おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

うんちく話です。。。

2010年01月31日 18時59分48秒 | Weblog
この写真、どんな風に受けとられますか?なんの他愛もない、田舎にはよくある風景です。

このとき、とってもとっても感心な出来事があったんです。

それはこんなことでした。

もう20年来のおつきあいになるOB施主様のH様。今回はトイレの工事のご相談を承り、先日つくばのショールームへ一緒に行き、昨日はお見積もりの提出日でした。

施主様であるH様と奥様、息子さんの奥様とかわいらしいお嬢ちゃまがコタツに入って一緒です。お茶をごちそうになり、世間話に花が咲いているときのことでした。

そのかわいらしいお嬢ちゃまが、お茶菓子であるおせんべいの入ったこの袋を手に取り、このお箸を上手に使って目的物を取り出し、それを手にしておいしそうにパクッと食べたのです。

そんな光景、ぼくは初めて目にしました。びっくりです。ある意味、感動しました。

いつもおばあちゃんの姿を見ているのでしょう。お箸でお茶菓子を取る姿もよく見ていたんでしょう。その姿があまりにも自然であることにも驚きを感じました。

核家族化が進んで、おじいちゃんおばあちゃんは施設に預かりとなり、『躾(しつけ)』は学校任せの時代となっている現代。ぼくは仕事柄、お家に上がらせていただくことが多い。これまでの経験で感じていることは、『おじいちゃん、おばあちゃんの役割って、あるよなぁ・・・』ということです。

二世帯同居、とまではいかなくとも、おじいちゃんおばあちゃんが近くにいる(物理的または心理的)お子ちゃま達と、まったく疎遠とか無関心な関係の若夫婦に育つお子ちゃまたちとでは、明らかに異なる面があると。

その大きな特徴として2つあげるとすれば、『気配りができる』のと『察することができる』ことだと感じています。たとえば先ほどのお茶菓子の件で言えば、うちの子供たちだったらならば、われ先に手づかみで食べたに違いありません。

良い悪いというのではなく、明らかに異なる情緒が育っているな、と思います。でたぶん、現代のぎすぎすした世の中が失っているものは、そんな気配りであったり、察する美学みたいなものだと思うのです。

自分の両親のことを言うのもなんですが、普段一緒にいたら『うるさい』と感じてしまうことばかり。でも言っていることは大切なことばかりなんだな。おじいちゃんおばあちゃんでしかできない、大切な大切な役割が、そこにはあるような気がしてなりません。

そしてやがてぼくも、、、おじいちゃんになっていく。その時は、そんなおじいちゃんでありたいな。。。

・・・・うるさいうんちくを語ってしまいました。

ではまた。

おさむ
コメント
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