今回は、以前、今では既に閉鎖してしまいました拙ホームページで紹介したことのある「伊万里古九谷様式色絵草花文小皿」を、再度紹介したいと思います。
伊万里古九谷様式色絵草花文小皿
口径:13.1cm 高台径:5.3cm 高さ:3.1cm
製作年代:江戸時代前期
裏面
この小皿は、昭和61年に購入したもので、購入してから10年ほど経ってからの平成9年1月号の「陶説」(第526号)で紹介し、それから更に5年近く経った平成13年11月1日に既に閉鎖している拙ホームページで紹介したものです。
「陶説(第526号)」の紹介文と、平成13年11月1日の既に閉鎖している拙ホームページの紹介文とは同じものですが、次に、その紹介文をもう一度掲載したいと思います。
<赤い糸で結ばれていた古伊万里>
この物語は、今から約十年程前の或る骨董市での出来事から始まる。
広い骨董市の会場に入ってまもなくのことであった。私は、とある古伊万里の小皿に妙に心奪われた。あっさりとして素朴な絵付け、それでいて大きな存在感。その存在感は、小皿でありながら大皿に勝るとも劣らない。大皿をそのまま圧縮したかの如くである。ちょうど、志野のぐい呑みの名品が、志野の茶碗の名品を圧縮したのと同じように。
私は、小皿(口径13.1cm)をそっと手に取り、その感触を十二分に五感で味わった。「買いたい。」。「でも、まだ会場に入ったばかりではないか。今買ってしまったら、後でもっと気に入った物が見つかった時にどうするのだ。」と別の自分がささやく。自分の中の二人が、古伊万里を巡って、激しい争いをはじめたのである。貧乏コレクターの心の中に巣くう、悲しい定めである。
しかし、その争いは、すぐに決着がついた。というよりは、すぐに決着をつけずにはおられなかったのかもしれない。私は、その小皿をそっと元に戻し、広い会場の中の次の売場へと足を進めていったのである。「とにかく会場を一巡し、それから、この小皿を買うかどうか決定しよう。」と。
私 | 「これ高いんじゃないの。もっとサービスしてよ。」 |
店主 | 「他の店と比較してよ。どこよりも安くしてるはずだよ。まあ、口開けだから、一割引いとくか。それ以上は原価割れだから無理だね。」 |
私 | 「それじゃ、また、後にしておくよ。」 |
というような会話を続けながら会場をまわっていって30~40分経った時のことである。私は、自分の心臓が飛び出るのではないかと思うほど驚いた。なんと、そこに、先程の小皿が陳列されているではないか。大きさ、形、傷の具合、どれをとっても、先程の小皿に寸分ちがいがないのである。
私 | 「この小皿、さっき、会場の入り口付近にあったと思うんだけど・・・・・」 |
店主 | 「そうですよ。ちょっと前、私が買ってきたんです。良いでしょう。お安くしておきますよ。」 |
これを聞いた時の私の頭の中は、一瞬まっ白になった。「しまった! さっき買っておくべきだった。」と。と同時に、「誰が、わざわざ高くなんか買うもんか。意地でも買わないぞ。」とささやく別の自分もいた。
結局、その日は、私は、その小皿を買わなかったし、大きなものを釣り逃したショックも手伝って、何も買わないで終わった。しかし、そのことは、私にとって、大きな教訓となった。それ以来、買える範囲内の気に入った物に出会った時には、その時点で、即座に買うようになったのである。
それから半年程が経過したであろうか。東京の古美術店巡りをしていた時のことである。またまた、あの釣り逃がした古伊万里の小皿が陳列されているではないか。店主の顔はと見れば、私から横取りしていった(?)、あの憎たらしい顔である。
店主 | 「やあ、しばらく。この小皿、良いでしょう。おたくなら特別勉強しますよ。」 |
私 | 「何が良いもんか。良かったらとっくに売れていたんじゃないの。」 |
店主 | 「この小皿は、おたくが買ってくれるのを待っていたんだと思うよ。」 |
私 | 「なに・・・。」 |
この一言に、私は大きな感銘をうけた。「本当に、私が買ってくれるのを待っていてくれたのかもしれない!」。そう思うと、妙に、この小皿が、いとおしくなってきたのである。そして、この小皿を逃がした時に私に与えてくれた教訓も手伝って、私は、即座にこの小皿を買うことにした。
その後、憎たらしく思った店主とも懇意となり、その店主から、いろいろと良い物を買うことができるようにもなった。きっと、この古伊万里の小皿と私とは、赤い糸で結ばれていたのだろう。いつまでも大事にしていこう。
また、この小皿については、既に閉鎖している拙ホームページの平成13年11月1日の記事には、上に紹介した文章以外に、次のような文章も載せていましたので、それも紹介します。
<伊万里古九谷様式色絵草花文小皿>
これは昭和61年に入手したものである。入手に至るいきさつについては、「古伊万里随想4」(*上で紹介した文章のこと)に記したとおりであるが、当時は、古九谷は、正に、古・九谷、すなわち、九谷焼の古いものということで、石川県産ということになっていた。
これを見た瞬間、「あっ! 初期伊万里だ。」と思ったものである。生掛けで、高台は3分の1で・・・・・と、みんな、条件が揃っている。生地は初期伊万里なのだ。しかし、しかしである。表面の絵の調子は、どう見ても古九谷だ。
これはどう解釈したらいいのだろう。石川県の九谷産と見るべきなのか、佐賀県の伊万里産(有田産)と見るべきなのか。こんな疑問を感じたりしたので、入手に手間取ったのかもしれない。
でも、やっぱり、伊万里産にちがいないと確信して入手したのである。今では、立派に、古九谷様式の古伊万里として通るであろう。
小皿ながら、初期伊万里大皿に負けないような雄渾さを十二分に有している。
江戸時代前期 口径:13.1cm
今、思うと、昭和61年頃は、このような物は、当時普通に言われていた「古伊万里」には属さないし、「古九谷」にも属さず、「柿右衛門」にも属しませんでした。かと言って「初期伊万里」にも属さなかったんですね。
「初期伊万里」といえば、一般的には染付ですから、それに色が付いているなどということはあり得ないということになるわけです。
そういうことで、これは、「初期伊万里」の後絵ものなのか、或いは、最近作られた初期伊万里の偽物ではないかと疑われ、皆さん、なかなか手を出さなかったので、売れずに残っていたんですね。それに、訳が分からない割には高価でしたから、、、。
これなんかも、どのように区分し、どのように表示すべきなのか、迷うところですね。
古伊万里も、様式区分など止め、東京国立博物館の表示のように、「伊万里 色絵草花文小皿(17世紀前半)」とでもすればスッキリするのかもしれません。