今回は、「初期伊万里(?)のそば猪口」の紹介です。
そば猪口A そば猪口B
そば猪口Aは平成25年に(今から8年前に)、そば猪口Bは昭和60年に(今から36年前に)買ってきたものです。
そば猪口A、そば猪口Bともに、生掛けで、どろりとした釉肌で、製作過程で付いたと思われる陶工の指跡も残っており、いかにも初期伊万里という趣です。
そば猪口A及びそば猪口Bの更に詳しい写真は次のとおりです。
<そば猪口A>
表面(仮定)
裏面
底面(1)
正面の斜め上から
底面(2)
裏面の斜め上から
正面の斜め上から
厚底のため、見込みが浅くなっています。
<そば猪口B>
正面(仮定)
裏面
底面(1)
正面の斜め上から
底面(2)
裏面の斜め上から
正面の斜め上から
厚底のため、見込みが浅くなっています。
なお、写真上部の口縁に見えますニューのようなもの(時計の針の10時の方向)
及びソゲのようなもの(時計の針の1時の方向)は窯疵です。
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
(なお、製作年代につきましては、最近では、江戸中期にも同じようなものが作られていたことが分かってきましたので、これを、江戸前期とみるか江戸中期とみるかにつきましたは、検討の余地がありますが、ここでは、一応、江戸前期とさせていただきます。)
(注) このそば猪口の製作年代を「江戸時代中期(享保期)」と訂正いたします。その理由は、<追記>に記したとおりです。
サ イ ズ: そば猪口A……口径:7.2~7.5cm 高さ:5.8 cm 高台径:3.5 cm
そば猪口B……口径:7.3cm 高さ:5.7 cm 高台径:3.5 cm
ところで、そば猪口Bに似たものが、「古伊万里再発見」(野田敏雄著 創樹社美術出版 平成2年発行)のp.311,図348に登載されていますので、それを、次に転載して紹介いたします。
染付梅花文猪口(江戸初期)
高さ:5.1 cm 口径:7.3cm 高台径:3.4 cm
また、そば猪口A及びそば猪口Bにつきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中でも既に紹介していますので、次にそれを紹介いたします。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー8 初期伊万里様式染付梅花文そば猪口 (平成13年11月1日登載)
これは昭和60年に我が家に入ってきたものである。伊万里好きなら、一度は、誰もが憧れる、初期伊万里の高台付蕎麦猪口である。
初期伊万里の大皿など、とても高くて買えないし、中皿でさえ手が出ない。その点、、蕎麦猪口となると、値段のほうも、なんとか頑張れば手が届くし、だいいち、湯呑み茶碗として実用に使えるということが人気のある秘密かもしれない。でも、なんといっても、厚底で、高台が削り出してあるとか、生掛けで、どろりとした肌であるとかなど、比較的に鑑定がし易いというのも人気の秘密だろう。ちょうど、蛸唐草の文様の描き方で時代判定が出来るために、蛸唐草に人気があるというのに共通しているのかもしれない。
ただ、最近では、本物そっくりに作られた新品が出回っているので要注意である。それにだまされないようにするには、やはり、自分で本物を買ってきて手元に置いて毎日眺め、その特徴を身体で覚えるほかないようだ。
江戸時代前期 口径:7.3cm 高さ:5.7cm 高台径:3.5 cm
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*古伊万里ギャラリー238 初期伊万里様式染付草花文そば猪口(平成30年3月1日登載)
いわゆる「高台付そば猪口」というもので、そば猪口の王様と言われるものである。
この手のものは、高台を削り出して高台を作り、しかも厚底で、生掛けのためにどろりとした釉肌である。
特に、この種の小振りのものは、見込みが浅いために容積も少なく、酒器に使えるために人気が高い。
江戸時代前期 口径:7.2~7.5cm 高さ:5.8cm 高台径:3.5cm
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*古伊万里バカ日誌166 古伊万里との対話(高台付そば猪口)(平成30年2月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
猪口A (初期伊万里様式染付草花文そば猪口)
猪口B (初期伊万里様式染付梅花文そば猪口)
(既に「古伊万里ギャラリー8」に登場したもの)
そば猪口A そば猪口B
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、今回も、例によって、主人のところにやってきた古伊万里の順番に従って対話をしようと考えたようである。
そこで、該当する古伊万里を押入れの中から引っ張り出してきて対話を始めた。
主人: お前には4年程前に我が家に来てもらったんだよね。来てもらってすぐ押入れに入れてしまったから、お目にかかるのは4年ぶりだね。
猪口A: そうですね。私がご主人の所に来てから、もう4年が経つんですね。早いものですね。
主人:: そうそう、お前を見ていて思い出した。そういえば、お前に似ている古伊万里が居るんだよ。既に「古伊万里ギャラリー8」に登場してもらっている「初期伊万里様式染付梅花文そば猪口」がそれだ。こっちは古くから我が家に来ているよ! 昭和60年に来ているから、もう32年も経っているね! お前の大先輩になるわけだね。
猪口A: そんな大先輩がいるんですか。せっかくですから、この際、その大先輩にも登場してもらって、一緒にお話をしませんか。
主人: そうだね。そうしよう。
<猪口B登場>
猪口B: この度は、再度登場させていただき、ありがとうございます。しかも、猪口Aさんとご一緒できて嬉しいです(^-^;
主人: 猪口Bも揃ったところで、それでは、そろそろ、対話を始めようかね。
私は、特に、そば猪口コレクターというわけではないんだが、そば猪口にも興味があった。古伊万里をコレクションしていると、当然、そば猪口もその対象になるものね。もっとも、古伊万里をコレクションしている人の中には、そば猪口に手を出すと泥沼にはまってしまい、そば猪口から抜け出せなくなるという理由から、あえて、そば猪口を避けて通る人もいるけれどね。まっ、その点、私には、そのようなことはなかったね。あくまでも、そば猪口も古伊万里コレクションの対象のほんの一分野と考えていたかな。
そんなことで、私は、そば猪口についても少しは勉強したし、少しはコレクションもした。そうした中で、そば猪口では、高台を削り出して高台を作った「高台付そば猪口」というものが、そば猪口の王様だと言われていることが分かってきた。
「高台付そば猪口」と言うものは、江戸初期に作られたもので、文字どおり、高台を削り出して高台を作っているんだよ。また、生掛けで、どろりとした釉肌になっている。それに、手に取ってみると驚くが、見た目よりはずしりと重いんだ。厚底になっているからなんだね。それは、中指を高台の中に置き、親指を見込みに突っ込んで、親指と中指の間の厚みを測ってみるとすぐ分かるんだ。厚くなってるんだよ。
ということで、「高台付そば猪口」というものは、非常に特徴があって分かり易いんだよ。ところが、ところがだ。いざ探し出すとなると、それが、なかなかないんだ(><) 珍しいんだろうね。さすが、そば猪口の王様と言われるだけのことはあるね。そこで、やっとみつけだしたのが、猪口B、お前だ。
猪口B: それは良かったですね。値段は高かったんですか。
主人: やはり高かった。なかなかないとか、珍しいとかの希少性のあるものは、やはり高いんだよね。
それで、それ以後は、「そば猪口風情に、そんな高い金額を出せるか」(失礼)、「それだけの金があったら、他のもっと良い古伊万里が買えるわ!」と思うようになり、あまり興味を示さなくなったんだ。
猪口A・B: それ以後は、「そば猪口」を全く買わなくなったんですか?
主人: そんなことはなかったね。気に入ったものがあった場合は買っていたよ。ただ、「そば猪口」を買うという感覚ではなく、単に古伊万里の「猪口」を買うという感覚だったかな。
猪口A・B: その後も、「高台付そば猪口」は、めったに市場に出て来なかったんですか?
主人: そうね、猪口Bを買ってから何年後かな・・・・・? だんだんと市場に出回るようになってきたんだ。もっとも、江戸中期以降にも「高台付そば猪口」は作られていたようだから、それらが市場に登場してきたのかもしれないね。また、「高台付そば猪口」は偽造し易かったから、それらの「偽造高台付そば猪口」も市場に登場してきたのかもしれないね。
しかし、そうなると、市場に混乱を生じ、「高台付そば猪口」の評価も下がり、人気も下降してきたね。
猪口A: そんなに人気がなくなってしまったのに、何故、私を買われたんですか。
主人: 江戸中期以降に作られたり、また、偽造されたものも含めて、「高台付そば猪口」は、一時、結構な数が市場に登場したが、或る時を境に、パタリと出て来なくなってしまった。それ以後は、たま~に、ポツリ、ポツリと登場する程度になってしまった。しかも、かなり値段も安くなってしまったね。かつての熱狂的な人気はなくなってしまったからだろう。
でも、人気を失っても、やはり、私にとっては、「三つ子の魂百までも!」で、私が古伊万里を集めだして間もない頃に憧れた「高台付そば猪口」は、今でも憧れの的なんだね。
それで、「高台付そば猪口」が眼前に現れると、ついつい食指が動くんだよ。
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<追記>(令和3年1月7日)
このそば猪口をインスタグラムで紹介しましたところ、そば猪口の大家の越前屋平太さんから、特に、そば猪口Bにつきまして、「これは、享保期に作られたもので、そば猪口の形態としては『初期そば猪口』と言います」とのコメントが寄せられました。
なお、江戸の「前期」、「中期」、「後期」の区分につきましたは、何を基準にして決めるのか、最近ではバラバラなように感じます。それで、私は、最近では、単純に、機械的に、江戸を約90年単位で区分することとしています。その区分に従いますと、享保は、江戸中期になりますね。
従いまして、最近の研究に従い、このそば猪口の製作年代を、「江戸時代中期(享保期)」と訂正致します。
越前屋平太さん、ありがとうございました(^_^)
初期そば猪口中期説は、私もあちこちで読んだ記憶がありますが、どうしてそう言えるのかは書いてありませんでした。中期の伊万里と同じ層からこの手のそば猪口が発掘されたのでしょうか。
昔は、初期伊万里だったんですけれどね、、、。
今では、初期伊万里になったり、前期伊万里になったり、中期になったり、初期そば猪口となったり、はたまた、江戸後期の波佐見になったりと、忙しい存在ですね(~_~;)
これをインスタグラムで紹介しましたところ、案の定、さっそく、そば猪口コレクターからコメントがありました。
「これは享保期に作られたもので、そば猪口の形態としては「初期そば猪口」と言います」と、、、。
私も、「初期そば猪口中期説」の根拠が何処にあるのかは分かりませんが、そば猪口については、かなり研究が進んでいるようですから、かなりの根拠を前提にしているのでしょう。
そんなことで、現時点では、そば猪口については、「初期そば猪口中期説」が最も妥当なところなのかなと考え、この製作年代を訂正いたしました。