが「開聞岳」です。

でもねえ今日の雨じゃ、
ちゃんと見えないでしょうけど、
近くは明日も通るので
今日は周りの雰囲気を
まず味わっておこうと
行くことにしたのです。

通常なら、池田湖というカルデラ湖、
開聞岳というきれいな円錐状火山の景色
というのがこの辺りのダイナミックな
景色になるのですが、
きょうは開聞岳もこんな風に
雲の中で全く見えません。



北半分を半島にくっつけ、
南半分が海につき出た
標高924mのこの山は、
きれいな形をする単独峰で、
そのきれいな感じから「薩摩富士」
と呼ばれる山なんだそうです。

山の名前も、海からの景色が抜群で
海図代わりになったりするから
「海門岳」といわれていたところから
ついた名前なんだそうです。

ここを目指して池田湖からおりてきて、
地図通りに登山口まで行きました。



しかしねえ、通常はこの場所に
開聞岳がそびえているという景色も
こんな感じで雲の中です。



登れば3時間くらいの山で、
実家が宮崎県の首Dさんは
この山にも上ったことがあるそうで、
いかにも南国の山という感じで
よかったといってましたねえ。

今回は登る時間もありませんが、
まあそんな山の雰囲気を
少しでも味わってみようと
登山口までやってきたのでした。

結局今日はこれ以上の景色は望めず、
早々に引き上げました。

しかしねえ、まだ宿入りするには
時間があります。
高校生の時のようにスーパーで
肉を買ったり、テントを張る場所も
探さないで済むので余裕です。

なのでもう一か所、
薩摩半島南端の「長崎鼻」に
行くことにしました。

少し前にテレビで、
あの出川さんが電気バイクで
充電しながら旅していたあの場所です。

できれば行ってみたかったので
ちょうどよかったです。

ナビに導かれて南国の
景色の中を移動していきます。

開聞岳を見てもわかるように、
この辺りの景色は火山と
粘土のちょうどいい岩が多いようで、
各地に変わった形の
岩なんかがそびえています。



これなんかは翌日に撮った写真ですが
異様な景色を作っていましたねえ。

そうして長崎の鼻のあたりに到着します。

お土産屋さんの入り口で、
ここに車をとめたら無料だよ
と案内してくれています。

「ただしお土産を何でもいいから買ってね」
といってました。

まあのども乾いているし
それでいいんと違うかといって駐車し、
そんなお土産屋さんを通過して



まずは「長崎の鼻」に向かって
歩いていくことにしましたよ。

ここは薩摩半島最南端の岬で、
海に突き出た陸地(鼻)となっている。
ちょっとトイレという二人から離れて、
少し先に「竜宮神社」という
神社があるのでdoironはそちらへ
写真撮影に向かったのでした。



ここは、浦島太郎と乙姫様が出会った
竜宮伝説発祥の地であり、
縁結びや海の神様として
信仰を集めているそうです。



ここで貝殻に願いを書き、
壷に入れて奉納すると
素敵な出会いがあると
いわれているという
そんな伝説があるから、
アベックの二人や独り歩きの
女性が多いそうです。



写真を撮っていますと、
一人旅の女性もおり、
自撮りで変な感じで写真を撮っています。

なんか不便そうと思ってみていたら、
呼ばれましてシャッターを頼まれました。

どうも中国の女性のようです。

「はあい」と機嫌よく応じて
カシャとしてあげたら、
今度は僕のカメラでシャッターを
押してあげようみたいなことを言うのです。



きげんよく応じたら、
今度はその辺にいてる別の観光者に、
doironとのツーショットを
とってくれと頼んでいます。
え~ええのになあ。

続く

ーーーーーーー

今朝のサッカーは残念でした
2対0まで行ったときは
次はブラジルやろなあと
考えていたのですが
あれよあれよと逆転に・・・

W杯はおわりましたあ(ーー;)
さあ次はツールドフランスだあ


還暦過ぎ頃の九州旅行9

2018年07月02日 20時04分04秒 | 最近の出来事

結構雨がきつく降る中、
さあ今日のよりどころのひとつ

「池田湖」

に向かいましょう。

鹿児島県薩摩半島にある
直径3.5kmで深さが
223mの九州最大の湖である

この湖は火山のあとの
地面からの溶岩の吹き出しが
泊まってそこが沈んで、
水がたまったものです。



ジダンとエイでいっぱい飲んでいるときに、
「ここはぜひ行ってください」
といわれていたところだ。

なぜかというと、
イッシーが出たというところで
知ってるでしょという。



確かにネス湖の未確認生物
ネッシーのような巨大な生き物が
出たというところというので、
一時大騒ぎになったことがあったところだ。

長期の確認隊がでたりしてねえ。

でもまあ結局何も発見は
できなかったけどね。

そんな池田湖にイッシーを発見に・・・
というわけではなく、
この湖に住むという「大ウナギ」を
確認に行くことになったのだ。

そんな話をしてたら、
エイの妹ママさんが

「いたいた、昔々行ったときにお店で
泳いでたよ、大ウナギ~」と言ってました。

「じゃあ、そこに行って大ウナギ重を
食べてくるわあ」と言葉を残してきたのです。

道の駅からしばらく走って
雨が強く降る中、ちょっと大きな
駐車場に車をとめました。



そこが池田湖、大きな湖ですねえ、
対岸がはっきり見えません。
まるで海を見ているようでしたねえ。

そういえば、大ウナギは
熊野古道の稲葉根のあたりも
生息していましたねえ。

あの場所当たりが大ウナギ棲息の
北限だと書かれていました。



じゃここのはどんなんでしょう
と思っていると、その駐車場の先に
ウナギの字の見える店が
あったので行ってみましょう。

なにか情報があるかもしれません。



すると店に入ったところに
はく製でしょうが、
こんな大ウナギが置かれていましたよ。



「でか~い」と我らは大騒ぎです。

これはすごいなあって感じです。
じゃあ、ここで
「この近くでウナギを食べさして
くれるところはないかなあ」
とT本さんが質問してみると、
「うちでは無理やけど、この先の食堂なら」
と答えてくれました。

思わずdoironが
「それって大ウナギかなあ」って聞くと
「とんでもない。天然記念物だから
食べたりはできません」とのこと。

そりゃそうやねえ。

熊野古道の時は独り歩きだったので、
ウナギを食べようなんて気は
おこりませんでしたが、
今回はなんかもう味覚の期待が
ウナギに突進しています。

「うな重、うな重」とその言われている
食堂へと向かって行きました。
こんな食堂です。



駐車場にはいろんなものがあります。
これはやはりイッシーですね。



背中のふたこぶが特徴ですねえ。
最初に移された写真なんかが
こんな感じだったのかねえ。

あれは恐竜だったのか、
大ウナギの親玉だったのか、
はたまた巨大な魚だったのか、
定点カメラが据えられたりしたのですが、
いまはまだ謎のままなんだそうです。



そしてこれは屋久杉の展示品。
日本一のクスノキとか見てきたから、
次はやはりこの屋久杉をみないとなあ。

体が動くうちに見に行かないとねえ。

とまあそんな観光地の
食堂にと入っていきます。

ここはまあお土産屋さんの奥に
食堂があります。
結構外国人の団体も
この食堂で予約をとって
いるみたいですよ。

添乗員さんの会話が
そんな感じでした。

で、僕らも
「え~っと、大ウナギのうな重をください」
とはいいませんよ。

「うな重はありますか」
「はい、ありますよ」
「でも調理に時間かかるよなあ」
というと
「いえいえすぐに出来ますよ」とのこと。

まあ、うな重ですぐにできる
というのもどうなんやろなあ
とは思いましたが、
もうみんなの気持ちはうな重一色です。

「ではそれを三人前」
と注文しました。

で、出てきたのが、これ。



う~ん。
なかなかおいしかったです。

続く

ーーーーーーー

さあ、今日はW杯決勝トーナメント
彼岸のベスト8進出なるか
早起きしてみようっと
では、おやすみなさい