Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

芙蓉

2022年09月19日 08時48分52秒 | その他の日記

 我が家の軒下で、毎年、芙蓉が花を咲かせます。

 今が盛りですね(^-^*)

 これは、10年くらい前になるでしょうか、妻が芙蓉の種を何処からか貰ってきて、軒下にそれを蒔いたんです。

 なにも、わざわざ軒下に蒔くこともないのでしょうけれど、そんなに大きくはならないと思ったのか、軒下に蒔いたんですよね(~_~;)

 ところが、思いもよらず大きく育ち、毎年、沢山の花を咲かせるようになったんです。お陰で、枝も繁りまくり、人間が軒下を通る際はそこを避けて通らざるをえなくなり、雨の日など、濡れざるをえなくなりました(><)

 そこで、花の終わった頃、枝を大幅に切り詰め、人が軒下を通れるようにしてはいるのですが、毎年、春になると切り詰めた枝から芽をだし、枝が大きく育ち、今頃になりますと、毎年のように多くの花を咲かせるようになっているんです。それで、今頃には、人間は、相変わらず、軒下のその場所を迂回して通らざるをえず、雨の日などは濡れることになります(><) なかなか、丈夫な植物ですね(^_^)

 ということで、今年も花を咲かせましたので、それを次に紹介いたします(^_^)

 

軒下に咲く芙蓉(その1)

 

 

軒下に咲く芙蓉(その2)

 

 

軒下に咲く芙蓉(その3)

根元近くの写真

 

 

軒下に咲く芙蓉(その4)

根元近くの写真


骨董市と古美術品交換会

2022年09月18日 18時48分02秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に一度の、定例の骨董市と古美術品交換会の日でした。

 大型台風が接近してきていますが、この辺は、まだ、その影響を受けておらず、今朝、出かける頃は曇り空で、時折、晴れ間も見られるような状況でした。

 それで、安心して、先ずは、骨董市会場へと向かいました。

 しかし、業者さんも、台風を警戒してか、出店されている方が、何時もよりは少ない感じでした。

 そんな中ですから、それほど期待をせずに会場内を巡ります、、、。

 そうしましたら、「あれっ!」というものを発見です。

 古伊万里の名品を見つけたわけではないのですが、何だか分からないものを発見したのです(~_~;)

 多分、伊万里焼と思われますが、染付で花文が描かれた丸い物(中が中空になっています)です。浮玉でしょうか、、、?

 何なのだろうな~と眺めていましたら、店主が、「他にもあるんですよ。あそにはもっと大きな物もありますよ。私も何なのか分からないのですが、結構人気があって、少しずつ売れていって、全部で、残りがこの5個だけになってしまったんです」と言って、店の中のあちこちから5個集めてくれて見せてくれたのです。

 私が、「幾らするんですか?」と値段を聞きましたら、店主は、「大きいのが〇〇円、中くらいのが△△円、小さいのが××円ですが、全部買ってくれるなら勉強しますよ」との返答です。

 私としても、何なのか、訳も分からないものを買ってもしょうがないな~とは思ったのですが、物が「玉」だけに、たまには、訳の分からないものを買うのも一興と思い、ついつい買ってしまいました(ダジャレ)(~_~;)。

 家に帰って、水に入れてみましたら、浮きますので、一応、「浮玉」ということにしようと思います。

 ということで、「伊万里 染付 花文 浮玉(5個) 」(幕末~明治)を買い入れました。

 

 その後、古美術品交換会会場へと向かいましたが、相変わらず、「これは!」という古伊万里の登場はなく、何も競り落とすことはなく終りました。

 古美術品交換会は午前中で終わりましたが、終りの頃は、大型台風の影響が出てきたようで、時折、激しい雨が降ってきましたので、慎重に運転しながらも、急いで帰ってきました。

 

 なお、今日買ってきました「伊万里 染付 花文 浮玉(5個) 」(幕末~明治)につきましては、汚れがあります。漂白剤の中に入れて漂白して綺麗にした後に紹介したいと思いますので、2~3日お待ちください。 


忠義に死す 島津豊久

2022年09月17日 15時53分18秒 | 読書

 「忠義に死す 島津豊久」(近衛 龍春著 角川書店 2019年2月1日初版発行)を読みました。

 

 

 

 島津家15代当主島津貴久には4人の男子がいました。その内の3人が正室の子で、長男が義久、次男が義弘、3男が歳久です。もう一人は側室の子で4男の家久です。

 島津家15代当主島津貴久の嫡男の島津義久が16代当主となりますが、この本は、その頃の時代を中心に扱ったものです。

 なお、この本の題名に出てくる「島津豊久」なる人物は、島津貴久の4男の島津家久の長男のことです。

 島津豊久は、父島津家久とともに「沖田畷(おきたなわて)」の戦い(龍造寺隆信との戦い)に出陣します。豊久にとっては初陣でした。

 その後も、戦名人と言われた父に従い、数々の戦場に赴き、父に見習って、多くの手柄を立て、九州統一に尽力します。

 しかし、島津家は、九州統一を間近にして、豊臣秀吉に降伏することになります。なお、豊臣秀吉軍が引き揚げる際に開かれた饗応の席に招かれた家久は、何者かによって毒殺されてしまいます。

 豊久は、毒殺したのは16代当主の義久ではないかと疑いますが、確証がありません。その後、豊久は、同じく戦名人と言われた叔父の島津義弘を父とも思い、島津家当主とも思って私淑します。なお、豊久は、秀吉から、父家久の領地であった日向の佐土原を安堵され、島津家から独立した大名となっています。

 その後は、秀吉の命で、義弘等とともに在京することが多くなります。

 文禄・慶長の役では、義弘とともに朝鮮半島に赴き苦労を共にします。

 秀吉没後、関ヶ原の戦いが生じますが、島津義弘、日向の佐土原の城主の豊久は、西軍につきます。

 ご承知のとおり、関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わるわけですが、その際、負けた西軍の中では、島津軍のみが関ヶ原の真っ只中に取り残されてしまうわけですね。

 その時、島津軍は、群がる敵中を突破し、島津義弘を何としても郷里の薩摩に帰そうと考えたわけですね。それが有名な「島津の退き口」というものですね。

 その際、豊久は殿(しんがり)を努め、みごと義弘を薩摩に帰すことに貢献することになりますが、その時に壮絶な最期を遂げてしまいます。


お月見

2022年09月10日 19時22分59秒 | その他の日記

 今日は中秋の名月です。お月見です。

 それに合わせ、昨日は家庭菜園に赴き、サツマイモを掘ってきました(^-^*)

 今日は、散歩がてら、ススキを採ってきました。

 また、妻は、スーパーに行き、出来合いのお団子を買ってきました。最近は、お供えしたお団子のその後の処理に悩まないで済むように、手作りをせず、そのまま美味しく食べられるような餡入りの出来合いのお団子を、しかも少量買ってきています(~_~;)

 以上の材料のほか、花は、ススキの他に庭に咲いているオミナエシを添え、お供えは、お団子、サツマイモの他に台所にあった栗、ナシ、リンゴを加えて設えました。

 


家庭菜園作業

2022年09月09日 17時16分28秒 | 家庭菜園

 明日は「お月見」とのこと、、、。

 それで、今日は、お月見様にお供えをするためのサツマイモを掘るために、家庭菜園に行ってきました。

 サツマイモは、毎年、せっかく作っても、ほとんどを寒くなる頃に腐らせてしまうため、作ってもしょうがないな~と思い、暫く作るのを止めていたのですが、今年は、知り合いから苗を頂いたので、久しぶりに作ることになったものです。

 多分、もう、それほど大きくは育ってはいないかもしれないけれど、お月見様にお供えすることが出来る程度には育っているだろうと予測して行ってきたわけです。

 やはり、予想どおり、適度な大きさに育っていました(^-^*)

 

掘ってきたサツマイモ

 

 

 今日は、2株分を掘りました。

 サツマイモは、多分、25本植えたと記憶していますので、最終的にはかなりの量を収穫できそうです。

 なお、ついでに、インゲン豆、ピーマン、伏見甘長(シシトウのようなもの)、万願寺唐辛子、トマト、ゴーヤ、冬瓜などを収穫してきました。