アジア的生産様式

2006年05月28日 | 日々のアブク
 先日,出張先の山奥の宿で奇妙な夢を見た。私はどこかの工場で働いていた。建屋玄関のすぐ脇にある薄暗い作業場の片隅にうずくまるようにして,何か小さなプラスチック部品のようなものを削っていた。何の工場だかはよくわからない。ぼんやり滲んだ蛍光灯の明かりの下で,注意深く慎重に小さな部品を削る。早朝から夕暮れまでろくろく休み時間もなく一日中同じ作業が繰り返される。すこぶる単調で肩の凝る仕事だった。けれど,失業失職した身であってみれば,今の私に係わることの出来る仕事はもうこれくらいしかない。そんな切羽詰まった状況に置かれていた。インドかネパールあたりの地方都市のゴミゴミした貧民街の一角,そんな場所だったような気がする。「アジア的生産様式」という概念がアタマのなかで浮かんでは消えていった。

 そこに,知り合いの女性が子供を連れてやってきた。母に手を引かれた子は幼稚園年長組くらいの女の子だった。どうやらそこの工場主の孫娘と友だち同士らしい。私はうつむいた姿勢のままで作業を続けながら,ほんの少しだけ上目遣いにその女の子の方を見た。笑顔がとても愛くるしい利発そうな子だった。彼女はまるで古い置物でも見るように私を一瞥し,不思議そうな面持ちで一瞬首をかしげ,それからすぐに家に入っていった。

 苦しみは時に甘美な悲しみを伴う。夢が途切れる間際にふと気付いた。私が働いていたのは東アジアの町ではなく,イベリア半島の海に面した小都市の,古い石畳の坂道が続く裏町だったのだ。未知なる世界での,つかのまの出会いと別れ。 仕合せなる哉 汝 無知なる者 vraissemblablement!

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小田薬局のセガレ,ではなく... | トップ | ゴミムシは空を飛ばない »
最新の画像もっと見る

日々のアブク」カテゴリの最新記事