我が家には、仏教美術に関するものが数点あります。
それは、私が、古伊万里を主とする古美術品の収集の過程で、なんとなく気に入って買い求めたものです。
今回は、その内の、懸仏(かけぼとけ)を2体、紹介したいと思います。
まず、1体目の懸仏ですが、それは平成7年に(今から29年前に)買ったもので、次のようなものです。その懸仏を「懸仏A」とします。
懸仏A
古い木片に懸けて取り付けられています。
径:7.3cm
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上の写真の裏面
仏像部分の拡大
上の写真の裏面
二体目の懸仏は次のようなものですが、それは、平成16年に(今から20年前に)買ってきたものです。その懸仏を「懸仏B」とします。
懸仏B
木片に釘で打ち付けて取り付けられています。
円形部の径:8.6cm
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仏像部分の拡大
なお、この懸仏二体につきましては、今では止めてしまった拙ホームページ「古伊万里への誘い」で既に紹介しているところです。
それで、次に、その拙ホームページ「古伊万里への誘い」で既に紹介した部分を再度紹介することで、この懸仏二体の若干の説明とさせていただきます。
「古伊万里への誘い」
*古伊万里周辺ギャラリー5 懸仏二題 (平成16年1月作成)
我が家には、どういうわけか懸仏(かけぼとけ)が2体ある。もっとも、「どういうわけか」といっても、これ等はもともと我が家に古くから伝わったものではない。私が気まぐれに買ってきたものたちである。
懸仏A(径:7.3cm) 懸仏B(円形部の径:8.6cm)
ところで、見てのとおり、この懸仏たち、まことにお粗末で、果たして「懸仏」と言えるのかどうかも定かでない。でも、売っていた方が「懸仏」と言っていたのだから、そのようにしておこうと思う。また、時代は「鎌倉時代」だということだが、これまた定かではない。しかし、これも売っていた方が「鎌倉時代」だと言っていたのだからそのようにしておこうと思う。
私は、古伊万里以外のものには、頓着しないのである。言われたままを鵜呑みにしている。また、自ら調べようともしない。誠に持って定見がないのである。その時の気分次第で、気に入ったから買うという態度である。
でも、後になってから、この懸仏、古伊万里とどう関連があるのかな~と、自分でもおかしくなる。しかも、汚らしい薄っぺらな銅板の切れっ端に、タガネで仏像らしきものを浮き出させたにすぎないような物に誰が美など感じるだろうか?
こんなものを美しいと感じる人は、よほど変わっているにちがいない! 美の感覚が通常人とは相当にズレテいるのだ。
もっとも、古伊万里だってそうだろう。こんな薄汚れた、猫の餌入れのような物を後生大事にするような者は、やはり、通常人のそれとはかけ離れている!
まあ、それでも、懸仏Aの方はまだいい。ちゃんと全体が残っていて、たぶん懸仏なのだろうなと思わせるからである。ところが懸仏Bの方はどうだ。何を打ち出しているのかさえもわからない。真ん中の方に、かすかに仏像とおぼしきものが打ち出されているにすぎないではないか。しかも、これは、全体ではないようだ。一部分にすぎないようである。もっと周りに付着した物があったのだが、それも既に欠落してしまっているように思えるのである。懸仏残欠というところか。こんな物に大金(?)を投じて買ってきたなど、口が裂けても言えたものではない!! だから、私は、いつも、買ってきた値段についてはダンマリをきめこんでいる。
でも、こんな汚らしい物にも、多少は利用価値がある。
部屋の隅の方に古い台を置き、その台の上に、今は亡き義父母の写真などと共に飾ったりすると、いかにも仏壇まがいの雰囲気を醸し出すのである。なんとなく、ありがたい気持になる。亡くなった義父母をあの世でも守ってくれるような気分になってくるのだ。それで、時折、交代で台の上に登場してもらっている。
ありがとうございます(^-^*)
長い間、古美術品(?)を集めていますと、時々、変な物に出会い、ついつい手を出す時がありますよね(^_^)
そのようなことを、普通、「魔がさした」と言うのでしょうけれど、本人にとっては、至って真面目な行為なんですよね、、、。
まっ、そのようなことを、骨董道楽とでもいうのでしょうかね(笑)。
人の願いや思いがこもっているものですから大事なものです。
懸け仏は後世になるにしたがって、装飾が派手になるとかで、これはシンプル~鎌倉時代の可能性はおおありと思います。padaも時々横道にそれながら、いつの間にか又好きな古陶にもどってます。
偶には目的外の物を買ってみたくなる時がありますよね。古い物は、やはり捨てられずに生き抜いてきてますので、共通の良さがあるんでしようね。
私も、時々、猫の餌入れとか犬の餌入れみたいな、一般の方から見たら汚らしい古伊万里などを、どうして集めるのかと思うことがありますが、やはり、好きだからなのでしょうね。「好き」には理由はいらないですものね。
私の場合は、骨董集めは結婚してからですから、買ってくると、「またガラクタを買ってきて!」と言われていました。
そんなことで、とても、買った値段などは言えませんでした(><)
ぽぽさんの場合は、結婚時点で既にガラクタ集めではないですものね。堂々と値段を言えますよね。
これから更に研鑽を重ね、「どうだ! これは〇〇美術館にあるものと同じだ。××図録に載っているものと同じだ」と言えば、尊敬されますね(^-^*)
今は亡き義父母の写真などと共に飾ったり
↑
すごくいいですね!懸仏も尚一層ありがたみを感じますね(^^)
私も犬の餌皿のような古伊万里を何故集めてるのだろうとふと思います笑
私の場合は結局なんとなくなんですよね。
まあそれで心に満ち足りるものがあればまあいいかということにしていますが。。
自分でもいまだに不思議です。
ps私は買ったものの値段を聞かれてもないのに白状してしまいます。言い訳しているみたいでなんだか情けないです笑
長いコレクション歴の間には、魔が差す時もあるんですね(~_~;)
何ぞ、古伊万里の名品が転がり込んできてくれないか、などと仏様にすがりつきたくなり、そんな時に買っているのかもしれません(笑)。
その御利益があったかどうかはわかりませんが、、、。
懸仏AもBも、それぞれ、初めから、ご覧のような木に掛けられていました。懸仏Bについては、もっと風格のある木に掛け替えればいいのですが、買った時のままです。
好きな古伊万里なら、補修し直すというようなことをするのですが、これについてはそんな意欲が湧かず、そのままになっています(~_~;)
遅生さんも、「品物の値段についてはダンマリです」か。そうですよね、家庭不和のもとですよね(^_^)
でも、じっと見ていると、古伊万里に通じる何かを感じますね。なにせ、鎌倉時代ですから、伊万里の大先輩、風格があります。
セットの木が重要ですね。懸仏BもAのような木に掛ければ、かなりいけるのではないでしょうか。
ps. 私も品物の値段についてはダンマリです。いさかいの元ですから(^^;