Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 丸散文 草花陽刻 瓢簞形小皿

2023年09月21日 18時34分00秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 丸散文 草花陽刻 瓢簞形小皿」の紹介です。

 この瓢簞形小皿は、昨日の古美術品交換会で競り落としてきたものです。

 5客揃いならよかったのですが、残念ながら、これ1客のみです(~_~;)

 

 

 

色絵 丸散文 草花陽刻 瓢簞形小皿

 

表面

瓢簞形に成形され、白い生地には全面的に草花と思われる文様が陽刻されています。

そこに、「花」と「釣り人物」と「梅に鶯」を丸で囲んだ文様が三つ散らされ、

口縁には口紅が施されて、全体をギュッと引き締めています。

 

 

 

上半分の拡大

陽刻文は何を陽刻したのか、よくは分かりません(~_~;)

 

 

 

下半分の拡大

陽刻文は何を陽刻したのか、よくは分かりません(~_~;)

 

 

 

「花」と「釣り人物」を丸で囲んだ文様部分の拡大

 

 

「梅に鶯」を丸で囲んだ文様部分の拡大

 

 

 

側面

 

 

 

裏面

高台内銘:二重角福

 

 

 

瓢簞の尻側から見た裏面

 

 

瓢簞の首側から見た裏面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田 → 加賀・大聖寺 → 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期 → 江戸後期~明治初頭 → 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径13.2×12.5cm 高さ2.8cm 底径8.0×7.5cm

 

 

 


追 記(令和5年11月12日)

 ごく最近の11月10日のことですが、ネットショップを眺めていましたら、或る古美術店で、これによく似た手のものが、江戸後期~明治初頭に作られた大聖寺伊万里として売られていることを発見しました。しかも、大量の17点も販売されていたのです!

 私としても、これを買うに際しては、「江戸前期のいわゆる古九谷様式の伊万里と断定するには、ちょっと腑に落ちないところがあるな~」と思ったところではあります。

 しかし、最近作られたものではなさそうだし、伊万里には多くの窯があったことでもあるので、典型的な古九谷様式のものからはちょっと外れたような、このような物も作られた可能性があるのかもしれないと判断し、購入に及んだものです。

 でも、こうして、プロの方が、この手のものは「江戸後期~明治初頭に作られた大聖寺伊万里」だとして売っておられるのを拝見しますと、「なるほど~~」と納得するものがあります。

 したがいまして、この小皿の「生産地」を「加賀・大聖寺」に、「製作年代」を「江戸後期~明治初頭」に変更いたします。

 

 


追 記(その2)(令和5年11月13日)

 ネットショップの或る古美術店(以下「古美術店A」とします)が、つい最近の11月10日に、この瓢簞形小皿によく似た手のものを江戸後期~明治初頭に作られた大聖寺伊万里として、しかも、大量の17点も販売したことを知り、ショックを受け、かなり動揺し、ついつい、昨日、「追記」してしまったところです。

 しかし、その後、一日が経過し、気持ちも落ち着いてきますと、「やはり、この瓢簞形小皿は、江戸後期~明治初頭に作られた大聖寺伊万里ではないのではないのかな~。やっぱり、有田で江戸前期に作られたものなのではないのかな~」との思いが強くなってきました。そのように思うようになってきた気持ちの経過は、次のようなものです。

 

 この瓢簞形小皿は、9月20日に交換会で競り落としたわけですが、その際、私は、少々違和感を覚えました。と言いますのは、私がいわゆる典型的な南京手古九谷瓢簞形端皿に抱いていたイメージとはちょっと違っていたからです。私がいわゆる典型的な南京手古九谷瓢簞形端皿に抱いていたイメージというものは、造形的にはもっと力強く、このように上品にこじんまりとまとまっていませんし、色絵の色調ももっと淡く温和なものだったからです。図録等に登場する典型的な南京手古九谷瓢簞形端皿というものは、有田の楠木谷窯で作られたといわれる、そのようなものでしたから、、、。

 でも、有田には多くの窯があることだし、私の抱いていたイメージとは若干異なっても、江戸前期の有田ではこのようなものが作られたのだろうと考え、9月21日には、この瓢簞形小皿を江戸前期の有田製として紹介したところです。若干の不安を抱きながら、、、。

 ところが、それから間もなくの10月1日のこと、古美術店Aとは異なるネットショップの或る古美術店(以下「古美術店B」とします)が、よく図録に登場してくるような楠木谷窯作と思われる、私が典型的な南京手古九谷瓢簞形端皿に抱いているイメージ通りの瓢簞形小皿を売りに出したのです。その小皿は、江戸前期作(正保~承応)(1640~1650年代)として売りに出されました。あたかも、私の紹介した瓢簞形小皿が偽物だよと言わんばかりのタイミングで、、、。もっとも、たまたま、そのようなタイミングになったのでしょうけれども、、、(笑)。だって、私のブログはそんなに注目されるほど有名ではないですものね(><)

 しかも、その3日後の10月4日には、今度は、古美術店Bとは異なるネットショップの或る古美術店(以下「古美術店C」とします)が、またまた、典型的な南京手古九谷瓢簞形端皿を売りに出したのです。

 そんなことがあって、私としても、この瓢簞形小皿を有田の江戸前期の作とすることにだんだんと自信を無くしてきていたところでした。

 そういうところに、今回の11月10日の古美術店Aの大量販売が登場したものですから、私としては、完全にパニックに陥ってしまったわけです(~_~;)

 

 しかし、冷静さを取り戻して考えますと、やはり、この瓢簞形小皿は、有田で江戸前期に作られたものだろうと思うようになりました。ただ、古美術店B及び古美術店Cが売りに出した物は江戸前期の中頃に作られたもので、この瓢簞形小皿は江戸前期の終り頃に作られたものなのだろうと、、、。

 したがいまして、この瓢簞形小皿の生産地及び製作年代につきましては、元通りの、「生産地:肥前・有田」に、「製作年代:江戸時代前期」にいたします。

 この手の瓢簞形小皿というのは、何時までも人気があったのですね。古美術店Aが売りに出した大聖寺伊万里にまで続くのですから、、、(^_^)