よく晴れた日曜日の午前,最近の私にしては珍しいことに自転車での外出は止めて久しぶりに歩いて山の方へと向かった。事前に山行計画を立てるでもなく,基本的には行き当たりばったりの,取りあえず丹沢表尾根方面にでも出掛けるか,歩けるところまで歩いて嫌になったらテキトウニ戻ってこようか,といった気紛れトレッキングであった。フェニックスPhenixのメッシュキャップを被り,背負うザックは最近お気に入りのドイターDeuterのトランス・アルパイン30,手に携えるはレーキLekiの古びたストックで,足元はこれまた久しぶりの出番となったキャラバンCaravanのグランドキングで履き固め(ヲイヲイ,老人会の低山徘徊部会か),要はそういったスノッブな出で立ちで,さて ヨッコラショ,とばかりに家を後にしたのでありました。もちろんこれは単独行なのであって,あれれ,そんじゃ日帰り御遍路さんジャマイカ。
まずは自宅(標高143m)から北西に歩を進め,二級河川金目川水系葛葉川に沿ったさほど広くない舗装道路を上流方面へと辿ってゆく。自転車散歩では通い慣れたルートだが,歩くとなると別段何の面白味もない単調な脇道だ。川の両岸にはチマチマした住宅群がモザイク状に分布し,所々に工場や倉庫や駐車場や小公園や原っぱや田んぼや畑や果樹園やビニールハウスなどなどが混在する,どことなく埃っぽい,ありきたりの郊外風景である。河川工学的に見るとセグメント1(河床勾配1/60~1/400,代表礫径10~30mm,低水路水深0.5~3m)に相当し,また河川生態学ではBb型水域(ひとつの蛇行区間に瀬と淵とが一組存在する水域)に分類される緩やかな傾斜の登りであるが,それでも地道に歩き続けておれば着実に高度を稼いでゆくのであって,周囲に広がるザワザワした好ましからざる凡庸な風景は徐々に山麓地域特有のノンビリとした心地よい里地景観へと移行してゆくのが視界全体に感じられる。漂う空気もこころなしか田舎の香りがいや増してくるようだ。羽根,菩提,向山などの扇状地に立地する集落を過ぎ,やがて山麓のドンヅマリに追いやられた養護施設の学園敷地あたりまでくると道の勾配が急になる。そしてその先の青少年野外センター脇からはじまる桜沢林道の針葉樹に覆われた薄暗い急坂が,里地(日常)と山地(異界)とを隔てるいわば「三途の川」のごとき通過回廊に相当するのだ。我が愛する《ゼルダの伝説・時のオカリナ》になぞらえれば,コキリの森からハイラル平原へと通じる樹林のトンネルを行くようなものだろうか。BGMは「サリアの歌」か(例えが稚拙で恐縮です)。ま,狭い林道を自動車でブィーンと一気に駆け上がってゆく連中にはそんなことをシミジミ感じる暇もなかろうが。それはともかく,フウフウいいながらその急坂を10分あまり登りつめると,おなじみの湧水スポット「葛葉の泉」(標高435m)へと辿り着く。ここまでが家から1時間と少々。一息つくにはちょうどよい時間と距離だ。
日曜日とあって泉の一帯は大盛況だった。狭い駐車スペースだけでは足りずに前後の林道に帯状に溢れて駐車している自動車の数を数えてみれば,ヒイフウミイヨウ... 計14台ばかりの湧水運搬車ならびに20人を超える水汲み人達がこの狭い山中に蝟集している。泉の周囲に積み置かれてスタンバイしている白いポリタンクの山はいったい何10本いや何100本あるのか,数える気も起こらない。そして当の水汲みビトの年齢構成ときたら,まるで見事に中年~老年ばかり,それもほとんどが夫婦連れだ。やっぱ,一人でこんな所まで出張って来るのは気が咎めるのだろうか。というか,いささか歪んだ自己偏愛的な健康志向を持ったヒトビトがこんな狭い場所に同時に仰山集まれば,当然ながら順番待ちとか先取権とか時間配分とか場所取りとかのツマラヌ争い事が生じる可能性も十分に予想される訳であるからして,多勢に無勢というリスク回避手段として「ペアで水汲み」というスタイルが選択されるのも無理からぬ事ではあろう。いずれにしても難儀な話ではある。ったく,山を何と心得ておるのか!
おっとっと,なにやら数年前にどこかで記したブツブツ言の繰り返しになってしまったようだ。面目ない。ボケ老人になるのはまだ早いゾ,というわけで,早々に泉を後にして再び桜沢林道のクネクネ坂を上り続けることにした。南斜面の明るいランブリング・ロードで,ゆっくりのんびりと歩いてゆくにつれ,穏やかで暖かい春の陽差しが身体中にジンワリ滲みこんでくるようで何とも気持ちがいい。木々の若い緑が折り重なるようにして風にそよぎ,知らない鳥がどこかで啼いている。人里の桜はとうに散ってしまったが,低山に咲くヤマザクラは今もわずかに花を残し,秘やかな宴の名残を惜しんでいるかのようだ。双翅目や膜翅目や半翅目などの,いずれもその名は知らねども,小さな昆虫たちがあちこちで飛翔している。春に目覚めた彼ら彼女らは,いかにもウレシソウに私の身体にまとわりつくように舞っている。
この林道は丹沢山中に数多く存在する林道のなかでは比較的マイナーな部類に属し,また原則として一般車両通行禁止であることから,だいたいが貸し切り状態であることが多く,道のまんなかを堂々とのんびりゆっくり歩行を愉しむことができる。ただし,このしばらく先で交わる表丹沢林道などとは異なり,通常は始点・終点の通行ゲートが開放されているため,時には車で山麓から菩提峠までを一気に駆け登ってゆく一般人(=フトドキモノ)も見られるので油断はならない。その日も途中で二度ほど後ろから車に追い抜かれた。1台は多分ハイラックス・サーフだったと思うが,仰々しい外観の巨大4WDがブイブイ言わせながら大量に排ガス撒き散らして威勢よく追い抜いていった。もう1台は,なんとBMWの7シリーズ・セダンであった。こちらは慎重すぎるくらいの徐行運転で私の脇をトロトロすり抜けるように登っていった。クネクネ林道に慣れていないのか,あるいは,ボディーを傷つけるのが恐いのかな? いずれにしても フントニモウ!の世界である。逆に,山の上から降りてきた車は,唯一,自転車1台のみであった。ロードバイクに乗った青年が,まるでTVCFの佐藤琢磨のようにハイスピードで駆け下りてきて(おお,我が同志よ!),あっという間にすれ違った。しかしどちらかというと自動車よりもこちらの方が,カーブの出会い頭などでは危険かも知れない。『丹沢山中の林道で 地元の老人がツーリング自転車にはねられ重体!』なんていう新聞ネタにならぬよう,気をつけねばナ。
途中,表丹沢林道との分岐点を経て,さらに二ノ塔(標高1,140m)の東南斜面を菩提峠へと通じる急な道を登っていった。何となく箱根ターンパイクのようなオモムキがある開けた山腹を直線的に上っていく味気ない道である。歩いている途中で何故か信州の美ヶ原高原から三城牧場へと下る道のイメージが頭に浮かんできて,ハイティーンの頃のセンチメンタル・ジャーニーの想い出が朧気ながら蘇った。風景の構成要素を比較すれば両者は全然似ていないことは明らかだが,いかなるアナロジーに基づいてそんな古びた記憶の引き出しが瞬時開かれたのだろう。単なるボタンの掛け違えか。あるいは脳細胞破壊の一端に過ぎないのか知らん。
菩提峠(標高760m)の広場に着くと,ここもまた仰山の行楽グルマでビッシリと埋めつくされていた。葛葉の泉と同じく休日には毎度お馴染みの光景なのだろう。その数ざっと20台以上。立錐の余地もない,という表現そのままの混雑ぶりだ。ほとんどは県道70号の枝道から登ってきた連中に違いあるまい。なかには,いったん峠まで登ってはきたものの駐車できる場所がまったくないのでやむなく引き返してしまう車も見られた。戻り際のUターンにさえ苦労している。それにしてもイヤな眺めである。自然に対する冒涜,環境に対する無頓着などという教条主義的な科白は申しません。申さぬけれども,そもそも乗合バス路線がすぐ近くのヤビツ峠まで通じているにもかかわらず,それを利用することなく,個々人がそれぞれ好き勝手に自家用車を駆って山の上まで遊びにやって来る。クルマの利便性・機動性・独立性・安直性に依存した極めてお手軽な自然享受。そういった無邪気で脳天気で礼儀をわきまえない君ら方の行為が,結果として風景を貶めているのですよ。ディエンビエンフーの静かな郊外にある日突然土足でドカドカと侵攻・駐留した外人部隊と,一体どこが違うというのか。ここでまた,ハァーッ,と溜息ひとつ。しかるのち気を取り直して踵を返し,岳ノ台へと向かう道をトボトボと登っていったのであった。
今から40年ほど前,たった1シーズンだけスキー場が開設されたという菩提峠の北斜面に広がるカール状の草原に沿って東に少しばかり登ると,反対側の南に開けた急斜面の縁にパラグライダー&ハンググライダーの離陸施設が大・小2台設けられている。いつ頃出来たものだろうか。10年前にはなかったと思うが,6年前に来たときは1台だけあった。私としてはめったに足を運ばない場所なので,次に来るときには何台に増えているのかな。自然公園法に基づく国定公園の特別地域における工作物の増築許可は,この手のモノであればスンナリと通るものなのか。まぁ,外見上は景勝地の展望台(ベンチ)のようなものだろうけれど,それだったら立入禁止の札など掲げずに,もっと広く一般に開放して欲しいものだ。
さてさて,その日は大変穏やかな良い天気で,また風も適度に吹いていたので絶好のフライト日和だったのだろう。大きい方の離陸台の上には年の頃にして60を少し過ぎたと思われる小柄な初老のアングラディストが,今まさに離陸を行わんとすべく最終フライト準備の真っ最中であった。アングラディスト? そんな言い方があるのかどうかワカランが,これは昔聴いたマキシム・ル・フォレスティエの《パラシュティスト》という歌からの連想である。無謀にも酔狂にも自ら空を飛びたいなんぞと考えるヒトの,常人には決して窺い知れぬ孤独な心情。彼らは一体どのような思想と信念と理論と実践のもとに空を飛ぼうと決意するに至ったのだろうか。
空を飛べたらなぁ,いちど鳥になってみたいなぁ,そりゃ誰だって言うだけなら言う。けれど現実にはほとんどの人々がゴミムシやらダンゴムシやらシャクトリムシやらデンデンムシやらの生活を暮らしているのだ。そういう表現がマズければ,地に足の付いた暮らしを暮らしている,とでも言い換えておきましょうか。飛行機に乗るのが大好きさ!などとのたまう人物に出会うことも巷間希ではないが,彼らにしたところが所詮他人任せの物見遊山気分で上空から「高見の見物」を決め込んでいるのが大方の所だろう。あるいは諸般の事情,主として業務上の理由から移動時間の短縮を余儀なくされる悲しい人種のマケオシミだろう。そもそも,ホモ・サピエンスという生物種が有する特性は本質的にゴミムシのそれなのであって,二本足歩行で大地を歩く,アン,ドゥ,トロワが移動の基本である(Paul Loukaの言う如くそれが世界を変えるかどうかはまた別問題になる)。飛行機などという巨大な金属の塊からなるマガマガシイ乗り物は,ヒトの一瞬の夢を仮託した,いわば「神隠しの実現装置」に過ぎない。移動時間の節約ならびに移動困難の克服という世俗的条件を取り去れば,それはヒトという動物には本来そぐわない,むしろあってはならない存在なのだ。もっともその伝で言えば,同様に自動車という乗り物も不要のものである。あるいは自転車だって不要かも知れない。このあたりの許容レベルは悲劇の蓋然性などで議論されるべきではなく,要するにフィロゾフィーの問題になるだろう。
余計な御託はホドホドにして,今まさに飛び立たんとしているアングラディスト老人の方に注目しよう。近くに仲間らしきは見当たらず,あるいは先に飛んでいってしまったのかも知れないが,ともかく彼はたった一人だけで離陸台に立ち,緊張に包まれた雰囲気のなか,どことなく心細げな仕草で身支度を整えている。周囲には5~6名ほどのハイカーが遠巻きに見物しており,私もその末席に加わらせていただいた。皆人一様に興味深げに離陸の瞬間を待ち受けている。ギャラリーのなかに親子連れの二人がいて,小学生の男の子と父親とが小声でヒソヒソ話を交わしていた。 「おっかなそうだねー」,「すぐ下が絶壁だもんね」,「度胸だけじゃなく,技術も必要だな」,「ぼくもやってみたいなぁ」,「ショウタにはまだ無理だよ」,「パパにだって出来っこないよね」,「ずっと先の方に送電線があるけど,引っ掛からないのかなぁ」,「引っ掛かったら,TVのニュースになってこの辺が写っちゃうかもね」 外野席は気楽なものである。いや私とて口には出さぬものの似たような思いを抱いていたのであるが。
そんな周りのザワツキもプレッシャーを一層助長させていたのかも知れない。微妙な風の吹き具合を読みあぐねているように彼はなかなか飛び立とうとせず,じっとタイミングを計っている。ピリピリと張りつめた時間が経過するなかで,アングラディストとギャラリーとの気持ちが徐々に一体化し,それらはある瞬間に向けて収斂してゆく。
五分間ほど待っただろうか。突然,彼は小走りで前方に進み,それから一瞬奈落の底へと滑り落ちるようにしてフワッと飛び立った。そして春霞に鈍く輝く真昼の大気のただなかをスイーッと滑空して,あっという間に小さくなっていった。その様はまるでアホウドリの幼鳥が断崖絶壁から初めて飛び出る「旅立ちの時」みたいであった。いやぁ,鳥になろうとするのも大変だ。やはりワタクシはゴミムシの人生を甘んじて受け入れよう。
これ以降の行程記述はごく簡単に端折らせていただく。なかなか見応えのあるフライト・ショーをひとしきり見物した後,再びザックを背負い,山道を東進して登って下ってまた登り,約30分ほどで岳ノ台(標高899m)の小ピークに到着した。そこからスギ植林地の斜面を強引に下ってヤビツ峠(標高761m)のバス停前に出たのは午後3時過ぎだった。ヤビツ峠からはバスに乗らずに柏木林道をさらに1時間ほど歩いて下り,午後もやや遅い時刻に蓑毛の里へと辿り着いた。蓑毛橋のたもとで万歩計を見るとカウンタは28,000歩を超えていた。あー疲れた。 (後略)
以上は,1ヶ月ほど前の拙い記録である。その爽やかな春の季節もとうに過ぎ,今は毎日ムシ暑い曇天やウットウシイ雨降りが繰り返される日々。そんななかで過去の記憶も徐々に風化してゆく。 あの老アングラディストは今日もまた空を飛んでいるのだろうか? 梅雨の合間にときおり青空が顔をのぞかせる日の午後,我が茅屋の北方に連なる丹沢表尾根の菩提峠や二ノ塔方面を望みながら,まるで石川啄木気分で(!) そんなことを思ったりする此の頃であります。
まずは自宅(標高143m)から北西に歩を進め,二級河川金目川水系葛葉川に沿ったさほど広くない舗装道路を上流方面へと辿ってゆく。自転車散歩では通い慣れたルートだが,歩くとなると別段何の面白味もない単調な脇道だ。川の両岸にはチマチマした住宅群がモザイク状に分布し,所々に工場や倉庫や駐車場や小公園や原っぱや田んぼや畑や果樹園やビニールハウスなどなどが混在する,どことなく埃っぽい,ありきたりの郊外風景である。河川工学的に見るとセグメント1(河床勾配1/60~1/400,代表礫径10~30mm,低水路水深0.5~3m)に相当し,また河川生態学ではBb型水域(ひとつの蛇行区間に瀬と淵とが一組存在する水域)に分類される緩やかな傾斜の登りであるが,それでも地道に歩き続けておれば着実に高度を稼いでゆくのであって,周囲に広がるザワザワした好ましからざる凡庸な風景は徐々に山麓地域特有のノンビリとした心地よい里地景観へと移行してゆくのが視界全体に感じられる。漂う空気もこころなしか田舎の香りがいや増してくるようだ。羽根,菩提,向山などの扇状地に立地する集落を過ぎ,やがて山麓のドンヅマリに追いやられた養護施設の学園敷地あたりまでくると道の勾配が急になる。そしてその先の青少年野外センター脇からはじまる桜沢林道の針葉樹に覆われた薄暗い急坂が,里地(日常)と山地(異界)とを隔てるいわば「三途の川」のごとき通過回廊に相当するのだ。我が愛する《ゼルダの伝説・時のオカリナ》になぞらえれば,コキリの森からハイラル平原へと通じる樹林のトンネルを行くようなものだろうか。BGMは「サリアの歌」か(例えが稚拙で恐縮です)。ま,狭い林道を自動車でブィーンと一気に駆け上がってゆく連中にはそんなことをシミジミ感じる暇もなかろうが。それはともかく,フウフウいいながらその急坂を10分あまり登りつめると,おなじみの湧水スポット「葛葉の泉」(標高435m)へと辿り着く。ここまでが家から1時間と少々。一息つくにはちょうどよい時間と距離だ。
日曜日とあって泉の一帯は大盛況だった。狭い駐車スペースだけでは足りずに前後の林道に帯状に溢れて駐車している自動車の数を数えてみれば,ヒイフウミイヨウ... 計14台ばかりの湧水運搬車ならびに20人を超える水汲み人達がこの狭い山中に蝟集している。泉の周囲に積み置かれてスタンバイしている白いポリタンクの山はいったい何10本いや何100本あるのか,数える気も起こらない。そして当の水汲みビトの年齢構成ときたら,まるで見事に中年~老年ばかり,それもほとんどが夫婦連れだ。やっぱ,一人でこんな所まで出張って来るのは気が咎めるのだろうか。というか,いささか歪んだ自己偏愛的な健康志向を持ったヒトビトがこんな狭い場所に同時に仰山集まれば,当然ながら順番待ちとか先取権とか時間配分とか場所取りとかのツマラヌ争い事が生じる可能性も十分に予想される訳であるからして,多勢に無勢というリスク回避手段として「ペアで水汲み」というスタイルが選択されるのも無理からぬ事ではあろう。いずれにしても難儀な話ではある。ったく,山を何と心得ておるのか!
おっとっと,なにやら数年前にどこかで記したブツブツ言の繰り返しになってしまったようだ。面目ない。ボケ老人になるのはまだ早いゾ,というわけで,早々に泉を後にして再び桜沢林道のクネクネ坂を上り続けることにした。南斜面の明るいランブリング・ロードで,ゆっくりのんびりと歩いてゆくにつれ,穏やかで暖かい春の陽差しが身体中にジンワリ滲みこんでくるようで何とも気持ちがいい。木々の若い緑が折り重なるようにして風にそよぎ,知らない鳥がどこかで啼いている。人里の桜はとうに散ってしまったが,低山に咲くヤマザクラは今もわずかに花を残し,秘やかな宴の名残を惜しんでいるかのようだ。双翅目や膜翅目や半翅目などの,いずれもその名は知らねども,小さな昆虫たちがあちこちで飛翔している。春に目覚めた彼ら彼女らは,いかにもウレシソウに私の身体にまとわりつくように舞っている。
この林道は丹沢山中に数多く存在する林道のなかでは比較的マイナーな部類に属し,また原則として一般車両通行禁止であることから,だいたいが貸し切り状態であることが多く,道のまんなかを堂々とのんびりゆっくり歩行を愉しむことができる。ただし,このしばらく先で交わる表丹沢林道などとは異なり,通常は始点・終点の通行ゲートが開放されているため,時には車で山麓から菩提峠までを一気に駆け登ってゆく一般人(=フトドキモノ)も見られるので油断はならない。その日も途中で二度ほど後ろから車に追い抜かれた。1台は多分ハイラックス・サーフだったと思うが,仰々しい外観の巨大4WDがブイブイ言わせながら大量に排ガス撒き散らして威勢よく追い抜いていった。もう1台は,なんとBMWの7シリーズ・セダンであった。こちらは慎重すぎるくらいの徐行運転で私の脇をトロトロすり抜けるように登っていった。クネクネ林道に慣れていないのか,あるいは,ボディーを傷つけるのが恐いのかな? いずれにしても フントニモウ!の世界である。逆に,山の上から降りてきた車は,唯一,自転車1台のみであった。ロードバイクに乗った青年が,まるでTVCFの佐藤琢磨のようにハイスピードで駆け下りてきて(おお,我が同志よ!),あっという間にすれ違った。しかしどちらかというと自動車よりもこちらの方が,カーブの出会い頭などでは危険かも知れない。『丹沢山中の林道で 地元の老人がツーリング自転車にはねられ重体!』なんていう新聞ネタにならぬよう,気をつけねばナ。
途中,表丹沢林道との分岐点を経て,さらに二ノ塔(標高1,140m)の東南斜面を菩提峠へと通じる急な道を登っていった。何となく箱根ターンパイクのようなオモムキがある開けた山腹を直線的に上っていく味気ない道である。歩いている途中で何故か信州の美ヶ原高原から三城牧場へと下る道のイメージが頭に浮かんできて,ハイティーンの頃のセンチメンタル・ジャーニーの想い出が朧気ながら蘇った。風景の構成要素を比較すれば両者は全然似ていないことは明らかだが,いかなるアナロジーに基づいてそんな古びた記憶の引き出しが瞬時開かれたのだろう。単なるボタンの掛け違えか。あるいは脳細胞破壊の一端に過ぎないのか知らん。
菩提峠(標高760m)の広場に着くと,ここもまた仰山の行楽グルマでビッシリと埋めつくされていた。葛葉の泉と同じく休日には毎度お馴染みの光景なのだろう。その数ざっと20台以上。立錐の余地もない,という表現そのままの混雑ぶりだ。ほとんどは県道70号の枝道から登ってきた連中に違いあるまい。なかには,いったん峠まで登ってはきたものの駐車できる場所がまったくないのでやむなく引き返してしまう車も見られた。戻り際のUターンにさえ苦労している。それにしてもイヤな眺めである。自然に対する冒涜,環境に対する無頓着などという教条主義的な科白は申しません。申さぬけれども,そもそも乗合バス路線がすぐ近くのヤビツ峠まで通じているにもかかわらず,それを利用することなく,個々人がそれぞれ好き勝手に自家用車を駆って山の上まで遊びにやって来る。クルマの利便性・機動性・独立性・安直性に依存した極めてお手軽な自然享受。そういった無邪気で脳天気で礼儀をわきまえない君ら方の行為が,結果として風景を貶めているのですよ。ディエンビエンフーの静かな郊外にある日突然土足でドカドカと侵攻・駐留した外人部隊と,一体どこが違うというのか。ここでまた,ハァーッ,と溜息ひとつ。しかるのち気を取り直して踵を返し,岳ノ台へと向かう道をトボトボと登っていったのであった。
今から40年ほど前,たった1シーズンだけスキー場が開設されたという菩提峠の北斜面に広がるカール状の草原に沿って東に少しばかり登ると,反対側の南に開けた急斜面の縁にパラグライダー&ハンググライダーの離陸施設が大・小2台設けられている。いつ頃出来たものだろうか。10年前にはなかったと思うが,6年前に来たときは1台だけあった。私としてはめったに足を運ばない場所なので,次に来るときには何台に増えているのかな。自然公園法に基づく国定公園の特別地域における工作物の増築許可は,この手のモノであればスンナリと通るものなのか。まぁ,外見上は景勝地の展望台(ベンチ)のようなものだろうけれど,それだったら立入禁止の札など掲げずに,もっと広く一般に開放して欲しいものだ。
さてさて,その日は大変穏やかな良い天気で,また風も適度に吹いていたので絶好のフライト日和だったのだろう。大きい方の離陸台の上には年の頃にして60を少し過ぎたと思われる小柄な初老のアングラディストが,今まさに離陸を行わんとすべく最終フライト準備の真っ最中であった。アングラディスト? そんな言い方があるのかどうかワカランが,これは昔聴いたマキシム・ル・フォレスティエの《パラシュティスト》という歌からの連想である。無謀にも酔狂にも自ら空を飛びたいなんぞと考えるヒトの,常人には決して窺い知れぬ孤独な心情。彼らは一体どのような思想と信念と理論と実践のもとに空を飛ぼうと決意するに至ったのだろうか。
空を飛べたらなぁ,いちど鳥になってみたいなぁ,そりゃ誰だって言うだけなら言う。けれど現実にはほとんどの人々がゴミムシやらダンゴムシやらシャクトリムシやらデンデンムシやらの生活を暮らしているのだ。そういう表現がマズければ,地に足の付いた暮らしを暮らしている,とでも言い換えておきましょうか。飛行機に乗るのが大好きさ!などとのたまう人物に出会うことも巷間希ではないが,彼らにしたところが所詮他人任せの物見遊山気分で上空から「高見の見物」を決め込んでいるのが大方の所だろう。あるいは諸般の事情,主として業務上の理由から移動時間の短縮を余儀なくされる悲しい人種のマケオシミだろう。そもそも,ホモ・サピエンスという生物種が有する特性は本質的にゴミムシのそれなのであって,二本足歩行で大地を歩く,アン,ドゥ,トロワが移動の基本である(Paul Loukaの言う如くそれが世界を変えるかどうかはまた別問題になる)。飛行機などという巨大な金属の塊からなるマガマガシイ乗り物は,ヒトの一瞬の夢を仮託した,いわば「神隠しの実現装置」に過ぎない。移動時間の節約ならびに移動困難の克服という世俗的条件を取り去れば,それはヒトという動物には本来そぐわない,むしろあってはならない存在なのだ。もっともその伝で言えば,同様に自動車という乗り物も不要のものである。あるいは自転車だって不要かも知れない。このあたりの許容レベルは悲劇の蓋然性などで議論されるべきではなく,要するにフィロゾフィーの問題になるだろう。
余計な御託はホドホドにして,今まさに飛び立たんとしているアングラディスト老人の方に注目しよう。近くに仲間らしきは見当たらず,あるいは先に飛んでいってしまったのかも知れないが,ともかく彼はたった一人だけで離陸台に立ち,緊張に包まれた雰囲気のなか,どことなく心細げな仕草で身支度を整えている。周囲には5~6名ほどのハイカーが遠巻きに見物しており,私もその末席に加わらせていただいた。皆人一様に興味深げに離陸の瞬間を待ち受けている。ギャラリーのなかに親子連れの二人がいて,小学生の男の子と父親とが小声でヒソヒソ話を交わしていた。 「おっかなそうだねー」,「すぐ下が絶壁だもんね」,「度胸だけじゃなく,技術も必要だな」,「ぼくもやってみたいなぁ」,「ショウタにはまだ無理だよ」,「パパにだって出来っこないよね」,「ずっと先の方に送電線があるけど,引っ掛からないのかなぁ」,「引っ掛かったら,TVのニュースになってこの辺が写っちゃうかもね」 外野席は気楽なものである。いや私とて口には出さぬものの似たような思いを抱いていたのであるが。
そんな周りのザワツキもプレッシャーを一層助長させていたのかも知れない。微妙な風の吹き具合を読みあぐねているように彼はなかなか飛び立とうとせず,じっとタイミングを計っている。ピリピリと張りつめた時間が経過するなかで,アングラディストとギャラリーとの気持ちが徐々に一体化し,それらはある瞬間に向けて収斂してゆく。
五分間ほど待っただろうか。突然,彼は小走りで前方に進み,それから一瞬奈落の底へと滑り落ちるようにしてフワッと飛び立った。そして春霞に鈍く輝く真昼の大気のただなかをスイーッと滑空して,あっという間に小さくなっていった。その様はまるでアホウドリの幼鳥が断崖絶壁から初めて飛び出る「旅立ちの時」みたいであった。いやぁ,鳥になろうとするのも大変だ。やはりワタクシはゴミムシの人生を甘んじて受け入れよう。
これ以降の行程記述はごく簡単に端折らせていただく。なかなか見応えのあるフライト・ショーをひとしきり見物した後,再びザックを背負い,山道を東進して登って下ってまた登り,約30分ほどで岳ノ台(標高899m)の小ピークに到着した。そこからスギ植林地の斜面を強引に下ってヤビツ峠(標高761m)のバス停前に出たのは午後3時過ぎだった。ヤビツ峠からはバスに乗らずに柏木林道をさらに1時間ほど歩いて下り,午後もやや遅い時刻に蓑毛の里へと辿り着いた。蓑毛橋のたもとで万歩計を見るとカウンタは28,000歩を超えていた。あー疲れた。 (後略)
以上は,1ヶ月ほど前の拙い記録である。その爽やかな春の季節もとうに過ぎ,今は毎日ムシ暑い曇天やウットウシイ雨降りが繰り返される日々。そんななかで過去の記憶も徐々に風化してゆく。 あの老アングラディストは今日もまた空を飛んでいるのだろうか? 梅雨の合間にときおり青空が顔をのぞかせる日の午後,我が茅屋の北方に連なる丹沢表尾根の菩提峠や二ノ塔方面を望みながら,まるで石川啄木気分で(!) そんなことを思ったりする此の頃であります。