祢津地区の史跡巡りに参加しました

2013-11-12 11:12:20 | 雑感
11月4日、しげの里づくりの会・滋野小学校PTA・滋野地区公民館共催による恒例の史跡巡りが行われました。今年は東御市の祢津地区です。ここは江戸時代に幕府の天領であったため代官所が置かれておりこの地域一体の文化の中心地でした。参加者は子供たちから高齢者まで70数名。私も家族と一緒に同行しました。


1、宮ノ入のカヤの木(長野県天然記念物)
これは祢津西宮にあるカヤの大木で幹の周囲が6.5mにもおよび県下最大、推定樹齢は千年。一説には中世にこの地域を領有していた祢津氏の庭園木とも言われています。


戦前まではこの木の実を煎じてお腹の虫の駆除に使ったり食用にしていたそうです。



2、祢津お姫様巨石(有形文化財)
ご神体であるこの巨石は高さ6m、幅16m、奥行き15mという大きなもの。この巨石には仏像が線彫りされています(よくわかりません)。祢津領主松平公の奥方様は婦人病に悩まされ、夢のお告げにより巨石に祈願したところ快癒。奥方の死後遺髪をこの巨石のかたわらに葬り「お姫様(お姫尊)」と称したところ、人々の信仰を集めるようになったそうです。



3、西宮の歌舞伎舞台(長野県有形民俗文化財)
祢津健事神社(ねつ・たてことじんじゃ)境内にあるこの舞台は江戸時代文化13年(1816)に建設され、回り舞台やセリ出しのある立派なもの。神社の御柱の年には歌舞伎が上演されています。


4、大日堂(有形文化財・建造物)
この大日堂は上田。小県地方の中で屈指の大きさを持つお堂です。寺伝によると本尊の大日如来像は聖武天皇のころ活躍した行基菩薩の作とも伝えられており現在は秘仏となっているそうです。


5、大日堂の算額(有形運家財・書跡)
この算額は嘉永6年(1853)市内の加沢田村の上原道英(うえはら・みちひで)によって奉納されたもの。幕末期の当地の和算文化を知るうえで貴重な算額だそうです。この算額には3つの図形に関する問題とその解き方が記されています。数字にうとい当方としては驚きです。


5、東町の歌舞伎舞台(長野県有形民族文化財)
日吉神社本殿の裏に建つこの舞台は文化14年(1817)に建てられたもの。西町の歌舞伎舞台が文化13年でしたから二つの舞台はほぼ同時期に完成しています。二つの舞台は直線距離にして600mもありません。多額の費用をかけても負けられないと建てたのでしょう。そういえば祢津の祇園祭では東西町のけんか神輿が有名です。東町歌舞伎舞台では毎年4月29日に地元の子供たちによる子供歌舞伎と大人歌舞伎が上演され、多くの市民の皆さんが楽しみにしています。

わすかな地域にたくさんの文化財があり、文化の中心地であった東西町の面目躍如たるものがありました。

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