Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

墓参

2019年09月21日 22時10分37秒 | 墓参・法事・葬儀

 秋彼岸に入りましたので、今日は、墓参に行ってきました。

 例によって、先ず、妻の実家の墓参りをし、その足で妻の実家に寄り、仏前で焼香を済ませました。

 そこで、世間話などをして休憩をし、続いては妻の叔父叔母のお墓に向かいます。

 その後、昼食を摂り、私の実家の墓参を済ませました。

 次に、昨年亡くなった義兄(私の姉の夫)宅に赴き、その仏前で焼香を済ませました。

 姉宅で亡き義兄の思い出話などをし、続いて、既に亡くなっている妻の姉宅に行き、その仏前で焼香をしてきました。

 今日は、午前9時頃には出発したわけですが、ゆっくりと回ってきましたので、午後7時頃の帰宅となってしまいました。

 そうそう、今日は、ちょっと意外なことに気付きました。

 それは、私の実家のお墓のあるお寺の階段の両脇に、いつも、秋彼岸の墓参の頃には、彼岸花が真っ赤に綺麗に咲いているんですが、今日は、それが見られなかったことです。

 

 いつもは、この石の階段の両脇に、彼岸花が真っ赤な色を見せてくれます。それが、今日は、それを見ることが出来ませんでした(><)

 

 

 

  近寄って見ても、やはり、咲いていません。絶滅してしまったわけではなく、まだ、これからなんですね。まだ、蕾なんです。

 

 

 

  大きく育ているところを見ても、やはり、まだ蕾です。

 いつもですと、もう、咲いているのに、、、。今年は、やはり、異常気象なんでしょうか、、、?


栗拾い

2019年09月20日 13時42分20秒 | 山菜など

 昨日、ご近所の方から、栗を1kgほどいただきました。

 妻が、さっそく、その一部を使用して栗ご飯を作りましたので、朝食と昼食にいただきました(^-^;

 ところで、ここのところ、ちょっと散歩をさぼりがちでしたが、この栗を見て、「そういえば、散歩コースにも、そろそろ栗が落ちている頃かな~」と思い出し、今朝、さっそくお散歩に、、、。

 案の定、栗は落ちていました(^-^;

 でも、まだ、時季が早く、少ししか落ちていませんでした(-_-;)  計量してみましたら、150gほどしかありませんでした。

 

粒は、市販の物よりも小粒です。

 

 これだけの量では調理しようがありませんよね。それで、この栗は、とりあえず貯蔵しておきます。そして、これに、これからの散歩の度に拾ってくる栗を加えていきます。

 そうすれば、栗ご飯にしたり、甘煮にしたりすることが出来ますから、、、(^-^;

 当分、栗料理が続きそうです。

 


骨董市と古美術品交換会

2019年09月15日 19時37分11秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、毎月恒例の、骨董市と古美術品交換会の日でした。

 お天気も良く、暫くぶりで涼しくもなってきましたので、気分良く出発です(^-^;

 先ずは、例によって、骨董市会場へ!

 今日は、骨董市会場の近くにある駐車場には空きがあり、運良くそこに駐車できました(^-^;

 しかし、どうも、最近、近くに、別な骨董市が出来ましたので、出店業者さんも、お客も、かなりそちらに流れているようなので、駐車場も空くようになったようです。

 出店業者さんも、その新しく出来た骨董市のほうが出店料が安いらしく、かなりの業者さんがそちらに移ったようです。そのため、骨董市会場には出店業者さんの空スペースが目立つようになりました。

 そんなことで、出店数も少なくなりましたし、お客も少なくなりましたので、ますます、古伊万里の展示も少なくなっていました(-_-;)

 一応、骨董市会場内をぶらぶらしてはいましたが、結局、気に入った古伊万里に遭遇することもなく、骨董市会場を後にして、次なる古美術品交換会会場へと向かいました。

 今月は涼しくもなってきましたので、古美術品交換会の出席者も多くなり、従って競りにかけられる品物も多くなって賑わうのではないかと期待して行きましたが、期待に反し、欠席者が多く、盛り上がりませんでした(-_-;)

 結局、午前中で終わり、昼食を摂って解散となりました。

 しか~し、今日は、そんな低調な中でも、1点だけ、古伊万里を競り落としました。激戦を勝ち抜き、やっとゲットしました(^-^;

 それは、「伊万里 金銀彩山葡萄に蝶文小鉢(17世紀中頃)」(口径:10.6cm   高さ:6.2cm  高台径:4.6cm)です。

 古木に山葡萄の蔦が絡み付き、山葡萄が2房垂れさがっています。その反対側には、蝶が2匹飛んでいます。それらを、金銀彩と赤で表現しています。

 口縁に5mmほどの金繕いがありますが、最近ではなかなか手に入らない古伊万里だな~と満足しています(^-^;

 ということで、今日は、まずまずの一日でした(^-^;


伊万里古九谷様式色絵草花文小皿

2019年09月14日 11時43分48秒 | 古伊万里

 今回は、以前、今では既に閉鎖してしまいました拙ホームページで紹介したことのある「伊万里古九谷様式色絵草花文小皿」を、再度紹介したいと思います。

 

伊万里古九谷様式色絵草花文小皿

 

 口径:13.1cm   高台径:5.3cm      高さ:3.1cm

製作年代:江戸時代前期

 

 

 

 裏面

 

 この小皿は、昭和61年に購入したもので、購入してから10年ほど経ってからの平成9年1月号の「陶説」(第526号)で紹介し、それから更に5年近く経った平成13年11月1日に既に閉鎖している拙ホームページで紹介したものです。

 「陶説(第526号)」の紹介文と、平成13年11月1日の既に閉鎖している拙ホームページの紹介文とは同じものですが、次に、その紹介文をもう一度掲載したいと思います。

 

 


 

<赤い糸で結ばれていた古伊万里>

 この物語は、今から約十年程前の或る骨董市での出来事から始まる。

 広い骨董市の会場に入ってまもなくのことであった。私は、とある古伊万里の小皿に妙に心奪われた。あっさりとして素朴な絵付け、それでいて大きな存在感。その存在感は、小皿でありながら大皿に勝るとも劣らない。大皿をそのまま圧縮したかの如くである。ちょうど、志野のぐい呑みの名品が、志野の茶碗の名品を圧縮したのと同じように。

 私は、小皿(口径13.1cm)をそっと手に取り、その感触を十二分に五感で味わった。「買いたい。」。「でも、まだ会場に入ったばかりではないか。今買ってしまったら、後でもっと気に入った物が見つかった時にどうするのだ。」と別の自分がささやく。自分の中の二人が、古伊万里を巡って、激しい争いをはじめたのである。貧乏コレクターの心の中に巣くう、悲しい定めである。

 しかし、その争いは、すぐに決着がついた。というよりは、すぐに決着をつけずにはおられなかったのかもしれない。私は、その小皿をそっと元に戻し、広い会場の中の次の売場へと足を進めていったのである。「とにかく会場を一巡し、それから、この小皿を買うかどうか決定しよう。」と。

 

「これ高いんじゃないの。もっとサービスしてよ。」
店主 「他の店と比較してよ。どこよりも安くしてるはずだよ。まあ、口開けだから、一割引いとくか。それ以上は原価割れだから無理だね。」
「それじゃ、また、後にしておくよ。」
      

 

 というような会話を続けながら会場をまわっていって30~40分経った時のことである。私は、自分の心臓が飛び出るのではないかと思うほど驚いた。なんと、そこに、先程の小皿が陳列されているではないか。大きさ、形、傷の具合、どれをとっても、先程の小皿に寸分ちがいがないのである。

 

「この小皿、さっき、会場の入り口付近にあったと思うんだけど・・・・・」
店主 「そうですよ。ちょっと前、私が買ってきたんです。良いでしょう。お安くしておきますよ。」

 

 これを聞いた時の私の頭の中は、一瞬まっ白になった。「しまった! さっき買っておくべきだった。」と。と同時に、「誰が、わざわざ高くなんか買うもんか。意地でも買わないぞ。」とささやく別の自分もいた。

 結局、その日は、私は、その小皿を買わなかったし、大きなものを釣り逃したショックも手伝って、何も買わないで終わった。しかし、そのことは、私にとって、大きな教訓となった。それ以来、買える範囲内の気に入った物に出会った時には、その時点で、即座に買うようになったのである。

 それから半年程が経過したであろうか。東京の古美術店巡りをしていた時のことである。またまた、あの釣り逃がした古伊万里の小皿が陳列されているではないか。店主の顔はと見れば、私から横取りしていった(?)、あの憎たらしい顔である。

 

店主 「やあ、しばらく。この小皿、良いでしょう。おたくなら特別勉強しますよ。」
「何が良いもんか。良かったらとっくに売れていたんじゃないの。」
店主 「この小皿は、おたくが買ってくれるのを待っていたんだと思うよ。」
「なに・・・。」

 

 この一言に、私は大きな感銘をうけた。「本当に、私が買ってくれるのを待っていてくれたのかもしれない!」。そう思うと、妙に、この小皿が、いとおしくなってきたのである。そして、この小皿を逃がした時に私に与えてくれた教訓も手伝って、私は、即座にこの小皿を買うことにした。

 その後、憎たらしく思った店主とも懇意となり、その店主から、いろいろと良い物を買うことができるようにもなった。きっと、この古伊万里の小皿と私とは、赤い糸で結ばれていたのだろう。いつまでも大事にしていこう。

 

 

 


 

 

  また、この小皿については、既に閉鎖している拙ホームページの平成13年11月1日の記事には、上に紹介した文章以外に、次のような文章も載せていましたので、それも紹介します。

 

 


 

<伊万里古九谷様式色絵草花文小皿>

 これは昭和61年に入手したものである。入手に至るいきさつについては、「古伊万里随想4」(*上で紹介した文章のこと)に記したとおりであるが、当時は、古九谷は、正に、古・九谷、すなわち、九谷焼の古いものということで、石川県産ということになっていた。

 これを見た瞬間、「あっ! 初期伊万里だ。」と思ったものである。生掛けで、高台は3分の1で・・・・・と、みんな、条件が揃っている。生地は初期伊万里なのだ。しかし、しかしである。表面の絵の調子は、どう見ても古九谷だ。

 これはどう解釈したらいいのだろう。石川県の九谷産と見るべきなのか、佐賀県の伊万里産(有田産)と見るべきなのか。こんな疑問を感じたりしたので、入手に手間取ったのかもしれない。

 でも、やっぱり、伊万里産にちがいないと確信して入手したのである。今では、立派に、古九谷様式の古伊万里として通るであろう。

 小皿ながら、初期伊万里大皿に負けないような雄渾さを十二分に有している。

江戸時代前期   口径:13.1cm

 

 


 

  今、思うと、昭和61年頃は、このような物は、当時普通に言われていた「古伊万里」には属さないし、「古九谷」にも属さず、「柿右衛門」にも属しませんでした。かと言って「初期伊万里」にも属さなかったんですね。

 「初期伊万里」といえば、一般的には染付ですから、それに色が付いているなどということはあり得ないということになるわけです。

 そういうことで、これは、「初期伊万里」の後絵ものなのか、或いは、最近作られた初期伊万里の偽物ではないかと疑われ、皆さん、なかなか手を出さなかったので、売れずに残っていたんですね。それに、訳が分からない割には高価でしたから、、、。

 これなんかも、どのように区分し、どのように表示すべきなのか、迷うところですね。

 古伊万里も、様式区分など止め、東京国立博物館の表示のように、「伊万里 色絵草花文小皿(17世紀前半)」とでもすればスッキリするのかもしれません。


ぶどう

2019年09月13日 10時11分34秒 | その他の日記

 今朝は、珍しく、ドアホーンの「ピンポーン!」の音が鳴り響きました。

 お隣さんが回覧板でも持ってきたのかな、と思いましたら、違いました(><)

 ご近所の方が、「ぶどう」を持ってきてくれたんです(^-^;

 ところが、すこし間を置いて、また、また、「ピンポーン!」の音。

 今度こそ、お隣さんが回覧板を持ってきたのだろうと思いましたが、また、また、ハズレでした。

 なんと! 今度は、別なご近所の方が、これまた、「ぶどう」を持ってきてくれたんです(@_@)

 

上の「ぶどう」:最初の方が持ってきたもの

下の「ぶどう」: 次の方が持ってきたもの

 

 

 「ついている」時は「ついている」んですね(^-^;

 でも、考えてみれば、今日は十五夜だったんですね。それに合わせて持ってきてくれたのかもしれません(^-^;