Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

天命

2023年04月18日 12時48分08秒 | 読書

 「天命」(岩井三四二著 光文社 2019年1月30日初版1刷発行)を読みました。

 

 

 これは、安芸国北部の高田郡の吉田の地のたった300貫文の小領主から身を起こし、中国地方の安芸、周防、長門、石見、出雲、備後、備中、美作、伯耆、隠岐の10カ国を領する大大名までにのしあがっていった毛利元就の一代記でした。

 元就は、毛利本家の家督を相続した後は、自分に従わない有力家臣団を粛清し、実の弟さえも殺害して毛利家の体制を固め、権謀術数を駆使して周辺の国人・領主を切り従えていきます。

 そうして、安芸国内の国人・領主の多くを従えるまでに成長しますが、しかし、それは、基本的に、あくまでも国人・領主間の間での同盟の盟主にすぎず、主従の関係にはないことを実感していきます。

 そうしたなか、大名の大内氏から、大名の尼子氏討伐に参陣するように命じられて参陣しますが、負け戦となり、九死に一生を得、ほうほうの体で自国に辿り着きます。

 そして、その際、このまま、何時までも大名の手先となって働いていたのでは先が見えないことを悟ります。今後は、自分の好きなようにやっていこう、そうすれば、或いは自分も大名になれるかもしれない、それが自分に与えられた「天命」かもしれないと思うようになります。

 それからは、権謀術数にも磨きがかかり、やがては、中国地方10カ国を領する大大名にまでなるわけですね。

 また、その勢いを駆って、四国地方や九州にまで勢力を伸ばしていきましたが、そちらについては押し返され、結局は実現しないうちに75歳の生涯を終えることになりました。

 なお、元就は、早くから、自分は隠居したいと嫡男の隆元に告げるわけですが、隆元は、元就があまりにも偉大すぎるため、自分としてはとても直ぐには元就のあとは継げない、もう少し隠居を遅らせて欲しいと、元就の隠居に反対します。そして、そうこうするうちに、隆元は、急死してしまいます。死因は毒殺ではないかと言われているようです。

 元就はがっかりするわけですが、幸い、隆元には嫡男の輝元がいましたので、それに期待をかけます。

 輝元が15歳になったとき、元就は、孫の輝元に隠居したいと言い出しましたが、輝元から、「父は四十になるまで万事じいさまにまかせていたのに、そのじいさまが、いまようよう十五になった自分を見捨てて隠居なさるとは、言うべき言葉も見当たりませぬ」(P.433)と反発され、これまた、隠居を断念せざるをえませんでした。

 そんなこともあり、結局は隠居できず、75歳で死を迎えることになるわけですが、毛利家のこれ以上の発展はないと悟ったのか、元就は、多くの子や孫に見守られながら、次のような言葉を残して静かに息を引き取ったということです。

「よいか。申し残しておく。今後、毛利の家は天下を望んではならぬ。背伸びをすれば、領国が足許から崩れてゆくぞ。いまのように、一家で十カ国も持っていることさえ望外なことなのじゃ。欲張ってはならぬ。家を保つことに専念せよ。わかったな」(P.466)