先日六分水(ろくぶすい)の虫干しがありました。関係7区(新張、原口、別府、中屋敷、大石、片羽、桜井)の区長さんと地元議員3名が集まり、立会人として市長が参加されました。
東御市の滋野地区は昔から水には苦労してきた土地です。山が浅いことから沢の水が少なく水争いが絶えなかったそうです。川上3区(新張、原口、別府)は祢津領(幕府直轄地)、川下4区(中屋敷、大石、片羽、桜井)は小諸藩ということもあり、水争いの裁定には江戸表まで出向かなければなりませんでした。その結果、沢の水を枡場で滋野地区へは6分、祢津地区へは4分に分けるということが決まりました。これが六分水のいわれです。
その後取り決めを順守するために幕府の裁定許可状と用水の絵図面を厳重に保管し、毎年1回虫干しという名目で開封し中身を改め、その後また封印してきました。私も議員になって初めて虫干しに参加し、裁定状と絵図面を目にしました。
今では灌水設備も整い水に不自由することはなくなりましたが、かつて六分水はまさに滋野の命の水でした。この伝統を子供たちにも伝えて行かなくてはと思っています。