工務店の社長のブログなのに、、、、いま思風先生の講義中なんですが、本日の講義内容を貼り付けたくなってしまったりしたものですから・・・・・。うさんくさく感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、、、、。以下講義レポート。
境涯論
これまで人間の境涯を体系的に表した学問はなかった。例えば仏教では十戒といって、最下位を地獄界として最上位を仏界とした境涯があるが、これは5位にある人間界から人間でない世界の仏界を目的として生きる生き方をいっているのであって、人間が人間らしく生きる生き方をいっているのではない。人間が仏の世界や神の世界を目指し生きようとすることは、人間が人間であることを否定するものであり、『人でなし』の生き方に他ならない。肉体を持つ不完全な人間が、欲を持ち我を持つ人間が、人間として生き切るためには、千古の教条に捉われてはならない。千古の教条を去るべき時が来ているのである。
すなわち、感性論哲学でいう人間の境涯とは、不完全な人間が、小我から大我への、我の成長のプロセスをいう。欲と我を持つ人間が、人間として目指し得る段階の事である。学問として体系化する⇒時間と空間
人称的世界(空間的世界)
一人称的自我
主観的で自己中心的 わがまま 感情的
だれもがここから始まる(あかちゃん)
我があることは最も大切なことである。我をなくそうとしてはならない。不完全な人間である以上、我はなくならない。大切なことは『小我から大我に成長させること』なのだ。
体験とは真実を語る力である。体験なしには真実を語れない。理屈を超えた真実を語る力。体験が命を成長させる。
人生とは体験の連続である。つまり、人生とは成長の連続なのである。だから全ての体験には無駄がないのである。
二人称的自我(客体的自我)
第一人称の自我状態だけでは、自己中心的であったり感情的であったりして人間関係に問題をきたす。そこで、そうした体験から自我が相手の気持ちを考えるような状態に成長していく。
相手の立場に立って物事をみることができるようになる。さらに相手の立場に立った自分を見るという境涯。相手の立場に立っている自分を見つめることによって内省し自省することができる。他者中心的。人から評価されることを期待する。善人根性。
三人称的自我(客観的自我)
第三者の立場に立って相手を見、自分をも見ることができる自我の状態。
目の前の現実に起こる人間関係における空間的成長だけでなく、『未来』に向かって時間的成長をする。⇒理念的世界
理念的自我の世界 (理念化された人称的自我)
第四の自我 超越的自我
現実に溺れることなく真実を貫く生き方(自分中心!!)自分の志、自分の理想にかけて対立を恐れずに生きる!独善的・作為的・目的を達成するためには手段を選ばず。『有我・有欲・有心』の境地。意志の力
第五の自我 去私的自我
自分よりも、他の大きな世界の中に在る自分(愛)『無我・無欲・無心』の境地 精神的に清らかな生き方。愛の力。
第六の自我 統合的自我
第四第五を統合した生き方。意志の力と愛の力を統合。大我の世界。『大我・大欲・大心』の境地。
人間⇒与えられた現実をよりすばらしいものにすることができる⇒未来に向かって⇒より人間的
第七の自我
第六の自我がよいのではない。第一の自我が低いのではない。全ての自我の状態には価値があり、必要なものである。不完全な人間は全ての自我を使いこなしてこそ、最高の境涯といえる。すなわち、境涯にこだわらない境涯である。
我も欲望も煩悩も偏見も、長所も短所も生かしきってこそ人間らしい人間。大切なことは我を成長させることなんだ。小さな欲から大きな欲に成長させることなんだ。我をなくそうとしてはならない。欲をなくそうとしてはならない。それは『人でなしの人生』なんだ。
あと1時間少々で講義も終わりです。笑いあり涙あり、、、。実に内容の濃いお勉強となりました。
ではまた。
おさむ
境涯論
これまで人間の境涯を体系的に表した学問はなかった。例えば仏教では十戒といって、最下位を地獄界として最上位を仏界とした境涯があるが、これは5位にある人間界から人間でない世界の仏界を目的として生きる生き方をいっているのであって、人間が人間らしく生きる生き方をいっているのではない。人間が仏の世界や神の世界を目指し生きようとすることは、人間が人間であることを否定するものであり、『人でなし』の生き方に他ならない。肉体を持つ不完全な人間が、欲を持ち我を持つ人間が、人間として生き切るためには、千古の教条に捉われてはならない。千古の教条を去るべき時が来ているのである。
すなわち、感性論哲学でいう人間の境涯とは、不完全な人間が、小我から大我への、我の成長のプロセスをいう。欲と我を持つ人間が、人間として目指し得る段階の事である。学問として体系化する⇒時間と空間
人称的世界(空間的世界)
一人称的自我
主観的で自己中心的 わがまま 感情的
だれもがここから始まる(あかちゃん)
我があることは最も大切なことである。我をなくそうとしてはならない。不完全な人間である以上、我はなくならない。大切なことは『小我から大我に成長させること』なのだ。
体験とは真実を語る力である。体験なしには真実を語れない。理屈を超えた真実を語る力。体験が命を成長させる。
人生とは体験の連続である。つまり、人生とは成長の連続なのである。だから全ての体験には無駄がないのである。
二人称的自我(客体的自我)
第一人称の自我状態だけでは、自己中心的であったり感情的であったりして人間関係に問題をきたす。そこで、そうした体験から自我が相手の気持ちを考えるような状態に成長していく。
相手の立場に立って物事をみることができるようになる。さらに相手の立場に立った自分を見るという境涯。相手の立場に立っている自分を見つめることによって内省し自省することができる。他者中心的。人から評価されることを期待する。善人根性。
三人称的自我(客観的自我)
第三者の立場に立って相手を見、自分をも見ることができる自我の状態。
目の前の現実に起こる人間関係における空間的成長だけでなく、『未来』に向かって時間的成長をする。⇒理念的世界
理念的自我の世界 (理念化された人称的自我)
第四の自我 超越的自我
現実に溺れることなく真実を貫く生き方(自分中心!!)自分の志、自分の理想にかけて対立を恐れずに生きる!独善的・作為的・目的を達成するためには手段を選ばず。『有我・有欲・有心』の境地。意志の力
第五の自我 去私的自我
自分よりも、他の大きな世界の中に在る自分(愛)『無我・無欲・無心』の境地 精神的に清らかな生き方。愛の力。
第六の自我 統合的自我
第四第五を統合した生き方。意志の力と愛の力を統合。大我の世界。『大我・大欲・大心』の境地。
人間⇒与えられた現実をよりすばらしいものにすることができる⇒未来に向かって⇒より人間的
第七の自我
第六の自我がよいのではない。第一の自我が低いのではない。全ての自我の状態には価値があり、必要なものである。不完全な人間は全ての自我を使いこなしてこそ、最高の境涯といえる。すなわち、境涯にこだわらない境涯である。
我も欲望も煩悩も偏見も、長所も短所も生かしきってこそ人間らしい人間。大切なことは我を成長させることなんだ。小さな欲から大きな欲に成長させることなんだ。我をなくそうとしてはならない。欲をなくそうとしてはならない。それは『人でなしの人生』なんだ。
あと1時間少々で講義も終わりです。笑いあり涙あり、、、。実に内容の濃いお勉強となりました。
ではまた。
おさむ